本格的、始動 4
公園からそれほど離れていないが、大通りから裏道に入っているため、目立たないところにそのイタリアンレストランはあった。
会社員の昼休みまで少し早いためか、健たちがはいったときにはまだ、空席のほうが多く、だから彼らは店員の誘導する窓際の席を断って、奥の方を選ぶことも可能だった。
もちろん、そう指定したのは実だ。
健はどこでもよかったらしく最初、店員のあとをついていこうとしたのだが、実の一言で奥に入り、配られたメニューからいくつかのオーダーをしたのも彼だった。
隆宏がその際、リゾットだけは頼むなと言ったが、実は完全に無視した。
オーダー後に、実が隆宏に尋ねる。
「リゾットは嫌いか?」
「まあね。あれも病人食を連想するから。子供の頃は、熱を出すたびにお粥ばかりだったし」
「そういうものか?」
実にしてみれば、健にしてもそうなのだが、嫌いなものがあることが判らないらしい。
すぐに興味をなくした実が黙りこんだので、隆宏が、隣にいた健に向いた。
「さっきの話、もう少し聞かせてくれないか?」
「なんのこと?」
「君のレイラーのことだよ。何もするなって言われていたこと」
実にも聞かせれば、態度なり雰囲気なりで彼がレイラー・哲郎のことを知っていたかどうかが判断できる。
健のほうは先程、話の途中で隆宏が黙り込んでしまったのを見ていたから、てっきり興味がないのだと思っていたらしい。
自分にとってもそれほど楽しい話ではなかったから、急に振られて、困ったように背もたれに身を引いた。
「そうだなぁ……何もさせてくれなかったのは本当なんだけれど、オレが自主的にやろうとしたことには何も言わなかったよ。……彼は、話というものをする人じゃなかった。会話はほとんどなかったんだ。……なんて言えばいいのか……例えば、彼が言うときは、物事が決定していた、かな。だから、理由は教えてくれない。それに、どちらかと言えば、口よりも行動で示すほうが多かったな。だからね、これを言ったら笑われるかもしれないけれど、……何年か前までは、服の着方も、箸やフォークなんかの使い方すら、知らなかったんだ」
今では、この手のエピソードが他人を驚かせることを知っている。
三人を順に見て、想像した通りの反応に彼は続けた。
「あの頃は、そういうものだと思っていたんだ。人に会うことも制限されていたし、出入りできた家はほとんどがレイラーの知り合いのところだから、監視つきには変わりがなかった。……オレは、ノーセレクトだから、何もかもを他人がやるものなんだと考えていたんだよ。でも、考えてみたら、オレがノーセレクトだと知っていたのはレイラー以外は、二人だけだったから、常識から外れているのはオレのほうだと言うことにやっと気づいた、というわけ。それで、ある日、一人でやると言ってみた。彼は何も言わなかったよ。そのあとは、何か一つ覚えるたびに、一人で出来るものだと知ったんだ」
「ああ……それで昨日は……」
隆宏が思い出したのは、まさに昨日の昼食の時だ。
自分は、実に食べさせてもらったことをかなり恥ずかしく感じていたのに、健は躊躇いもなかった。
むしろ、当然のように、自然な表情だったのだ。
「レイラーのやり方は独特だったみたいだね。何も教えてくれない。日常生活の細かいところなんて、特にね。自分のことをする分には何も言わなかったけれど、手伝おうとすると怒られたな」
「でも、何も教えてくれなかったというのは少し冷たいんじゃない?」
隆宏の問いかけに、健はあっさり首を振った。
「普通はそう思うだろうね。でも、彼なりの優しさ、じゃないかと思うんだ。……知らないことを、聞いて得られる答えは、言う側と聞く側では食い違いや誤解が出てくると言われたことがあるんだ。個人には、それなりにやり方がある。簡単に教えても、受けとる側には意味が違ってくる場合があるって。だから、彼の言うことやすることを自分で納得するには、人には聞かずに、自分の力だけで調べるしかなかったんだ」
「日常生活が、か?」
実が問いかける。
それを盗み見て、隆宏はやはり、実とレイラー・哲郎のやり方は偶然の一致だったと思うしかなかった。
健は、そこが問題、と、指を立てた。
「つまり、些細なことでも教えてくれない。何もかもを自分で見つけろと、態度で示していたんだよ。……おまえたちのレイラーとは、徹底的に考え方が違っていたんだ」
「違いすぎるよ」
「タカヒロ、だから、そこが問題なんだ。多分、一つの事実が、答えだと思う」
「どういうこと?」
「オレが、おまえたちの年長だと言うことさ」
夕べ、キッシュとの会話を散々思い出して、ようやく理解した答えだ。
年長者、……それを中心に考えれば、レイラーの教育も頷けると健は続けた。
「レイラーからみれば、オレは最初のノーセレクトだ。国が、オレという研究材料を見つけて、何ができるかを調べたんだね。つまり、日常生活は、典型的な実験場だったわけ」
研究、そして、実験の材料━━健は、剣崎司令に言ったように、その言葉を抵抗なく口にした。
自分の境遇を客観的に言い切ったところで、何の反発もない。
だが、ずっと沈黙している護が、僅かに反応した。
苦々しくとでも言えばいいのか、それでも表面にはさほどの変化もなく、顔を逸らす。
健だけがそれに気づき、苦笑した。
「マモル、どういう言い方をしても、事実なんだよ。仕方がないことだ。それに、これはオレだけのことだと思うよ」
「えっ?」
実と隆宏が驚いて思わず護に向いたが、本人はすでにいつもの、人形のような瞳を健に戻していた。
まさか、隣にいた実にさえ読み取れない感情を見抜いたというのか?
