本格的、始動 9
最後に残った隆宏は、彼らのやりとりを唖然としながら聞いていた。
本当に、どうしたというのだ。
実の、護への誤解を解くために彼を追いかけたはずなのに、戻ってきたら事情も聞かずに高志たちを説得してしまった。
絵里はまだわかる。
彼女は、言うことはきついが、言葉にしないときはそれだけ怒りを内側に押さえ込もうとする態度が明らかにわかる反面、自分が納得すればあっさりと流してくれるのだから。
しかし、ずっと愚痴をこぼしていた高志が、健に事情を話さなかったばかりか食い下がることもなかったのはどういうことなのだろうか。
もっともらしいことを言われたものの、反論しても仕方がないと諦めたのか。
それとも……。
「タカヒロ」
「……え……あ……」
急に呼び掛けられて、隆宏は慌てて彼に向き直った。
顔がぼやけて見えることで眼鏡を外していたのを思い出し、かけなおす。
「明日のこと、決まっているんだって?」
「あし……た?」
「そう」
「あ……うん。タカシ……たちには言っておいたよ」
てっきり護のことを聞かれると思っていたから、隆宏は、頭を切り替えるのに一瞬遅れた。
健は、その様子をじっと待っている。
仕事の話に切り替えなくては━━彼は、目の前にあったミネラルウオーターをグラスに移して口をつけると、テーブルの下に置いていたコンピューターを立ち上げた。
「こっちに来てよ」
という呼び掛けに応じて彼が動く間に、隆宏はテーブルに乗っていたグラスをよけて、コンピューターを置いた。
「見てくれる? この二人」
画面に出ていたのはターゲットに指定した、九人のスケジュールだった。
「君が調べたとおり、二人は三日ほど前からオオサカに行っているよね。戻るのは十日後だ。明後日には、こっちの二人が、今度はシズオカに行ってしまう。半数を欠いた状態になる前に片付けたいんだ。だから、動くのは明日の夜にするよ」
「夜?」
「ターゲットを一ヶ所に集めるために、警察から情報を流す。事務所の捜査という名目でいいと思うよ。で、ついでに建物を壊すから」
「……派手だね」
「内部だけだよ。組織事務所として使えなくなればそれでいいんだ。明るいうちから騒ぎを起こせば混乱するから、夜にしたの。オオサカの二人は、タカシとエリに行ってもらうつもりだ」
なるほど、あの二人をとりあえず護から遠ざけて時間をおこうとしていたわけだ。
「いつ、出発させるんだ?」
「朝。……本当は昼過ぎのほうが都合がよかったんだけれどね」
言いながら、彼は画面を切り替えた。
高志たちの相手の行動予定だけを抜き出す。
それによると、夕方には岡山のほうへ移動するらしい。
その時を考えていたようだ。
「それなら……本部で時間を潰してもらえばいいんじゃないか? ついでに、キャップに経過を伝えてもらえれば彼らも納得するだろう?」
「うん。そうだね」
「二人には、方法までの指示はしたのか?」
「なるべく目立たないように、くらいかな。エリのほうが理解しているから大丈夫だと思う」
「そう、わかった」
納得をして、健は元の席に戻った。
コーヒーカップを取り上げて、一口。
「ところで、依頼の矛盾をどう納得するのか、聞きたいな」
「……それなんだけれど、明日、君にはもう一度、警察に行ってもらいたいんだ。オレがどうしてターゲットを九人に絞ったかを説明するから。署長に探りをいれてほしい」
「いいよ、なに?」
「昨日、言ったよね。ターゲットは組織内部の反対派のようなものだって」
黙って頷く健に、彼は説明をし始めた。
隆宏は昨日、二階で実と話し合って独自に調べていたのだ。
それによると、この地でいさかいが起き始めたのは約二年前だという。
それが、今年になって署長が代わって、組織を潰すという依頼が本部に入った。
どうも、組織の中枢が、面倒を起こしている組織に与しようとしているとの情報は、警察内部から勝手に引き出したものだったらしい。
「さっきも言ったように、今の組織が潰れたら、周辺住民に迷惑がかかる。でも、組織にすれば、そんな苦情なんて親身に考えていないよ。むしろ、保障が自然消滅するから都合がいいはずなんだ」
「内部の反対派というのは……他の組織の傘下に入ることを反対している、ということか」
