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TOGETHER  作者: SINO
~第一部 初めの時~ 一章 それぞれの器 それぞれの役割
31/356

願うのは…… 2

 暑い日差しに、夕子が手で目を庇った。

 今、彼女は健と腕を組んでいる。

 しかし、これが恥ずかしい……。

 育ててくれた剣崎司令とでさえ、こういう形で歩いたことがないのだ。

 商店街を、五人連れだって歩いている様は、周囲の注目を集めるには充分すぎるメンバーだった。

「あ、あの、ケン、……私……恥ずかしい……」

 とうとう立ち止まってしまった。

 彼もまた、足を止めて向き直る。

「何が? 外を歩くこと? 少しは外に出なければね」

「ちが……違うの。あなたと……腕を組むのが……」

「オレとでは嫌だったか。ごめん。それなら他と代わってもら……」

と言いながら振り返ると、実も隆宏もクスクス笑っている。

「な、なんだよ?」

 途端に、実が堪えきれずに笑いだした。

 周りの人たちの足が止まる。

 彼は、健に手招きをした。

「代われよ、リーダー。とんでもない勘違いの理由を、タカヒロにでも聞くんだな」

 笑いながら、多少強引に彼女の手を自分の腕に絡めた実は、戸惑っているその歩調に合わせながら、耳打ちをした。

「今朝も言っただろう? 誘いは快く受けなければ失礼だぞ。あいつが嫌いだというのなら別だがな」

「そ、そんな。……嫌いだなんて、……私……」

「ならば、オレはどうだ? 嫌か?」

 囁くような問いかけに、胸が破裂しそうだ。

 夕子は、汗ばむほど体が熱くなるのを感じた。

 一体、自分はどうしてしまったというのか、実の声を聞くのが恥ずかしい。

 顔をまともに見られない。

 胸が苦しい。

「……あのっ……」

 伝わる彼女の小さな震えに、実はバカバカしいと思いながらも確信を持った。

 問題は、これにどう対処するか、だ。

 正直な話、迷惑な感情だった。

 しかも彼女自身、恋愛がどういうものなのかを、この様子だと知らないし、経験も無さそうだ。

 突き放すのは簡単だが、一過性のものだと思えば、自然に落ち着くまで付き合うのも一興か。

「ユウコ、オレをどう思う?」

「えっ? ど、どう……って……」

「ケンやマモルにしても、かっこいいと思わないか? 周囲の男を見てみろよ」

 実をまともに見られない代わりとばかりに、夕子はおずおずと、すれ違う男性やカップルを盗み見た。

「そいつらと比べてみてどうだ? オレたちよりも目を引く奴はいるか?」

 そう言われて見方を変えてみると、夕子には違いが少しずつわかってきた。

 かっこいいと言う点では、周りの男性は決して劣っていない服装はしている。

 髪を染めるとか、アクセサリーを身に付けるとか、それなりに似合っているのだが、それでも健たちと比べると、個性にかけるということに気がついた。

 整った顔立ちは彼らはそれぞれ違うものの、芸能人に間違われても不思議ではない。

 それが、飾らなくとも自然なものとして見える。

 実際、行き交うカップルの女性のほとんどは、一度は彼らに目を奪われながら通りすぎているのだ。

 女性かと思うほど綺麗な護、隆宏のにじみ出る優しい表情、健は大人の落ち着きを持っている。

 彼も女性に近い、柔らかい顔立ちだが、それは表情に棘がないためだろう。

 そして、冷たい瞳を持ちながら、こんなにも素敵な実━━

 心を見透かすように、実は言った。

「君は、堂々とオレたちを連れて歩けばいいんだ。かっこいいナイトを引き連れた姫君は、君くらいなものなんだからな」

「ひ……姫君ですか……」

 それがますます恥ずかしい。

 実は、クスッと笑った。

「男の役目はそういうものさ。覚えておくといい。それにな、君はもっと、人目にさらされる訓練もしなければダメだ。いつまでも人見知りでは、戦力外から抜け出せないぞ。オレたちがついている。それを忘れるな」

