本格的、始動 6
どうやら、二人とも同じ疑問に気がついたようだ。
互いに発言を譲り始めた。というより高志が彼女を促そうとしたのだが、夕子のほうは自分の差し出口を咎められるのを恐れて、遠慮している形だったが。
いずれにしても、短いそのやり取りのあと、ならばと高志が一人床に座っていたため、隆宏を見上げる形で口を開いた。
「どうして組織を潰すんだ?」
夕子も、思わず頷いて尋ねた。
「どこからの依頼なんですか?」
隆宏は二人を満足げに見回して、ふと、健に視線を移した。
二人はそこまでの疑問を持つほど理解してくれた。
実たちは、はなから理解していたからいいとして、心配だったのは健のことだったからだ。
最後に決定を下す彼が、事情を理解していなければ何もならない。
健は、のんびりと酒を飲んでいるだけだった。
しかも、昨夜と同じように、ハイペースのわりに、顔色ひとつ変わっていない。
本当に、驚くほどの酒豪だ。
そして、それには実も気がついたらしい。
隆宏の視線に、彼はボトルと健を見比べて目を見張った。
「おい……ケン」
「ん?」
「おまえ、平気なのか?」
「何が? 話ならちゃんと聞いているよ」
実は、ボトルを覗き込みながら言ったのだ。
その様子にも気がつかなかった健の見当はずれの答えに、嫌みを言うことも忘れた。
「そうじゃない。これを一人で空けるつもりか?」
「? 一人って?」
みんなで飲んでいるじゃないかと言いたげだ。
実は、昨夜のことを知らない。
絵里は、隣に座っていた夕子に言った。
「持ってきてちょうだい」
「はい。昨日と同じでいいですか?」
「そうね」
彼女が席を立つと、絵里は実に言った。
「こんなもので驚かないでちょうだい。夕べと比べたら、こんな程度、大したことじゃないわ。しかも、一晩中起きていてまったくの素面。まるで、笊にお酒を入れたようなものよ」
「……そうなのか?」
健の酒豪は、夕べ、嫌というほど隆宏たちが体験している。
彼らにしてみれば、今さら驚くことではないのだ。
一滴も飲めない実にすれば、驚きを通り越して呆れるのも当然だった。
昨夜、公園で会ったときには、すでにそれだけ飲んでいたということだ。
「よく……飲めるな……こんなもの」
考えてみれば、食べられないものがない実が唯一、口にできないものがこれなのだ。
夕子が、両手に一本ずつのウイスキーボトルを持ってきた。
そのひとつを受け取り、実が健を覗き込んだ。
「本当に大丈夫なんだな?」
「心配してくれるのか?」
「誰がそんなことをするものか。仕事以外でくだらないフォローをしたくないだけだ。……グラスをよこせ」
渡されたワイングラスを、立っていた夕子に渡すと彼はテーブルの新しいグラスに氷を入れて、ウイスキーを注いだ。
ミネラルウオーターをまだ用意していなかったせいもあるが、どうやら酒を水で割る、という考えに至らなかったようだ。
「ミノル、おまえは飲めないのか?」
自分のことは、隆宏にしか言っていない。
実は、自分のグラスを持ち上げた。
「おまえとは正反対だ」
中身は、昨日のリクエスト通り、オレンジジュースだ。
「それより、タカヒロ、続けてくれ」
「ああ、そうだね。えっと……」
「タカシとユウコが聞いていたじゃないか」
「……ごめん、じゃ、まず……タカシ」
気を取り直して隆宏は高志を見下ろした。
「今の署長が優秀だから、依頼が入った訳じゃないということはわかったよね?」
「充分にね。前署長が正しいかどうかはわからないけれど、間違ってはいないということもわかった」
「うん。次にユウコだけれど……」
彼女はワイングラスをキッチンに持っていって、代わりにミネラルウオーターを用意して戻ってきていた。
健の隣に腰を掛けて、声を掛けられたことに反応する。
隆宏が彼女に対して、何とも複雑な笑顔を向けた。
「君は、おもしろいよ。……どうして、依頼元を聞いたの?」
「えっ?」
改めて聞かれて、夕子は初めて我に返った。
本部に入る依頼がどこからのものなのか、司令は昨日、言っていたではないか。
本部自体が機能するのは警察という機関の手助けをするためであり、健たちの行動はそれに沿ったものである。
疑問に思うこと自体、おかしいのだ。
途端に、彼女は申し訳なさそうに俯いた。
「ご、ごめんなさい……」
隣の健が、そっと彼女の手を握った。
「ユウコ、君もメンバーの一人だよね」
「は、はい」
「ならば、タカヒロの質問に答えるべきだと思うけれど? 彼は、どうして? と、聞いたんだよ。謝ってほしいわけじゃ、ないんだ」
「……すみません」
言われたこと自体にまた謝って、彼女はおずおずと顔を上げた。
「あの……納得がいかないんです」
「どういうふうに?」
隆宏が促す。
