本質の成果 4
相手が誰であろうと、自分から口を開くことがほとんどない上に、二階から持ってきた本を読んでいる護と、口を開けば嫌みや皮肉が多い実を相手にして、どういう会話が成立するというのか。
健はしかし、三人の間に流れる沈黙を、別段悪いものとは思わなかった。
気を利かせたつもりか、実は、部屋のステレオの音楽を、極力小さくして流している。
しかし、聞こえるか、聞こえないかのボリュームにも関わらず、時おり、実が眉を寄せ、それから苦笑する姿が見られた。
当然だ。
銃の『改良』をしたときに、テレビと、このステレオを最大音量で流していたのだから。
スピーカーが壊れかかっているのだろう。音が掠れる。
ポツリと、実が呟いた。
「初日にテーブルで、次がスピーカーか。おまえは物を壊すのが趣味なのか?」
「……ごめん」
恥ずかしさに目を伏せて、一言謝る。
「ホッカイドウにいたときもスピーカーを壊していたんだ。自分で直せるから、買い換えることはしなかったんだけれどね。それも直そうか?」
「余計なことだな。それは、本部のメンテナンスの仕事じゃないか。……それよりも、よく、あの騒音の中で改良なんてできるな」
実の言葉は、謙遜でしかなかっただろう。
あれは、騒音などという程度ではない。
頭の中がおかしくなりそうなほどの大音量が、二つも混じり合って、脳を圧迫されるような感覚だったのだ。
音という振動は、時として凶器になるというのは、決して大袈裟な表現ではない。
しかし、それでも、実は我慢して健に付き合っていた。
むしろ、そちらのほうが驚くべきことだったのではないだろうか。
健にとっては、そう、当たり前のことだったのだ。
「集中するときの癖なんだよ。牧場の片隅に建っていた家だからね。苦情があるわけでもなかった。……そう言えば、ここでも苦情はなかったのか?」
一瞬、あんぐりを口を開けて、実が呆れた。
今さらになって言い出す、健のあまりの鈍さに、次にはあからさまに笑い出した。
「あったよ。どうしてオレが、ノーマルの文句に配慮しなければならなかったんだか。……だから、本部のナンバーを教えておいた。文句があるのなら、そっちに言えとな。柄にもなく親切なことをしたと思っているよ」
「そう。よかったよ。オレ一人では気がつかなかったから」
とはいうものの、正直、実もすぐに気がついたわけではない。
なにしろ、あの音の中だ。玄関の、インターフォンのおとなど、聞こえるわけもない。手に持っていた電話が鳴ったので、対応するために廊下に出たときに、初めて玄関に人影を見つけ、それがチャイムの音と、ドアを叩く音をさせていたから気づいたのだ。
相手からは、散々に文句を並べ立てられた。なんでも、庭まで回り込んで、窓まで叩いていたという。
実は、健が座っていたソファの影に座り込んでいたため、それを確認できなかったし、健はというと、窓のほうに向いていたにも関わらず、あれだけ集中していれば、気がつかなくても仕方がなかっただろう。
だから、実は辛抱強く、そして、一言も反論せずに文句を聞き、その代わり、謝罪の言葉すら一切口にすることもなく、本部の連絡先を書いて渡したのだ。
最後に、警察にも通報するという捨てぜりふを残して相手が帰ると、さすがの実も笑うしかなかった。
元々は、その、警察からの依頼だ。動くはずがない。
それでも、彼は、しばらくは誰か来るかもしれないと、階段に腰を下ろして待っていた。
そんなことが二回ほどあっただろうか。
しかし、他の苦情はなかった。
近所が留守だったか、我慢していたか。
それとも、苦情のあった家から、何らかの説明を受けたか……いずれにしても、健の騒音で迷惑を被ったのは、本部も同様だったのではないだろうか。
そして、結局、その会話すらそれきりになって、また、耳に、途切れがちの掠れた音楽を流しながら、隆宏たちの連絡を待っていた。
時おり、思い出したかのように、壁の時計を見上げる護に合わせて、実もそちらに目を向けたが、次第に苛立ちはじめ、ジュースの入ったグラスを置いて、窓の方を振り向いた。
「連絡が入るのが遅くないか? あれだけのリストの一人も所在が確認できないのかよ? しかも、四人がかりだぞ」
健もまた、ソファの背もたれから、仰け反るように背後の時計を見上げた。
「確かに、遅いね。でも、逆に順調だと考えることもできるんじゃないか?」
「おまえは能天気だよ」
