ヨコハマ 10
「じゃ、あれを壊したのはケンなのか?」
コンピューターから目を離し、隆宏は椅子の肘掛けに腕を引っ掛けながら高志を見上げた。
傍に立っていた彼が、意外だという表情で見下ろしている。
高志はてっきり、実の仕業だと思っていたからだ。
「らしいよ。相当落ち込んでいるみたいだね」
「それって、マモルが何か言ったということか?」
「さあ。彼が口を利くとは思えないけれど。ただ、ミノルのほうははっきり言ったらしいよ。何もするな、考えるなって」
高志が、気の毒そうに自分の赤い巻き毛に手を絡ませた。
「荷物をキッチンに運んだのもオレたちだからなあ。ケンには本当に何もさせなかった。だとしたら、確かに落ち込むよ……なあ、タカヒロ」
彼は床に腰を下ろすと、今度は隆宏を見上げた。
「オレにはミノルの考え方が理解できないんだ。あいつ、そのことをおまえに聞けと言う意味でここによこしたんじゃないか?」
「そのはずだよ。君から、エリにも説明をしておいてほしいんだ。いい? これから先、本当にケンには何もさせないようにしてよ。その理由を教えるから」
と、彼は、昼食まえの会話を繰り返した。
なにもさせないことの意味が、逆説的に、こちらが健を理解することに繋がるのだと。
そして、肝心なのはもうひとつの方だと、彼は続けた。
「ケンに、オレたちのことを考えさせてはいけないんだよ」
「それがわからない」
「オレもまだ、はっきり理解できたわけじゃないんだ。だから、自分なりの考えでしかないんだけれど、たとえば、リーダーだから、オレたちのために何かをしなくてはいけない……と、彼は考えている。じゃ、受けとる側のオレたちはどうかな? リーダーに何かをしてもらうほど弱い立場なの? 状況によっては、そういう反発も出てくるよ。リーダーという口実の上から目線だ。つまり、それはキャップから言い渡された地位からでのものの見方でしかないんだ」
「でも、実際にそうじゃないか」
隆宏は、同意するように頷いた。
「表面上の立場はね。でも、ケンもオレたちと同じ、ノーセレクトでしかないんだよ。同じ仲間だろう? ケンだけ特別にしたのは彼自身じゃない。キャップだ」
確かに、そういう立場にしてしまったのは司令である。
高志は、腕を組んで考え込んでしまった。
「まあ……なあ」
「彼にだって、彼なりの生き方はあるはずだよね。だから、ミノルにいわせれば、メンバーは好き勝手にしろ、ということなんだ」
「わからないよ。だって、あいつはケンに何も考えるなって強要しているじゃないか」
「それが、彼の本質を引き出す、とね」
「だから、勝手にさせないじゃないか。第一、本質ってなんだよ?」
「具体例をひとつ」
椅子から滑るように、隆宏は彼の前に腰をおろした。
この部屋には、移動させたこの机と椅子しか置いていないから、座る場所は自然、床しかないのだ。
「司令室で、ミノルが出ていったあとのことだ。君とエリでユウコをなだめていたね。でも、ケンは一言も彼女に声をかけなかった」
「あっ、そういえばそうだ。あいつ、何をしていたっけ?」
「何も。オレに一言声をかけて、あとは君たちを見ていただけ」
「薄情だなぁ」
否定はしなかった。
少なくとも隆宏自身、実に言われるまではそう思っていたし、だからこそ情けないと感じていたのだから。
「そのときはオレもそう思っていたよ。でも、思い出してみてくれよ。もし、ケンまでが彼女を慰めていたら、ミノルは完全に悪者だ。全員を敵に回すことになっていたんだよ」
「でも、それは仕方がないだろう?」
まだ完全に反発心がなくなったわけではない高志が、愚痴に近い口調で言った。
それに苦笑して、隆宏が続ける。
「じゃ、もう少し。今度はマモルの立場だ。彼は、何においても一番だった。オレたちは、ひとつも敵うものがなかったよね。なのに、ミノルのレーザーでケガをしたなんて、信じられる?」
そう言われると、状況を思い浮かべるしかない。
あのとき驚いたのは確かだが、今、冷静に考えると、あれくらいのことならば高志がその場にいたとしても反応できた気がする。
実際、隆宏でさえ実の雰囲気を汲み取って反射的に動けたのだ。