その問いかけは、決して責めているわけではなく、優しく、彼女の心を溶かすように向けられた。
「はい。……いさかいは、他の組織が起こしていることですよね。住民の人たちは、今のところから庇護を受けているのなら、依頼は、警察署長さんの独断ではいったことになるような気がするんです。それは、いいことなんですか? 私たちのすることは、誰にとって、プラスなんですか?」
返事はなかった。
それどころか、直前まで優しく微笑んでいた隆宏が、まるで彼女の存在を忘れたかのように健に向いたのだ。
「ひとつ、君に確認したいことがあるんだ」
「……?」
「君に疑問はなかったの?」
「疑問って? ……依頼主が誰かということ?」
隆宏が頷く。
そして、答えを待つ間もなく続けた。
「依頼自体は警察から入ったのはわかりきっているよ。君も、署長が依頼主だと言っていたよね。オレも、それが納得できないんだ。このまま続けてもいいのかどうかを疑問に思わなかったの?」
健は、持っていたグラスに目を落として、中の氷を何気ない仕草で回し始めた。
そして……
「別に」
と、言った。
落胆のため息が、隆宏と絵里から漏れる。
その二人を順に見回して、彼はまた、呟くように言った。
「疑問があるとして……おまえたちは続けたいのか? それとも、放棄したい?」
「そんなこと、オレが決めることじゃないだろう?」
「そう? でも、オレが決めることでもないな」
「何を言っているんだよ?」
健は、僅かに実の方を流し見ると、関心がなさそうにグラスの酒に口をつけた。
「ケン!」
「……逆に聞きたいよ。どうして、オレが決めなくてはいけないのか……」
そのとき、絵里が思いきりテーブルを叩いた。
「いじけるんじゃないわよ! あんたがリーダーじゃない!」
しかし、そんな彼女に対しても平然と言い返したのである。
「確かに、オレはリーダーらしいね。でも、オレはオレであって、タカヒロじゃない。……オレは、難しいことを聞いたつもりはないよ? 昨日と今日、二日続けて、おまえは調べたことをまとめた。その結果、依頼自体に疑問を持った。……なら、おまえはどうしたい? 続けたいのか、やめたいのか、……簡単だろう?」
なんと、身勝手な言いようだ。
思わずカッとなった隆宏が立ち上がる。
「見損なったよ! ケン!」
健は、やはり首をすくめただけで平然としている。
その態度に誰もが呆気にとられたが、一人、実だけは訳知り顔の口元を緩めている。
それが、頭に血が上った隆宏を、一瞬にして冷静にさせたと言ってもいいだろう。
「まさか……」
実だけが、動じていない。
それはつまり……
隆宏は、なお落ち着くために、深く呼吸をして立ったまま言った。
「怒鳴って……ごめん。……ケン、オレは、納得ができないまま動きたく……ないんだ。だから、……納得のいく理由を見つけ出して終わらせたい」
これもまた、健の本質……だと思いたい。
だから、本音を言った。
いや、健から漂う雰囲気に自然と言葉が出ていた、というほうが正しい。
健は、ようやく隆宏に笑いかけた。
「おまえならば、できるよ。オレは、何も言わない。好きなように行動するんだ」
「ケン……。……でも、依頼どおりにすれば、住民に迷惑がかかるかもしれないんだよ?」
「だから? どうだというんだ?」
グラスに残った酒を一気に飲み干して、健はそれを実に渡した。
実が、新しい酒を注いでテーブルに置く。
健はそれを手に取ることはせず、立ったままの隆宏を見上げた。
「おまえたちは言ったよね。最後の決定はオレの役目だ、と」
「だから……」
「なら、オレの答えはひとつだ。誰に、どれだけの迷惑がかかろうが、おまえたちが納得するなら、結果は問わない」
僅かに、彼の表情が柔らかくなった。
しかし、それは優しい微笑みではなく、まるで他人を見下すような、少し冷たい笑顔と言えた。
「……タカヒロ、おまえはまだ、結果を言っていないよ。もう一度聞こうか? 続けたい? それとも……やめる?」
隆宏の体がストン、と落ちた。
ソファに座り込むと同時に、無意識に眼鏡を外す。
もう片方の手で顔を覆って、彼は深くため息をついた。
“一体……なんだよ”
これが、彼の本質の一部だというのか。
まるきり、責任を放棄しているようにしか聞こえない。
リビングにメンバーが揃っているというのに、雰囲気が暗くなる。
誰も、何も言わない。
やがて、隆宏は顔を覆ったまま、呟くように口を開いた。
「ケン、……はっきり言わせてもらうよ」
そして、手を外しまっすぐ健を見返す。
「矛盾、しているんだ」
隆宏の視線が健から外れ、順にメンバーに移っていった。
それが最後、実で止まる。
「おかしいんだよ、依頼自体が」
「どこがおかしいんだ?」
