願うのは…… 3
会うのは二度目だ。
署長室のソファで健は昨日と同様、穏やかな物腰で署長に頭を下げた。
「コンピューター使用の件、ありがとうございます」
「お役に立ちますかな?」
小柄な制服がゆったりと座りながら笑った。
自分では有能だと思っている余裕の態度に、健が頷く。
この男が暴力団と繋がっているとは思えない。
昨日の時点ではその事実を知らなかった健だが、やはり今も信じられないのだ。
彼はもう一度、昨日の会話を思い返した。
その中に、目の前の姿と暴力団の繋がりという図式を当てはめてみる。
どうみても、悪い人物には見えなかった。
市民の安全のためなら、見も知らない他人を使っても守るという、少しずれた感覚を持っている言い方をしていたように思う。
健たちの組織が出来たばかりということも、初仕事だということも、更にリーダーが二十二才だということも関係のないといった感じだった。
むしろ、初仕事ということが、ある意味署長にとって喜ばしいことであったような表情だったのである。
要するに、自分が、新しい方法を試す最初の人間だ、と言いたかったようだ。
そして、確かに昨日の時点では、本気で組織を潰そうという意気込みを見せていた。
健はソファの肘掛けに、完全に足を伸ばして乗せたまま自分に寄りかかっている実を気にしながらも、わずかに身を乗り出した。
「動くなよ、ケン」
たとえ誰の前であろうと、実はまったく気にしていないようだ。
完全に寛いでいる。
一人で対応しようとした健に、反対させる間もなく強引についてきたから、真面目に話を聞くのかと思えば、座るなり健にもたれ掛かり、興味もなさそうに部屋を見回していたのである。
健は、子供をあやすように小さく、
「我慢して」
と言ったが、それ以上、不躾な態度を咎めようとはしなかった。
むしろ、署長のほうが見下すように実を一瞥して、ため息混じりに健に言った。
「それで、今日は?」
「ええ。今夜、動きます。そのことで、あなたにお願いしたいことがありまして」
「なんでしょうか? 方法はすべて、お任せしたはずですが」
「少々騒ぎが大きくなることを留意願います。おそらく、近隣からの通報もあるかと思います。それに対する出動を、二時間は待っていただきたいのです」
「大きくなりますか……。と、なると、マスコミなども聞き付けるのは早いでしょうな」
実の視線が、小さく動いた。
一瞬だが署長を捉えて、またすぐに逸れる。
「間違いなく。あなたにはそれもお願いしたいんです。こちらが動いている間、邪魔が入っては困るので」
「しかし……それはどうでしょうかねぇ。警察内部は私の一存でどうにでもできますが、マスコミまでは……」
明らかにその言葉の中には、すべてを健に任せているという責任逃れの意味も含まれていた。
一度頼んだことだから、身内は言い含めるが、他は健たちがすべて処理しろと暗にいっている。
もちろん、署長の考えに一理あるのは確かだ。
騒ぎが大きくなると聞いてもさほど驚かなかったのだから、健たちがどのような行動をしても構わないということも読み取れた。
しかし、こちらの行動を制限しないというのなら、申し出を聞く義務にも気づいてもらわなければならない。
健がそれを説明しようとしたとき突然、実が体を起こした。
署長の顔をじっと見つめ、小バカにしたように笑う。
「マスコミが聞きつけるわけじゃなさそうだぞ、ケン。自分から呼ぶつもりなら、止められないよな」
「え?」
二人同時に声が上がったものの、次の反応は違っていた。
図星を指されてごまかすように顔を逸らした署長と、難しい顔で目を伏せた健だ。
「ミノル、むやみに他人を読み取るんじゃない」
健は、その一言が更に署長を驚かせる効果を狙っていったのだろうか。
それとも単に、実に言い聞かせただけなのか。
いずれにしても、効果としては大きかった。
考えていることをズバリと言い当てられては、超能力と、誰でも思うだろう。
「あっ、あのですね……それはその……」
と、慌てて言い繕う署長に、健は軽く手をかざした。
「おっしゃらないでください。そちらがそういうおつもりなら、別に反対はしませんから。ただ……そうなると少し矛盾が生じてきます。……あなたは、まだ何か隠していらっしゃいますね?」
ますます署長の顔が青ざめた。
━━超能力者の集団なのか? と。
