眠り 9
庭の片隅にある、白いテーブルセットに置かれたオレンジジュースが半分ほど減った頃、隆宏が買い物から戻ってきた。
両手に下げたビニール袋が重そうだ。
柵越しに、実が声をかける。
「ごくろうなことだな」
と、言いながらも腰を上げようとしないのは、手伝おうという気がないからだろう。
隆宏も期待していなかったらしく、笑いかけただけで、門扉を回り込んで家の中に入っていった。
そろそろ辺りが暗くなってきた。
それでも中に入ろうとしない実は、椅子の背もたれに腕をかけて振り返った。
昼間の残照が、港を闇に落とそうとしている。
「エリたち、遅いね」
静かな声が聞こえて、座り直す。
手に持ったジュースをテーブルに置いて、隆宏も腰を下ろした。
「なんだ、手伝わないのか?」
「彼女の楽しみを奪うつもりはないよ。本当に料理が好きなんだね。それに、夕食の支度自体はできているんだ。エリたちが帰るのを待っているだけなんだよ。それで、デザートを作るのに、今は張り切っている、というところ」
関心をなくし、実が肘をついて、テーブルに伏せる。
その姿が、どことなく疲れているように見えて、隆宏が覗き込んだ。
「今日は二人を診察したようなものだね。疲れただろう?」
「そんなこと……大した手間じゃない」
「そう言ってくれると気が楽だよ。今朝は君にひどいことを言ったから、謝りたかったんだ」
「構わない。気にしていないんだ」
それは本当だろう。
隆宏は、安堵してジュースに口をつけた。
「それにしても、本当に遅いね。いつになったら帰ってくるんだろう」
空を見上げる。もう、真上は真っ暗だ。星が見えるにはまだ至らないが、それほど時間もかからず、見え始めるだろう。
「これからますます暑くなるね。もう、中に入らない?」
蒸し暑さをまったく感じていないように、実は動かなかったが、返事もない彼に諦めて、ジュースを飲み干した隆宏が席をたとうとしたとき、話しかけられた。
「他人に誤解を与えないような言葉は……なんだろうな?」
「はあ? ……なんだよ、急に」
実は、恨みがましく隆宏を見上げると、気だるそうに身を起こして頬杖をついた。
「ユウコは一応、女だからな。遠回しに構うなといったつもりなんだが……」
「もしかして、彼女を傷つけた言い方をしたわけ?」
そのわりに、先程の彼女の様子には、落ち込んだところはなかったようだが。
「いっそ、そのほうがオレにとっては楽だったんだが……。あんなタイプと付き合ったことがない。どう聞けば誤解ができるんだか……」
グラスを置き直し、隆宏はテーブルに両手をついた。
「あのさ、それって独り言? そうでないのなら、君がいつ、どこで、彼女にどう言ったのかを説明してくれないと、オレにはさっぱり見えない話なんだけれど?」
「……もう、いい。忘れてくれ」
「そうはいかないよ。オレの好奇心をどうしてくれるの? 話を聞くまで付きまとうよ?」
この場合、隆宏の言い方は一番、ふさわしかっただろう。面白いセリフを聞いたと笑いだし、実は面倒がらずに話し始めた。
本当ならば、キッチンで言った彼の言葉に、夕子は気を落としてもおかしくはなかったのだ。
彼女は親切心で、実が見入っていた料理を作ろうかと提案したのだから。
それに対し、思い出していた過去を邪魔された実がつい、声で突き放してしまった。
泣かれても面倒だからと、彼は彼なりに言葉を選んだつもり……らしい。
それがどういうわけか、彼女が勘違いしたとしか思えない笑顔で返されては、実が戸惑うのも当然だった。
隆宏は、真剣に聞いていた。
それはまるで、二人の気持ちを自分なりに解釈しようとしているようだった。
「……もしかしたら……勘違いしてもおかしくないかも。その言い方だと」
「どうしてそうなるんだ?」
