願うのは…… 7
健が、実をフェンス際まで運ぶ。
護は納得のいかない状況に、警戒心を解こうともせずにあとに続いた。
自分が着ていたシャツを脱いだ健が不器用にそれを丸めて、枕代わりに実の頭の下に敷く。
「ミノルを……撃ったん、だろう?」
立ったままの護の声が上から聞こえて、彼は顔をあげた。
隠しもしない攻撃的な表情に、肩をすくめる。
「撃ったよ。けれど、ケガはしていないから、大丈夫。落ち着いてくれよ、ちゃんと話すから」
いつでも撃てるようにという気持ちか、レーザーを持つ左手が健に向いたままだ。
そのまま、護は腰を下ろした。
正面に見える銃口に一度は苦笑したものの、健の表情はすぐに険しくなった。
「どうして逃げなかったんだ? あれは、ミノルなりにおまえに命じていたんじゃないのか? 彼の言うことをきけなかったのか?」
健には、実の最後の声しか聞こえなかった。
状況がわからないまま、銃を撃ったのだ。
一方護は、今の言葉に思わず顔を逸らした。
実の、自分に対する初めての命令だったと、初めて気づいたのだ。
「……それは……」
だが、彼は殺意を護に向けていた。
一体、どちらを優先すればよかったのだ?
「……彼が……オレを殺すことを……望んでいる、……と……。ならば……従うつもりで……」
違う。
心の中で、別の自分が否定をしていた。
実に殺意があったからではない。
自分が、死を望んでいただけだ……。
「ミノルからね……」
やりきれない吐息とともに、健は言った。
「聞いたよ。彼は、おまえが聞いていた以上に深刻な状態になるんだ。相手の感情が伝わるだけじゃない。心がね、他人に支配されてしまうらしいんだ。体もね。……おまえが撃ち殺されていたら、彼は、完全に、ノーマルの感情に乗っ取られていたかもしれないんだ」
「な……んだと?」
健は、右腕をあげた。
上腕の内側の部分を護に向ける。
そこには火傷を伴った赤い筋が見えていた。
血が流れている。
それと共に、胸の脇辺りにも同じ筋が浮いていた。
「オレも、撃たれたんだ。自分で撃っておいて、それを見て……逃げ出した。多分、ノーマルの、殺される恐怖感を、まともに受けてしまったんじゃないかな。死にたくないから、切羽詰まって撃った……。でも、
完全に支配される前だったから、オレから逃げた……というところだろうな」
というより、ノーマルの感情と、ノーセレクトの実の思いがせめぎあっていたのではないだろうか。
目の前にいるのは健だ。それを心の底では理解している。
だが、まともに入り込んでしまったノーマルの恐怖心は、体を支配し始めている。
それで、これ以上健を攻撃しないように逃げ出した、というほうが正しいのだろう。
「待ち合わせ場所は知っている。そこに行けば、今度はおまえたちが危ないかもしれない。けれど、体は勝手に向かってしまった……オレが想像できるのはそういうことだ。そこまでわかっていても、オレはまだ、彼の精神力を信じていたんだ。タカヒロが降りてくるのを待って、声をかけて外に出てみたら、レーザーの光が見えたものだからもう……慌てて……」
と、健は、左手に持ったままの銃を見下ろした。
「……左利き?」
自分がそうだから違和感もなく見ていたが、確か、健は右利きではなかったか?
健は、そのまま、何気に銃を指で回した。
「両方使えるんだよ。オレはね。だから、狙いは外していない」
状況がわからない。
左手でも、右手同様の射撃の腕を持っていたから自信をもって言い切ったのだろう。
なのに、ケガはしていないとも言わなかったか?
現に、実をみると、どこからも血が流れている様子はない。
ならばなぜ、彼は意識を失ったのだ?
あの破裂音は何だったのだ?