「……はい」

 心の染み渡る。

 健のような優しさはないし、絵里のように庇ってくれるわけでもないが、実に言われたことが何故か、一番嬉しい。

 自然に消えてしまった、彼への恐怖心の代わりに沸き上がる、もっと傍にいたいという思いが無意識に、絡めた腕にかかった。

 後ろから二人の姿を見ていた隆宏は、歩調の変わった彼女にあれっ、と声をあげた。

「説得成功、というところかな」

 まあ、彼女を言いくるめるのは、実にはたやすいだろうとは思ったが。

「説得って?」

 様子をみてみようよ、と言われていたから黙ってついていたのだが、健はようやく尋ねた。

 隆宏が、

「君は本当に鈍いね」

と、苦笑する。

「彼女は一人で出歩いたことがないんだろう?」

「そうらしいよ」

「それでわからないかなぁ。……彼女にとって、男性と腕を組んで歩く経験はなかったと言うことじゃない。しかも、彼女に向けられる他の女性の目を見てみなよ。ほとんどが羨望だと気がつかない?」

 羨望という言葉に、健は改めて周囲を見渡した。

 なるほど、確かに誰もが一度は彼らを見ている。

 これは、彼がここに来るまでの電車の中でも、また、昨日の昼間に入ったレストランでも感じた視線だった。

「ミノルならそれも当たり前か。……そういえば、おまえも昨日は結構見られていたみたいだしね」

 前の二人が、勝手にブティックに入ってしまった。

 そのあとを、護が気にして見ている。

 健は、彼にも店内へ行くように促した。

 隆宏が、呆れたという表情を向ける。

「君は……自分をカウントしないつもり?」

「オレ?」

 きょとんとして、それから軽く笑った。

「オレは違うだろう? 人に見られていると感じたのはおまえたちと一緒になってからだし」

「それが謙遜じゃないから、かえって嫌みに聞こえるよ。オレなんて、迷惑だとはっきり言われたこともあるというのにさ」

「そうなのか?」

「眼鏡は、そのせいもあるんだよ」

 言いながら、彼はそれを外した。

 何度か見ているものの、外の光の下で向けられた顔をよく見ると、薄いレンズでどことなく暗く見えていた表情は、優しいとしか表現できない瞳を持っていた。

 二重の、グレーを含んだ黒い瞳だ。

 一見、頼りなさそうに感じるが、瞳の優しさの深みは、充分相手を包み込むように思える。

「女の子に言わせると、母性本能をくすぐるんだって。それが、同性の友人には気に入らなかったんだね」

 今となっては、懐かしいケンカだった。

 隆宏自身は、友人たちとはわりと仲良くやっているつもりだった。

 学校にすら行っていないという境遇にも関わらず、誰一人、彼を特別視することもなかったのだ。

 ただ、一点を除いて。

 ノーセレクトとしては当たり前の能力だったが、ノーマルの中ではやはり彼は完璧すぎた。

 頭がいい上に、物覚えも早く、力があり動きも速い。

 しかも、誠実で嘘がつけない。

 優しいから滅多に怒ったこともなく、腹に据えかねることがあった場合、自分の気持ちを素直に話して相手がわかってくれるまで根気よく諭す。

 基本的に、人と口争いをすることは嫌いで、相手が逆上すればするほどその話を黙って聞いては、自分の反省点を並べ立てて謝る。

 とどめに、その性格どおりの落ち着いた柔らかい容姿が備わっていれば、いくら仲のいい友人たちでも、妬みをもって当然だった。

 薄いながらも、色のついた眼鏡というシールドをかけ始めたのは、双方の妥協なのである。

 とはいうものの、たかがアイテム一つで彼の性格が変わるはずもない。

