眠り 10
実に、帰るなり連れ込まれたのは、コンピューターが置いてある部屋だ。
いくら、同じノーセレクトの仲間だという意識があっても、男女がひとつの部屋に二人きりになるのを自然に思うほど、彼女は実に気を許していない。
まして、今になって急に、しかも真面目に、
『待っていた』
などと言われては、何か下心があるのではないかと邪推しても当然だった。
「一体、なんなのよ?」
警戒をあからさまに言う彼女に、実は一度、廊下の気配を伺うように振り返り、言った。
「ケンが部屋で寝ている」
「? ……だから?」
一瞬、考えたのは、健もまた、高志のように初仕事の重責で寝込んだのかということだった。
だとしたら、尚更情けないではないか。
「起こしてくれ」
「……なんであたしが?」
「君の声でなければ起きないようにしているんだ」
おかしな言い回しに、眉を寄せる。
とりあえず、妙な下心があって連れ込んだのではないことはわかった。
が、そうなると、持ち前の気性から、絵里の口調が強くなる。
「あのね、頼みごとをするのなら、もう少しわかりやすく言ってくれない? オオサカから、本部を経由して戻ったばかりのあたしに、さっきまで庭でのほほんと過ごしていたあんたが、よりによって、さらに暢気に寝ているケンを起こせとはどういうことなのよ? 第一、あたしの声? なによ、それ。スリーピングっビューティーは、王子が姫を起こすのよ。逆じゃない」
捲し立てる彼女に圧倒されたわけではなかったが、実は苦笑するしかなく、机に軽く腰を掛けて、簡単に説明をした。
彼には、最初からわかっていたのだ。
健が、自分の本質と、表面的な立場の間で悩むと言うことを。
ただ、強さが仇になって、自分自身に問いかけることもできずにいる。
彼が熱を出すとは想定外だったが、ノーセレクトにはありがちなのだと結論付け、暗示をかけて眠らせたのだ。
「暗示?」
「催眠術と似たようなものだ。自己暗示ができないようだったから、オレが手を貸した」
「あんた……そんなことができるわけ?」
実は、なんでもないことだと言いたげに、軽く首をすくめた。
「油断のならない人ね、あんたは。まさか、誰彼構わずにやるようなことはないでしょうね? 今回が特別だと思っていいのね?」
念を押したのは、自分が知らないうちに術をかけられて、何かをされるかもしれないと思ったからだ。
もちろん、彼は絵里に頷いた。
これも、彼女の不安が伝わったから、といえる。
「よほどのことがない限り、オレだってひけらかすつもりはないさ。君が信用しなくても、約束する」
「……信じるわよ。わかった」
納得すれば、行動も早い。
さっさと踵を返すと、ドアを開けたが、何を思ったか、また閉め直し、振り向いた。
「ひとつ聞いておくけれど、キーワードがあたしということは、声をかければ起きるのよね?」
「ああ」
「あんたの言うとおりなら、中途半端で終わることはないわけ? 迷うだけ迷って、結局変わらないまま起こすことはない?」
「ない、とは言えないが、そこまで鈍いとは思いたくないな」
何しろ、朝食の途中で倒れたのだ。普通の睡眠だったとしても、充分すぎる時間のはずだ。
頷いて、今度こそ、健のいる部屋に向かう。
コンピューターのある向かいは、隆宏と高志が使っている部屋だ。
今は、護がいる。
ドアは閉まっていた。
ノックもしないで、突き当たりの部屋にはいる。
健は、相変わらず、呼吸もしていないのではないかというほど静かに眠っていた。
絵里が、あとから続いた実に、あからさまに意味を含めた笑みを浮かべて、ベッドに腰を掛ける。
健の頭の、両脇に手をついて、耳元に囁きかけた。
「起きてちょうだい。帰ってきたわよ」
それは、張りのあるいつもの声ではなく、女性の魅力をたっぷり含んだ、艶のある甘えた声だった。
“あたしにも、これくらいはできるのよ”
と、言っているような目だ。
実は、笑いを堪えるのに、口を抑えた。
「キスをしたら目が覚める? 王子さま?」
彼女もなかなか茶目っ気がある。これで起きなければ、本当にキスをしかねない。
しかし、僅かな身じろぎをして、健の目蓋が開くと、彼女は身を起こした。
「起きた?」
艶のある瞳で見下ろす彼女に、次第に焦点が合ってきた健は、まるで、起こされたことを当然のように言った。
「……おかえり」
あまりに普通に言われて、彼女は肩を落として、実を振り返った。
「ねえ、あたしって魅力がないの?」
我慢しきれずに、実が笑う。
「そいつが鈍感なだけだろう?」
そして、彼女と場所を変わるように、実のほうがベッドに腰を掛けて、額に手を当てた。
「熱っぽさはなくなったようだが……目眩は?」
健は、自分自身を確かめるように目を閉じたが、やがてゆっくりと体を起こした。
「大丈夫みたいだ。ただ……」