「どういうこと、だ?」
「オレのものだけ特別に改良したと言ったじゃないか。ある程度の予想はしていたんだよ。だから、空気を圧縮できるようにしていたんだ」
「……エアー・ガン……」
「そういうこと。いざというときには銃を使えなくさせればすむと思ってね」
健は、複雑な表情で実を見下ろすと、緩くウエーブした髪を優しく撫でた。
「だが……むしろ問題はおまえのほうだ」
厳しく見上げる。
「ミノルが、おまえを殺したがっていると、本気で思っていたのか? おまえのほうこそ、彼のどこを見ていたんだ。何のために、彼をシミュレーションの相手にさせたと思っていた? どういう事態も想定しろと言ったのを忘れたか? ミノルに、仲間を攻撃させるより、どうしてケガをさせても止めようと思わなかったんだ?」
言葉がでてこなかった。
まさか、健がそういうことを考えていたとは……。
護は、一瞬、思った。
エアー・ショットの改良ができるのならば、自分のものにも施してほしかった、と。
だが、たとえ自分にその機能があっても、実に銃を向けることなどできなかったに違いない。
夕子に向いていた注意を引き付けるためにしたことではあったが、もしあの時、自分一人だったら、どのような機能がついていようが黙って殺されるままになっていただろう。
仲間を殺す。
実にできるはずがないことを、自分は知っていたはずではなかったのか。
『逃げろ』
それが、彼の本心だったことが、なぜ、わからなかったのか……。
自分が楽になりたかっただけの、思い上がった勘違いだ。
「オレは……」
今まで、ずっと心に閉じ込めていた想いが、護の口から小さく漏れた。
「……最初から……ミノルに殺してもらうためにここに来た。……そうでなければ……償えない……。それだけのことを……してしまった。彼は……オレを許さない……。オレの過去を……許せない……」
これだけ近くにいても、触れることもできない。
健の、髪を撫でている手をぼんやりと、彼は見つめた。
「ミノルはおまえに会ったことはなかったはずだろう?」
「だからこそ……知られたく、ない。何も知らないまま、この存在がなくなれば……。なのに、オレは死ぬこともできないのか?」
力なく、視線が動いた。
健に……。
「いずれは気づかれる。それを……恐れて待っていろと、言うのか? それとも今、……あなたに話せば、終わることができるか?」
健の表情が緩んだ。
「もし……それがミノルのためだと言えば、おまえは話してくれるのか?」
「……彼にさえ……知られずにすむのならば……」
ずっと引っ掛かっていた剣崎司令の言葉が、健の心に浮かぶ。
『深入りをするな』
その答えが、目の前にある。
しかし……
健が、ささやかに微笑んだ。
「……聞かないよ」
実の髪から、手が離れた。
健が、フェンスにもたれて空を見上げる。
「マモル、おまえにとって、生きることの方が辛いんだろうな。オレは、それを理解してあげられない。……理解しようとすること自体、傲慢な押し付けだと、おまえは言ったね。話したくないことや、話せないことがあっても、おかしくはないんだ。……オレたちは今まで、それぞれの生き方をしてきたんだから。でもね……」
春風を思わせる温かい微笑みが、護に向いた。
「今、ここでおまえが死ぬのは……卑怯だよ。おまえだけ、楽になるつもり? ミノルは……自分が他人に支配されかねないとわかっていても、こうして生きているんだよ。感情を遮断できるように、自分なりに工夫をしてきたんだ。そんな彼を、おまえは大事だと言った。おまえの命は、彼のものだと、言ったね。それなら、おまえも苦労をするべきじゃないか? 彼のものを、自分が楽になりたいからと言うだけで取り上げる権利が、おまえにあるの? それが大事、ということじゃないだろう?」
「……」
「おまえが一番、彼のことを知っている。彼の、支配された精神も、目の当たりにした。……守っていけるだろう? 彼が、彼のままでいられるように守って、……あげられるね?」
実のために……。
護は目を閉じて、重く頷いた。
死ぬことを諦めて、仕方なく生きていくか、生きる決心をして、死ぬことを諦めるかでは想いは違う。
自分が、犯してはならない罪を負ったのなら、死んで楽になるよりも生きることで償う……。