それとも、当てずっぽう?
健は、何事もなかったように、隣の隆宏に言った。
「レイラーにしてみれば、手探り状態だ。なにもするなと言う意味は、安易に人に聞くなと言うことだった……なんて、勝手に判断していたんだけれどね」
「……なるほどな。だから、コーヒーメーカーすら知らなかったわけだ」
「そういうこと。それを教えてくれと言ったのにおまえは……」
「底無しのバカ野郎だ、おまえ」
「そ、底無し……」
ニュアンスが面白かったのか、隆宏が吹き出して笑った。
だが、実に同意らしく、何度か頷いている。
「確かに、そうだね」
「どうしてそうなるんだよ?」
「ほら、それだよ。自分で言っておいて、答えを聞くんだな」
幾度、いや、何十回にもなるか。
無意識の問いかけは、大袈裟に言えばメンバーが一言を発するたびに繰り返されている。
それに気づかない健に、実は嫌みを言ったのである。
途端に言葉を飲み込んで、健は口だけをパクパク動かした。
が、すぐにため息に変わる。
「確かに……そうだね。わかってはいたつもりなんだけれど。でもね、聞きたくもなるよ。おまえたちはどうしてレイラーと同じことをするんだ……って」
実が大袈裟に首をすくめる。
「そんなこと、知るものか。楠木さんがそんなことをしていたなんて、今、はじめて聞いたんだ。オレたちにはそれなりの理由があるんだぞ。第一、それを教えれば、またそれで考え込むじゃないか」
「あ、当たり前……」
「お待たせしました~」
むきになって身を乗り出そうとした健の背後から声が聞こえ、思わず振り返る。
ワゴンを押した店員がにこやかに会釈をすると、オーダーした料理をテーブルに並べていく。
彼らは、店員が下がるまで黙っていた。
彼女が去ったあと、すかさず口を開いたのはやはり健だ。
「確かにね、おまえたちもレイラーも同じことをしているけれど、ひとつ違うのは、自分でできることまでは規制しなかったということさ。おまえたちはそれすらもやらせてくれないじゃないか。せめてその理由くらい……」
「説明しろ、か?」
ピザを切り分けて、一つを健に渡す。
隆宏たちには、勝手にしろと言わんばかりだ。
「そうだよ。こういうことだって……」
「これは、自分たちのためにやっているんだ。おまえのためなら放っておいてやるさ。……と、説明したところでわからないだろうが」
「……自分たちのため? どうして……」
「また、聞いているぞ」
「……」
そう言われると、なにも言えないじゃないか。
健は、恨みがましく実を睨んだ。
しかし、本人は、そんな視線など、気にもしないらしい。
「あのな、ケン、勘違いするなよ。おまえはわからないから聞くんだろうが、オレから見れば、説明をさせようとするからおまえは判らなくなっているとしか思えないぞ。ついでに言うなら、楠木さんの言動も、おまえは深刻に考えていたんじゃないか?」
「……うん……」
「そんなことでは、いつまでも理解できるものか。オレたちだって、おまえを信じられないぞ」
夕べの護も同じことを言った。
呆然と、実からピザに目を落として、健は独り言のように呟く。
「考える……から……わからない?」
まるで、謎かけだ。
決して答えが出ない謎を問いかけられているような気がする。
人間は考える動物だ。
そういう言葉があるとおり、誰でも何かを考えている。
それを止める権利は誰にもあるはずがなく、また、止められない。
だが、実はきっぱりと止めようとしているのだ。
「でも、ミノル、考えるなというのはさすがに無茶だよ」
さすがに隆宏も、しょげかえってしまった健を気の毒に思って、助け船のように言った。
実の注意が隆宏に逸れる。
「承知しているさ。無茶どころか、不可能だ」
「だって、君は……」
「考えるべき対象を間違えるなと言っているんだ。オレたちのことを考えるからいけないんだ。自分のことならば、誰も反対はしない。自分の好きなようにしろと言っているんだよ」
「……自分のことを?」
確かにそれならば、まったく考えることを否定されるより遥かにいい。
しかし、今までのことを考えても健は、自分なりに自分のことを考えてきたつもりだし、だからこそ、隆宏たちのことを案じて色々と聞いているのだ。