 後になって、容姿に対して騒ぐのは彼を知らない女性ばかりで、身近な女友達が彼に好意を持つのは、その性格故だとわかってからは偏見がなくなった。

 ただ彼自身、視力が多少弱かったので、コンタクトレンズに切り替えもせず、ずっと瞳を隠すようにかけていたのである。

 健は隆宏から、持っていた眼鏡を抜き取ると自分の目に当ててみた。

「……それほど色は強くないな」

「まあね。傍から見ると濃いんだけれど、実際にかけるとそれほど色の影響はないんだ」

 視力のいい健には、少しぼやける程度の度数しか無さそうだ。

「裸眼だと光がぼやけるんだ。精神的に落ち着かなくて」

「動きづらくないか?」

「慣れれば気にならないよ。でも、もうコンタクトにしてもいいかなって、思っている」

 友人に配慮したアイテムも、実や護がいるのなら必要がない。

 彼らを見たときから隆宏は漠然と考えていたのだ。

 返された眼鏡を、改めてかけ直す。

 やはり印象が違ってくるな……健はそう言って、今度は店のなかに目を向けた。

「何をしているんだろう?」

「服を買う以外に来るところじゃないよ、ここは。それくらいはわかると思ったけれどな」

「ユウコの?」

 欲しがっている素振りは見せなかったが……。

「多分、ミノルが強引に連れていったんじゃない? 彼は、細かいところまで見ているからね。……彼ほど、見た目とのギャップがあるのも珍しいよ」

「そうかもしれないね」

 夕子の姿は見えなかったが、試着室の前に立っている護と、店内を、服を物色しながら歩いている実の姿は確認できた。

「タカヒロ」

「なに?」

「ミノルは……どうしたんだ?」

「え? いるじゃない」

 現に、健は彼の姿を目で追っているのだ。

「そうじゃなく、耳……。ケガでもしたのかな? ずっと抑えているんだ」

 右手で右の耳を抑えているから、服を選ぶのに左手で掻き分けているのだ。

「ああ、あれ? なんか、癖みたいだよ。最初は左右でアンバランスなピアスをつけていたんだ。変だ、って指摘したら左だけ外してさ。右のものは自分で作ったらしいよ。よほど気に入っているみたいだね。……結構頻繁に見る癖だよ」

「……気がつかなかったな……。というより、初めて見た」

 今までを思い出してみても、あの仕草に心当たりはなかった。

 だからこそ、ケガをしたものと勘違いしたのだ。

 隆宏も彼を目で追いながら、そういえば、と首をかしげた。

「君がいるときに触っているのを見たことがないなぁ」

 だとしたら無意識の癖ともいえない。

 だが、意識的に触れているとも思えないのだ。

 初めて彼に会った日に、隆宏の指摘で慌てて耳から手を離した仕草を見ていたからだろう。

「変だね」

 とはいうものの、それほど興味のある仕草ではない。

 すぐに興味をなくして、今度は通りを行き交うひとを眺め始めた。



 静かにBGMが流れる廊下でノックをして、返事も待たずにドアを開けた絵里と高志は、デスクにいる剣崎司令と、彼に向かって話をしている長身の男に気がついた。

 音に顔をあげた司令が、二人にソファのほうを示す。

 待っていろということだ。

 そのまま、またデスクを見下ろした。

「つまり、今はまだ、発覚していないということですね?」

 司令が相手に確認を求める。

 男のほうはハッキリ頷いた。

「部署が違うので、今はまだ、相手は知らないはずです。ですが、白木くんたちが動くことによって、あるいは気づくかもしれません。そうなると、怪しまれるのはこの人物かと」