━━そのほうがむしろ、相応しいのかもしれない。
他人に支配されたまま、仲間を殺したという傷を実に負わせるより、全てを知られたときに正当な理由で死ぬことができる……。
「……わかった……。あなたの言う……とおりに……」
仕方なく、のほうだ。
頭では理解できても、生きる決心にまでは、至ることができない。
それでも、護の心にひとつの思いが焼き付いた。
『その時がくるまでは、ミノルを守る』
と。
“まあ、こんなものか……”
健は、チラッと護を盗み見て、思った。
大体、人の生死を説得できる言葉など、持っていないのだ。
自分には、そこまでの影響力はない。
護が、自分のための死と、実のための生という選択のどちらが重要なのかがハッキリしていなければ、恐らく健の言うことなど、はなから聞く耳を持たなかっただろう。
そういう点では、やはり実に感謝するしかない。
剣崎司令が隠し、護自身が口をつぐむほどの過去の秘密━━実に対して、許されない罪を負ったというのなら、聞けばそこから必ず漏れる。
それならば、何も聞くまい。
護が口を開くときが、彼自身、本当に死を望む時だからだ。
一日でも長く、生きていられるように……。
これはきっと、護のためではない。
メンバーに会いたかった、健の想いだ。
見上げていた空から、健は体をねじるように、フェンスの向こうの、破壊されたビルの入り口を見下ろした。
「遅いな、タカヒロは。……そろそろ腕が痛んできたんだけれど……」
“……腕?”
何のことだ? と目を開けて護は、そういえば健がケガをしたのだということを思い出した。
どうでもいいことだったから聞き流していたが、見ると、彼の右腕からの出血が続いているらしく、フェンスの脇に少しずつ血溜まりができていたのだ。
「そこに……」
「うん。……血を止める方法を知らないから放っておくしかなくてね。だから、早く帰りたいんだけれど……」
止血という、簡単な方法すら知識になかったとは……。
このまま放っておけば、貧血で倒れてしまう。
護の心に、言いようのない罪悪感が浮かび、青ざめた。
思わずハンカチを取り出す。
それを広げ、健に近づくと、躊躇うことなく傷口の上を縛った。
「マモル……」
触れても大丈夫なのか? と、聞く間もなく、今度は実の服からもハンカチを抜き出した。
それは、直接傷口を覆い、縛られた。
「大丈夫……なのか?」
腕と、護を交互に見て、尋ねる。
彼は我に返って、初めて気づいたように離れると、今更ながら体を震わせた。
掌に、健の体温を感じる。
服を脱いでいる上半身を見ていられない。
口元を両手で押さえて、護は背を向けた。
体が熱くなる━━中から、自分が離れていくような━━このままではまた……
そのとき、入り口の方から軽い足音が聞こえた。
駆け上がってくるリズムのいい音に、離れかけた意識が戻る。
護は顔をあげた。
入り口の明かりの下に、ようやく隆宏が現れた。
「ゴメン。遅くなって……」
と、言いながら足を止め、呼吸を整えるためか、一度深く呼吸をした。
足元に銃が落ちていた。
「……? どうしたの?」
まず、目が行ったのは、横たわっている実だった。
それから、上半身が裸の健に。
膝をついていた護に対しては、目の前にしゃがみこんだ。
「顔色が悪いよ、マモル。さすがの君も緊張したのかな?」
恐らく答えはないだろうと思っていたので、彼はすぐに立ち上がると、その向こうにいた健の腕に目をやった。
「ケガをしたの?」
健は、左手の銃を差し出した。
「悪い。これをしまってくれないか。……油断をしてね、撃たれたんだよ」
「いつ? さっきは……」
先に外に出ているように声をかけたときには、平然と答えていたように見えていたのだが……。
銃を受けとる。それをケースに納めた。
「服で見えなかっただけだろう?」
「ひどいの?」
「いや、マモルに血止めをしてもらったからね」
護の背後にもひとつ、彼の銃が置き去りにされていた。
「何だよ、みんなで出しっぱなし? すぐに片付ける癖をつけてくれなければ困るよ」
と、言いつつ、一つずつを丁寧にケースに納めてから、最後に実を見下ろした。
「彼はどうしたわけ?」
護は背中で、健がどういう言い訳をするのかを伺っていた。
自分の傷は誤魔化せても、実の状況をどう説明する?
