ヨコハマ 6
「さっきの話だけれど」
両手に食材の袋を下げながら商店街を歩いている絵里が、唐突に言った。
店のウインドウを流し見ていた夕子が彼女を見上げる。
「あんたも訓練データを見ていたからわかっているはずよね。ミノルの精神データはあたしたちの中で一番低かったわ。あんたよりもよ。それが何を意味しているのかがわかれば、彼を嫌う要素がないと思うのよ」
「どういうことですか?」
「精神訓練は、個人の落ち着きや動揺の波の少なさも含まれているの。つまり、言い換えれば、彼はそれだけ感情に流されやすいということ。データだけで言えば、あたしたちは、本当にピッタリその順位になっているのよ」
「……マモルが一番……でしたね」
「そう。次がケン、それからタカヒロ、あたし……タカシの次があんたで、最後がミノルね。だから、タカシやあたしはあれだけ怒って、タカヒロは微妙だったの。思慮も、落ち着いて聞けば深くなってくるわ」
夕子は、足を止めて俯いたものの、呟いた。
「……つまり……ミノルは私たちの中で一番……私たちに関心を持っているとは……言えませんか?」
「そうだと思うわ。あたしたちを嫌った嫌がらせじゃない。あれは、あたしたちにも、関心を持ってもらいたい行動じゃないか、って思うのよ。……思い当たるの。あれ……女性的で、子供っぽいやり方なのよ」
どちらからともなくまた歩き出した二人は、人通りが少ないもうひとつの住宅街を坂の上まで上りきって、右に折れた。
小さな公園が見える。
絵里はそこに入っていくと、一番近いところにあったベンチに腰を下ろした。
「エリ、私にはわからないんですが、嫌がらせで関心を引くことって、いいことなんですか?」
「まさか。タカシを見ればわかるじゃない。一発で嫌われるわ」
「それでは、嫌われることを望んでいると?」
「それも違うわね」
絵里は、両足を伸ばして腰の辺りまで上げると、まるで屈伸をするように爪先に手を伸ばした。
それから大きく息を吸って、今度は上を見上げる。
「部屋では黙っていたんだけれど、仲間だから、試したかったんじゃないかって、思えるの」
「試す? ですか?」
「さっきも言ったように、彼の数値は最低よ。……あたしね、タカヒロとタカシには十一日には会っていたのよ。そのときに、ミノルをフォローしようって、言い合っていたの。なのに、実際に会ってみるとあれでしょう? フォローの必要なんて、ないじゃない。最初はそう思ったわ。でも、彼の言動を見てみると……やっぱり、最低なりの防御かなって、思った」
夕子が首をかしげる。
そして、疑問を素直に口にした。
「あなたが何を言いたいのかが……わからないんですが」
「あら、あたしは、あんたならわかると思ったけれど?」
「は?」
いたずらっぽく笑って、絵里は彼女の髪を耳の辺りからかきあげた。
「あんた、訓練が中途半端だったわね」
「……はい……」
急に言われて、彼女は怒られると思った。
視線だけが、絵里から逃げる。
しかし、絵里の方は、それを追うように彼女に顔を傾けた。
「仕事の邪魔になるかもしれないという自覚はあるのね?」
「……ごめんなさい」
「それでも。あたしたちと一緒にいたいと思っている?」
「……はい」
「あんたは、あんたなりの役目を見つけたのに気がついた?」
「……は?」
ゆっくり、視線が戻った。
絵里が、優しく微笑んでいた。
「料理や洗濯、掃除。家事も立派な仕事でしょう? 役に立たないのなら、それなりに傍にいる価値を自分で作らなければ、気まずいじゃない」
また、視線が泳いだが、今度は、絵里の言葉を考えるためだ。
彼女の手が髪から外れてもそれに気づかず、口元に手を当てて考え込んでいる。
やがて、
「あ……」
わかったらしい。
臆病な性格は影を潜めて、夕子は絵里に言った。
「自分は弱いから、あるいは足手まといになるかもしれない。けれど、どういう人間であっても、受け入れてほしい……何をしても、許してほしい……そういうことじゃないですか?」