「しかし、……単なる船員、という立場でしょう?」

「ほぼ、一年前からの、です。発覚した場合、真っ先に疑われる立場にいることも事実です」

「殺される、ということですか?」

 重い言い方に、男はデスクについていた両手を離した。

「本来は、僕が口出しはできません。ただ、白木くんは、関係のないことだからと見過ごすことができるかどうか。依頼ではないので、一応報告という形しかとれませんが」

 デスクに両腕を乗せていた司令は、尚も一点を見つめていたが、やがて頷くと顔をあげた。

「話は変わりますが、次はどうです?」

「フクシマのほうは様子を見ています。詳細は総括から入ると思いますが、細かい依頼が送られ始めているようです。中には、選り分ける価値もないものまであるようですね」

「……それは仕方がないでしょう……。わかりました。ごくろうさまです」

 話が終わると、相手は頭を下げてドアに向かった。

 そこを開けて振り返る。

「剣崎さん、佐竹くんたちに飲み物を用意しますか?」

「そうですね。頼みます」

「はい」

 あとはもう、二人に一瞥もなく出ていった。

 そちらに目を向けていた二人の元に、司令が近づいてくる。

 途端に、高志が口を開いた。

「あれ、誰? オレたちを知っていたよ? ずいぶん背が高かったなぁ。あれ、ケンより高いぞ」

 司令は、ドアに向かって微笑んだ。

「彼は、資料部のチーフで野々村くんだよ。身長は百九十くらいだったはずだが。確かに高いね」

 健が百七十八センチだから、十センチ以上差があるわけだ。

 高志は百七十一センチ、そうなると、二十センチも差がついてくる。

 身長だけで人を威圧できそうだ。

 更に言えば、棘のありそうな低い声と、丸い眼鏡の下の冷たく細い目が、他人を容易に受け入れないように感じる。

「なんか、意地悪そうな人ね」

 どうやら、彼女にはそう見えたようだ。

 しかし、司令は笑って否定をした。

「チーフという立場上、仕方がないのだよ。まして、彼のいる部署は女性しかいないからね。一人一人は明るくていい子たちだが、集まるとやはり、まとめるのは難しいようだ。正義感がかなり強いから、君たちとの間で配慮するのに苦労もあるようだね」

「配慮って、どういうことなの?」

「彼は机上の仕事だ。君たちとは正反対のことをしている。だが、調査という役目上、どうしても他の犯罪を見つける場合が出てくるのだね。依頼もないのに口を出すことはできない。それをしてしまえば、君たちの行動に支障が出てくる可能性もある。……とはいえ、結局こうして口を出しているのだが」