「銃が暴発したんだ」
いともあっさりとした言い方だった。
「ぼ、暴発? じゃ……」
「大丈夫だよ。暴発したのはオレのもの。別に改良したと言っただろう?」
護が振り返ると、隆宏は、片付けたばかりのケースに目を移したところだった。
「ちょっと……そんな危ない改造をしていたのか?」
苦笑した健が、隆宏にわからないように護に目配せをする。
「圧縮した空気が出るようにしたんだけれどね。ミノルはそれに当たっただけ」
「それじゃ、ケガは……」
「していないよ。衝撃で気を失っただけだから。それより、向こうはもういいのか?」
「え? ああ……警察の出動待ちだよ。野次馬を遠ざけないと。……それにしても、それより、という問題じゃないだろう? どうしてそんな改造をしたんだよ。急場凌ぎにするようなことじゃないだろう?」
「……確かにね。本部に戻ったら、時間をかけないと……」
「それまではどうするんだよ。本当に、行き当たりばったりなことをしてくれたね」
すぐに戻れるとは限らないのだ。
もし、次の依頼が入っていれば、それが片付くまで健の銃は使えない。
これには反論できずに、健は情けなくうなだれるしかなかった。
健は━━
“自分の信頼を失ってもミノルを庇うつもりか?”
向き直って、護は口を開きかけた。
しかし、言葉が出る前に、一瞬だけ、健に睨まれた。
すぐに、微笑みに変わったが。
「マモル、もうそれくらいで許してくれよ」
「……?」
口を開いたまま、護が眉を寄せる。
隆宏は呆れ顔で、自分なりに納得したらしい。
「なるほど、マモルに怒られたんだね? ミノルをこんなふうにしたから」
隆宏は、夕べ、夕子がいった言葉を嘘だと思っていなかったし、同じように感じていたのだ。
大事に思っている実をこのような状態にして、護が平然としているわけではない、と。
自分がここに来るまでの間、無言のプレッシャーをかけられている姿が容易に想像できる。
見抜かれたか、というように、健が苦笑する。
「ケガの手当てをしてくれたからね。許してくれたと思っていたんだよ。だから、これ以上蒸し返されると困るんだ」
━━話が勝手にそれていく……。なのに、健は、何一つ、嘘をついていない。
ただ、肝心なことを口にしないだけだ。
護の秘密をそのままに、隆宏の想像を否定することなく、ただ、自分の立場を追い込みながら、この先もメンバーを守っていくつもりか。
これが……実が見いだそうとする健の強さ、か。
彼ならば━━本当の意味で、実を守ってくれるかもしれない。
一瞬、護の頭のなかによぎった。
しかし、それだけだ。
他人を信用するほどの感情を、彼はもう持っていなかった。
卑屈な思いで健を否定するわけではない。
そういう感情すら、ない。
隆宏は、健の隣に座り直し、長々と説教を始めた。
どちらかというと、余計な改造━━結果がこれでは、改良という言葉は避けたようだ━━に対して言い聞かせ、無用なものだと教え諭しているような感じだ。
もちろん、その中には感謝の言葉も混じってはいた。
健のものはともかくとして、隆宏の銃は健のいうとおり、改良といっていいほど馴染んでいたからだ。
しかし、護身用に支給されたとはいえ、この先、頻繁に使うものではない。
だから余計なオプションをつけるのはどうか、という言葉に、素直に頷きながら答えた。
「頻繁に使うものじゃないからこそ……何とかしたかったんだよ。本当ならば、こんなもの、必要はないんだ」
「どういうこと?」
笑顔がふと、寂しげに逸れる。
「昨日……おまえは言ったね。武器なんて、白昼堂々と使えるものじゃない。暴力団にしても同じことだ。まして、オレたちの相手がすべて、そういう人間だとは限らないんだよ。……警察からの依頼が基本となるのなら、普通の犯罪がメインになるんじゃないか? だとしたら……素人を相手に、おまえはこれが使える? できることなら、どういう状況であっても、最低限の被害で済ませたいとは思わない? 相手を抑えるだけの武器があれば、それで充分だと思わないか?」