絵里は、嬉しそうに頷いた。
「ほらね。あんたならわかるでしょう?」
「はい、わかります」
仲間だから、ノーセレクトは七人しかいないから……そして、ノーマルの中では、どうしても馴染めなかったから……。
夕子には理解ができる。
しかし、彼女の表情はすぐに曇ってしまった。
「でも……」
俯いて、そして、迷いながらまた絵里に向き直る。
「あの人がレイラーを撃ったことはショックでした。もし、マモルが庇ってくれなかったらと思うと……」
「やっぱり怖い?」
「はい」
「でも、実際は無事だったじゃない」
「そうですけれど……。それに、あなたはタカシに言いましたよね。私たち全員に責任があるとは、どういうことだったんですか?」
「そうねえ……」
クスッと笑って、絵里は空を仰いだ。
「今のあたしの心情……が証明なんでしょうね」
ほんの僅かな風はあったが、暑さを和らげていたのは、緑が生い茂った陰にいたからだ。
彼女の言葉は、その緑に向いているようだった。
「もし、ミノルに殺意があったのなら、キャップに前置きをすることはなかったわ。何も言わずに撃ってしまえば誰も動けなかったはずよ。それに、タカヒロが言っていた通りなら、最初から殺意はなかったということよね。……あたしたちの責任というのはね、あのとき、誰もキャップの心配をしていなかったことよ。タカシもあたしも、あんたをなだめるのに忙しかった。タカヒロはミノルを気にしていたしね。ケンは、そんなタカヒロに声をかけていたようよ。……あんたもそう。キャップを心配するどころか、ただ、怯えていただけじゃない。わかるでしょう? 誰も、ミノルを責められないのよ」
確かに、そのときのことを思い返すと夕子は何も言えなかった。
自分が怯えていたのは、単に実の行動に対してであって、司令が無事だったことも、護がケガをしたという事実も頭になかったのである。
自分がただ、怯えていたことが申し訳なかった。
「私……頑張ってみます。あの人を怖がらないでむいていきたい……」
「そういうと思ったわ」
「判って……いたんですか?」
にっこり笑った絵里が、得意気に胸を張る。
「これでも、人を見る目はあるつもりよ。それにね、やり方が女性的だと言ったでしょう。彼にはね、あんたやあたしのような味方も必要なのよ」
「私たちだけの絆……だからですね?」
きっぱりとした言葉に、絵里は意外そうに目を見開いたが、彼女の頭を撫でながら優しい微笑みに変わった。
「あんたは訓練が半端だっただけみたいね。判断力は自慢してもいいんじゃない?」
人に誉められたことなど、一度もなかった。
だから、だろう。
絵里の一言は、涙が出るほど嬉しかった。
「ありがとう……ございます」
「ああ……泣かないの。強くなりなさい。あたしがついているから。いいわね?」
「はい……」
高志は、どうして実が静かに降りてこいといったのか理解できなかった。
しかし、彼のあとから隆宏たちと一緒にキッチンに入ったとき、納得できたのである。
キッチンのほうにはカップが四人分、用意されていた。
一つ足りないと言いかけた彼に実は、音を立てないようにリビングへのドアを少しだけ開けたのだ。
覗いてみると、背もたれに軽く寄りかかり、健が眠っていた。
二階で、ベッドはおろか健や実の服を移し、空いた部屋に隆宏たちの部屋に置いてあったコンピューターをデスクごと移したから、その間に健は待ち疲れたのだろうと思った。
「寝るほど疲れていたのかな?」
本当に寝ていてほしいのは、お喋りが絶えない高志の方だと言いたそうに隆宏が呟く。
実際、家具を動かしている間、よくもそれだけ並べられると思うほど、実への愚痴が続いた。
電車の中でも、主に彼と絵里がしゃべっていたが、聞いているほうが疲れるし、あげくに、却って実を庇うような返事しかしなかった隆宏にまで向けられた文句に気を使ったから、尚更だ。
実がクスッと笑った。
「あれは、オレが寝かせたんだ」