「そういうことだね。そこで、君に調べてもらいたいのは、その、組織中枢部と、相手の組織、それに署長が繋がっているかどうかということなんだ」
相手組織からすれば、問題の事務所がつぶれなければ、進出してくることができない。
当の事務所は、そのままでは相手に乗り換える口実がない。
その二つの考えが一致している上に、今回の署長の依頼となると、健にも隆宏の懸念は想像できる。
「そうか。署長も何かしら、力を貸している可能性がある、ということだな?」
「そういうこと。署長の思惑次第では、この仕事を放棄したいんだ。さすがに、暴力団と繋がっている警察の手助けはしたくないもの」
健はもう一口コーヒーを飲むと、カップをおいて腕を組んだ。
「……けれど、タカヒロ、明日にはタカシたちが先行するんだよ? そっちはどうするんだ?」
「だから、夕方までは時間があるといったじゃない。それまでに方針を決めればいいんだ。もしかしたら、無駄足かもしれない。でも、やるにしろ、やめるにしろ、一応、動いておいたほうがいいと思うよ」
やや間があって、健が胸ポケットからタバコを取り出す。
「あ、ライター貸して」
すかさず隆宏が手を出したが、ふと思い出したのは、ライターだけは実に渡したままだったということだ。
「ごめん、手元にない」
仕方なく、タバコを箱に戻そうとしたが隆宏が取り上げる。
小さく首をすくめて、彼はキッチンに入っていった。
戻って、煙を立ち上がらせたタバコを健に渡す。
「ああ……ありがとう」
「それで、どう? 今の話でやってもいい?」
健は、クスッと微笑んで息をついた。
「言ったはずだよ。おまえの好きなようにやって構わない。納得がいくまでメンバーを利用したらいいさ」
「……そうだったね」
実の言動に壊されたものの、隆宏の心の中には健からにじみ出る、春風のような温かい雰囲気がまだ残っている。
優しく微笑む彼にどこか安心感を持ち初めていた隆宏は、だが再び、今度は健から現実に戻された。
「ところで……」
軽く屈むようにソファに座り直して、彼が言う。
「二人の出発を早めなければならなくなった理由を聞こうかな?」
悠然と構えるように、またコーヒーカップを取り上げる。
隆宏は、先程のことを気まずそうに伝えた。
本心を言えば、やはり隆宏自身もあまり気分のいいことではなかったのだ。
しかし、絵里たちほど腹が立たなかったのは、護の言葉が妙に納得できてしまったからなのである。
実が、他人の感情を受け入れてしまう体質だと知っていたからかもしれない。
誰にも関心を持たない反面、実だけは知っていたと聞いたとき、昨日の司令室でのことを思い出したのだ。
彼を知っていたから、わざとケガをして、次の攻撃ができないようにした……あれ以上、反感をかう行動をさせないようにしたとは考えられないだろうか。
だからこそ、夕子の言ったことにも頷けたのだ。
護にとって、実は知っているだけではない。
大事なのだ、と。
もっとも、実の体質を自分の口から健にいうわけにもいかない。
だから、
「複雑だといったのも、本当なんだよ」
と、曖昧に答えた。
「なるほどね。おまえだけでも冷静でいてくれて助かるよ」
「冷静……でもないなあ。二人を引き離すことはできても、僅かの間だ。しかも、オレはずっと彼と一緒なんだ。どう対処していけばいいかを考えると……」
実際、先程実を二階に連れて行ったとき、部屋の中にいた護は、ベッドに寝かせた彼だけを見ていた。
運んできた隆宏の存在には、一切注意をはらっていなかったのだ。
「ちょっと、気が重いかな」
「でもね」
カップをテーブルに戻す。
「それは、マモルが言ったからだろう? もしも話を聞いていなければ、単なる無口な男だと思って、変わらない態度でいられたんじゃない?」
「まあ……確かにそうだけれど……」
「それなら、気に病むことなんて、ないよ。ユウコの言うとおり、話をしないだけで、オレたちと行動できるんだから。おまえが彼の見方を変えてしまったら、タカシたちはいつまでもわだかまりを残すよ。仕事の参謀を引き受けたのなら、そういう私情は捨ててほしいな。気が重いなんて、弱気になってもらいたくないよ」
それは、少しばかり厳しくはないか?
