願うのは…… 9
隆宏が戻ってくるまでの間の沈黙は、三者三様、といったところだろうか。
腕の痛みは我慢できるものの、目眩が、ケガをしたことによる発熱のせいだと自覚していない健は、横になったままだ。
それを、心配そうに付き添って見ている夕子は、やはり一方では護が気になるらしい。
何か話さなければ気まずいという脅迫的な思い込みに、気持ちが落ち着かない。
護は、いつも通りだ。
誰にも関心を持たずに、窓の方に顔を向けたままだ。
重苦しい沈黙のなか、それでも夕子はいつしか、眠っていた。
うたた寝に近い状態で、護の座っているソファの肘掛けに頭が傾いている。
だから、リビングのドアが開いた音にも気がつかなかった。
隆宏の帰宅に、横になっていた健が、だるそうに体を起こして労う。
と、共に、夕子を起こした。
「……は……? 」
揺さぶられて、寝起きの瞳をぐるりと回す。
隆宏の姿に、急激に意識が戻ったようで、慌てて立ち上がった。
「す、すみません。おかえりなさい。あの……」
健は、彼女の髪に左手を滑り入れて、微笑んだ。
「ごめんね。あと一仕事、頼むよ。飲み物を用意してくれる? そうしたら、部屋に戻ってもいいから」
「あ、はい」
彼女がキッチンに向かうと同時に、隆宏は難しい顔で、健の対面に腰を下ろした。
「ミノルはどうなの?」
まず、そう尋ねた彼に、健が苦笑する。
「仕事が先じゃないのか?」
「終わったから戻ってきたんじゃないか。署長と本部には連絡を入れてくれたんだろう? その時点で、オレたちの仕事は終わりだよ」
彼は、二人を見回して、横柄に背もたれに背中を押し付けた。
「どっちでもいいよ。事情を話してくれ。ケンがむやみに仲間を撃つようなら、リーダーとしても信用できないよ」
やはり、怒っている。
もっとも、それも当然か。
状況の全てを話す時間がなかったとはいえ、あのときの護の発言は、隆宏に不信感を植え付けるのに充分だった。
一昨日に初めて会ったあとから、健の迷い、戸惑い、性格の優柔不断さを見てきたものの、それと共に、こちらが勝手に団結していたことに対する憤慨が、あるいは健にあったかもしれないと隆宏が判断したのも当然だった。
それが、昨日の時点で勝手に武器を持ち出した反発行為になったのではないかと、邪推してしまう。
あれは、本質ではなかったのだ、と。
不満があるのなら、言えばよかったのだ。
実をも圧倒するほどの勢いをぶつければいいのだ。
とはいえ、簡単に相手を責め立てるほど、隆宏は単純ではない。
どちらでもいいと言いながら、信用のおけない健よりも、護に言葉を向けた。
しかし、今度は、護の方が完全に黙秘に徹してしまった。
表情はなかったが、彼を見ようとはせずに、俯いている。
「マモル」
念のために呼び掛けた隆宏に首を振って、彼は健を流し見た。
首をすくめた健のほうが口を開く。
「仕方がないね。今さら言い訳はしないよ。……オレが、ミノルを撃ったのは事実だ。ただ、誤解はしないでほしいんだよ。むやみに攻撃したわけじゃないんだ。……頼むよ。今は聞かないでくれないか」
「今は? じゃ、いつならいいの? 君の言い分だと、まるでミノルが何かしたからみたいじゃないか。何を隠しているんだよ?」
「隠しているわけじゃないよ。ただ、……今回は相手が悪かったんだ」
「もしかして、感情が入り込んだわけ?」
「……知っていたのか?」
隆宏が、深くため息をついた。
「本人から聞いていたよ。……あのね、ケン、オレは、君からじゃなく、ミノルから指示をするように言われたんだよ。メンバーの何もわからずに引き受けるわけ、ないじゃないか。第一、そのことと、君の行為に何の関係があるんだよ?」
「だからそれは……」
少なくとも、今はその話は避けたかったのだ。
そう言おうとした健は、しかし、キッチンからの声に遮られてしまった。
「危なかったんです!」
カタカタと、トレイに乗ったコーヒーカップがぶつかる音がするほど震えながら、夕子が叫んだ。
彼女は、驚きの視線を三人が向けたことにも構わず、その場で尚も声をあげた。