健は、困惑したように目を伏せた。
「困ります。あなたは、二つの暴力団と繋がっていますね。調べれば容易にわかることを秘密にされては、他の意図があると判断するしかありません。報道陣を呼ぶことによって、被害が広がっても構わないとおっしゃるのなら、従いますが、できることならば、あなたの本意をお話し願えますか?」
健は、確信した。
署長は確かに二つの組織と繋がっている。が、それは癒着ではない、と。
彼は、その二つともを利用しきれると思っている。
署長の表情が変わった。
そこまで知られては隠しても仕方がないと思ったか、それとも、これ以上心を読まれてはたまらないと諦めたか。
深いため息のあと、署長は重々しく口を開いた。
「私は、以前にもカガワの地方で警察署長をしていました。そのときも、抗争がありましてな。住民が迷惑を被っておりました。あの時は、勢力争いというよりも、互いの意地があったようです。いさかいは日常茶飯事で、いくら逮捕してもきりがない。そこで、二つの組に入り込み、一方で住民を決起させました。……二つとも、所詮は末端の小さなものだった。だから、マスコミを巻き込んで、住民に立ち退きを要求する運動をさせたわけです。住民一人ひとりの力は弱い。だが、それが全国規模の報道となれば強くもなります。……結局、二つとも引き払い、その後、報復がないように、ほとぼりが冷めるまでマスコミを常駐させていたわけです。かなりの年数がかかった。だが、何の面白味もない田舎の土地でしたからな、引き払ったところでさほどのダメージはなかったんでしょう。……報復はなかった」
話を聞きながら、実はじっと署長を凝視していたが、話が途切れると同時に含み笑いを漏らした。
それがまた署長を脅かしたが、咎めようとした健に彼は言った。
「今度は、オレたちの力を借りて、か……」
「ミノル、いい加減にしてくれ。少し、黙っていてくれよ」
顔をしかめてそういうと、健はまた、署長に向き直った。
「お気持ちはわかりました。ですが、やはり今回、報道陣を巻き込むことには賛成しかねます。秘密裏にしようというわけではないんです。騒ぎが収まるまで、待っていただけませんか? 終わったら、こちらから連絡をします。その後であれば、どのような報道もあなたにお任せできますから」
「やはり、そこまで大きくなりますか?」
「建物内部を破壊することになります。組織としての機能を抹消しなければなりませんから。それともう一つ、報道を遅らせる理由があります。オレたちのことを知られたくないんです」
「存在を知られてはまずいということですかな?」
また、実が僅かに反応した。
目の隅に捉えた健が、
「ミノル、喋るな」
と小さく注意して、署長に向き直る。
「あなたのお考えでは、住民の運動のほうが重要でしょう。国の介入が知られてはまずいのではありませんか?」
腕を組んで考え込んだ署長は、だが、すぐに両膝を叩いた。
「わかりました。すべてが終わるまで、シャットアウトしておきましょう」
「ありがとうございます。……ミノル」
確認さえ取れれば、用はない。
健は、背もたれに寄りかかっていた実に声をかけて部屋を出た。
署長室から、次に向かうのは地下の資料室だ。
人の行き交うエレベーター通路で立ち止まり、そこに置いてあった灰皿に目を留めた実は、健の持っていたポーチを取り上げるとタバコを抜き出して、いつものように火をつけて彼に渡した。
当然のように受け取りながら、健が腰に手を当てる。
「ミノル、おまえの能力はよくわかったよ。おまえのおかげで、署長の真意も理解できた。その辺りは感謝するしかないが……」
「……が?」
「夕べ、言いそびれたことなんだけれど、感情を覗くことをやめられないのか?」
「それなら簡単だ」
今朝になって、ようやく護の中も見られたのだ。
無理をして、自分を解放する必要はもう、なくなった。
いともあっさりと言い切った彼に健は、それなら、と言った。
「もう、やめてくれ。意識しなくても入り込むものは仕方がないよ。けれど、自分を追い込むことはないだろう?」
「追い込む? どうしてそう思うんだ?」
「やりたくてやっているように見えないからだよ。第一、他人ばかり受け入れて、自分の感情がわからないと言ったのはおまえのほうじゃないか。オレにだって、話を聞けばわかることなんだよ。おまえが口を出すことはないんだ」