隆宏は思った。
元はといえば健が頼りないから、実に言われたとおりにしているだけだ。
そんな、愚痴が出ても仕方がなかっただろう。
「君がしっかりしていれば、オレの役目はなかったんだよ」
と。
しかし、それも健は突き放すように笑うだけだった。
「今となってはそれも私情だな。一度引き受けたからには、人のせいにはしないでくれ。オレは、おまえたちの言うとおり、この先は何もしない。おまえが、オレを含めたメンバーを動かすんだ」
本当に━━
どうして、ここまで急激に変わったのだ?
もしかしたら……
「ねえ、一体、ミノルと何を話してきたの?」
これは、実が何か示唆をしたとしか思えない。
「別に。マモルの誤解を解こうとしただけだよ。逆に怒られたけれどね。……。さ、てと。オレはもう一仕事残っているんだ。部屋に戻ってもいいかな?」
「仕事?」
「まあね」
今の段階では、一番厄介な仕事だ。
健は、隆宏の返事も聞かずにリビングを出た。
階段を上がりながら呼吸を整える。
何も考えてはいけない、と言い聞かせて一番奥のドアをノックして、開けた。
部屋のライトは消えていたが、窓際の机がぼんやりとスタンドの光に浮かんでいた。
護は、そこで本を読んでいたものの、ドアが開いた音に振り返ると手元のリモコンでライトをつけた。
「やっぱりミノルは起きないか?」
真ん中のベッドが、小さく上下していた。
夕べは、健も護もこの部屋に戻らなかったから、実がどのベッドを使ったのかを知らない。
彼を運んだ隆宏も同様だったから、適当なところに寝かせたらしい。
そのベッドの傍らで実を覗き込み、そのまま尋ねる。
「オレには経験がないんだけれど……。彼はこんなふうに、いきなり寝てしまう癖でもあったのか?」
睡眠に対し、ノーセレクトだからといって特別な訓練はしていない。
健自身は、寝付きが悪いわけでもなく、だが逆に、ここまで急に眠ってしまうこともなかったため、実の癖かと考えたのだが、それでもあの時の状況は少しばかり異常ではなかったろうか。
護もまた、席を立つとベッドの足元に移った。
「多分……」
小さく、静かな声が響く。
「薬」
「? 病気か何かで?」
「いや」
一度、寝顔に表情を緩めて、それから護が言った。
「あなたは、ミノルのことをどの程度まで知っている?」
「程度って?」
「医師のライセンスを持っていることは?」
「……そんな資格を持っていたのか?」
剣崎司令から手渡された資料には記載がなかった。
もちろん、彼の口からも実本人からも聞いていない。
彼は、医者にでもなろうとしていたのだろうか。
自分が、科学者になりたかったように……。
「知らなかった。……けれど、それとこの状態と……」
「睡眠薬を処方するには、医師のライセンスは必要だ。薬局では売っていない」
「ああ……薬って……それか。……ということは、それがなければ寝られないということか?」
夕べもそうだったのだろうか。
いや、それ以前の問題だ。
たかが睡眠薬のために医師免許を取った?
健はありえないと首を振って、思い当たったのか、上体を起こした。
「……美鈴さんの……ためか」
薬の処方だけなら、わざわざ免許をとらなくても病院に行けばすむことだ。
必要だったのは、レイラーを診察する技術の方だったと考えるのが自然だろう。
「彼女のためだけのライセンスだ。このことは、忘れてくれ」
「……おまえがそう言うのならね」
何も考えるな。成り行きに任せろ━━
健は、ようやく護に対峙した。
「マモル、できることなら、もう少し、オレに時間をくれないかな。これでも……ずっとおまえたちに会いたかったんだ。たった二日では……後悔がのこりそうだ。ダメかな?」
答えを控えて口を閉ざした護は、しばらくして不意に背を向けた。
「すまなかった。忘れてくれ」
「よかった。でも……本当にオレを憎んでいたんだな。ミノルの言ったとおりだ」
「? ミノルが? ……オレにはそんなつもりはなかったが……」
「一瞬だったけれど、感じ取ったと言っていたよ。けれど……おまえにそういうつもりがないのなら、やっぱり理不尽な誤解だったのかもね。……まあ、それも解けたから、心配しなくてもいいよ。明日になれば、普通に接してくれるだろうからね」
そうでなければ困る。
護は、安堵の息をついた。
目的を果たすためには、実に話さなければならないことがあるのだ。
健はその後ろ姿を、勘違いして受け取った。
忍び笑いが漏れる。
