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TOGETHER  作者: SINO
二章 贖罪
42/356

眠り 3

 二日続けて寝かされていた、真ん中のベッドから窓際のほうに移り、横にはならずに腰を掛けながら、窓の外を見ていた実の耳に、ノックの音が入ってきた。

「開いているぞ」

 いつもの調子で声をかける。

 入ってきたのは隆宏だ。

「ちょっと、いい?」

「ああ」

 少し前に、健が着替えを持って出ていったばかりだ。

 気恥ずかしげに、自分が着る服を出してくれないか、と実に頼んだ。

 別に、彼にファッションセンスを期待したからではなかったらしく、理由を聞くと、健は、今まで用意されたものしか着たことがなかったという。

 それは、イタリアンレストランで事情を聞いていた実にとって、充分すぎる理由だったと言える。

 レイラー・哲郎が毎日、あらかじめ服を用意していたのなら、健が、クローゼットから服を出す作業自体、自信が持てなくて当然だった。

 現に、先程はシャツだけを自ら出した跡が、クローゼットの中に表れていた。

 隣り合わせたハンガーから、服が落ちかかっていたのだ。

 道理で、初日に来ていた服を、翌日にも着ようとしていたわけだ。

 昨日も、出掛けるのに、服を出してやり、着替えさせたのは実なのである。

 隆宏は、実が座っているベッドの足元に設置してある机に軽く寄りかかった。

「あのさ、君に頼むのは筋違いかもしれないんだけれど、ケンを診てあげてくれないか?」

「みる?」

「診察。彼、ちょっと変だよ」

「待てよ。オレは……」

「判っているよ。……判っているんだ。オレたちには専門の医者がいるのも、知っているよ。でも、ケンは多分、その人には何も言わないよ。……無理をしているんじゃないかな。自分でなんとかしようとしているような気がするんだ。なんか……マモルのことで悩んでいるみたいだし。考えるなといったところで納得しないよ。表面では繕っているみたいだけれど……あれじゃ、すぐにダウンしてしまうよ」

 実は、忌々しそうに舌打ちをしたが、しばらくすると、ポツリと尋ねた。

「どういう状態なんだ?」

「目眩がしているって。それに、暑いって言っていたよ」

「なら、単なる夏バテじゃないのか? あいつはホッカイドウ育ちだ。こっちの気候に慣れていないだけだろう?」

「本当にそれだけかな?」

 そういいながら、彼は目についた、レースのカーテンを何気に摘まんで引っ張った。

「何が言いたいんだ?」

 言いづらそうに、カーテンを指先でもてあそびながら、ボソボソと続ける。

「オレ……子供の頃は丈夫じゃなかったと言ったろう? 感情が乱れると、熱を出していたんだ。普通は、寝れば治るんだけれど、ひどく悩むこともあったんだよね。たとえば、夕べなんかも、そうなんだ」

「? 何かあったのか?」

「あのさあ……生まれて初めて人を殺したんだよ。平気でいられるわけがないじゃないか。すごく……怖かったんだ」

と言ってすぐに、隆宏は慌てて付け加えた。

「心は覗かないで」

 実が感情移入してしまうとまた、どうなるかわからない。

 彼は笑った。

「大丈夫だ」

「うん。……本当なら、寝込んでいてもおかしくないんだ。でも、ケンが励ましてくれた。……厳しかったけれどね……。彼の言ったことを考えていたら、自然に寝られたし、今朝は今までにないほどすっきりしているんだ。なんか……心の整理がついたような感じ。……けれど、彼は……励ましてくれる人がいないんだよ? みんな抱え込んで、一人で悩んでいるようにしか見えないんだ」

 考えるように、実は窓の外に目を向けた。

 隆宏が、黙って待っている。

 やがて、実は首を振った。

「……無理だな」

 そう、呟いた。

「励ましなんて、オレにはできない。第一、リーダーという言葉に縛られているあいつには、オレの忠告だって耳に入らないさ。出来ることといえば……」

 ため息が漏れる。

 やはり、隆宏のいうとおり、か。

「……仕方がない。ただ、診るだけだからな。オレは、レイラーのためにライセンスを採ったんだ。外科の領域なんだよ。内科ができないわけじゃないが、精神的な治療は無理だ。それでもいいか?」