両指を組ながら、隆宏は自分の爪を弾くのを見て、呟くように言った。
「君の言い方が悪かったとは思えないよ。彼女の性格を考えれば、多分、君の最後の言葉を素直に受け取ったんじゃない?」
「最後?」
「頼み事があれば、オレの方から声をかける……」
「それがどうした?」
「それってさ、今まで人見知りで、誰ともまともに向き合えなかった彼女にとって、励みになったんじゃない? 君が、彼女に頼ることがあるって、受け取ったと思うよ。でも、これは、君がどういう言い方をしてもいい方向に考えたと思う」
隆宏は、今度はテーブルに、腕を組んで、その上に顎を乗せると、下から実を見上げた。
「ミノル、これは怒らないで聞いてほしいんだけれど、君は魅力的なんだよ。オレはそう思っているよ。客観的に見て、ルックスで一番はマモルだよね。性格を考えるのなら、ケンが一番心強い。そういう長所を君に当てはめると、言葉が容易に出てこないのは否定しない。君は冷たいし、怖いし、意地悪だしさ。ルックスでマモルに負けて、性格でケンに敵わない……」
実が鼻で笑った。
いや、これは苦笑というべきか。
隆宏は、小さく舌を出して、すまなそうに微笑んだ。
「それでも、魅力的だよ。その……多重人格もどきが、そう見えるのかもしれない。冷たいくせに、いつもオレたちの細かいところに気を配っているじゃない。怖いわりに、本当に傷つくことを口にしない。意地悪も、茶目っ気を含んでいるよ。あれは……単なるいたずらだ。それで、根本にあるのはたったひとつだ。君は……優しいんだよ。世間知らずの彼女が夢中になる気持ちもわかるんだ。と、言っても、多分、彼女には好意も恋も、愛情も区別できていない。憧れも尊敬も、彼女には全部混ざっていて、自分で理解できないから、真っ直ぐに君に向いている、としか考えられないんだけれど」
実の瞳が、スッと上に向いた。
真上に光る、頼りない星の光を見つめ、呟く。
「面倒な感情だ。実際、迷惑だよ。……オレには他人を好きになる資格はない……」
「そんなことはないだろう?」
「ないんだよ。好意も愛情も、ノーセレクトの言葉の前では何の役も立たなかった。今さら、同属だからといって、彼女を受け止められるものか」
キョトンと、目を見開い隆宏は、首をかしげて、テーブルから顔を上げた。
星を見ている実から、テーブルに載ったグラスに目を移し、言葉を思い返す。
「それって……もしかして、好きな人がいた? とか・」
上を見上げたまま、実の口元が笑う。
「あれが愛情というのならばな。結局は傷つけただけなんだろう。なにしろ……」
ゆっくりと、顔が下がる。隆宏を真正面に、実の、自虐に近い笑みが浮かんだ。
「オレは、その彼女にすら、口をきかなかった」
「片想い?」
「さあな。相手がどう思っていたかは知らない。……家に閉じ籠っていたオレを、強引に連れ回していたよ。付き合っていたのは形だけなのか、単に自慢したかったのか、どうでもよかった。それが……ある日突然、姿を見せなくなった。それきりさ。それでも、オレには落胆すらなかった気がする。互いに、本気じゃなかったんだろう」
今さらどうでもいい、と表情が物語っている。
しかし、隆宏の目には、実にまだ、愛情が残っているように見えた。
「ユウコでは代わりにもならない……そう聞こえるな。そんなに魅力的な人だったの?」
「どうだか。口うるさかったのは覚えている。怒った顔しか思い出せないな。一方的に喋って、怒って……」
残っていたオレンジジュースに目を落とし、実は軽く、グラスを指で弾いた。
「彼女にとって、ノーセレクトは不幸な相手だったろうよ。何も知らない頃ならよかったんだろう。幼馴染みのままでいればよかったんだ」
「幼馴染み……」
隆宏はそう繰り返して、吹き出すところを堪えるように口を塞いだ。
それを実が見逃すはずもなく、途端に冷たく見返す。