 その口出しをさほど気にもせず、司令は持っていた一枚の用紙をテーブルに置いた。

「これをケンに渡しておきなさい」

「正式な依頼じゃないんだろう? いいのか?」

「今回の進行上、おそらくこちらも発覚するだろう。延長ということであれば、野々村くんの越権にはならないからね」

 今回の中間報告を頼まれて戻ってきたのだが、まさかその前に次の仕事が入るとは思わなかった。

 だが、このような用紙一枚見たところで彼らにわかるはずもない。

 人の名前と免許証か何かの顔写真、それに日付の羅列だけの表は、絵里に一瞥されただけで小さく折り畳まれ、彼女のバッグに収まった。

「それで? 今日はどうしたのだね?」

 一応先程健からの電話で二人が来ることだけは聞いていたが、来訪の理由までは聞いていない。

 側に立っている司令を見上げて、高志が顔をしかめる。

「座ったら? キャップ」

「いや。一昨日の時点から、そこは君たちのソファだ。私のことは気にしなくてもいいよ」

「話しづらいから言っているんじゃないか。なんならオレたちが立とうか?」

と言って、窓際のデスクに目を向けられたら苦笑するしかない。

 剣崎司令自身は、自分の若い頃の体験から、格下の人間を尊大に見上げることをしたくなかっただけなのだが、相手から見れば話しにくいのは確かなのだろう。

 素直にソファに腰を掛けて、司令は言った。

「この次からは、私の椅子も用意しておくことにしよう。……それで?」

「ハミングバードを取りに来たんだ。これからオオサカまで行ってくるよ」

「止める場所の確保はしてあるのかね?」

「警察本部あたりが無難だと思うけれど」

 建物の密集した都市では、ヘリポートを利用するのが一番だ。

 セスナではないから、滑走路が必要ないという理由もある。

 司令は、彼らが直接地下ではなく、ここに来た意味がわかった。

「では、そちらには私が連絡をしておこう。ハミングバードの手配もしていないね?」

「出掛けるまでに時間があるから、キャップに頼もうと思っていたんだ」

「そうか」

 軽く頷くなり、司令はまた席をたつとデスクに戻った。

「黛さん、剣崎です。ハミングバードをこちらに搬入しておいてください。……使用するのは佐竹高志、加山絵里。お願いします」

 それから、彼は絵里に対して顔をあげた。

「オオサカ府警でいいのかね?」

「というよりも、オオサカ駅に近いところ、で頼みたいの」

 返事もなく、司令は再びデスクで連絡を取り始めた。

「木下さんを頼みます。……あ、木本さん、それは失礼。代わってください」

 司令が苦笑するのが見える。だが、すぐに相手が代わったらしい。

「木本さんですか? ブイトールを使います。オオサカ駅付近の着陸地点をインプットして、許可を取っておいてください。……時間ですか? ……いつごろかね?」

「夕方、としか今はわからないわ」

「夕方です。午後からの半日……いや、念のために明日いっぱいまでの時間の確保をお願いします」

 相手が何かを言っているが、高志たちのところまでは、当然聞こえない。

「構いません。毅然と構えてください。君にとっても初仕事になります。頼みますよ」

 ぼんやりと聞いていた高志は、司令がソファに戻ってきたとき、ふと、湧いた疑問を口にした。

「あのさ、キャップ、あなたは部下にずいぶん丁寧な対応をするんだね。オレたちに対する言葉遣いと違うじゃない」

「君たちにもそうしてほしいかね?」

 絵里が、面白そうに笑った。

「まさか、やめてよ。でも、確かにどうして使い分けるのかは知りたいわね」

 司令は、穏やかに微笑んだ。

「私がユウコのレイラーだったのは知っているだろう? 君たちは、私にとっては部下ではなく、子供たちなのだよ。対して、本部にとって、私は確かに責任者だが、それだけのことだ。スタッフの中には、私より年上もいる。ならば、その人たちに合わせるようにと心がけているに過ぎないのだよ。総括にしろ、会計や制作部にしろ、そちらのプロだ。私に同じことをしろといわれても無理な話だからね。敬意を持っているつもりだよ」