「助かるよ。休ませるだけでも違うんじゃないかと思ってさ」

「ただし、オレの目についたときだけだぞ。あいつが何も言わない限り、手を出すつもりはないからな」

 それだけでも充分だと、隆宏は言った。



 シャワーといっても、ケガをしている腕に水がかかってはまずい。だから、頭だけを冷やして、出てきた。

 なのに、まだ、目眩が治らない。

 最初は、護を待って食事をするはずだったのだが、どこに行くとも聞く間もなく出ていかれては、いつ戻ってくるか判らないと、結局、実の提案で先にすませることにした。

 その、食事の間に、健の不調が増したらしい。

 食欲がないわけではない。ただ、次第に目眩がひどくなってくる。

 その上、ひどく暑い。

 目の前の目玉焼きに手をつけようとしたフォークが、小刻みに震える。だが、その震え自体、健は自覚していなかった。

 隣にいる実が喋っているのはわかる。なにやら隆宏に話しかけていたのだ。静かな声は、だが、健には『音』としか耳に入らなかった。

 隆宏の声も、だ。

 内容がまったく頭に入らない。まるで、頭の中に膜が張ったように感じた一瞬、彼の手からフォークが離れた。

 と、同時に、体が横に傾く。

「ケン?」

 何かが倒れる大きな音に紛れた声が、真上から聞こえた。

 テーブルの向こうにいた隆宏と夕子が、慌てて回り込んできた。

 半身を抱き上げられ、健が三人をぼんやりと見回す。

「ご、めん……眠くなって……」

「眠い?」

 そうは言ったが、健は独り言のように呟く。

「目が……回っているのか……。部屋が、暑い……」

「暑いのか? この間のような感じか? どの程度の目眩がしている?」

 実が、聞くと同時に健の瞳を覗き込んだ。

 彼の焦点が、微妙に揺れていた。

「うるさい、な……。音が……うるさい……」

 言いながら、健は腕で目を覆った。

「目が回る……。考えが……まとまらない……」

「おい、ケン」

と、呼び掛け、実は隆宏を見上げた。

「確かにおかしいな。熱中症とも違う」

「なんか、ひどくなっているよ」

 二人の会話の合間にも、健の呟きは続いている。聞こえないほどの小さな言葉で、実にすら、断片的にしか耳に入ってこなかった。

「ケン、聞こえるか?」

 少し、大きめに呼び掛けると、腕が外れた。

「……聞こえるよ。……どうか、した?」

 実が見下ろしている。その背後には、隆宏の顔と、さらに向こうに、ライトが見えた。

 健は、ハッとして肘をついた。

「もしかして……倒れた? オレが?」

 自覚がない。支えられた背中の感触を、彼は起き上がることで離れて、辺りを見渡した。

「どうして? 何か……あったか?」

「わからないのか?」

「……目眩がしているけれど、……そのせいか?」

 この問いには答えず、実は彼の額に手を当てた。

「暑さは治まったか?」

「まだ」

「熱があるな。横になったほうがいい」

「でも……食事の途中……」

 最後まで言わせず、実は夕子に氷を一かけ頼んだ。それをすぐに健の口に放り込むと、隆宏とともに、両肩を支えながら、二階に上がっていった。

 おろおろと、ただテーブルに手をついて待っていた夕子の前に、しばらくしてから姿を見せたのは隆宏だ。

「タ、タカヒロ?」

「困ったな。こんなときに、マモルはどこに行ったんだ」

 いくら仲間意識がない彼でも、こういうときにはいてくれなければ困るのだ。

 高志と絵里がいない今、彼の頭には二人の存在はない。と、なると、どうしても護に頼るしかないのだ。

 かといって、待っている時間もない。

 仕方がない、と、彼は夕子に言った。

「冷却シートが欲しいんだ。買いにいく時間もない。悪いんだけれど本部に……いや、キャップに連絡を入れてくれないか? 家のどこにあるかを聞いてくれ」

「は、はい」

「用意したら、ケンについていてあげて」