「悪いか?」
「い、いや……。なんか、かわいいなって思って……」
言ってから、怒られるかと心配したが、彼の方はフッと笑って背伸びをした。
「どうとでも言えよ。おまえがエリに振られたときには盛大に笑ってやるさ」
「あ~っ、ひどい嫌み!」
慌てて腰を浮かせた隆宏に、今度こそからかうように笑ったが、実は自分も腰を上げると、グラスを取り上げて言った。
「さっきのおまえの誉め言葉……今回は聞き流してやるからもう、言うな。本当に嫌いなんだ」
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか。本心なのに……」
「だから、だよ。聞き飽きた。レイラーから散々に言われていたことだ。彼女を思い出させないで……もらいたいな」
ピクッと反応した隆宏が謝ろうとしたときには、実の足は家の方に向いていた。
背中に声をかける。
「ご、ごめん!」
振り返らない彼が、持っていたグラスごと、手を上げた。
「気にするな。冗談だ」
「ミノル」
「そこにいろ。飲み物を持ってくる」
家の中に入った彼の姿が消えたあと、隆宏は大きくため息をついて、頭を抱えた。
“また余計なことを言ってしまったな……”
自分をごまかすことができない隆宏は、昔から誠実に、相手に接してきた。
それ故、自分の感情や感想を、隠すことなく相手に伝えてきたのだ。
それが時として、かえってわだかまりになることを、何度も経験してきたはずなのに……。
今の会話にしてもそうだ。
何気ない、他愛のない話だった。
しかも、実のほうから振ってきた話題だ。だからこそ、真剣に、自分なりに思っていたことを言っただけだ。
けれど、思い返せば、どうして実が、誉め言葉を嫌うのか、根本的に知らない限り、安易に口にしていいはずがなかった。
眼鏡を外して、顔を覆う。
護に対しても、安易な詮索をした挙げ句に、言わなくていいことを言わせてしまった。
それが学習されなかった……。
これでは、この先、メンバーを傷つけていくような気がする。
手の隙間からため息が漏れたとき、耳の辺りに冷たいものが触れて、隆宏は驚いて顔を上げた。
実が、グラスにオレンジジュースを注いで戻ったのだ。
二人分をテーブルに置いて、元の席に座る。
「気にしていたのか?」
と、声をかけた本人のほうが平然としている。
気まずく俯いた隆宏に、彼は身を乗り出した。
「レイラーも、優しいとか、魅力的だとか、感受性が強いなんて、無責任に並べていたよ。でもな、そんな誉め言葉も、最期の一言で、上辺だけだったことを、思い知らされたんだ」
「最期? なんて……? その……よかったら聞かせてくれる?」
じっと彼を見据えて、実が冷たく呟く。
「ノーセレクトが許せない……」
「そんなっ……」
「ノーマルの本性なんて、そんなものさ。綺麗事を並べて、挙げ句の言葉だ。それなら、そのノーセレクトを育てた彼女の人生はなんだった? 自分で自分を否定しただけじゃないか。……誰かがオレを誉めるたびに、思い出すんだよ」
「……ごめん」
やはり、誠実さは、彼にとって迷惑以外、何者でもなかったようだ。
「だがな」
右の耳に手を当てて、ピアスを隠しながら実は、平然と続けた。
「そんなことはオレの問題であって、おまえが気にすることじゃない。おまえの性格は、本来なら……おまえこそ誉められるべきものだ。ただ、オレには迷惑だというだけなんだ。だから、気にするな」
「そう言われてもなぁ……」
目の前のジュースを一口流し込んで、隆宏は頬杖をつくと、道路の方に視線を向けた。
「君だけじゃなく、オレはマモルにも余計なことを言っているんだよ。今までも同じような失敗を繰り返してさ。自分の気持ちを押し付けていたようなものだよ」
「一々考えるなよ。熱を出しやすいんだろう? 三人も患者を抱えるのはごめんだぞ」
