願うのは…… 6
月明かりだ。
冬ほど空気が澄んでいないからはっきりとした明るさはないが、夕子の影は、ぼんやりと地面に浮き上がっていた。
風もない。
不快な蒸し暑さを感じる。
彼女は、現場から離れた所定の屋上から海の方を向いていた。
昼間は太陽の光が反射して青く見えていたのに、今はただ、暗闇が広がっているだけだ。
隆宏が貸してくれた腕時計のアラームが、昼間の楽しかった時間を思い出していた意識を戻した。
驚いて、慌ててビルのフェンスから下を見下ろす。
“……マモル”
真下では、彼がこちらを見上げていた。
隆宏と三人で出掛けていたときも一言も口を利かなかったが、それが本来の寡黙さからなのか、それとも彼女がぼんやりと感じた、何か別のことに意識が飛んでいるように見えたためなのかは、今、ここでは判断できない。
いざ行動にかかる合図とばかりに彼女と目が合った護は、目的のビルと、道路を挟んだ建物脇に潜んでいる三人にもわかるように、左手を一度、高く振り上げた。
そのまま、ライフルを構える。
正面のビルに、まっすぐ。
澄んだ音が耳にはいったとき、彼女の右下方に光が漏れた。
目的のビルの正面玄関が、激しい音と共に爆発したのだ。
光が、昼間のように輝くその玄関内にも人がいただろう。
多分、何人か……吹き飛ばされている……。
『マモルは閃光弾を使うからね』
ここに来る道すがら隆宏が言っていたとおり、それは想像以上の眩しさだった。
慌てて彼女は空を見上げる。
直接そちらを見ないよう指示されていたが、右目の隅がチカチカする。
しばらくは光が続くとも言われていた。
彼女のシールドは用意していなかったため、その光が弱まるまでは護の姿に集中するしかなく、見上げていた顔を下に向けた。
彼の姿は、一直線にビルにライフルを構えたまま動かない。
しかし、右隅の光が弱まり始めた頃に、彼の手元から二発目が撃たれた。
立て続けに三発目、そして最後の一発を撃った彼は、ようやくライフルを下に置いた。
しかし休むわけではなく、今度は自分のレーザーを取り上げ、構えたのである。
『オレたちは、正面から乗り込む』
きっと、ビルの内部はひどく混乱しているはずだ。
彼らは大丈夫だろうか?
夕子は、ようやくビルのほうに目を向けた。
壊れた入り口から、時おり人が出てくるのが見える。
ケガをしているのか、よろめきながら逃げていく。
護にも見えているはずだ。だが、まっすぐに伸びた左手に動きはない。
出てくる人たちが、こちらに来ないためかもしれない。
実際、彼らは申し合わせたように、坂を下の方へと逃げていた。
結局、護の銃は使われることなく、しばらくするとまた、ライフルに持ち変えられた。
彼女は一度、ビルのほうに目を向けて、音が聞こえると同時に、視線を逸らした。
護がまた、銃に持ちかえる。
“外からの守り……”
それを目の当たりにしている。
ライフルにしても、彼のことだ、闇雲に撃っているわけではないはず。
と、すると、中から合図があったか。
夕子は、中で動いているはずの三人の安否よりも、次第に彼らの動きに興味を持ち始めていた。
隆宏が大した打ち合わせもしないまま、メンバーと共に飛び込んでいったことが最初は心配だったが、地上にいる護の様子から、彼らが無事なのだということを確認できる気がする。
銃を構えたまま動かない彼には、三人の動きがわかっているのかもしれない。
あるいは、わからずとも合図は送られているか。
彼らには、細かい動きの指示など、必要がない……。
そう、思う。
何もいわなくても……。
『ノーセレクトと言う、七人だけの絆』
物心ついた時から、心の底に植え付けられた意識だ。
呼吸が合わないほうがおかしい━━。
一直線に、レーザーの光がビルの窓から空に伸びたとき、護はようやく銃を下ろした。
夕子を見上げ、ライフルを取り上げてビルに入る。
彼女は屋上入り口から、彼が戻って来るのを待った。
その姿が月の光の下に見えた頃には、地上からちらほらと声が聞こえ始めた。
もちろんここからでは、何を言っているのかわからない。
それに、声と言うよりもざわめきに近かったから、住民の何人もが外に出たか、それとも隣同士が窓越しに話しているのかの判断もつかなかった。
護は無表情そのままに、夕子の足元に置いてあったケースに、ライフルを分解して片付け始めた。
銃も、自分のケースに収める。
「お、お疲れさまでした」
何か言わなければ気まずいと労ったものの、彼は一瞥もせずにそのまま、フェンスの縁に腰を下ろしてしまった。
反応のない相手に、より以上に気まずい思いがする。
彼らに会う前は、自分が何かを言えば怒らせるのではないかという恐さがあったが、むしろこういう無関心のほうが怖いのだと、彼女は初めて感じた。
自分の居場所がない━━。
何か話さなければ……。
「座らないのか?」
俯いていた彼女に声がかかった。
見ると、護はこちらを見返している。
「す、座ってもいいですか?」
何の返事もない。
彼女は、おずおずと隣に腰を下ろした。