まるで、答えを知っているかのように平然と尋ねる実に、彼はまた息をついて続けた。
「ユウコが言ったとおりさ。オレも、彼女に同感なんだ。依頼は警察署長の独断であることはさっきも言った。だから、言われたとおりに実行しろというのなら、そうしても構わないんだ。ただ、それで住民が納得するのかという疑問が出てくるんだよ」
「まあな。……けれど、それが矛盾しているとは思えないが?」
「そうね。キャップに入った依頼をこなせばいいだけのことじゃないの? ケンが言うように、誰に迷惑がかかろうと、あたしたちのすることは一つだと思うけれど?」
絵里も、別段不思議に思わなかったようだ。
しかし、だからこそ矛盾するのだと、隆宏は言った。
「よく、考えてみてくれよ。キャップは、まったく詳細を言わなかったんだよ? 組織を潰せ、それだけだ。オレたちにとって、最初の仕事なのに。……わからない? 実績が、ないんだよ?」
「それが、どうかしたの?」
そんなこと、わかっているといいたげな絵里が尋ねる。
やはり、理解してもらえないのかと落胆する隆宏に、だが実が納得して頷いた。
「そういう、ことか」
彼が、隆宏の代わりとばかりに絵里に向く。
「こいつが悩んでいるのはな、実績もなく、指示もない依頼自体がおかしいといっているんだ。要するに、オレたちが勝手にやってもいいのか、とな。依頼どおりにしたとして、住民に迷惑がかかる。その上、こいつがいったとおり、その後で他の組織が入ってきたら、問題はもっと大きくなるぞ。確かに、署長の依頼だけを解決すれば、実績を作ることになるが、それは、署長一人の満足でしかない。それが、実績といえるか? ということさ。署長一人の信頼と、住民の不満を天秤にかけるようなものだな」
隆宏は、なおも説得するように絵里たちを見渡してあとを継いだ。
「本部が、どうしてそんな選択をオレたちにさせようとするのかがわからないんだ。ケン、オレたちのすることは警察を満足させるためなの? それだけなのか? 警察のいうことさえ聞いていれば、誰に迷惑がかかろうと、関係がないのか?」
ここにきてようやく高志にも、隆宏が何を言おうとしていたのかが理解できた。
一体、誰のために動けばいいのか、本部はそれを示唆していないのだ。
国が本部に求めているのは、警察の補助だ。
事件を解決することが第一条件のはず。
剣崎司令は、依頼内容だけを健たちに伝えた。
もし、警察のいうとおりに動けと言うのならば、そのやり方もこと細かく説明すべきなのだ。
どうすれば、一番いい方法なのか。
その最善の方法は、司令が指示した組織ではなく、介入しようとしている組織の方を潰すべきだ。
今の署長は有能などではない。むしろ逆だと、高志は思い当たった。
自然、彼の視線が健に移る。
健は、瞑想でもしているかのように目を閉じてソファに深く身を沈めていたが、隆宏の問いかけにそのままの姿勢で口を開いた。
「実働する……」
「えっ?」
「……オレたちに……指図をするものは誰もいない……」
自分の記憶を確かめて、彼はようやく目を開けた。
「キャップはそう言っていたよ。それで充分、矛盾を解消できると……オレは思うけれど?」
「どうして……?」
「タカヒロ、実績というのは、この仕事から作っていくものなんだろう? 本部から出された細かい指示で解決しても、それは本部の実績だ。オレは……キャップの方針がわかるよ。実績も信頼も、本部が作るものじゃない。オレたちが築くものだよ。だから、オレはおまえに何度も聞いたんだ。このまま続けるのか……やめるのか。それに対して、おまえは、納得のいく理由がほしいと言ったね。その理由……キャップに教えてもらいたいか? そうしてほしいのなら、本部に連絡してもいい。おまえが思うように動くよ。やめたいのなら、そうする。……続けるのなら、好きなだけ、オレを使えばいい」
そう言って、テーブルに置いたままだったグラスを取り上げた健の仕草を、誰も何も言えずに見つめていた。
本質なのか、単なる責任放棄なのか、隆宏にはわからなくなっていた。
しかし、……多分、本質の方だ。
メンバーが、いや、隆宏がどういう結論を言っても、健はきっと黙って頷く。
本音としては、この仕事を放棄したい。
実の指摘どおり、一人の満足より、住民が被る迷惑のほうが重要だと思う。
もし、やめると言えば、彼はすぐに司令に連絡を入れて、本部に引き上げることになるだろう。
しかし、最初から投げやりに、勝手に断ってしまえば、間違いなく健は司令から叱責される。
それも厭わない、ということか。
けれど、それは健の優しさなどではない。
隆宏たちが、あとになって後悔することまでは考えていない。
“後悔するくらいなら……”
続けるか?