突き放した言葉に一瞬、ムッとしたものの、彼はすぐに、
「そうだね」
と、言った。
確かに、ここ何年かは寝込むことはなくなったが……。
昔は、原因もわからないまま、具合が悪くなっていた。
できるだけ悪い方に考えないように、そして、そう思えるときは、自分を抑えずに口にして、いい方向に持っていくようにした結果が、誠実という形で表れてからは、寝込むこともなくなった。
つまり、考え込むことがいけないとわかってきたのだ。
ここで落ち込んでは、実のいうとおり、患者を増やすことになる。
自然に口を閉ざした隆宏は、ぼんやりと道路を見ていたが、何台かの車と、近所の人間なのか、二人を遠慮がちに見ながら通りすぎるだけだ。
「エリたち……遅いな」
何度目だろう。また、呟く。
昨日のうちに連絡があったというが、その一回の連絡だけというのが、彼にはどことなく不安だったようだ。
というより、少しずつ、不安になってきたというべきか。
「あと三十分もしないうちに戻ってくる」
「え?」
見ると、実はグラスを額に当てていた。
そんなに暑いのなら、中に入ればいいのに。
「連絡があったの?」
「らしいな。ユウコにだって、電話に出る勇気はあるようだ。おまえのお得意で、誉めてやれよ」
今度も、怒りたい気持ちを、ため息をつくことで抑えた。
隆宏は、眼鏡を外したままで、滲んで見える実に反撃した。
「君は嫌みがお得意というわけだ。そうやって他人を遠ざけるわりに、暑い中、律儀に彼女たちを待っているというわけ? 優しいなら、それなりに言葉も控えたら?」
どうやら、図星だったらしい。
それとも、『優しい』という言葉に反応したか。
実は軽く、彼を睨んだ。
しかし、すぐに口元を緩め、グラスをテーブルに置く。
「聞きたくないのなら、無理をして付き合わなくてもいいぞ」
━━だめだ。こちらの嫌みは通用しない。
呆れてしまう。
他人の感情で自分が埋まっていようと、他愛のないいたずらや嫌みがあろうと、根本的に、実は隆宏より考え方が大人なのだ。だから、軽くあしらわれてしまう。
こちらが何を言っても動じない。
そう思うと、怒る気も失せた。
と、同時に、心配にもなる。
「ねえ、ミノル、ユウコは傷つけないでくれよ。君のいうとおり、多分、彼女にとって初恋だろうし、それすらわかっていないだろう。迷惑だというのなら仕方がないけれど、断るのなら、せめて、最大限にさりげなく、言葉を選んであげてくれ」
「誰が断ると言ったんだ?」
「だって、迷惑なんだろう?」
「ああ、迷惑だ。けれど、何も理解していない彼女に、どう断りを入れろというんだ? 成り行きに……任せるさ」
隆宏は、まじまじと彼を見つめ、そのまま手元のグラスを取り上げた。
一気に半分も飲み、ついでに氷も口の中で転がしながら、考える。
彼のいうことは、間違っていない。自分の思いの正体を知らない夕子に、実のほうから何が言えるというのだ。かえって傷つくかもしれない。
やはり、実は、迷惑だといいながらも、そういう心遣いを自然にしているのだ。
「オレやユウコのことよりも、おまえはどうなんだよ?」
「え? オレ? エリのこと?」
実は、バカにしたように鼻をならした。
「そんな、成功するかどうかもわからないことを聞いても仕方がないだろう?」
「だっ、だからさ、……君は、もうっ……」
本当に、逆撫でしてくれる。
「彼女以前に、好きな奴はいなかったのか? 付き合いは?」
ふてくされて、隆宏は、グラスの隣に置いていた眼鏡を胸のポケットにしまって、そっぽを向くように椅子に横座りになると、足を組んだ。
「そんな人はいなかったよ」
と、言い捨てる。
「女性も男性も、友人止まりだ。意識的、そういう感情から離れるようにしていたからね。ノーマルではどこか……物足りなかったから、自分の未来に付き合える人なんて、いるとは思えなかったよ」