実とは反対側からベッドを降りて、彼は一度、頭を振った。
「なんか、頭がはっきりしないな」
やっぱり時間が足りなかったんじゃないの? と言いたげに、絵里が実を突っつく。
それでも、足取りはしっかりしているようで、窓を振り返り、
「一日寝ていたみたいだなぁ」
と、すまなそうに苦笑しながら部屋をで出かかった。
「ちょっと待てよ。そのまま降りる気か?」
「? いけないか?」
「服のままで寝ていたんだぞ。着替えろよ」
言いながら、クローゼットに回り込む。
絵里は、実の細かさに呆れながらも、
「もういいわね? 下に行っているわ」
「エリ、さっきの声、タカヒロたちに聞かせてみたらどうだ? 案外、効果があるかもしれないぞ」
特に、隆宏に、とまでは口にしなかったが。
「冗談でしょう? 年下は眼中にないわよ。あんただって笑って聞いていたくせに。自信をなくすわ」
出ていった彼女の後ろ姿を目で追って、健が首をかしげる。
「なにか……悪いことをしたのか? オレは……」
服を取りだし、彼に渡した実が、また笑う。
「女の魅力を最大限に生かして起こしたおまえがたった一言、『おかえり』ではな。自信もなくすさ」
「それは悪かったな。……ごめん」
「オレに謝ることか?」
「まあ、それもそうか」
あれだけ眠っていて、まだ時間が足りなかったか? それとも、ノーセレクトだから、睡眠が解決策だと思った実の勘違いだったのか、健の様子にまったくの変化がない。
情けない雰囲気に、実は、まいったな、と呟いた。
「何が?」
「いや、別に。それより、頭は起きたか?」
言われて、健は、自分の頭を軽く何度か叩いた。
「起きてはいるんだけれど、……どうもすっきりしないな」
「まだ休んでいるか?」
「いいよ。タカシも帰っているんだろう? オレだけ寝ているわけにもいかないよ」
それにしても、と愚痴がこぼれる。
「ホッカイドウにいたときは寝込んだことなんてなかったのにな。虚弱でもなかったんだけれど……」
「暑さのせいだろう?」
「今からこれじゃ……先が心配だよ」
「暑さなんて、自然に慣れるものさ」
励ましているつもりなのだろうか。
目を丸くした健は、すぐに、
「そう、か。そうだな」
と、笑った。
逆に、驚いたのは実のほうだ。
「おまえ、変に単純だな。納得するなよ」
「あれ? 違うのか?」
「……いや……」
どうも、調子が狂う。
昨日までなら、慣れるまでの間のことで、ウジウジと悩んでいる。
そして……
諦めて投げやりになった実に対しても、本当ならもっと突っ込んでくるはずなのに、あっさり流してしまった。
「寝ているだけでも腹は空くんだな。すぐに食事はできるのか?」
と、部屋をでかかったものだから、実はまた、慌てて彼を止めた。
「待て待て! 話があるんだよ」
強引に、さっきまで寝ていたベッドに健を座らせる。
「後じゃダメなのか?」
「嫌みも愚痴も、タイミングがあるんだ。おまえの腹具合はあとにしてくれ」
仕方なく、促す。
「それで? 今度はどんな嫌みだ?」
「違う。愚痴のほうだよ。おまえが寝ている間、大変だったんだぞ。一体、おまえはマモルと何を揉めていたんだ。外に出ていったきりで、帰ってきたと思ったらケガをしていた。治療をしようとしたら、なりふり構わず抵抗するし、オレのこともわからずに錯乱するし、だ」
「……それで……揉めていた理由があるから抵抗されたと思ったわけ?」
「理由なんてどうでもいい。聞きたいのは、相当憎まれている、内容のほうだよ。おまえが寝ている間、一度おまえを殺しかけた」
と、いいながら、実は目線で、サイドボードを示した。
スティックが一本、忘れ去られて置かれている。
健は、自分の体を見回し、言った。
「無事だと言うことは、おまえが止めてくれたわけだ」
「本気じゃなかったようだがな。おまえを試す価値もないと言っていたぞ」
「見捨てられたかな? できない約束をしたのは本当だから、言い返せないけれど。まあ……でも、おまえには感謝しなくてはね」
「わかった。じゃ、次だ。おまえは、キャップからマモルのことを何か聞いたか?」
「何かって?」
資料など当てにするなと言っていたはずだ。どうしてそんなことを聞くのかわからない。
「あいつが長袖を着ていた理由がわかったんだ」
隆宏たちに口止めをしておきながら、実は健に対して、護のことを隠さなかった。
それは、自分が無関心でいるには問題が大きく、知らぬ顔をしていられなかったからだ。
隆宏にも言ったとおり、サブリーダーの役目の範疇を越えていたのだ。
「全身に、だぞ。古い傷跡ばかりだったが、あるいはタカヒロの言うことのほうが正しいのかもしれない」
「彼はなんて?」
「レイラーによる虐待だ。確か、あいつのレイラーは女性から男に代わっていただろう? そいつが……」
「あ、それはないから」
あっさりしすぎる返事だった。