「寝かせた? まさか……君はまた……」
三日前のことを思い出して、隆宏が思わず腰をあげた。
しかし、あの時は注射が原因だったことも思い出す。
医師免許を持っている彼なら、麻酔薬か何かを使ってもおかしくはないのだ。
そのようなものは、ここにはない。
高志が訝るのを目の隅に捉え、実との約束のために隆宏は、ばつが悪そうに座り直した。
「どうやって寝かせたんだよ」
明らかに攻め立てる口調に対し、実はあっさり返した。
「少し休んでいろと言っただけだ」
「……そうなの? でも、どうして?」
肩透かしをくった状態で、間の抜けた声で隆宏が尋ねる。
リビングに置いたコーヒーを惜しげもなく捨てて、改めて人数分を作り直した実は、ポットを傾けながら隆宏たちを見回した。
「これから休む暇がないからさ」
「どういうことさ?」
と、これは高志だ。
散々愚痴を言ったあとであり、我慢して付き合うと言った手前、不自然に口を閉ざすことはやめたらしい。
彼の目の前に、カップが置かれた。
「何かいれるのか?」
「砂糖を入れてくれよ」
スティックシュガーを渡された。
大体、普通家庭でコーヒーの類いを入れる場合、カップだけを出すようだが、実はソーサーのうえにきちんとスプーンまでつけて用意していた。
そういえば、と隆宏は、彼の部屋で食事をしたときにもグラスの下にコースターが敷いてあったことを思い出した。
細かいところに気を使う性格なのか?
高志は、砂糖をカップに入れると、かき回しながら実を見上げた。
「ケンは、これからオレたちへの対応で迷うからな」
と、断言しながら隆宏へ、やはりソーサーごとカップを渡す。
彼はブラックだというから、そのままだ。
「オレたちへの対応って、迷うほどのことかな?」
最後のカップが護の前に置かれる。
彼もブラックらしい。
実は、自分の分を注いでようやく席に戻った。
「あいつには重大なことだ」
「リーダーだからか? でも、そんなもの、意識しても仕方がないだろう?」
「オレたちはな。だが、本当におまえはそう思っているか? おまえにしても、タカヒロにしても本音は違うだろう? ……『年上のくせに、頼りなさそうだ』が、本当のところじゃないか?」
まさに、図星だった。
見合わせた二人が、気まずく頷く。
「見かけは優しく見える。けれど、優しさと頼りなさは紙一重だと、あいつを見て感じた。……違うか?」
「……当たっているよ」
「エリも同じだろう。それに反して、ユウコはあいつを頼りにしているようだな。マモルは関心を持っているようにみえない」
今もそうだ。
聞いているのかいないのか、ぼんやりと、コーヒーから立つ湯気を見ている。
そんな彼に、実もさほど関心を持っていないらしく、続けた。
「こんなメンバーを上手く対処できる柔軟さがあいつにあるようには感じない……」
「……いちいちもっともな答えだよ」
これは、隆宏も苦笑するしかなかった。
司令室ではほとんど窓の外を見ていたくせに、実はいつの間にかメンバーを見抜いている。
「そこで、だ。オレたちがあいつに合わせるのは簡単だ。けれど、それは却ってあいつにとってマイナスになる……」
「どうして?」
「ケンは、自分が頼りないことは自覚しているんだ。だが、事前にリーダーを言い渡されていた手前……」
「ちょっと、待ってくれよ」
聞きとがめて、高志が口を挟む。
「前に聞いていたというのか? どうしておまえ……じゃない、君に……」
「言い替えなくていいぞ、タカシ。そんなに上品な性格でもないだろう?」
思わずテーブルを叩いて、高志は我慢をするように体を震わせたが、やがて大きく呼吸をすると、きつく実を睨み付けた。
「ほんっとうに、おまえは嫌な奴だよ! でもな、悔しいけれど、おまえの話は聞く価値があると思っているんだ。嫌味は抜きで先に進めてくれよ」
感嘆の声が、実から洩れた。
相手を見下すように口元に笑みを浮かべていたが、思ったよりも高志は子供っぽいわけではなかったらしい。
