本格的、始動 1
二人が夜通し起きていたことは、隆宏たちを驚かせた。
一番早く起きてきた夕子から始まって、次に高志と隆宏が降りてきた時には朝食の支度も半ばだったが、誰も彼女を手伝おうともせずに健に尋ねたのは二つだ。
「なんともないわけ?」
という、酒に対する化け物じみた健の強さと、
「マモルと会話がなりたったのか?」
という耳打ちだった。
そして、それは次に起きてきた絵里も同じだった。
が、彼女の場合は護のことよりも、酒が残っているのかどことなくだるそうに椅子に座っている隆宏たちと見比べて、やはり健の様子に驚いたというべきだろう。
「だらしないわねぇ」
三人の様子を比べれば、どうしても彼女の言葉は、二人に対する嫌みになってしまう。
隆宏が顔をあげた。
「ケンのほうがおかしいんだよ。……二日酔いまではいかないけれど、顔を洗ったくらいでは……どうもスッキリしないな」
「それなら水でも被ってきたら?」
「うん……様子をみてそうするよ。それにしても、君も案外強いな」
絵里は、彼の隣に腰を下ろして笑った。
「あたしはそんなに飲まなかったわ。あんたたちは自爆じゃない。最後のほうなんて、マモルがあんたたちにお酒を注いでいたのも覚えていないんじゃない?」
「そうだっけ? タカシ、覚えている?」
高志は、気だるげに手を振った。
「ぜーんぜん。オレ……しばらくその話はしたくない……」
「まあ……そうだね」
ため息混じりに、隆宏が頬杖をついた。
「本当にだらしないわねぇ」
「ひとつ、わかったよ」
護が動いた。
席を立ってキッチンを出ていったが、それに構うことなく高志が呟く。
「ケンは……化け物だよ」
「それはひどいな」
黙って聞いていた健が思わず口を挟んだ。
だが、高志に、隆宏までも同意したのだ。
「だって、こっちは二人がかりだったんだよ。……もっとも、マモルがそっちにつくとは思わなかったけれど」
「オレは知らないよ。ただ、おまえたちのペースが早いから、結構付き合えるんだ、と思っていただけで……」
言い訳がましく言ったあとで、健が首をかしげる。
「二人がかり……って?」
「鈍いなぁ。君が酔ったことがないというから、どれだけ飲めるのか見てみようと思っていたんだよ」
話したくないと言ったわりに、高志が口を挟む。
「君、オレたちの倍以上は飲んでいたんじゃないのか? 平気なわけ? オレなんか、部屋に戻った記憶もないっていうのにさ」
「あんたたちを連れていったのはこのケンよ。あたしじゃ、あんたたちの面倒までみられないわ。マモルは……そういえば、彼、手伝いもしなかったわね。飲ませるだけ飲ませていたのに……」
先程出ていってしまったから、本人に文句も言えない。
健は軽く笑った。
「勧めたのはオレのほうだ。マモルは責められないだろう? それより、二人とも、下手な好奇心はやめたほうがいいな。無理をしてつきあうこともないし」
「身に染みたよ。本当……。タカシのいう通り、人間離れした君には敵わない」
「だから、それは大袈裟だって」
飲んだ本数まで覚えているが、そこまで言われるほどの量だったとは思っていなかった。
キッシュと二人で飲んでいた頃は、あの程度は当たり前だったのだから。
しかも、夕べは都合五人もいたのである。
護と絵里は酒を注ぎ足すのに忙しかったようだが、それでもまったく飲んでいなかったわけでもなく、高志と隆宏の量も考慮すれば、健の量などとるに足らないものだった。
「楽しそうだな」
ようやく、実が起きてきた。
一体、テーブルでだるそうにしている隆宏たちの、どこを見てそう言ったのか……。
「おはようございます」
どうやら、夕子は実を待っていたようだ。
人数分のコーヒーを注ぎながら絵里に、護を呼んでくるように頼む。
「ああ、オレが言ってくる」
席につく前だったから、実があっさり引き受けて、勝手口から裸足のまま外に出ていく。
ただ、
「……?」
一瞬だったが、誰かの感情の変化を感じ取った。
「呼んだか?」
中を覗き込んで尋ねるが、首を振った彼らに肩をすくめただけだった。