「ほう、なら、あの男が報道陣を呼ぶ、本当の理由も理解しているわけだ」
いつになく強気な健の発言に、単に軽く反発したにすぎない。
昨日の今日で、そんなにも洞察力が身につくとも思えなかったからだ。
だが、健のほうは、
「当たり前だよ」
と、言い捨てた。
「住民のためなんかじゃない。あれは、味をしめたというんだ。大方、報道陣のおかげで名前も挙がったんだろう。だから地方からこのヨコハマに異動してきたんじゃないか? 報道陣を呼ぼうとしていたということは、介入している組織が乗っとるという計画も、その後でまた、住民運動を先導するつもりで力を貸しているだけだ。あの署長は、自分の力だけで、同じことを成功させようとしているんだよ。彼にあるのは自分の名声だけだ。……さあ、どこか違うところはあるか?」
なるほど、言い切るだけのことはある。
感心しながら、クスッと笑った。
健の言葉には間違ったところはない。
ただ、一つだけ理解していないのは、実には相手の感情以外の部分、つまり考えていることまでは読み取る能力がないということだ。
実が感じたのは、報道陣を健が断ったときの署長の困惑、秘密裏にことを運ぼうと画策しているだろう狡猾さ、そして成功したときのことをイメージした陶酔感だった。
感情が入り込むことによる言葉や態度からの推理で、相手を推し量ることは彼にとって、日常に馴染んだ自然な行為なのだ。
「そこまでわかっていて放っておくのか?」
「署長の思惑なんて、どうでもいいことじゃないか。彼の中にあるのは、自分へだけの功績だ。住民の平和も、自分あってのものと思い上がった優越感だ。そこまで介入する必要はない。今回は、頼まれたことをすればいい。ただ、そのオレたちのほうが、今は問題なんだ」
健は、吸っていたタバコを灰皿に捨てて実に向き直った。
「おまえ、そんなに簡単に他人を受け入れて、今夜の仕事ができるのか?」
考えないようにしていたことを指摘されて、実の口元から笑みが消えた。
顔色を変えて、目を伏せる。
「やるしか……ないだろう」
この仕事が、実にとってどういうことなのか、それは充分わかっているのだ。
放棄するわけにいかないことも。
レイラー・美鈴千春は、実を大事に育てていた。
小さな頃から、意味もなく感情がコロコロ変わる彼を見て、感受性が強いからと言いながら、一方では訓練を甘やかすこともなかったのは、恐らく将来、仲間に助けてもらえるという逃げ道を考えながらの教育だったからかもしれない。
『あなたは、人を傷つけることはできないのかも……』
その言葉が、いずれは仲間の足を引っ張るかもしれないという懸念を生み、却って実に意地を植え付けたとは思っていなかっただろう。
逃げる訳にはいかないのだ。
健はしばらくの間、自分が通行の邪魔になっていることも忘れて考えていた。
それは頼りない表情などではなく、本来、念頭においておかなければならなかった、自分の望みを考慮した思案顔だった。
━━メンバーの居場所を、確保する。
やがてどういう考えに達したのか、満足するものではなかったのだろう。
やりきれないというふうに頭を振った。
「ミノル、……おまえは、向かってくる相手は誰であっても構わずに始末しろ。相手の感情を読み取る隙を、自分に作らずに、オレたちを信じて。いいな?」
念を押しながらも、しかし健は実に向いていなかった。
たぶん、それが最良の方法だと思っていない。
一方、実にしてみれば、その言い方が気に入らなかったのは確かだ。
仲間を信じて、とは、レイラーと同じではないか。
彼らに隠れて、向かってくるものだけを相手にしろということに他ならない。
「それは、命令か?」
込み上げる怒りを抑えた、低い声で尋ねる。
「それとも、オレに同情しているのか?」
そうとしか思えない。こんなやつの手を借りてたまるか。
健は、目を閉じた。
「同情……か……」
その呟きとともに、突然、エレベーターのスイッチを思いきり叩く。
壊すほどの勢いがついたその手が、小刻みに震えていた。
「……情けない……」
伝わるのは……これは怒りだ。
思わず実が怯むほどの、彼以上に怒っている感情だ。
「ケ……」
左側のエレベーターが開いた。その音に、健はスイッチから手を離す。
「先に帰る。おまえは資料室に行ってくれ」
反対もできずに立ち尽くす実をそのままに、健は出口に足を向けた。