「それで……エリ……か」
また、嫌みを言うつもりだ。
心の中で警戒して、隆宏は言葉を待った。
しかし、実の口から聞こえたのは、若干違っていた。
空を見上げ、手を伸ばす彼は、星に話しかけるようだった。
「たかが、こんな長さだ。その範囲で手にはいるものなど、程度が知れている。届かないものを手に入れるから、価値がある……」
「……?」
「だが、手に入れるものが、自分の身に合っているかどうかを見誤れば、それ以上のものを無くすぞ」
言ってから、腕を下ろし、笑った。
つまり……
「オレにとって、エリは身に合っていないということだろう? 回りくどいな」
「……ばぁか」
「なんでさ?」
どう聞いても、今の言葉は、遠回しに諦めろといっているではないか。
よくも、これだけ人の神経を逆撫でする言葉がでてくるものだ。傷つくまではいかないが、やはり、いい気はしない。
自分のことなのだ。隆宏は、自分自身で、彼女とは釣り合わないことをくらい、理解できている。
彼女の、はっきり過ぎる気性は、自分では追い付かない。
迫力で気圧され、結局は情けない男としか映らないだろう。彼女には、強い男のほうが似合っている。
わかっているのだ。
しかし、人を好きになるのは、他人に止められることではない。
怒らないように抑えようとしても、それは自然、態度になって現れてしまう。
実は、そんな彼を見ていたが、グラスのジュースを飲み干すと、また席を立った。
港のほうも、もう、暗くなっていた。
「オレのいうことが回りくどいか? なら、何を言っても無駄かもな」
「違うと言うつもり?」
「さあ。おまえがそう受け取るのなら、そうなんだろう? オレはただ……」
自分の身の程を知っていれば、無くすものも少なくなる。焦って失うより、時間をかけて、自分の程度を上げろ……と、言っても仕方がないことか。
元々、人から誉められることを嫌う実にすれば、他人を誉めることも、励ます言葉も浮かばない。
というよりも、自分の言うことが、相手にそう聞こえるとは思っていないのだ。
肝心なことを言わないから、言葉は嫌みに聞こえるし、相手を不快にすることに気づかない。
他人の感情に埋もれた本心を口にするには、実はあまり素直だとはいえなかった。
道路に続く柵に手をかけ、絵里たちが戻るはずの、坂の下の方を見つめる実からは、それ以上の言葉は出なかった。
その横顔を見上げ、隆宏は気持ちを沈めようとした。
本当に、魅力的な表情だ。
整っていながら、表情がない護とは違い、表情があるからこそ、実のほうが親しみやすい。
二人を並べると、間違いなく、女性が寄ってくるのは実のほうだろう。
そう。
口さえきかなければ、だ。
逆に、口を開けば、実は護に敵わない。あの、角のない甘い声に、勝てないだろう。
“……それはないか”
隆宏は首を振った。
護の場合、言葉以前の問題だ。
人形のような無表情では、女性も近づかないだろうな。
そう考えると、訓練の成績がトップだった彼にも、欠点があったわけだ。
そんなことを考えていたとき、実の表情が変わったのに気づいた。
安堵したような、苦笑だった。
「やっと帰ってきたか」
と、言ったところをみると、本当に彼女たちの帰りを、外で待っていたらしい。
メンバーから距離を置こうとしている彼にしては珍しい。
というより、だからこそ、なぜ、暑い中で待っていたのかが気になるが、隆宏も席をたち、柵から坂の下を覗き込んだ。
街灯に、二人の姿が浮かぶ。
大きな紙袋を持って、ひとつの手提げを片手に、高志が相変わらず絵里に話しかけながら歩いてくる。
先に気がついたのは、絵里の方だった。
歩調を速めて、近づくなり言った。
「どうしたの? こんなところで」