それは、自分の考えではないのだろうか。
首をかしげながらそれを実に言ってみたが、鼻を鳴らしてバカにされただけだった。
「ほらな。判りやすく説明しても、結局は理解ができないじゃないか。だから、無駄なんだ。本当に、もうやめろよ。……いいか、ケン、これが最後だぞ。これ以上、文句を言うのなら、サブリーダーの役目を放棄するぞ」
それは困る。
健は口を開き、だが、言葉を押さえ込んだ。
やりきれないというゼスチャーのつもりか、肩を落として上を見上げる。
「オーケー。何もしない。考えない。努力してみよう」
少なくとも、夕べの護との会話で一度は何かがわかりかけたのだ。
それで自信がついたわけではないが、きっかけさえあれば、少しずつでも謎が解けそうな気がする。
それを待つのもひとつの方法だ。
一度動くきっかけさえ掴めば、高志の独断場といってもよかった。
健たちが調べてくれた内容を頭に置いて、彼は目的のビル周辺でいろいろなことを聞き回った。
もちろん、ストレートにターゲットのことを聞いたところで、まともな答えが得られるわけがない。
関係のありそうなところの見当は絵里がつけてくれるので、あとは高志の機転の利いたおしゃべりで情報を聞き出す。
彼女はただ、待っているだけだったが、次々とコンピューターに情報が入れられるのが楽しかった。
ようやく、仕事らしいスタートがきれたのである。
「あんた、本当に人と話をするのが好きねぇ」
これで充分だろうというほどの文字が並んでいる。
保存をしながら、彼女が笑った。
高志も得意気だ。
「オレも役に立つだろう?」
「ええ。立派なものよ。おしゃべりだけじゃなくて聞き上手だわ」
これには、少し顔が赤くなる。
「じつは訳アリ」
「あら、そうなの?」
「オレ、彼女がいるんだよ」
絵里は首をかしげた。
彼くらいの年なら彼女がいることくらい珍しいことではないし、それが訳ありとは思えなかったのだ。
必要以上の情報を取り入れて一休みしている公園で、高志はベンチに座っている彼女に手を差し出した。
「スティックを貸してくれよ」
理由を話すかと思ったのにいきなり別のことを言われ、彼女は意外な顔をしたが、人気の少ない木陰ということもあって、バッグから健のスティックを取り出して渡す。
高志は、近場の気を見上げた。
「彼女、目が見えないんだ」
スイッチを入れずにベルトに挟んで、高志が軽々と木に上る。
驚くほどの身軽さだ。
絵里が返事をする間もなく、姿は葉の影に隠れた。
しばらく待っていると葉ずれの大きな音が聞こえ、彼女の目の前に高志が飛び降りてきた。
手には、幾分か太めの枝を持っていた。
「あんた……っ! 木を切ったの?」
「すごいなぁ、これ。焼き切るような感じだよ」
と、言いながら隣に腰を下ろし、スティックのスイッチを入れると先端の小枝を切り始めた。
燃えるようなことはないが、枝を切るごとに、僅かな煙が上がる。
何をしているのかと彼女が見ている中、今度は丁寧に枝を削り始めた。
「レーザーと同じだな。触ったら火傷をする」
「何をしようとしているのよ」
「粗削りだけれどね、ユウコにお土産」
器用に何かを作り始めている。
刃に触れないように彫刻を施しているという感じだ。
高志は、手を動かしながらまた、喋り始めた。
「彼女の目は、生まれつきじゃないんだ。事故にあったんだって。両足もないんだよ。右が足首から、左は左の辺りから先がないんだ。今は車イスでね。特別施設の部屋に籠っていた。……ほら、さっき言った人」
喫茶店で、言葉を濁した人のことだ。
絵里は、目を向いて高志に注目した。
「絶望した人って……」
「そう。もっとも、その頃の彼女を知らないんだけれどさ。……顔にも酷い傷が残っているから、しゃべるのも苦労しているみたいだ。……なんとかある程度まで立ち直っていたという頃に、出会ったんだよ。……いつもはレイラーにうるさいって言われていたオレだけれど、彼女はもっと、話を聞きたいっていってくれてさ。お互いに話しているうちに彼女の身の上も聞いたんだ。だから、昔見えていたという記憶を聞くようになって、それを頼りに心の中に見せてあげようって……。いうわけ」
だから、だ。
高志の、ものの表現は現実的なのだ。