「ケンが私たちを助けてくれたんです! 最初にマモルを撃ったのはミノルなの! どうしてあの人が……」
「ユウコ!」
彼女を遮る健の声に、隆宏が呆然と、二人を見回した。
当の夕子も、ショックを受けたらしくその場に立ちすくむ。
健は、頭を抱えると、彼女から目を逸らした。
「まったく……君といい、マモルといい、どうして余計なことをいうんだろうな」
その呟きに、彼女は我に返って体を震わせた。
「よ……余計な……こと……」
「そうだよ」
「ちょっと、ケン、それはないだろう? 彼女は、君の誤解を解こうとしているんじゃないのか? 勇気がいることだったろうに……」
「だから、余計なことなんだよ」
優しさを感じない一言だった。
怒っているわけではないようだが、少なくとも、いつもの彼らしさがない。
健は、両手で一度、顔をなで、そのまま髪をかきあげると、背もたれに頭をのせた。
「悪いが、今は誉める気にもならない。……ユウコ、それをここに置いて、部屋に戻ってくれ」
彼女は、健に言われたことのショックで、涙をポロポロとこぼしながら、トレイをテーブルに置いた。
「……ケン……ごめんなさい……」
「すまないね。事態がハッキリしたら、君にも話すから。今日のところは休んでくれ。絶対に、ミノルに近づくんじゃないよ」
「……はい」
か細く返事をしながら、彼女は肩を落としてリビングを出ていった。
護が、手を伸ばしてカップを取り上げる。
「あなたの考えがわからない。なぜ、ミノルから遠ざける?」
健もまた、自分のカップを目の前に置いた。
手付かずのミルクは、すでに冷めていた。
「どうも……もう黙るわけにはいかないな……。少なくとも、ミノルが目を覚ますまでは何も言いたくなかったんだが……」
そして、彼はため息ひとつ、隆宏に向き直った。
「二人が言ったことは事実だ。ついでにいうのなら、このケガもミノルに撃たれたものだよ。誰かの感情に振り回された、彼にね」
「な、なんでそれを隠そうとしていたんだよ! ちゃんと話してくれれば、君を責めたりしないのに」
「そんなことは、些細な小言でしかないだろう? それに、ごまかそうとしていた訳じゃないし、嘘をつこうとしていたわけでもない。話すタイミングじゃなかったから黙っていただけだ」
「タイミングって……でも、オレは彼の能力を知っていたんだから、話してくれれば納得していたよ」
「だからそれはどうでもいいことだ。おまえが何を聞いていようが、納得しようが関係はない」
「関係がない? 冗談じゃないよ、そんなことがあれば、オレは考えを変えなければならないんだよ? 次の仕事だってすぐに入るだろうし……」
「どう変えるつもりなんだ?」
厳しく見据えられて、隆宏はたじろぎながら、口ごもるように呟いた。
「それは……彼を安全なところで待機させるとか……アクションのない役割を当てるとか……」
「そうだろう? だから言いたくなかったんだ」
「……いけないのか? どういうことなんだよ?」
今となっては、黙っていることのほうが無駄だ。
健は、まず、護に言った。
「さっきの言葉を誤解しないでほしい。おまえが喋ってしまったことは、タイミングが早かっただけなんだ。勢いだったにしても、オレを庇ってくれたことには感謝しているんだからね」
彼が先にそう言い含めたのは、ただでさえ寡黙な護が、この先本当に口を利かなくなるかもしれないことを懸念したからだ。
どういう形であれ、実以外はどうでもいいと言いきった彼が、健のことを庇ったのは事実であり、その行為を無駄にしたくなかった。
僅かに首の動きに納得し、健は本題に入った。
「タカヒロ、ミノルはおまえに、自分のことを話したんだな?」
「う、うん」
「ならば聞くが、仕事から外してくれと、一言でも言ったのか?」
「いや。言わなかったけれど……。でも……」
「……でも?」
隆宏は、護を盗み見て、決心したように言った。
「ケン、君は、ミノルがもしものときを考えて銃の改造をしたと言ったけれど、予想できたのなら、そうする前に遠ざけるべきだったんじゃないの? 実際、君はケガをしたし、マモルだって危なかったんだろう?」