隆宏がここにいるのは、遅くなった自分たちを心配して待っていたのだろうと想像できるし、理解もできるが、実はなぜ、と、首をかしげるしかない。
実のほうが声をかけた。
「君を待っていた」
同性の隆宏たちには『おまえ』呼ばわりする実だが、女性に対する呼び掛けは、気を使っているつもりか、それとも、そのこと自体、当たり前に教育されたか、違う呼び方をする。
だから、かもしれない。
絵里は、不覚にも一瞬、胸を高鳴らせた。
「なっ、なによ……いきなり」
あとから追い付いた高志が、紙袋のほうを隆宏に渡しながら、目を丸くする。
「おまえが彼女を待っているなんて、意外だな」
「これは何?」
と、隆宏が袋の中を覗き込んでいる横で、実が彼女に、
「君に頼みがある」
そう言いながら、さっさと家の中に入ってしまった。
絵里も、慌ててあとに続く。
「……お菓子?」
隆宏の目にはいったのは、大量の菓子だった。
袋に入ったキャンディや、箱に入ったクッキー、きれいにラッピングされた箱まである。
高志は、柵越しに、自分の持っている手提げの口を、彼の前に広げて見せた。
「こっちにもあるよ」
「こんなに買ってきて、食べきれるの?」
「買ってきたわけじゃないよ」
彼もまた、柵を回り込んで庭に入る。
二人で、玄関に足を向けた。
「全部、貰い物。ユウコにお土産だよ」
「ユウコに?」
「シュークリームのお礼だって」
「は?」
どうせ、夕子はキッチンにいるだろうと、さっさとそちらに入った高志は、料理に火を加え始めた彼女を見るなり、挨拶もなく目の前に手提げを差し出した。
「お、おかえりなさい。……何ですか? これ」
「シュークリームのお礼だよ」
と、繰り返す。
隆宏も、持たされた袋をテーブルに置いた。
「これもだって」
「そんな。……気を使ってくださったんですか?」
人付き合いができなかった彼女には、他人からプレゼントを貰うこともなかったのだろう。デザートを作っただけなのに、お返しを貰ったことが、よほど嬉しかったに違いない。
しかし、高志は申し訳なさそうに苦笑した。
「やっぱり、オレは気が利かないのかなぁ。それ、オレが用意したものじゃないんだ」
そう言った彼は、自分が夕子に、最初にプレゼントをしたことを忘れていた。
今、粗削りのままだが、フクロウの彫刻は、彼女の部屋のドレッサーの上に飾ってある。
「本部で野々村さんって、資料部のチーフに会ってさ」
「あ。……あの、怖そうな人、ですか?」
「そうでもなかったよ? といっても、君じゃ怖いか。で、ちょうど君のシュークリームを広げたから、彼にも渡したんだ。ずいぶん作ったんだねぇ。食べきれないよ、あれじゃ」
と、隆宏を見上げ、多少大袈裟に、両手で山盛りのジェスチャーをした。
「野々村さんが言っていたよ。資料部のスタッフは女性ばかりなんだって。今日、ブイトールを戻すのに本部に戻ったら、そのスタッフからお返しだって言って、渡されたんだよ」
言いながら、袋から取りだし、並べていく。
全部で十種類ほどか。
「資料部って、暇なんだってさ。というか、本部全体が、まだ暇なんだって。それはそうだよな。起動したばかりだって。だから、こういうティータイムのお菓子をみんなが持ち寄って、ストックしているらしいんだ。取り寄せもあるらしいよ。だから、……ほら、これなんか、ベルギーからの直送チョコレートだし。……ショコラの材料にするためだったらしいよ」
「そうなんですか。それじゃ、私もやってみようかしら」
「アイスがいいな。アイスショコラ。外、まだ暑いよ。これから本格的に暑くなるんだろう? 日本って」
帰った早々に、休むことなく口が動く。その話題は、夕子がキッチンに立ったことで、今度は献立に移ったようだ。
隆宏はほほえましく思いながら、椅子に座って、本格的に話に加わり始めた。