調査を頼んだ当の健が、のんびりとグラスを傾けているのなら、実一人が心配しても仕方がない。
彼は、それなら、と腰を上げた。
「ケン、シャワーを浴びてくる」
「うん」
実が出ていってしまうと、護は静かに本を閉じた。
それでも、しばらくは黙って、カーテン越しに外を見ていたが、そのまま、ポツリと口を開く。
「あなたは……」
健は、酒のグラスを手に持ったまま、やはり、正面のカーテンを見つめている。
どうやら、護の言葉を待っているようだ。
「……ミノルから……オレの……」
言いあぐねながらも、時間をかけて、護は尋ねた。
「傷跡を……」
健の口元が緩んだ。
「やっと、聞いたね」
「……?」
「よかったよ。ミノルから聞いてはいたけれど、こっちから切り出すわけにはいかないじゃないか」
姿勢を正すように座り直して、グラスをテーブルに戻す。
「そのことは保留にするんだろう? オレは、話は聞いた。けれど、実際に見ていないし、今はそれで終わりにしたほうがいいと思うよ。それより、ひとつ、聞きたかったんだ。おまえ、どうして親のことを知っていたんだ? やっぱり、レイラーから聞いたのか?」
答えは、やはり首を振っただけの否定だった。
が、長い沈黙のあと、護はゆっくり、健のほうに振り返った。
「自分で……調べた」
「興味を持った?」
これも、否定だった。
「興味……ではなく、疑問、だろう」
「疑問? ……親がいないとい?」
「違う。周囲の視線の意味が、理解できなかった」
ふ、と、テーブルのグラスに目を落とし、護は、気がついたように健のものに酒を継ぎ足した。
その合間に、ポツポツと、話し始める。
護は、とりあえず、幼児期は普通だったようだ。近所の子供たちと、外で遊ぶことも、ごく自然にしていたという。
「ユウコと……同じではあったが……」
これは、人見知りのことだ。
健は、それを微笑ましく聞いた。
今の姿からは想像しがたいが、それでも、子供の彼が、戸惑いがちにレイラーの陰に隠れる仕草が浮かんだからだ。
最初に会ったころの夕子のように。
「レイラーからは……他人に対して、挨拶だけは必ずしろと、教えられていた。けれど……オレには、目上の視線が……その頃は怖かった。……言葉が、出てこない。ただ……頭を下げるだけだった。そのあとの……オレを見る目が、理解できなかったんだ」
子供たちとは、公園などで一緒に遊んでいたが、相手には必ず、親がついている。その親同士が、━━もちろん、レイラーもその中に加わっていたが、どうも、自分を見るたびに囁き声が漏れていたという。
はっきりと聞き取れていたわけではない。そして、いつの間にか、レイラーがその輪から外れていることもあったらしい。
「なぜ、挨拶をしろと言っていたのかを……レイラーは何度も諭していた」
どうやら、それは、近所の、そして親の目、というものを気にしていたかららしい。
レイラーにしてみれば、自分は親ではない。しかし、シングルマザーとしか見られていなかったようだ。
要するに、片親だから、躾ができていないと見られることが堪らなかったらしい。
しかも、親子にしては似ていないと言われる。
結局、親戚の子供を引き取って育てている、そう嘘をつくしかなかったと言った。
だが、それはそれで、今度は別の視線が護に向けられた。
「今でも……理解ができない。なぜ、他人の子供、というだけで、同情されたのか……」
「……そう、か。おまえを見る目が同情だったから……疑問を持った、ということか」
静かに、肯定の意味で、護が頷く。
「親という存在がないことはおかしいのだろうか。……そう、思った」
それでも、同年代の子供が、学校に行くようになるまでは、友人たちと何とか、付き合っていられたようだ。
周囲の友人が学校に通うようになると、少しずつ、態度が変わってきたという。
表面的にはそれほどの変化はなかった。しかし、言葉の端々に、棘があったのは確かだ。
親の受け売りは、遠慮のない子供の言葉に代わる。『いじめ』という、ハッキリしたものではなかったが、護は次第に、外に出なくなった。
「辛かった?」
そう尋ねてみた。
やはり、護が首を振る。
「どうでもいいことだ。あなたも同様だろう。訓練が重視されれば、どのみち、彼らとは距離をおかなければならなくなる。だが、疑問だけは残っていた。だから……調べた」