「断言するな」
「まあ、高木さんのことを聞いたのは確かだからね。あの人はレイラーじゃないんだ。高木春代さんの旦那さんらしいよ。だから、二人目のレイラーじゃない。あくまでも保護者だそうだ。心当たりならあるし、高木さんは除外してもいいよ」
「やっぱり何か聞いていたんだな」
それなんかえれどね、と健は苦笑した。
「キャップは何も言わないし、事前の資料はほとんどが空白だったし、マモルがオレに話すわけがないし、心当たりと言っても、虐待じゃないことくらいしか言えないんだ。第一、虐待なんて、隠しておけることじゃないよ」
「そんなことはないだろう?」
「だって、キャップは事情を知っているから、隠しているんだよ? もし、高木さんがそんな人だったら、問題にならないわけがないよ」
頭ははっきりしていないながらも、健には確信があった。
関係者が、みな、何かを隠している。というより、剣崎司令が、何もかも知っていて、秘密裏にどうにかしようとしている理由が、護自身の沈黙故だ。
初日の司令室で、彼は健に言っていたではないか。
自分だけが、メンバーのことを知っているが、それを自分の口からは言えない、と。
彼の方針は、メンバーの自主性に任せる、というもの以外にない。
つまり、彼らの隠し事、隠さなければならないことを、そのままにして日々を過ごすか、それとも、メンバーで解決するかの選択までも、自主性に任せているということだ。
実は、健の言うことのほうが正しいと認め、頷いた。
確かに、ノーマルの生活の中では、発覚しないまま、虐待の末に死なせてしまう例は多い。
しかし、ノーセレクトメンバーのレイラーと言う資格に、虐待の傾向がある人間を採用するとは思えない。
また、国で運営、管理する機関だと、隠し通せる出来事があるとも思えない。
と、なると、やはり、何らかの事件、か。
「……おまえがそういうなら、その、保護者の件も除外するが……」
「それよりミノル、マモルにはそういう傷があるということだね? それから、触れられることを……嫌がっているのではなく、恐れている……」
「そうだ。単に嫌がっているわけじゃない」
「それが判っただけでも助かるよ。タカヒロたちは、そこまでは知らないんだな?」
「言うわけにはいかないだろう?」
あんなもの、吹聴できるわけもないし、もう、見たくもない。
実の口調には、その思いがあからさまに表れていた。
「わかった。オレが、覚えておくよ」
「それだけか?」
「え? 他に何か?」
呆れ果てた、という表情で、実が言い含むように体を乗り出した。
「あのな、あいつは、おまえを、恨んで、いるんだぞ」
一言ずつを区切ることで、ことさら言葉を強調する。
「わかっているよ。本人もそう言っていたから」
本人の口から聞いていたとは驚きだが、それなら尚更だ。
「この先、どうするつもりなんだ? 寝首をかかれるぞ」
「彼は、そんなことはしないよ」
「どうして断言するんだ。現に、さっき……」
「でも、こうして生きているじゃないか」
実の言葉を遮って、まるで、自分のすべてをさらけ出すように両手を広げて見せた健は、未だ、頭の中にかかっている靄を振り払うように背伸びをすると、腰を上げた。
「ミノル、思うんだけれど、おまえたちが故意に隠すことを、オレは無理をして聞き出さないほうがいいんじゃないかな。おまえの言う通り、現実は目の前にある。なら、オレはそれだけ見ていればいい。……逆も、……同様じゃない? おまえたちから聞いたこと、見て、判ったことを、オレは自分の胸にしまっておきたいんだ。話せることなら、おまえたちには隠さないし、話す時期も、自分で見極めて、話すべき相手に言うよ。オレの存在は、おまえたちの成り行きの中にいると、思ってほしい。無理にねじ曲げる必要はないんだ。マモルのことは、大丈夫。オレの問題なら、自分で何とかするから」
やはり、拒んだな。
実は、思った。だが、手を振り払うような乱暴な拒否ではない。彼は、差し出した実の手を、優しく自分から遠ざけたようなものだ。
これは、健が眠ることで、本質をみつけたのではないだろうか。
というより、自覚がなくとも、身に付けられた、かもしれない。
試しに、彼は一度、健を読み取ろうとして、目を閉じた。
しかし、眠る前までは、あれほどはっきりとしていた感情が、柔らかい綿か何かで包まれているようで、伝わってこない。
しかも、その『何か』に、温かささえある。
表面的には何も変わっていない。
変化のない変化も、あるいは健の強さ、その底力か。
情けないほど頼りない外見の中の、ほんの僅かも揺るがない、盾という強さが、彼の根源だ。
それがわかれば、これ以上実がこだわる必要は、ない。
サブリーダーが、リーダーの補助でしかないからこそ、権限の逸脱は避けるべきだ。
実もまた、腰を上げ、部屋を出た。