つまり、それだけの余裕があった。
護ならば、司令も自分もケガをすることなく避けられたはずだ。
「マモルにすれば、自分の不覚が悔しかったかもしれない……」
「そうか? なんとも思っていなかったみたいじゃないか」
「うん。けれど、そんなこと、あのときに君にわかった?」
確かに、あのときは高志も護どころではなかった。
しばらく考えていたものの、彼はポツリと言った。
「つまり……ケンはもう、オレたちを見抜いていたから何もしなかったということ? それが本質か?」
「逆じゃないかな。何もわからなかったから、だと思うんだ」
「……難しいなあ……」
「そうだね。オレも、冷静に考えないと混乱するよ」
と、小さく舌を出して笑う。
少し言葉を考え、彼はまた口を開いた。
「思うんだ。彼は、あの場にいた誰に対しても白紙の状態だった……」
「あ、そうか。誰のこともわからない相手を心配しようがなかったということ、か」
「そう。だから、目の前に見える状況で判断するしかなかった、ということだよ」
高志は、ようやく納得できたことに何度も頷いたが、ふと、首をかしげた。
「でも……おまえに声をかけたといったよな?」
それに対し、隆宏が指を立てた。
「そこが肝心なところなんだ。ケンが、本当に情けないだけだったら、狼狽えるだけだったんじゃない? こういう言い方は彼に悪いんだけれど、今の彼は、メンバーに媚びた感じだよ。それが本当に彼の性格だとしたら、あの時だって、オレたちと同様なことをしたと思う。でも、それじゃ、さっきも言った通り、マモルやミノルの立場を軽視したことになる。つまりね、何も知らない状態だったから、目の前に見えた状況……オレがミノルを気にしていたことだけが、映ったんだ。……正直なところ、オレはあの時、ミノルに腹は立てていなかった。逆に、ケガをさせたことが申し訳なくてね。多分、ケンにはそれだけが見えていたんだと思う」
「それが……本質?」
「うん。その一点だけでしか、まだ判断できないけれど、彼に必要なのは、先入観抜きでメンバーを捉えることじゃないかな。見ることが大事なんだよ。オレたちのことを考えるんじゃなくて、見る。そのために、オレたちのほうが、彼にすべてをさらけ出すことが大事なんだと思うよ」
ぼんやりと隆宏を通り越して、その向こうを見るように高志はボソボソと独り言を呟いた。
「考えずに……見る。……だから、見せる……。……なるほどなぁ、それが本質、か……」
そして、また焦点を隆宏に合わせた、
「でも、どうしてそれを本人に教えないんだ? ただ、考えるなと言っても、ああして落ち込むだけじゃないか」
「気の毒だとは思うよ。だから、ミノルは言っていたじゃないか。彼は、これからのオレたちの対応で悩む、って。……教えるのは簡単だよ。でも、そうすることでまた考えてしまっては本末転倒だよ。彼は、自分で気づかなければいけないんだ」
「リーダーだから、か?」
「だから、それは違うって。リーダーはキャップからの指示だ。そんな肩書きはオレたちには必要がない。でも、ひとつだけ、変えられないことがあるんだよ。そのための責任は回避できないということ」
「それは?」
「彼が年上だということ。最初のノーセレクトだからさ」
恐らく、実は、それを強調したかったのだ。
話を繰り返したことで、隆宏は確信した。
実は、ノーマルの司令の考えではなくノーセレクトとしての責任を健に求めている。
彼は健も、そしてメンバーを見抜き、信じたのだ。
今は、高志たちには表面しか理解できないだろう。
現に彼は、何事もなかったかのようにあっさり立ち上がったのだ。
「わかったよ。それより、地図のほうはもういいか?」
隆宏もまた、それに合わせて腰をあげた。
「完璧だったよ、君の説明。オレたちもあの辺りを見て回ったけれど、結構見落としていたしね。……明日はもう少し、探ってみようと思っているんだ」
「じゃ、下にいかないか? もう、腹が減ってさ」
それは同感だった。軽めの昼食だったから尚更だ。
隆宏はコンピューターを切って、高志について下に降りていった。
和洋取り混ぜて出てきた夕食は、量が半端ではなかった。