が、護のほうが腰をずらして彼女から少し離れる。
「あ、あの……」
夕子の声に、また顔を向ける。
逆に、彼女のほうが目を逸らした。
「……あの……ケンたち……大丈夫でしょうか……?」
「……子犬……」
「え?」
空耳かと思える一言を呟いたきり、護は黙ってしまった。
仕方なく、彼女も下を向く。
━━落ち着かない。誰でもいい。早く戻ってきてほしい。
しかし、彼女の願いは早々に叶うはずもなく、それから十分ほど沈黙の中で待たされた。
動いたのは、護の方だった。
何かを探るようにドアの方を見つめ、体を屈めると手探りでレーザーのケースを引き寄せる。
「マ、マモル?」
彼の右手の人差し指が、口元に伸びた。
黙っているようにという合図に、夕子が口を押さえる。
彼の左手は、静かにケースを開けて、銃を握った。
膝をついたまま、一歩前に出て、彼女に、背後にいるように目配せをする。
銃口は入り口に向けられた。
が、護にはどこか腑に落ちないところがあったらしい。
僅かに首をかしげる仕草が見られた。
それはそうだろう。待ち合わせたこの場所は、普段は誰も上がってこないはずなのだ。
しかも夜中、騒ぎがあったとはいえ、健たち以外の誰がくるというのだ。
夕子はだから、彼がなぜ、メンバーしか来ない入り口に警戒しているのかがわからなかった。
誰かが確実に近づいている。
それが殺気だっていることを感じ、護の指はいつでも引き金が引けるように構えられていた。
一歩ずつ、ゆっくりとこちらに向かっている。
それが鉄の扉の内側で一度、止まった。
次の瞬間、乱暴な音と共にドアが開いた。
扉上部のライトの下に現れたのは、やはりレーザーをこちらに向けた実の姿だった。
「ミ……」
「に……げろ……」
両手で銃を握った、彼の体が震えている。
絞り出すような言葉とは裏腹に、それは護たちに向いていた。
実の殺意━━何のために? 何があった?
護の銃は下ろされた。
その動きが、実を刺激した。
光が、護の右方を掠める。
実の体の震えが幸いして、当たることがなかった。
「早く……逃げろ!」
必死に、何かに抵抗しているような動きとは裏腹の叫びに護は戸惑い、僅かに背後に視線を向けた。
「君は逃げろ。ドアの死角に……」
「は、はい……」
恐怖で、思うようにいかない体を無理矢理動かして、彼女が護から離れた。
実の腕が、彼女に向き始める。
その震えはますます大きくなり、見た目にも、彼の心の葛藤がうかがえた。
護は、夕子から彼の殺意を逸らすために呼び掛けた。
注意を自分に引き付けるために、静かに、そして許されるべきではない殺気を込めて、銃を構える。
彼女が逃げるまで、実の意識をこちらに向けさせなければならなかった。
実が、苦しげに護に向いた。
「おまえ……も、早く……!」
「撃てばいい」
夕子の姿が昇降口の脇に隠れた瞬間、護は銃を下ろした。
元々、そのつもりだったのだ。
一瞬にして解いた殺気は、安堵へと変わった。
━━これで、楽になれる。
生きているつもりはない。
レイラー・美鈴千春との約束が果たせなくなった今、これ以外の考えはなかった。
むしろ、自分にとって、望んでいた結果で終われるのだ。
“ミノル……ありがとう……”
ゆっくりと目を閉じた。
「逃げろ! バカヤロウ!」
実の、最後の命令と同時に、何かが軽く破裂するような音が聞こえた。
と、同時に、何かが倒れる音……。
不審に思って目を開いた護が見たのは、入り口に倒れていた実の姿だった。
「ミノル!」
急いで駆け寄った彼は、その背後、昇降口の階段を息を切らして上がってきた健が、大きな息をついて膝をつくのを見た。
「ま、間に合った……」
まだ、呼吸が荒い。
「殺した……のか?」
健が、実を撃ったというのか。
倒れた体は微動もしない。
護の手が上がった。
急激に込み上げる憎しみが、レーザーに込められ、今にも健に対して引き金を引こうと指が動く。
「ちょ、……待てって。死んでいないよ。意識がないだけだって……」
苦しい呼吸の中で、必死に言い訳をしたため、健は咳き込みながら護に手をかざした。
「落ち着いてくれ、マモル」
「……」
「ユウコは無事か?」
声は聞こえていたらしく、彼女は隠れていた陰から、恐る恐る顔を覗かせた。
「ぶ、無事です」
まるで這うように健は階段を上がると、実に近づいて、その体を背負いあげた。
「何とか……なったな、ミノル」
安心したのか、夕子が近づいてくる。
「ミノルは?」
「大丈夫だよ。予想はしていたんだけれど……まさかここまでひどくなるとは……」
「どう、なっているんですか?」
「……ごめん。説明しづらいな。仕事はもう終わったから、君は先に帰ってくれる? 部屋を冷やしておいて」
彼女は、意識のない実と護、そして健を順に見て、わかりましたと立ち上がった。
最初は怯えていたものの、護が庇ってくれたことや、健のいつもの優しい微笑みに勇気が出たようだ。
そそくさと建物の中に入るのかと思いきや、彼女は、フェンスの方に走っていき、せめてひとつだけでもと、ライフルケースを抱えて帰っていった。