 夕子は戸惑わなかった。人見知りと知って、本部をキャップ、と言い換えてくれた隆宏の心遣いにも気づかず、彼女はすぐにキッチンを出ると、玄関の電話に向かう。

 隆宏は、すぐに二階にとって返した。

 健の部屋ではなく、コンピューターが置いてある部屋に入り、起動させる。

 実に言われたとおり、彼から渡されたチップを差し込み、フォルダを並べた。

 そのまましばらく待っていると、ノックもなしに実が入ってきた。

「これでいい?」

と、席を代わった隆宏に頷いて、実が彼を見上げた。

「おまえは、エリやタカシといろいろな話をしていたな?」

「? うん」

「やつらに悩みがあったかどうかを聞いたことはあるか? おまえはどうだ?」

 おもむろに顔をしかめた隆宏は、唐突になぜ、そんなことを聞くのかと目で訴えたが、すぐに答えた。

「悩みなら……あったよ。彼らも、多分。でも、詳しい話は聞いていない。今までの生活で、そんなこともあったというくらいだよ?」

「どうやって解決……あるいは克服した?」

 今度こそ、隆宏は腕を組んで考え込んだ。

 高志たちのことは判らない。しかし、自分を振り返ってみる。

 だが、それがゆっくりとした首の傾きに変わったとき、ポツリと言った。

「わからないな。熱を出して寝込むことの方が多かったから。でも、翌日には解決していたような……気がする」

 ふいに、彼の口元が緩んだ。

「結局、寝れば解決する程度の悩みだったのかもね」

「夕べは?」

「夕べ……は……。さっきも言ったように、ケンの話を考えていた。人を……殺してしまったことが頭にあったけれど、それだけは考えないようにしたんだ。ケンのいうことをずっと反芻していたら……寝ていた。夕べはすごく怖かったのに、嘘みたいにすっきりしているよ」

 言葉の途中で、実の両腕が背中に回ったのを感じた。

 椅子から降りて抱き締めた彼は、しばらくは動かずにいたが、ゆっくりと離れると、また、椅子に戻る。

「確かに……そのようだな。つまり、おまえもそれができるんだ。……その、違いか……」

「何?」

 また、実が立ち上がった。

 そこに、隆宏がいるのを忘れたように、机に手をついて、考えている。

「だが……それが合っているという確信はない……」

 まるで、目の前に誰かがいるかのような呟きだ。

「ノーセレクトの特性という、確実な証拠もない。けれど……あのときはどうだった?」

 隆宏に向いた問いかけでなかったのは確かだ。

 はたから見ると、何を考えているのかわからない実が、小さく首を振って振り返る。

「悩みの段階ではなかった、ということ、か……。それならどうして、今なんだ?」

 そう聞かれても、答えようがない。

 隆宏が黙っていると、実は再び腰をかけた。

 コンピューターに向かう。

 チップを渡されたとき、中を見るなと言われていたため、隆宏はその場に座り込んで、待っていた。

「……ノーマルの症例がないわけじゃないが……。……タカヒロ」

 呼び掛けられて、顔を上げる。

 いつの間にか、実が見下ろしていた。

「さっき、ケンは考えがまとまらない、と言っていたな?」

「……そういえば……うん、言っていたよ」

「仕事は一段落したんだ。何を考えることがある?」

 あるとしたら……

 隆宏は、咄嗟に目を逸らした。

 言ってしまっていいのか迷いながら、また、実を見上げる。

 彼は、結局、先程の護の言葉を伝えた。そして、健が考え込むとしたら、安易に何か約束をしてしまったことではないか、と付け加えたのだ。

「そうか……。それでマモルの名前が聞こえたんだ」

 これは、ぶつぶつと呟いていた、切れ切れの言葉の中で聞こえた名だ。

 そして、もうひとつ。

「ならば、ユウコはなんだ?」

 隆宏は、それには首を振った。

「彼女のことはわからないよ。ただ、夕べ、ケンに厳しく言われたことがあったから、ショックを受けていたみたいだ。でも、それはさっき話をして誤解を解いたから、考える必要はないはずなんだけれど」