「変わっているわよ、あんたの考え」

「そうかもしれないね」

「まあ、それはいいや。それより、これ、ユウコからだよ」

 高志が絵里に目配せをして、自分の脇においていた紙袋を司令に差し出した。

 それほど大きくない手提げつきの袋は、口のところを三ヶ所、テープで止めてある。

「何かね?」

「シュークリームだよ。ここで食べるのに分けてくれたんだ。キャップの分も入っているよ」

「ほう、それは嬉しいね。……ああ、待っていなさい」

 彼は袋をそのままに、隣の部屋に入っていった。

 そこが何なのか高志たちも知らない。

 健と同様、ここに来たときにそれぞれ内部の説明を受けていたが、やはりそこの明示がなかったのだ。

 彼らも関心を持たなかったし、今も興味もなく待っている。

 時間がかかっている、そう思ったとき廊下のドアからノックが聞こえた。

「どうぞ」

 彼女の声が廊下に届くはずはないのだが、ドアは開いた。

 入ってきたのは、先程の野々村ではないか。

 ワゴンを押している彼は部屋を見回し、二人に聞いた。

「剣崎さんは?」

 ワゴンに乗っていたのは、三つのアイスコーヒーだった。

 それを、高志たちの前に並べる。

 答えたのは高志だ。

「隣の部屋だよ。何をしているのかは知らない。お菓子を持ってきたといったら、向こうに行ったんだ」

「ああ……言ってくれれば持ってきたのに」

 彼もまた、隣に行ってしまった。

 今度はドアを開けたままだ。

「やっぱり……そのままにしてください。クリーニングを呼びますから」

 そんな声が漏れ聞こえる。

 それから水の音がして、やっと二人が戻ってきた。

 野々村が、大皿一枚と小皿を三枚持っている。

 司令は何故かスーツを脱いで、ワイシャツの袖をまくっていた。

「どうしたの?」

「ああ……いや。皿を割ってしまってね。……野々村くん、君も座りなさい」

「え、僕は……」

「忙しいですか? 少しくらいならいいでしょう?」

 迷っていたようだが、野々村は司令が紙袋を取り上げたのを見てすかさず受けとると、中を開けて大皿に広げた。

「ずいぶん入っているね」

 三人で食べるには多すぎる量だ。

 さすがに高志たちも目を見張った。

「一口サイズとはいえ、よくこれだけ作ったわね。食べきれないわよ」

「野々村くん、資料室にも持っていってください。私たちでは余らせてしまいますからね」

「ありがとうございます」

「ところでさ、野々村さん、人手不足なの?」

 長身が隣に座った途端、高志が尋ねた。

 首をかしげる。

「人手? 別に不足してないよ。なんで?」

「だって、資料部だろう? コーヒーも運ぶのか?」

 口元に笑みを浮かべて、野々村が答える。

「その人手か。……ここでは、気がついたものがやるのさ。頼みを聞いた人がやるようだ。だから、男女も、部署も関係ない。でも、剣崎さん、あなたは人に頼むべきでしたね。いくら忙しかったといっても、梱包したままの食器を出すとなれば、ひとつの大仕事ですよ」

 苦笑するしかない。

「ユウコに言われていたのでね。彼女が片付けるつもりで、結局そのままになっていました」

「じゃ、クリーニング部に頼んでおきますよ」

「そうしてください」

 黙々と食べていた絵里は、野々村が皿のことで笑っているのを見て気持ちが緩んだ。

 意地悪そうだと思ったが、どうやら司令のいうとおり公的なときだけらしい。

 それに遠慮がちにシュークリームを取った姿も微笑ましかった。

「あんた、コーヒーがないけれど、いいの?」

と初めて口を利いた。

 彼の方も笑顔で答える。

「仕事の資料を渡しに来ただけだから、いいんだ。上に戻れば嫌というほど飲まされるしね」

「飲まされるって?」

「資料部のスタッフにはそれぞれ拘りの飲み物があるそうだ。暇をみて買ってきては人に勧める。スタッフは七人いるが、自慢や競争で時おり、仕事をおろそかにするときもあるくらいなのさ」

「チーフというには若いわね」

「そうでもないだろう? 白木くんとは五つも違う。他の部署も大した違いはないしな。技術部や総括など、いくつかを除けば、チーフの年齢は僕と同じくらいだ」

 勧められるままに二つを食べてしまうと、野々村は司令に頭を下げ立ち上がった。

 高志が残ったシュークリームから、自分たちの分を小皿に取り分けて、大皿のまま彼に渡す。

 こういうことを絵里がやらないのを不思議に思わないのは、野々村のいうとおり男女の区別がないことと、もうひとつ、彼が資料部の人間として健たちに対する知識があったからだ。