護は、芝生に横になっていた。
目を閉じているが、眠っていたわけではないらしく、近づいた足音に片目だけを開ける。
「よくもあんなのに一晩も付き合ったな」
というのも、実が起きたとき、並んでいた二つのベッドは使った形跡がなかったからだ。
一晩中起きていたことは、容易に想像がつく。
護は、半身を起こしながら、口を開いた。
「何か用か?」
「ユウコが待っているぞ」
これにも返事はなく、黙ってリビングに入っていく。
自制心、なのだろうか。
護の感情がまったく伝わらない。
自ら受け入れやすくしている今なら、意識すればキッチンを出たときのように自然に流れ込んで来るはずなのだが。
まるで、人形を相手にしているようだ。
これなら、すべての成績が良かったのも頷ける。
精神面が重要だという、生きた見本だ。
「いっていらっしゃい」
わざわざ庭まで出てきてくれた夕子には、買い物を含めた外出をさせない代わりに、健が必要なものを彼女から聞き、外から頼んでおくことを約束した。
もっとも、それを実が許すはずもなく、結局役目は絵里に変更されたが。
夕子には、配達の人と、本部からガラステーブルが届くためその対応を頼み、改めて健は、メンバーとともに港に向かう。
隣接した公園では本部スタッフが、頼んでいたコンピューターを持って待っているはずなのだ。
互いに面識はなかったものの、健たちのほうが充分、目立っていた。
だからこそ、相手のほうが見つけてくれたと言える。
全部で三台のポータブルコンピューターを受け取り、夕べと同様に書類にサインをする。
スタッフの後ろ姿を見送って、隆宏はもう一度、自分たちの行動をメンバーに伝えた。
「九人はメインだけれど、他の関係者とか、組織の評判とか、耳に入ったことはとりあえずインプットしておいて。聞き逃しがないように注意してほしいんだ」
「なあ、タカヒロ、丸腰だけれど、やっぱり手出しはなし?」
高志はわざと、両手を広げて見せた。
昨日届いた武器の、何一つも持ってきていないのだ。
出掛けに、隆宏に止められていた。
彼には、それが納得できなかったようだ。
確かに今回の組織は普通ではない。
最初の仕事から、暴力団相手というのはきついだろう。
しかし、その辺りも隆宏には考えがあった。
「手出しはしないで」
「でも、もし何かがあったら?」
「そのときは周りの人たちに合わせてくれよ。相手が相手だからね。トラブルを起こすのに躊躇わないだろうけれど、よほどのことがなければ、いさかいは起こさないと思うよ。それに、あれは堂々と使えるものじゃないよ。あくまでも護身用であって、ひけらかしてしまえば、却って目立つじゃないか」
大体、銃や刃物を、一般の人間は持ち歩けない。
それは暴力団も同様だ。
武器を持っていれば警察に捕まることがわかっているから、たとえ忍ばせていても、容易には使わないだろう。
健たちにしてもそうだ。
スティックならば、彼のポーチや絵里のバッグには入る。
しかし、銃となると、確実に目立ってしまう。
使う場所と時を考えないと、持ち出すこと自体が危険でもある。
第一、武器がなければ身を守れない、などという訓練はしていなかったはずだ。
隆宏にしても、昨日司令が言っていたように、なるべくならば使いたくないのだ。
それでもやはり、納得できない高志が渋々と頷く。
彼にしてみれば、国の機関、武器の携帯使用が許可されているからこそ、護身用に持ち歩くべきというところだ。
しかし、その心の底に別の本音を見いだしたのは、公園内を何気なく見回していた実だった。
「スティックは初めて見る武器だからな。大方、スイッチで遊びたかったんじゃないか?」
それは、完璧な図星だったらしい。
狼狽えながら、俯いた素振りが物語っていた。
「そうなのか?」
健が、彼を覗き込む。
気まずく頷くしかなかった。
「だって……訓練で使っていたのは普通のナイフだったから……」
てっきり怒られると思った。
目新しい武器を使ってみたいという気持ちに嘘がつけずに文句をいっていたのだ。