絵里は、彼の大人びた優しさに心が和んだが、ふと、首を傾けた。
「ということは、あんた、彼女を残してきたわけよね?」
「そうだよ」
「あっさり言うわね。平気なの?」
「約束があるからね。平気さ」
「約束?」
「目の方は手術をすれば少しは見えるようになるんだって。事故に遭った当時は年齢的に手術はできなかったらしいよ。今は、彼女の覚悟次第なんだ。……だから、見えるようになったら会いに行く約束をしているんだよ」
軽い調子で話す彼に、恋人と離れているという寂しさは感じられない。
所詮は、こうして別れることを意識した付き合いだった、ともとれるが絵里はむしろ、彼らには信頼があるように思えた。
海を越えた中国とはいえ、決して遠い距離ではない。
その程度の距離は、二人には関係がないのだろう。
気持ちの根本が、絵里とは違う。
「君は、付き合っている人、いるのか?」
先程もそのようなことを考えていた絵里は、一仕事終わった気安さから、あっさり話に乗った。
「あたしの理想は高いのよ。付き合った人は多いけれど、それだけのことだったわ。多分、ノーセレクトの女と付き合える人なんていないと、どこかで思っていたのかも」
「ふうん。じゃ、ケンたちの誰かなら付き合えるかもね」
高志が『誰か』と曖昧に濁したのは、一人を指摘することを避ける意味もあった。
昨日、隆宏が彼にだけポツリと漏らした一言は、おそらく意識していることを匂わせるのに充分だったのだ。
そうなると、彼女の気持ちのほうが聞きたいという好奇心にも繋がる。
絵里は、持ち前のさっぱりとした口調を交えて首を振った。
「無理よ。あたしは理想が高いと言ったじゃない。年下は興味がないから、あんたもマモルもタカヒロもパス。ケンは頼りなくてあたしのほうが我慢できないし、ミノルじゃ付き合いづらいもの。それに、自分のことは充分わかっているわ。あたしがもし、男の立場だったら、自分と付き合いたいとは思わないからね」
「そうかなぁ。オレは君の性格、好きだよ。なんでも気兼ねなく話せそうじゃないか」
隆宏、かわいそうにな……そう思いながらフォローをしたつもりだが、なぜか、彼女は腹を抱えて笑いだした。
「なんだよ?」
「あんたねぇ……。そんなことを他の女性に言ったらダメよ。失礼だからね」
「どうしてさ? 誉めたんだよ?」
「ええ、いい意味で言ったのはわかるわ。でも、言い換えれば、異性として意識しない、ということじゃないの。……女性に対してはね、言葉を選ばなければダメよ。気を付けなさい」
もちろん、彼女にはわかっているのだ。
別に、自分を卑下したわけではないし、恋人がいないから落ち込んでいるわけでもないのに、高志が慰めているということくらいは。
絵里は元々、ちいさなことにあまり拘らない。
高志は、その辺りまではまだ、把握していないのだ。
しばらく会話が途切れた。
細かい部分を削り取っているからだろう。
彼の彫刻は、本当に粗削りだが、特徴を表したふくろうに形を変えて絵里に差し出された。
「どう?」
「上手じゃないの。こんなことができるのね」
これもまた、彼女のために身に付けたか?
高志は、自分の出来映えを見直し、言った。
「暇を見て表面を削るよ。光沢を出せば、もう少し見映えがよくなるから。……悪いけれど、これもバッグに入れておいてくれるか? それから、ハンカチを貸してくれる?」
「え、いいわよ」
フクロウをバッグに収めて、ついでにスティックをしまうと、ハンカチを取り出して彼に渡した。
持っていないのかと訝る彼女の足元で、高志は自分のハンカチを取り出すと、目の前に散らばった木屑をその中に集めた。
近場にあるゴミ箱に捨てにいく作業を何度か繰り返して、最後にどこかに行ってしまった。
戻って返されたハンカチは、洗った手を拭いたようで濡れていた。
「それで? これからどうする?」
最初から武器として使うつもりはなかったようで、彫刻で切れ味に満足した高志に、それなら、と彼女は立ち上がった。
「あたしに付き合ってちょうだい。行きたいところがあるのよ」
「また買い物か? 荷物持ちは嫌だぞ」
「違うわよ。遊びにいくの。少しの間だけれどね」
「それなら喜んで」