 今度は、彼らにも挨拶をして野々村は出ていった。

 絵里が、背中を倒して笑う。

「話してみないとわからないものね。言葉は切り口上だけれど、結構気さくじゃない」

「そうだね。彼は、公私をきっちり分けるタイプだ。友人として付き合えば、好青年だよ」

「でも、あたしたちには縁のない部署ね。タカヒロくらいじゃない?」

「なぜ、タカヒロなのかね?」

 仕事の進行状況を知らない司令にすれば当然の質問だ。

 高志たちは、交互に説明をした。

 その中にはコンピューターの調達や、データの転送も含まれていて、その関係から二人は、隆宏が資料室と関わっているのだと言った。

 二人にしてみれば、二日間の出来事を報告したにすぎない。

 しかし、何故か司令は考え込んでしまった。

「ケンよりもタカヒロが考えているというのかね?」

「ええ、そうよ」

 それでは、リーダーの役目をはたせないのではないか。

 その懸念は、まだ彼らの訓練中から、健を頂点にと考えていた頃にも確かにあった。

 どうしても、司令には、レイラー・楠木哲郎の育て方に納得ができなかったからだ。

 何度、意見したか。

 それこそ、訪れる度に言っていたことだ。

 レイラー・哲郎には、いつでも確信があった。

 健をリーダーにと考えていることを伝えたときも、驚くどころか当然のように頷いた彼を見ている。

 それなのに、育て方を変えようとはしなかった。

 突き放し、放置し、それでいながら、知識を植え付けることを嫌うように世話をする。

 人から遠ざけて、統率力が身に付くのか? という問いにも、彼は自信たっぷりに頷いた。何も言わず、結局、そのときもそれきり会話が途切れてしまった。

 健が初めてここに来たとき、彼に不安を与えないように、リーダーは君にしかできないと言ったのだが、もしかしたら、それが却って自信を失わせることにならないかと、今になって初めて、司令は思った。

「エリ……彼はその……頼りになるかね?」

「どうかしらね? 少なくとも、今、主導権を握っているのはミノルよ。ケンは、彼のいうままに動いているようなものよ」

 それも驚きだった。

「ミノルは君たちと話をしているのか?」

「嫌味の連発だけれどな」

と、高志が口を挟む。

 いくら、最初の反発がなくなったとはいえ、愚痴になるのは否めない。

「でも、頭がいいのは認めるよ。いたずら好きだしな」

「いたずら?」

「変なところで子供っぽいんだよ、あいつ。食事のときなんかも、自分の食べかけなんかをケンの口に突っ込んだりして笑うし。それに、クッション代わりなんて言って、平気でケンに寄りかかるしさ」

「そうね。あれではいくらなんでも彼が気の毒だわ」

「それでも……彼は怒らないのかね?」

 絵里が、呆れながら頷いた。

「怒らないわね。まるで、彼のすることだから構わないと思っているような感じよ」

 その言葉に、高志が反応した。

 どこか引っ掛かったように顔を逸らし、それから、

「あっ」

と、叫んだのだ。

「なっ、なによ?」

「そうだよ。オレたちだからって、そういう意味なんだ」

 一人で納得している。

 高志は、訝しげに覗き込んだ彼女に言った。

「夕べのことだよ。それに、出掛ける前。オレ、なんかあいつの言うことに納得してしまったんだよ。よく考えてみると、無責任なことを言われていたのにさ」

 彼女も、夕べの会話を思い出しながら頷いた。

「確かにそうなのよね。あたしも、それらしいことを言われたのよ。意味を考えると、自分なりに対処しろと投げられただけだもの。あんたも、どうしてあのときにすんなり部屋に戻ったのか不思議だった……」

「あいつ、信じていると言ったんだ。それで、安心したような気がした。……何ていうか……制限がないんだよ」

「わかるわ。そうね……あたしたちの言動のすべてで責任を負おうとするような……」

「それだよ。意識的にじゃないよ、あれ。誰にとっていいことか、じゃなくて、誰かにとって悪いことがあっても、自分が引き受けるという思いを感じたんだ。……夕べのことだってそうだろう? 何も聞かなかった。聞いてしまえば、もしかしたら誰が悪いのか、考えてしまったんじゃないか? タカヒロの言ったことが、夕べの状態なんだよ」

「白紙……ということね」

 二人の会話を、剣崎司令は黙って聞いていたが、チラッと腕時計に目を落とし、笑いかけた。

「二人とも、できるなら私にも詳しい話をしてもらえないかね?」

 昼にはまだ早いが、話を聞くのに彼は本館の四階を提案した。

 もちろん、二人に反対する理由はなかった。




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