「タカシは?」

「えっ?」

「おまえが下に降りてから聞こえた」

「何? それ……」

 まったく心当たりがない。

 ポカンとした顔を見て、実は、

「わかった。もういい」

と、またコンピューターに向かう。

 マウスの音が数回、やがて、電源は切られた。

 チップを抜いたその手が、右の耳に触れる。

「結局……逃げられないんだな……」

 それが誰に言ったことなのか……問いかけようとした隆宏の口が、そのまま止まった。

 たとえ、同じノーセレクトであっても、言いたくないことはある。

 言えないことも、あるのだ。

 それを、無理に聞き出してはいけない。

 健が教えてくれたではないか。

 黙って見上げていた彼は、実が諦めきったように首を振る姿に、思わず笑いがこぼれた。

 何となくだが、今しがたの呟きの意味がわかった気がするのだ。

「相当嫌みたいだね」

「……当然だろう。おまえたちのためにライセンスをとったわけじゃないんだ。……それでも……」

 あるいは、これもまた、レイラー・千春の恨みなのかもしれない。

 忘れることができない、レイラーの声が、こだまする。

『許せない……』

 彼女を死なせてしまった。なのに、その未熟な腕を、健たちに使っていいのだろうか。

 彼女のためだけの、医師免許……もう、必要のない……

『彼らを守るんでしょう? あなたはいいことをしたのよ、きっと、役に立つわ。私のためとは、言わなくていいの。彼らのために、役立てなさい』

 かつて、彼女はそうも言った。

 自分が死ぬ間際まで、そうして本音を押し隠して繕っていたのだろう。

 しかし、結局、最期には本音が噴き出した。たった一言で、まとめられてしまった。

『ノーセレクトが……許せない』

 それだけの言葉で、実が仲間に手を貸すことを、彼女は拒んでしまった。

 いつまでも、きっと残る。

 実が、健たちの傍にいる限り、彼女の言葉は、繰り返し彼を責め立てる。

 会いたくないわけがなかった。ほんの子供の頃に聞いた、自分の身の上に、彼は固く決心したのだ。

 ━━仲間を守る。傷つけない、と。

 なのに、それを、レイラーが拒む。

 彼は、頭を抱えた。

「……タカヒロ、……やっぱり、オレは手を貸せない」

「な、何を今さら言っているの! 心当たりがあって色々と聞いたんだろう? 病名くらいは見当がつかないのか? お願いだよ、せめて、今だけは手を貸してくれよ。あれじゃ、彼がかわいそうだ。君が医者だということは誰にも言わないから、だから……」

「そんなことはどうでもいいんだ!」

 突然、叫びながら、実は両手を机に叩きつけた。

「今のオレが、役に立てないんだ! わからないんだよ! オレは、どっちを選べばいいんだ!」

 いきなり、何を口走った?

 隆宏は、のろのろと立ち上がると、背中を向けていた実の体を、椅子ごと回した。

「何を……選ぶことがあるの?」

 答えはなく、その代わり、彼の頬を涙が伝った。

 思わず、隆宏が目を見張る。

 力が抜けた彼を支えるように両肩に手を添えて、隆宏は膝をつくと彼を見上げた。

「ミノル……聞いてほしい。オレたち……タカシやエリのことを言うんだけれど……メンバーに会うのが本当に楽しみだったんだ。データだけでしか会えなかった君たちとやっと、会えた。だから、オレたちがこの先、何をしても乗り越えられると……仲間がいるから……思っていたんだ。ケンを大事にしたいと思うのは、オレのわがままかな? 君は、そう考えてはくれないの? 手を……貸してくれよ。せめて、アドバイスだけでも……」

 それができるのならば、こんなに悩みはしない。

 涙で潤んだ瞳が、ゆっくり隆宏に向き、そして、逸れた。

「レイラーが、死んだんだ」

 先程のことが嘘のように静かに、呟く。

「彼女のためにライセンスを採ったのに……間に合わなかった。彼女は、オレを恨んでいるんだ。……オレにはわからない。おまえたちのことを考えれば考えるほど、……彼女からは逃げられない。……声が、聞こえるんだ。手を貸せば、彼女を裏切ることになるんだ……と……」

「……ミノル……」

「ケンの原因はハッキリしている。どうすればいいのかも、わかっているんだ。……なんとかしてやりたい。けれど、それは……できない」

 最後の言葉を、絞り出すように呟く。

 優しい実。それを、隆宏は一番、よく知っているし、見ている。

 彼が悔しそうに堪えているのは、ノーマルの彼女に対する恩と、大事な仲間を天秤にかけることができないからだろう。

 だが、隆宏には納得ができなかった。

 いきなり、実の腕を引くと、思いきり、頬を叩いたのだ。

「……!」

「ふざけるな! 裏切れないのなら、どうしてここに来たんだよ! そんなに大事なら、ずっと傍にいればよかったじゃないか! 君は、彼女に縛られていたほうがよかったのか? そうじゃないだろう? もう、君は彼女の教え子じゃない! 確かに……」

 一瞬の勢いは、すぐに力をなくし、隆宏は彼から離れた。

「……気の毒だとは思うよ。でも、同情する気にはなれない。君にも、彼女にも……。なんとかしたいって、言ってくれたじゃないか。その想いを叶えてくれないか? オレは、美鈴さんを裏切っても、君のその言葉を信じたいんだよ。……叩いて、ごめん」

 頬を抑えて、実はまた俯いた。だが、やがて、

「……わかったよ」

と、言った。

「ただ……ひとつだけ、聞いておきたい。……タカヒロ、オレの立場は、おまえたちの迷惑には、ならないか?」

 彼は、優しく微笑んで、首を振った。

「逆に聞きたいよ。ケガや病気がこの先、ないとは言えないんだよ。どうしても君に頼ると思う。迷惑かな?」

 答えはなかった。

 しかし、実の中に渦巻いている多数の他人が、囁いていた。

 忘れてしまえ、と。

 前進しろ……と。

 立ち上がる。

 隆宏を見下ろした実の瞳は、一瞬で変化する、他人の感情か。いつもの冷たい光が、彼を見据えた。

「ケンを寝かせてくる。下で待っていてくれ」





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