今さら違うとは言えない。だから、白状した。
腰に手を当てて、健がため息をつく。
様子を伺うように高志が視線だけを上げると、彼は遠くを見ていたが、少しして持っていたポーチを開けた。
「オレのものでよければ、持っていっていいよ」
「ケン!」
隆宏の咎める声と、
「……いいの?」
と、遠慮がちに伺う高志の声が重なった。
健が、まず、高志に微笑む。
「ただし、人目のないところで使うように。タカヒロの言い分は正しいんだ。こちらが武器を見せれば、余計な誤解を招くことを忘れないでくれ」
「うん。ありがとう」
「それから、タカヒロ、怒られるのはオレのほうだ。おまえの言うことを聞かなかったんだからね」
頭を抱えて、隆宏が踵を返す。
健が持ってきてしまったものを、どうして自分が文句を言えるというのだ。
言い換えれば、これは、彼の決定の部類なのだ。
「もう……。仕方がないなぁ」
「すまないね。呆れついでにもうひとつ、タカシにアドバイスをしてもいい?」
「なに?」
嬉しそうにスティックを撫で回していた高志が、目を輝かせて聞いた。
「おまえは、もしも、揉め事を見たら、遠慮をしなくてもいいよ。ただし、こちらの暴力はなし。できることなら、抑えるだけに留めるんだ。できるね?」
これもまた、隆宏たちには意外な言葉であった。
高志ですら、ポカンと口を開けたが、すぐに笑顔に変わる。
「うん!」
大きく頷いた彼には、もう、隆宏たちに対する後ろめたさもなく、元気よく絵里と共に走り去って行った。
もちろん、彼女が呆れながらついていったのは当然だったろう。
残った隆宏が、実に肩をすくめた。
「君たちも頼むよ」
「了解。行くぞ。マモル」
実には異存がない。
すんなりと、公園をあとにした。
彼らの姿が人混みに紛れるまで黙って見送っていた隆宏が、おもむろに健に向き直る。
「どうしてスティックをもってきたんだよ?」
「だから、謝るって……」
「そうじゃなくて、理由を聞いているんだ」
困惑しながら視線を逸らして、彼はポツリと言った。
「タカシが使いたがるだろうと、思って……」
「君にはそれがわかったわけ?」
「というか、……何となく。……おまえの言うことは正しいから、彼が持ち出せばおまえの立場がないだろう? けれど、オレならば、責任はオレに代わるしね」
なんだ? その、妙な言い回しは。
昨日はテーブルを壊すほど落ち込んでいたのではなかったのか?
隆宏の計画に、投げやりに答えていたのはなんだったのだ。
「じゃ、じゃ、彼にいさかいを止めろと言ったのは?」
「彼にはトラブルを見ない振りはできないよ」
「だから、どうして?」
「ボランティアがしたいと言っていたじゃないか。人が困っているところを放っておけないはずだよ」
呆然、というより、唖然とした。
こちらが完全に忘れていた、高志のそんな一言を覚えていたのか。
しかも、些細な一言を、彼の性格に結びつけるとは。
「ねえ、ケン、もしかして、一晩中オレたちのことを考えていた?」
そうとしか思えない。
必死に、メンバーの立場とか、自分の責任を考えていたのではないかと。
だが健は、持っていたポーチで強くなり始めた日差しを遮りながら
「それはもう、やめた」
と、言った。
「やめた?」
「うん。……考えたところで堂々巡りだ。そんなことをしていたら、他のことなんて、思い付かなくなる。仕事をするのなら、集中しないとね」
現に、昨日今日と、予定を考えてくれたのは隆宏なのだ。
夕べ、というか夕子たちが起きてくるまでの間、彼は、護が出ていったことにも気づかずに考えていた。
しかしそれは、仲間のことでも、自分のことでもなかった。
彼は、生前のキッシュの言葉を、ずっと思い出しながら考えていたのである。
結局、何かがわかりかけた、程度の自覚しか持てずに終わったが、それでも不眠のままの頭の中に、不思議とメンバーの細かい言動や表情が見えた気がした。
彼は、辺りを見回すと、木陰にベンチを見つけて足を向けた。
「ケン?」
これから動かなくてはならないのに、もう、休むつもりか?
