願うのは…… 8
隆宏が驚いたのは、ひとつの現実を目の当たりにしたからだ。
住民や警察の思惑など彼には興味がなかったが、少なくとも住民の身勝手さには、その驚きと共に、呆れるに充分だった。
騒ぎの真っ最中は、恐らく彼らは家の中で息を潜めていたのだろう。
安易に外に出れば、とばっちりをくう。
その気持ちはわかるし、それはそれで構わない。
だが、騒ぎが治まったとわかると、ポツポツと出てきて、それが今では、喧騒に変わっている。
挙げ句、警察が到着すると、周辺は混乱に近くなっていた。
警察署長の姿を探してビルに近づいた隆宏の耳には、住民の声が、否応なく入ってきた。
なぜ、この組織が攻撃を受けたのかという罵りの声、そして、組織が潰れる前になぜ対処できなかったのかという、警察に対する罵倒、とどめは、自分たちが被った精神的被害を弁償しろ、今まで保障してくれた分は、この先誰に言えばいいのだ……。
彼らの本音が、隆宏を苛立たせた。
彼は、次々と到着するパトカーから出てくる署員の中から、結局、署長を見つけることができず、仕方なくビルの中に足を踏み入れると、何人かの警官に声をかけて、外に出るように指示をした。
内部を爆破するための仕掛けをしてあるのだ。
中でうろつかれるより、野次馬たちを遠ざけてほしかった。
一人一人に声を駆ける際に、署長は、警察署で待機していると誰かから聞き、仕方なくその警官から電話を借りて、自分も建物から離れた。
住民の文句に対処しながら、ビルから遠ざけ始めた署員たちの様子を横目に、電話を掛ける。
相手は夕子だった。
「ケンはもう戻った?」
『まだです』
「それじゃ、伝言を頼むよ。署長はここには来ていない。仕方がないから、騒ぎが収まってから爆破するから、しばらく時間がかかるって。それから、ケンから署長に連絡を入れるように頼んでおいて。本部にも連絡をするようにって」
『わかりました。……あの、気を付けてくださいね』
「ありがとう」
電話を返すためには、さっきの警官を探さなければならなかったが、隆宏はあえてそこから動かず、住民と警官の騒動を見守っていた。
このまま、おとなしく散ってくれればいいが……。
しかし、早々騒ぎが収まるはずもない。
隆宏の苛立ちは、少しずつ、野次馬を見る目を険しくしていった。
「それでは、しばらく安静を心がけるように」
きっと、夕子には人を恐れる余裕もなかっただろう。
一言も喋らない護の陰に隠れるように立っていたものの、医師と看護師に、深々と頭を下げた。
「こ……こんなに遅くに……ありがとうございました」
消え入りそうな彼女の声に、相手は一度、横柄に頷くと出ていった。
途端に、安堵したのか、それとも今さらになって怯えたのか、体を震わせながら彼女がその場に座り込んだ。
護が、それを無表情に見下ろす。
手を差し出そうともせず、だが、自分の代わりに勇気を奮って対応してくれた彼女に、感情の籠らない声で言った。
「まだ、仕事が残っている」
「は、はい」
彼女がまた立ち上がるまで待って、二人はリビングに戻った。
健は、服を脱いだ胸元、というより脇の下辺りに貼ってある大きなテープを見下ろしながら電話をかけていた。
腕にも包帯が巻いてある。
どちらかというと腕のほうの傷が深く、戻ってきたときには、二枚のハンカチも真っ赤に染まるほど出血していたのだ。
護に言われて、夕子が剣崎司令に連絡を入れた。
回りくどいやり方ではあったが、真夜中に来てくれる医者がいるとは思えず、また、救急車を呼ぶような騒ぎを起こしたくなかったための連絡だった。
彼女の方が司令と話をしやすかったから、彼に事情を報告し、本部のほうから医者を手配してもらった。
これはある意味、国の権威を利用したものだったろう。
痛みがあったというわりに、それを表情に表すことなく、治療の間もずっと警察署長と話をしていたのは立派だ、と、恐らくは無意識に、護は感心していたのかもしれない。
夕子に、枕を二つばかり用意させて、砂糖入りのホットミルクまで入れるように指示したのもそのためだ。
今、多少顔色は悪いが、健は今度は自分から司令と話をしている。
本当ならば、実の傍についていたいという思いが護にあって当然なのだが、彼は、いつものソファに座ると、健が電話を終わらせるまで待っていた。
その間に、彼女が持ってきた枕を健の傍らにおいて、寄りかかるようにと示す。