夕子の手間を考えると、一人分ずつ分けるより大皿にまとめたほうがいいという見栄えかもしれないが、彼女自身まだ、メンバーの食事量が測れなかったための処置らしかった。
サーモンのバター焼きも、厚焼き卵も、テーブルの真ん中に置いてある。
メインは他に、エビフライがあった。
さらに、サラダと肉じゃがの、どちらからでも野菜がとれるようになっている。
「結構ミスマッチなんです」
と、最後に出したのは、キャベツとニンジンの味噌汁だ。
「パンとご飯、両方用意していますからね」
要するに、彼女は張り切っていたのである。
山盛りの料理を、少しずつ小分けしながら食事を始めた彼らは一様に彼女の味を誉めていたが、やがて隆宏が、昼食のときのように頃合いを見て健に呼び掛けた。
「地図を作ったついでだったから、明日の予定を考えてみたんだ。聞いてくれる?」
ずっと二階にいたから様子は実からしか聞いていなかったが、確かに元気をなくしている健は、ここでも無理をして笑いかけながら頷いた。
「また、三組に分かれて、今度はもう少し、探りをいれてみたいんだよ」
「今日と同じなのか?」
すかさず聞いたのは高志だ。
「君とエリはね。でも、ユウコには家にいてほしいんだ」
「それならいいよ。ユウコが同行するならエリは勘弁してほしかったから」
絵里が聞き咎めて箸を止めた。
「生意気なことを言ってくれるじゃない」
「だって、手伝ってくれる気がないんじゃ、嫌だよ。あの荷物の他に、自分の買い物までしようとしていたじゃないか」
昼食の時の席がそのままだったから、隆宏の向こうにいる彼女に身を乗り出す。
隆宏が、彼の肩に手を添えて抑えなければ、まだ文句が出ていただろう。
「ケンカはあとにしてくれよ、タカシ。それから、エリも。遊びに来ているわけじゃないことを自覚してくれないか? 買い物が悪いとは言わないけれど、確かにそれじゃ、彼が文句をいうのも当然だよ」
彼女は、首をすくめると言った。
「そうね。悪かったわ。タカシ、ごめんなさいね。……それで? 続けてちょうだい」
おざなりな謝罪ではなかったから、高志の機嫌もすぐに直った。
絵里が促した、話の続きを聞くために隆宏に目を向ける。
「ミノルは、マモルと一緒だ。オレがケンと出掛けるから。……で、ケン、明日の朝までに必要なものを取り寄せてくれる?」
彼は箸を置くと、シャツの胸ポケットから写真を取り出した。
「目的のビルには四、五十人ほどの関係者がいるんだ。警察の資料を覗かせてもらったけれど、そんなに大きな組織じゃない。その中でも、オレたちが相手にするのはその九人に限定してもいいと思う」
健もまた食事の途中でそれを受けとると、九枚の写真に丁寧に目を通した。
八人の男と、一人の女だ。
いずれも逮捕歴があったらしく、特定の場所で撮ったとわかる。
「幹部かなにか?」
「ま、一応はね。でも、理由はそういうことじゃないんだ。ざっくりとしか調べていないけれど、その人たちは、内部での反対派、とでもいえばいいのかな。だから、もう少し、詳しく確認したいんだ」
「そう。……それで? 必要なものって?」
「明日、持ち歩くのにコンピューターを三台。タカシたちは、この九人の、あさってから三日間の行動予定を調べてほしいんだ。ミノルたちは、問題のビルの内部と構造、オレたちは、タカシたちと同じ調査をしながら、ビル周辺の環境やなにかを調べるから。それぞれの調査は、随時インプットして連絡を取り合う。余裕があれば、他のサポートをするということで」
全員を見回して、隆宏は最後に目の前の健を覗き込んだ。
「……どうかな?」
健は注目されて、目を伏せながら呟いた。
「おまえたちがそれでいいのなら、何も言うことはないよ」
その途端、実が健を睨みあげた。
「しっかりしろ、リーダー。タカヒロは、おまえに考えを提案したんだぞ」
「……完璧だよ」
「それなら、答えるのは簡単だろう? ケン、おまえの役目は、最後の決定なんだ」
「役目……」
そんなものが……あったのか……。
確かに、リーダーだと言われたことを忘れるわけにもいかないのは事実だ。
健は、写真を高志に渡しながら言った。