慌ててあとを追ったものの、健はさっさとベンチに座り込んで、ポーチから電話を取り出した。
これは、昨日の移動のときに、自分たちの荷物を受付に預けた代わりに渡されたものである。
今まで携帯電話を持ったことがなかった健は、本部の配慮に、最初は必要がないと断ったのだが、いざというときに困ると言った隆宏の進言に、一台だけ受け取ったものだった。
呆れながら、目の前に立ちはだかった隆宏に手を差し出す。
「それ、貸してくれ」
コンピューターのことだ。
それと、電話で結び付く使用方法は、隆宏にも理解できた。
一応、手渡したものの、並んで座りながら口を開く。
「ねえ、どうして手分けをしたのか知っていてやろうとしているわけ?」
今時は、コンピューターと無縁の場所を探すほうが難しい世の中だ。
健のように、電話とコンピューターを繋げば、時として動き回るよりよほど多くの情報を手に入れられる。
隆宏も、この方法を一度は考えた。
しかし、これは、彼一人ですむ作業なのだ。
ちょうど、今の健のようなものなのである。
要するにこの方法だと、高志たちの行動が無駄になるということで、それを避けるために他の方法を提案だったのだ。
自分の考えたことはなんだったのか、不満をもつのも不自然ではなかったろう。
「ケン、言いたくはないけれどさ……」
「いいから、おまえは休んでおいで」
画面に入力しながら、健が笑う。
「午前中くらい、おまえには休んでいてほしいんだ。まだ酒が抜けていないんだろう?」
「それを言うなら、タカシだって……」
「彼は無駄足でも動いたほうがいいはずだよ」
「はず? どうしてそう……」
「何となく」
「また?」
思わず健を見た隆宏は、そこに苦笑を浮かべた表情に気がついた。
「本音をいえば、オレのほうがあまり動きたくないんだ。昨日は暑さでバテてしまったからね。寝不足もあって、頭がはっきりしないせいもあるんだよ。……こっちの暑さはホッカイドウとは比べものにならないね。まだ梅雨時だと思っていたんだけれど」
「もう、あけているよ。知らなかったの? 今年は早かったんだ」
「そうか。尚更、体が慣れるまで時間がかかるな」
「なるほどね」
それなら文句も言えない。
隆宏は、膝を叩いて腰をあげた。
「なら、水分補給は必要だね。何がいい?」
「えっと……」
「お酒はダメだよ」
軽い冗談に笑って、健は、わかっているよと言った。
「あまり甘くないものがいいな」
「オッケー」
足は、コンビニエンスストアに向けられた。
途中で一度振り返ると、背中を向けた健が、また作業を始めた姿が見えた。
辺りには少しずつ人が増えてきている。
どちらかというと、女性のほうが多い。
子供を連れている母親のグループも見られた。
彼女たちが、健の姿に足を止める光景が映った。
“何となく、か”
よく、そんな便利な言葉を考え付いたものだ。
何となくと言いながら、今日はメンバーの行動のほとんどを、自分の責任に摩り替えている。
まとめようとしていた昨日の焦りも、気負いも、彼の雰囲気から消えているのは、実の言うことを理解したからか、それとも彼なりの意地にしてしまったか。
あるいは……
“本質……かな”
もしもそうだとしたら、触れることができるチャンスだ。
そうであってほしいと思いながら、彼は公園を出た。