「ミノルが……そんなにも大事か?」
護が、振り返らずに頷いた。
「大事に……なっていた」
そう呟く声が、実のことを話すときだけ甘く、柔らかく響くことに健は今更ながら気がついた。
「興味もなかった。……煩わしくて……押し付けられたようなものだった……はずなのに……彼を見かけるたびに……あの笑顔がオレの中に染み込んでいった。オレは……自分が……」
背中に感じるのは、健の、夕べのような大きな『何か』だ。
今まで、思いもしなかった安心感を感じる。
健のイメージが、変わっていく。
だから、だろう。
自然に言葉が出てくる。
「ノーセレクトのこの身が疎ましかった。こんな存在があっていいはずがない……そう、思っていた。オレに関わっても、何のメリットもない。なのに……ミノルは……同じ存在でありながら、屈託なく笑っていた。多くの友人に囲まれて……同化していた。……ノーセレクトでも……生きていていいのか……それを教えられたような気がした。ならば……オレは彼のためだけに生きようと決めた。彼が繋ぎ止めてくれた命だ。ならば、オレは彼のものだ。そのためになら、何でもしようと……。傍にいて、支えていこうと……彼が傷つかないように……昔のように笑ってくれるように……守っていきたかった……」
少しずつ声が震えていく護の言葉に、健は眉を寄せた。
「いきたかった?」
どうして過去形なのだ?
今、まさに傍にいるというのに不自然な言い回しをする。
「もう……それも叶わない……夢だ」
諦めた呟きだった。
「もしかして……オレたちのせいなのか?」
実には今、心を保っていられる存在がないからだと、護は言っていたではないか。
そして、健の存在を何よりも恐れている、と。
離れられないノーセレクトという枷があるから、護は彼を、メンバーから引き離して守ることができないということではないか?
だが、答えは、否定を表す首の動きだった。
「オレ自身が、夢を壊した。……あなたのせいではない」
左手が、ゆるゆると上がる。
護は、顔を覆った。
「会いたかった……ずっと……彼のためだけに……」
「叶ったじゃないか。こうして、ここにいるんだ。おまえは、ミノルを知っているんだよ。これからもオレたちと一緒に……」
「あなたは! 気がつかなかったのかっ?」
抑えた手の間から、絞り出すような叫びが上がった。
乱暴に振り返った彼の瞳から、涙が流れていた。
「オレの……どこを見ていたんだ。これだけ近くにいながら、彼に指一本触れることもできないオレに気がつかなかったのか?」
「……」
そういえば……そうだ。
思い当たる。
彼は、いつもメンバーから離れていた。
酔い潰れた隆宏たちにも近づかなかったではないか。
確かに、先程も背負った実を覗き込んではいたが、自分から彼に触れようとはしなかった。
触れることができないのは━━
そうだ。夕べの過剰反応にも関係がある……。
「そう、いうこと、か……」
剣崎司令が言っていたこと━━護は、実より遥かに大きな問題を抱えている━━。
健は、クローゼットを開けてそこを探り始めた。
自分の持ち物の中からハンカチを取り出す。
聞き方次第では、護の隠していることを知ることはできるだろう。
だが、彼は何も言わずにそれを護に渡した。
無言で受け取り、また、背を向ける。
一瞬の、感情の高まりは治まっていた。
それで、わかったことがある。
護は、決して無表情ではない。
実のためだったから、自分を抑えていたのだ。
大事になっていたという彼のためだったから。
ならば、その表情、感情は健に向けられるべきではない。
無理に聞き出してはいけないのだ。
「マモル……おまえなら彼を守っていけるよ。もっとオレたちを信じてくれないか? おまえに夢があるのなら、オレたちも手を貸すから。叶わない夢じゃない。おまえは、彼の心の傍にいればいい。彼のことだけを考えてくれるだろう?」
そのためにメンバーを傷つけようと、いつかは彼らもわかってくれる。
それぞれが秘密を持っている。そして、それぞれが、メンバーに期待をしている。
だからこそデータだけで推し量っていた相手と会った今、これから様々な問題が出てくるはずだ。
そして、更に時が経てば、落ち着く。
いつかは理解できる。
護は、背を向けたまま何も言わなかった。
どれほど、健たちが手を貸したところで壊れた夢はもう、永遠に叶わないのだ。
あとは、たった一つの目的を果たすだけ、だ。