「ああ」
「それなら……」
「それなら、と、オレのほうが聞きたい。それならば、この先も彼だけを遠ざけるつもりか? ならば、何のために一緒にいる? メンバーの働きを見るためか? 役に立たない事実を突きつけられるためか?」
「……」
何も言えずに口を閉ざしてしまった隆宏に、健は覗き込むように肘を膝にのせた。
「オレはね、ノーセレクトだからという理由だけで、ノーマルに会うことを制限されていた。レイラーにしてみれば、考えがあってのことだろう。だから、これはオレの勝手な解釈だけれど、オレにとって、おまえたちといることが重要であって、ノーマルの付き合いは不要だったんじゃないかと考えた。オレたちは七人だけだ。ミノルにしても、同じなんじゃないか? 彼に必要なのは、ノーマルの世界じゃない。ノーセレクトのオレたちだ。ならば、彼が共にいる理由は、一つしかないだろう?」
健が言葉を紡ぐにつれて、隆宏の顔が下に向いていく。
彼は、続けた。
「そのなかで、おまえは彼を排除するつもりなのか? 彼が、傍にいるかぎり、その暴走は、オレたちで止めればすむことだ。だから、銃を改造した。オレが最初に工夫をするしかないと考えてのことだ」
「……そこまで……考えていたのか……」
「そこまで、じゃない。ここからだ。行動指示はおまえの役目だ。ミノルが何も言わなかったのなら、オレが口出しをすることじゃない。オレが止められるのなら、余計なことを言わなくてもすむことだからな」
隆宏は、深く息を吐きながら、眼鏡を外すと背もたれに倒れた。
「まいったな。……君の中途半端さは、却ってこっちが混乱するよ。本質の出し惜しみはやめてほしいよな……」
「……なんのことだ?」
「いや、こっちの話」
本質を自覚していないから出来たことなのかどうかも、定かではないが、健の行動は確かに、メンバー全体の責任を負ったものだ。
これが、『誰かのため』と、特定に重点をおいたら、他が納得しなかっただろう。
健のいうとおり、実の体質を考えれば、隆宏は根本から指示をやり直さなければならなかった。
逆に、隆宏の指示に従っただけなら、実の豹変に対処できなかった。
間にクッションとして、自分が悪者になることも厭わずに行動を起こしたのだ。
それにより、両方の顔をたてた。
━━隆宏の指示を否定することなく、実の体質に、自分ひとりで向き合った、という結果に。
自分の頬を軽く叩いて、隆宏は頭を下げた。
「謝るべきだな。やっぱり。……よく事情を聞きもしないで責めるのは間違っていたんだ。ごめん」
「別に……いいさ」
隆宏はその上で、と、続けた。
「どうして暴発、なんて言ったの? 話すタイミングって、どういうことだったわけ?」
「わからないか? おまえもオレも、彼の体質を聞いても、どうすれば元に戻るのかを知らないんだよ? だから、彼が目を覚ますまでは、誰も近づけたくなかったんだ。オレの目で確かめてから、話すつもりだった。……それに、正直な話……」
健は、護の存在に意識的に背を向ける形で、ソファの肘掛けに足を乗せながら横になった。
天井のライトに話しかけるように、呟く。
「あの時はオレも混乱していた。話は聞いても、程度を見誤っていたんだ。だから、本当は、彼の銃を落とせば済むはずだったんだけれど……。そこまでの判断も咄嗟にはできなかった。……暴発というのはあながち嘘じゃ、なかったんだよ」
ようやく、健の声が緩んだ。
だから、隆宏も、ささやかに微笑むことができた。
「本当に、ごめんね。……ケン、あの銃のことだけれど……オレたちのものも作り替えてくれるかな?」
「……そうだね。けれど、何もかも、ミノルが起きるまで保留にしておいてくれる? とにかく、彼次第なんだ」
その要請も、今なら納得できる。
しかし、
「……ねえ……」
隆宏がふと、気づいたように、ずっと黙っている護に向いた。
「君はミノルのことを知っていたんだよね。どうしたら元に戻るか、わからないの?」
突然振られた問いかけに、護は、彼を見ることなく首を振った。