両親がいないことで、周囲の、同情の目がなかったら、護は生涯、調べようとは思わなかっただろう。
普通の子供であれば、小学生でしかなかった年頃の彼が、自分の能力を活かして、調べあげてしまったのだ。
精神訓練の、基本である命の大切さを教えられた自分が、よりによって、ノーセレクトとして生まれたというだけで、両親が自殺した、ということを知ったときのショックは、どのようなものだったろう。
彼は、生きているのが嫌なのではない。
生きていてはいけない存在だと、考えていたのだ。
「それで……生まれながらの殺人者、か……」
公園で言っていた言葉の意味に含まれた絶望は、子供の精神では耐えられるものではなかったのだろう。
それにしても……。
よく、話してくれたなと、健は思った。
てっきり黙り込むと思っていたし、期待して聞いたことではなかったので、意外だったのは確かだ。
「ねえ、マモル……」
ついでに聞いておこうかと、口を開いたが、健の質問は、玄関先の声に遮られてしまった。
「ただいま、ケン。……ねえ、ミノルはどうして……」
「余計なことは言うなよ」
次に入ってきた実が、彼を小突く。
「ミノル、どうか、したのか?」
隆宏たち全員が、戻ってきたようだ。
実は、健の隣に腰を掛けながら言った。
「入ろうとしたら、おまえたちが話をしていたようだったから、遠慮をしていただけだ。……済んだのか?」
「別に……気を使わなくてもよかったのに」
とは言ったが、護にすれば、聞かれたくない話だったかもしれない。
本当に、実は、そういう細かいところに気を使う。
夕子だけが姿を見せないのは、帰った早々、キッチンに入ったかららしく、隆宏たちはそれぞれ席についたが、絵里は、テーブルのうえにあったグラスを見つけると、ボトルと共にキッチンに持っていってしまった。
「ごめんね、ケン。電話をするより戻ったほうがいいと思ってさ」
と、渡されていた用紙を、健の目の前に差し出した。
そこには、途中で用意をしたのだろう。蛍光ペンで、名前を彩ったあとがあった。その上、ある一人の人物のところは、二重丸がつけられている。
「リストの意味がわかったよ。これは、海運会社の社員リストだ。緑のラインの人たちは、今、コウベからこっちに向かう船のなかだよ」
その数は、約、半数か。
全部の人数が五十人程度だから、決して大きな会社ではなさそうだ。
「それで?」
「どうも、まともな会社じゃないみたいなんだ」
「というと?」
「ちょっと待って」
隆宏は、キッチンから絵里たちが戻ってくるのを待って、彼女に話を引き継いだ。
夕子が用意したのは、お茶だった。
時間も時間だから、彼らは酒を飲むつもりはなかったらしい。
ただ、健にだけは、日本酒を用意した。
全員が席についたところで、隆宏が絵里を促す。
「この会社、表向きは小さな印刷会社でできた本をヨコハマに運んでいるの。普通、陸路よね。その方が安いし、早いもの。でも、その印刷会社は、海運会社の創業当時からの付き合いで、未だに契約しているらしいわ」
「君たちは、印刷会社の方を調べてきたわけ?」
「違うわよ。そっちはついで」
「海運会社がまともではないという根拠は?」
健の横からリストを覗き込んで、実が尋ねた。
再び、隆宏のほうが説明を始める。
「まず、このリストの人間の居所を調べるために、野々村さんに連絡をとったんだ」
野々村が用意したリストなら、その意味を、本人に尋ねるのが一番だ。
事後承諾になる形だったが、隆宏は、自分が責任をとると言って、詳細を聞いたらしい。
もちろん、隆宏は野々村と面識がないどころか、絵里と高志の話で、初めて資料室のチーフだということを知った。
そのため、リーダーではない自分の要請で、野々村が話してくれるかどうかが不安だったようだ。
どうやら、訓示は行き届いていたらしく、また、ノーセレクトメンバーだということを、初めから知っている野々村は、協力を惜しまなかった。
隆宏は、転送してもらった別の資料も健に渡した。
そこには、神戸にあるその海運会社の、資本、資産、社員の経歴の他、社長や重役の住所、家族関係、他、仔細が並べられていた。
その転送のあとで、ようやく、リストの人物すべての居所を調べたのだそうだ。
その中で、『まともではない』と感じたことを報告する。
まず、疑問に思ったのは、社長以下、重役の所得や、会社の経費などを比較すると、どう考えても、今の経営状態は、収入が心もとないというのだ。