それを見越しているのか?
本質だとしたら、なぜ、いきなりここまで物わかりがよくなったのだ?
隆宏の沈黙は続いた。
が、やがて、決心したのだろう。
外したままだった眼鏡をかけ直したとき、その瞳には、優しい光は影を潜めていた。
「みんな、続けるよ。最初から始める。……オレは、キャップのいうとおりに動けばいいと思っていた。だから、ターゲットを九人に絞った。それは今も変更はない。けれど、その前に、もう少し調べる。……ケン、正直に言うけれど、これは、オレの自己満足で終わる可能性がある。それでも、やっぱり納得したいんだ。そのためには、君も利用するよ。それどころか、これから先のことを、すべてオレに任せてほしい。何をどう調べて、誰を動かすのか、その判断はオレが決める。君の方で納得ができないのなら、オレを説得する立証をたててくれ」
健は……
「……立証なんて……必要はないな」
グラスをテーブルに戻して、目を閉じる。
「口出しは、しないよ。オレがすることはたった一つ……」
ここにいればいいだけのことだ━━
メンバーが何を考えているのかは理解できない。
もう、理解しようとも思わない。
実がいうとおり、自分のことだけを考えろと言うのなら、ただ一つ、これだけを守ればいい。
『メンバーの居場所を作る』
健は、小さく息を吐いて目を開けた。
簡単なことだ。
たった二日なのに、メンバーはもう自然な形でまとまっている。
これは外からの力ではなく、ノーセレクトと言う、見えない団結力だ。
それがある限り、いずれは自分にも理解できるようになる。
そう、信じるしか、ない。
『おまえの居場所は、おまえを必要とするものの居場所だ。その人たちだけの存在になれ』
昔、レイラー・哲郎は言った。
ならば、自分が必要とされるように努力するだけだ。
柔らかく、穏やかな表情が、隆宏に向いた。
「おまえたちを見守っていくだけだ」
「ケン……」
春風……。
午前中にも感じた、健からの優しく大きな包容力は、気のせいではなかったのだ。
「あ、ありがとう……ケン」
妙にくすぐったい恥ずかしさに照れながら隆宏が言った途端、だが、その温かさは実によって壊された。
乱暴に思えるほどの勢いで立ち上がった彼に、窓の外を見ていた護までもが振り返るほどだった。
「な、に? ミノル?」
彼が俯いていたため、その表情に気がついたのは、隣の絵里だけだった。
小さく体が震えている。
何かを我慢している険しい表情に、彼女は体を遠ざけるように逸らした。
「……ミノル……」
「何だ……これは……」
言いながら、彼は顔を上げた。
苦しげにも見える瞳の中に、今まで感じたことのないほどの憎しみが浮かぶ。
それが、絵里を見下ろした。
睨んでいる、という言葉すら生易しく思えた視線は、だが、すぐに隆宏に移った。
次に、床に腰を下ろしていた高志に、それから夕子に移り、彼女が思わず健の影に隠れようとする動きを無視して、最後に、その視線は護で止まった。
「……おまえの、か?」
「マモルが……どうかしたのか?」
ただ一人、実の視線を受けなかった健が、きょとんとして尋ねたが、聞こえなかったのか、実は乱暴に絵里を押し退けてソファから離れると、護に向き直った。
彼の瞳に、意識を集中する。
不安げに見上げた護が、彼の視線に耐えられず逸らしたとき、やっと実は動いた。
リビングのドアに足を向け、大きな音をたててそこを開けてまた、護を振り返り様、睨み付ける。
「嫌味なほどの自制心だな。心の底に、そんなものを隠しているとは思わなかったぞ」
「ま、待てよ、ミノル! マモルがどうしたというんだ? 何もしていないじゃないか」
「ああ、そうだよ。こいつは……何もしていない。表には何もださない。そういう奴だ。……こんな奴と一緒にいられるか。……出掛けてくる」
「おい!」
止める間もなかった。
振り向いた健が見たのは、すがるようにこちらを見ている護だった。
“追ってほしいのか?”
迷ってはいられない。
「タカヒロ、続きは後だ。ミノルを連れ戻してくる」
「うん、頼むよ」