それきりだった。
代わりに答えたのは、やはり、健だった。
「マモルは、知らないよ」
と、言いながら体を起こす。
「タカヒロ、これから……おまえの負担が増えるのを承知で言わせてもらうよ。無理に他人に深入りするのはやめたほうがいい。それをするのは、おまえじゃない。オレの役目だよ。マモルが何も言わないのなら聞くべきじゃない。たとえ、知っていて話さなかったことでもね」
「……でも……」
「いいたいことは、わかるよ。作戦担当なら、メンバーのことを知る権利がある……」
「権利、とまでは言わないけれどね」
「わかっているよ。それでも、だ。現状からの判断は、おまえにも可能だろう? 彼は、話をすることに不器用だということは、おまえにもわかるだろう? だから、無理に話をさせないことも……思いやりじゃないか?」
不器用と健は言ったが、隆宏が思うに、護は他人と話すのが不得意、と言い換えたほうがいいのかもしれない。
確かに、本部と初めて顔を合わせてから、彼の声をまともに聞いたのは夕べだけだ。
ポツリと、まるで独り言のような返事なら、数えるほどであったが聞いていた。
しかし、夕べの彼ほど、言葉を口に上らせなかった。
実以外のメンバーには関心がない━━それなら、健のいうことは間違っていない。
寡黙である理由も、実を大事だと言った本心も、実際、隆宏には関係のないことだし、それを突き詰めてしまえば興味を押し付けるだけだ。
隆宏はテーブルの下に両足を伸ばして、前屈みになった。
自分にも、触れられたくない事実もあるのだと思い当たる。
今しがた権利、と言ったものの、彼は夕べ、それを護に言ってしまったのだ。
無理に聞き出してしまったから、護は言わなくていいことを口にするしかなかったのではないか?
強引に言わせたことに、こちらが怒ってしまった━━夕子の指摘どおりだ。
筋違いも甚だしい。
どうやら、いつの間にか慢心していたようだ。
頼りないリーダー、反して、陰で実に役割を与えられた自分こそがと、いい気にもなっていた。
精神面の盾となる存在の邪魔をしてはいけないのだ。
「了解したよ、ケン。すべて君に任せるから。あまり出すぎたことはしないように、気を付ける」
と、言いながら、肩の力を抜いた。
妙な納得感に、口許が緩む。
“不思議な男だね、君は……”
そう、思う。
相変わらず、彼から漂う雰囲気は、頼りなさだけだ。
にも関わらず、言葉には反論する気を失わせる何かを感じる。
話の中に、『リーダーだから』を含めることなく、なのにいつの間にか自分の責任でメンバーを包んでいる。
本当に、不思議な━━
「タカヒロ、寝るのなら、自分の部屋に戻ったら?」
自然に目を閉じていた隆宏は、しばらくの沈黙のあとで聞こえた健の声に、顔をあげた。
「えっ?」
「お疲れさま」
心からすまなそうに、しかし、優しい微笑みが目の前にあった。
何度か感じている、春風を思わせる、柔らかく、そして覚えのない懐かしい『何か』を含めた微笑みだ。
「あ……ああ……」
ぼんやりと呟いたものの、一度、腰を上げかけて、また力なくソファに座り込んだ。
「……終わったんだ……よね」
「終わったよ。おまえが一番、頑張ったんだ。本当に、よくやったよ」
「……うん。ありがとう……」
と、また、上体を傾ける。
どうやら、立ち上がろうとしているようだが、何故か、彼はそのままテーブルに手をついた。
「タカヒロ?」
手元が、小刻みに震え始めた。
顔が、強ばる。
「……な、んだろう……体が……動かないよ……」
と、言っているそばから、涙が溢れ始めた。
「へ……変だよ……どうして……」
突然、健が立ち上がった。
テーブルを回り込んで、隆宏の顔を、自分の胸に抱え込む。
「マモル、おまえは大丈夫か?」
隆宏に聞こえないように、小声で囁く健に、護が訝りながらも、頷く。
「それなら席をはずしてくれ。もう、休んでもいいから。……ただ、ミノルには近づくな。タカヒロの部屋に行くんだ」
少しの沈黙のあと、護は席を立つと、何も言わずに部屋を出ていった。