要するに、割りが合わない、らしい。
「裏帳簿とか何かがあるとか?」
健の問いかけに、隆宏は困ったように眼鏡を外した。
「それが、そういう訳でもなさそうなんだ。というより、社長は、他にも会社を持っているんだよ。どちらかというと、そちらのほうが大きくてね。だから、印象としては、微々たる収入のために海運会社をやっている意味がない、ということなんだ」
「逆に考えれば、意味があるから会社をやっている、ということよ」
「それが、まともでない根拠か?」
なんとなく、絵里が言いたいことがわかる気がする。
海路の確保のために、その会社が必要だ、ということだ。
「と、なると、その社長は……」
隆宏が、手をかざして、健の言葉を止めた。
「社長には、後ろ暗いところはないんだ。彼自身はきっと、道楽くらいにしか考えていないんじゃないかな。だから、収入が少なくても、船が二隻しかなくても、会社が潰れても多分、構わないはずだ」
「海路の確保にも執着はない、と?」
「だろうと思う。……社長が会社を立ち上げたのが約、十一年前。ただ、少なくともその時は真面目に、運送をやろうとしていたんだろうね。約三年の間は顧客の獲得に奔走していた形跡があるんだ。それで、今の取引相手のいくつかとは続いている。けれど、メインはエリの言うとおり、印刷会社の定期的な運送だけなんだ。あとは、細々とやっているとしか言えない取引ばかり。どうも、社員を路頭に迷わせない程度に続けているという印象だよ」
話を聞くうちに、実は、眉を寄せた。
「タカヒロ、おかしくないか? 社員を解雇するに忍びないから会社を続けているわけだろう? まともじゃないか。その社長は人がいい、で片付けられる話だぞ?」
「そうだよ。社長はね。まともじゃないのは、社員のほうなんだ」
「社員?」
「このリスト全員だよ。入社の時期はバラバラだけれど、必ず、誰かの伝で入って、今の人数になっているんだ。起業した当時の社員は一人だけ。この……一番古い重役」
と、隆宏の指が、リストの下のほうのひとつを指した。
「社長の、創業当時のパートナーだ。この二人で、最初は顧客の獲得に回っていたんだね。社員も、この頃は普通だった。けれど、会社が一度、軌道に乗り初めて、一時期売り上げを伸ばした頃から、変わり始めたんだ」
もう一度、隆宏がリストをなぞり始めた。
「大体、五年後くらいかな。社員が入れ替わり始めた。一人入ると、二人やめたり、また入ると、一人やめたりして、一年くらいの間で、この人数、顔ぶれにそっくり変わってしまったんだよ」
指が、止まる。二重丸がついているところだった。
「この社員が最後の入社員だ。約一年前のね」
その人物こそ、本部で野々村が言っていた、命の危険があるという男だ。
「全部、伝で入った、と言ったね」
「そう。肝心なのは、誰かがやめたから求人したんじゃないということなんだ。逆なんだよ。人が入社したから、元々いた社員が削られていった。……と言い換えたほうがいいんだ。しかも、古株の伝、それから、またその新入社員の伝で入って、誰かがやめる。……何が言いたいか、わかるだろう?」
「会社の乗っとり?」
健の呟きに、隆宏は曖昧に頷いて、それから首を振った。
「半分はそういうこと。ただ、単なる乗っ取りじゃない。会社名義は、未だにその社長だからね。パートナーのほうは、重役のままだ。今の重役は三人。オレンジの印がついている人だよ。もちろん、入った順で古株だからだと思うけれど。……彼らが重役になったのもまた、五年前くらいからで、この頃に、コウベとヨコハマのラインだけの経営に変わった。最初は関東と、四国のラインがあったんだけれどね。トウキョウ、チバ、シズオカ、いばらきと、カワサキ、エヒメ……二隻の船は、そのためのものだったらしいよ。それがたった一本、ヨコハマだけになったんだ」
「社長は、縮小した経営を傍観しているのか?」
「そこまでは調べていないよ、ミノル」
とりあえず、調べたことといえば表面的なものと、そして、健のいうとおり、リストの人物の現在位置だけなのだ。
隆宏は、改めて健に向いた。
「ケン、本部で野々村さんが言っていたという言葉、わかる気がするんだ。君には見過ごせる? この、最後の社員、殺されるかもしれないよ」
「……?」
隆宏も絵里も、そして高志までが真剣な眼差しで彼を見ている。
なにかを見つけたのだ。