「できるのなら、そうしたいよ。でもね、現にミノルがこれでは、積極的に賛成はできないだろう?」
「だから、本部に戻ったら、スタッフに任せればすむことじゃないか」
確かに、健の言うことは正しい。
隆宏にしても、そして他のメンバーも、精神訓練の最初に教えられたのは、命というものだったからだ。
ひとつの命は、どの生き物をとっても、別個のものではない。
必ず、過去から未来に繋がった、鎖のようなものだと。
今回のターゲットになった命にも、次の世代という鎖がある。
その一つを壊す権利が、健たちにあるはずもない。
正論なのだ。
護身は護身であり、武器をそういう攻撃に使いたくない、というのは。
しかし、隆宏は素直に納得することはできなかった。
それは教義に対しての疑問ではない。
殺人を容認するつもりもない。やりたくもない。
なのに、納得ができない。
隆宏は、護を振り返り、そこから実に視線を移した。
「……ねえ、ケン。君の言うことはわかるつもりなんだ。でも……どうしてだろう、スッキリしないんだよ。これが命令ならば……」
言葉が止まり、彼はそうか、と呟いた。
どうしても強く言わない、健の頼りなさがあるからだ。
メンバーの顔色を伺うのではなく、もっと毅然と構える態度を、自分は期待している。
昼間の、近寄りがたく、銃の構えをさせたときの厳しさを、求めているのだ。
━━命令……。そうだ、それが今の場合、一番確実に納得できる。
「ケン、どうしてもっと堂々と命令してくれないんだ? そうすれば、君に愚痴なんて言わないのに」
護もまた、健たちに向き直るように座り直した。
彼も、やはり同様に感じていたからだ。
健の言っていることが、メンバーを殺人というものから遠ざける正論ならば、命令は強制にならない。
従わなければならないという受動ではなく、従おうという能動に変わる。
頼みごとでは、どうしても反論は出てくるし、条件も伴ってしまう。
情けない態度での頼みならば、なおさらだ。
だが、健はやはり、首を振った。
「命令なんて、できるわけがないだろう? オレのものは、勝手に改造した結果だからね」
思いきり呆れ返ったため息が、隆宏から漏れた。
恐らく、それがきっかけだったろう。
今までずっと、口を閉ざしていた護が大きく頭を振って、
「ちがう」
と、声を強めたのだ。
唐突な言葉に、隆宏がきょとんとして、初めて彼に向いた。
「何が? オレのいうことが間違っていた?」
護は、一呼吸おいて、言った。
「暴発では、ない」
「マモル、言うんじゃない」
健の声に、護は彼を一瞥し、左手をかざして止めると続けた。
「オレにはあなたがわからない。この先のことを考えれば、口を閉ざして解決することではないだろう。タカヒロ、ケンは、わざと、ミノルを撃ったんだ」
「な……本当なの?」
答えは、二人のまったく違った反応だった。
護の、はっきりと頷いた瞳に見えた、真実を告げようという決意と、やりきれないというふうに、というより、護を黙らせる術がないという意味合いなのか、頭を抱えた健の姿だ。
この時、警察者のサイレンが聞こえなければ、隆宏は二人のどちらの話を聞くべきなのかを躊躇わなかっただろう。
いや、確かに彼は、健ではなく、護から話を聞こうとしていた。
しかし、それを諦め、立ち上がる。
フェンス越しに、問題のビルを覗き込んだ。
周囲の人だかりは、ますます多くなっていた。
どうやら、中に入り込んでいる住民もいそうだ。
その視線が、一斉にサイレンの光に集中した。
「来たみたいだ。話はあとで聞くよ。君たちはもう、帰っていいから。ケン、悪いけれど、荷物の半分は持って帰ってくれないか。あとの半分はオレが持って戻るから」
実の意識がないのなら、このまま連れて帰るしかないのだ。
不本意だが、自分ひとりでは、この荷物のすべては持ち帰れないと判断したための頼みだった。