「エリと、うまくやってくれるね? エリも、必要なものならば、買い物も構わない。ただ、自分のことならば、最後まで責任を持つことを忘れないでほしい」
「ええ。ごめんなさい、ケン」
「いいよ、謝らなくて。……それから、マモル」
黙々と食事を続けていた護が、初めて手を止めた。
「おまえならば、ミノルのフォローも完璧にできる。頼むね」
チラッと実を盗み見て、彼は返事もせずにまた食事を続けた。
健は、力なく全員を見回した。
「みんな、オレは、おまえたちの役にはたてない。けれど、役目があるとするなら、信頼されるように努力をするから、それぞれも、自信をもってやってほしい。明日の行動は、タカヒロの言った通り。頼んだよ」
威厳もなにも、あったものではなかった。
食事のあと、健は玄関にある電話で本部と連絡をとった。
コンピューターを調達するためだが、時間が遅かったため司令室ではなく、受付に用件を伝える。
電話の途中で実が二階に上がり、それからバスルームに入っていくのを見送った。
リビングに戻ったとき、ソファに座っている五人の前にはウイスキーのボトルとグラスが置いてあったが、どうやら健が戻ってくるのを待っていたらしく、話をしているだけだった。
用意をしてくれたのは、絵里だ。
作りなれているようで、水割りを彼らの前に差し出す。
その時になって、健は初めて思い出した。
「確か……みんな未成年じゃなかった?」
と。
夕子はジュースだからいいとして、当たり前に飲んでいる隆宏たちは、一瞬何のことかわからずに手を止めた。
「もしかして、これのこと?」
高志がグラスを目の高さまであげて、頷いた健に対して笑った。
「今さら説教でもしようというのか? 君は、律儀に二十歳まで守っていたわけ?」
「……まあ、人のことはいえないんだけれど……」
健は、最近までその言葉すら知らなかったらしい。
彼の話によると、タバコも酒も知人に仕込まれたのだそうだ。
老人には酒飲み仲間もいたが、家族の中では、彼に敵うものがいないほど強かったのだという。
健は、早くから目をつけられ、教えられた。
遊びにいくと、必ず用意されていたという。
早い話がその老人にとって、健が唯一、昔話を肴に楽しめる相手だったらしい。
健が、未成年と言う言葉を教えられたのは、老人の死後のことだった。
「じゃ、あんたも強いの?」
付き合えたということなら、それなりに免疫がついていたと言うことになる。
「さあ……基準がわからないよ」
なにしろ、レイラーはほとんど酒を飲まなかった。
晩酌はしていたが、いつもビールを一本程度だったのだ。
彼もまた健には規制をしなかったから、酒の種類は様々貯蔵してあったが、健のほうがレイラーに遠慮をして、家ではあまり飲まなかった。
「酔うという感覚がわからないんだ」
そう言った健のペースは確かに隆宏たちと比べて早く、ほとんどジュースを飲んでいるのと変わらない。
絵里が落ち着いて飲んでいる暇がないほどだ。
と、いうことは━━。
高志が、隆宏に耳打ちをした。
「限度を知りたいと思わないか?」
子供っぽい好奇心がむき出しだったが、隆宏にも多少はその思いがあったようだ。
小さな相談は、絵里や、一人黙って飲んでいる護には聞こえなかったが、恐らく同じだろうと思う。
絵里に目配せをすると、やはり雰囲気は察したらしく、軽くウインクをすると夕子に言った。
「足りなくなりそうよ。他のお酒も持ってきてくれる?」
と、促した。
夕子には、意図が伝わらなかったが嬉しそうに席をたった。
これは、別の意味があってのことだ。
彼女にとって酒の種類が変わるということは、それに合わせてだす料理も作ることになる。
彼女の知識に、『酒の肴』というジャンルはなかったが、今日からはそれも増えるのだ。
そのため、今日はわざわざ本屋にも寄ってもらっていた。
キッチンへのドアが閉まると、代わりとばかりに廊下へのドアが開いた。
濡れた髪をタオルで拭き取っただけの実が顔を覗かせる。
「ケン、出掛けてくる。戻るのは遅いから、先に休んでいてくれ」
そういうと、彼は返事も聞かずに出ていってしまった。
そして、そのときは別に、誰も気に留めなかったのだが……。