彼女の用意したホットミルクがテーブルに置かれた頃、健はようやく対応を終えて、受話器をテーブルに置いた。
深いため息と共に、気が抜けたのか、枕に顔を押し付ける。
「……まいった……」
「解決、できなかったんですか?」
健の、頭もとの床に腰を下ろした夕子が見上げる。
「いや。あとのことは本部が引き受けるんだけれどね。……署長のほうが、さ」
彼らが戻ってきたとき、夕子はケガの具合の方に意識が飛んでいて、隆宏の伝言を忘れていた。
それを話したのは、医者を呼んだあとだった。
そのため、署長とのやり取りに時間がかかったのである。
とはいえ、そのタイムラグも無駄だった。
署長は、やはり実が言い当てたように、あらかじめマスコミに情報を漏らしていた。
もしかしたら、現場に紛れ込んでいる可能性もある。
「タカヒロに経過を聞くしかないな」
やはり、出血した分の貧血があったようだ。
ミルクに手を伸ばすことなく、目を閉じる。
少しの間、様子を伺っていたが、夕子は護を振り返って尋ねた。
「ミノルに……ついていなくてもいいんでしょうか?」
それは暗に、自分がここにいるから、という意味を含んでいたが、彼は席を立とうともしない。
「なぜ?」
機械的に聞き返した護に、彼女が当惑する。
「……あ、あなたに……とって、大事な……人だと思って……」
僅かに視線を彼女に向けたが、護はすぐに、窓の外に向いた。
彼にとっては、夕子の存在はないに等しい。
内気だとか、人見知りという態度も、また、それに含まれた彼女の感情にもまったく興味を示さず、それよりも彼の心中にあったのは、自分の立場と、そして健の言葉だった。
真実を話そうとした彼を、なぜ止めようとしたのか……。
僅かな矛盾を感じる。
確かに実は、護や夕子を、意思とは反対に殺そうとしていたのだし、それを止めるためにやむなく健は彼を撃った。
だから、暴発だと言ったのは、実の、乗っ取られた感情を隠すためだったということはわかる。
しかし、この先、隠し通せることではないはずだ。
護の過去のこともそうだ。
実には知られたくはない。
その思いは変わらないが、一方では、早く自分を終わらせたい気持ちもある。
むしろ、口を閉ざしたまま、存在を消すことができたほうが、メンバーにとっても都合はいいはずなのだ。
反して、実のことは、健の口からメンバーに話さなければならない事実だ。
今後のことを考えれば、同じことが繰り返されないとは限らないのである。
行動指示をする隆宏にこそ、教えておくべきだ。
自分の銃を改造したのなら、実のことを理由に全員に話せば、命令であろうと頼みであろうと、誰もが納得する。
ふと、彼は健を振り返った。
枕に顔を埋めて、小休止、というところか。
「ミノルの傍にいてやってくれ」
小声で、夕子に声をかける。
これは、明らかな人払いだ。
心細いという目で、健と護を交互に見ている彼女の存在が、護には疎ましい。
が、彼女は、そんな思いに気づくはずもなく、むしろ、重苦しい沈黙とともに護といるよりもまだマシだとばかりに、安堵の笑顔を向けて、夕子はそそくさと部屋を出ていった。
「ケン」
邪魔がなくなった部屋で、護が小さく呼び掛ける。
いくらケガをしているといっても、隆宏が戻るまではまだ、仕事が終わったとは言えない。
ケガを理由に、同情するつもりもない。
冷たく聞こえる声で呼び掛けられ、健は僅かに顔を枕から離した。
「……何?」
「最初に暴発だと言ったから、命令ではなく説得し始めたのか?」
「? ……何のこと?」
目を泳がせながら、貧血でぼんやりする頭に、護の言葉を反芻させる。
やがて、億劫な動作で、体を起こした。
「……さっきのことか……。それなら……違うよ。説得なんて、するつもりはなかった」
「もうひとつ。ミノルのことを、なぜ、タカヒロに言わなかった? 隠し続けるつもりか?」
「マモル。……隠し続けられると思う? 物事にはね、タイミングがあるんだよ」
それを聞いたとき、護はハッとして、顔を逸らした。
“オレは……余計なことを言ったのか?”
健は、もう一度、横になった。
「話は……タカヒロが戻るまで保留にしておいてくれないか。さすがに……目眩がしているんだよ」
話を避けるように仰向けになったが、彼はふと、自分の周囲を見渡して言った。
「ユウコは?」
「ミノルのところに……」
健の顔つきが険しくなった。
「ダメだ。呼び戻せ。彼に近づくな」
一瞬、なぜ、と瞳が健に向いたが、護は、何も言わずに腰をあげた。