「それなら続けるぞ。おまえは気がつかなかったようだが、ケンはオレたちに会う前に、リーダーになることは聞いていたはずだ。だからこそ、改めて言い渡されたときに、当たり前のように頷いたんだ。けれど、逆にオレが補助に回ることまで知らなかった。だから、あのとき、驚いたんだよ」
確かに、そういう表情だった。
「一番年上として、その上、リーダーの責任を追わされるプレッシャーを抱えたことになるんだ。そうなると、さっき並べた、バラバラな性格のオレたちをどうまとめるべきか……当然、最初に理解しようと努力するしかない」
高志にしても隆宏にしても、言葉も出せずにただ、頷くことしかできなかった。
確かに、責任を追うということに関しては、二人とも頭の隅にも置いていなかった。
仲間として会えば自然にうまく付き合っていけると、簡単に考えていたのだ。
現に、最初に会った高志と隆宏、それに絵里の三人は、その日のうちに気が合った。
ノーマルの友人を何人も持ちながら、いまひとつ馴染めなかった気まずさが、三人にはなかったのである。
彼らは、実の言動にただ怒っていたが、その意識をも健がまとめなければならない立場であることを考えていなかったのだ。
黙ってしまった高志に、実は続けた。
「あいつは、自分なりに、司令室でオレたちを分析したはずだ。だからこそ、頼りないことを自覚してしまったんだ。ここで、オレたちがあいつに気を使ってしまったら、もっと迷うことになるんだよ。オレたちは、あいつに合わせてはいけないんだ」
「それじゃ、オレたちはどうすればいいと言うんだ? このままでいても、彼は迷うだけなんだろう?」
隆宏は、実が何を言いたいのか、まったく理解できずにいた。
しかし、何かを示唆しているのだということは漠然と感じる。
データどおり、実は頭がいいのだ。
精神的に弱いだけ、そして、あるいはそれを弱味と思わせないためにメンバーから距離をおこうとしているのかもしれない。
こうして指示をすることに慣れた口調は、人をまとめるには、健よりも相応しく感じる。
実際、反発しているはずの高志は、いつの間にか口をつけていたカップを置いて、真剣に実に向いている。
実は、メンバーを一通り見渡して、隆宏に目を留めた。
「対応は変えない。変えるのは、オレたちの気持ちの方だ。あいつに対する接し方を変える」
「だからさ、それが対応を変えるということだろう?」
「そうじゃない」
「わからないよ。君の言っていることは難しいんだ。もっと、具体的に説明してくれないか?」
隆宏の懇願で、実は明らかに不本意な表情でメンバーを見下ろしたが、突然、隣にいた高志の首筋をくるむように片手を差し込んだ。
ほんの何秒かでその手を離すと、今度は隆宏にも同じことをする。
何をしたのかわからないまま、実は一度、目を閉じると、まっすぐ隆宏を見据えた。
「これから先、仕事をしていくためには、行動予定、計画を考える必要がある。人を指図する、割り当てる。何をするのか、させるのか、物の調達、他にもすることは出てくるはずだが、ケンを関わらせるな。それをするのは……」
言葉を止める。そのままの沈黙は、まるで隆宏一人に向いているようだった。
訝しげに首をかしげて、やがて、隆宏がポツリと尋ねる。
「もしかして……オレ?」
「他にはいないんだ」
「だって……君は?」
現に、今、こうして指図らしきことをしているではないか。
その思いを含めた質問に、実は軽く笑った。
「オレは、あくまでもケンの補佐だ。キャップに言われたとおり、その役目だけは果たすさ。おまえのフォローにエリを回せばいい。ただし、おまえの役割は、あくまでも仕事に関する範囲内にするんだ。最終的な決定はリーダーが決める。あいつの決定には……」
考え込むように、実は目を伏せた。
そのまま、続ける。
「何があっても、反対はオレが許さない」
「それって、実質おまえが影の支配者みたいだな」
高志が言ったが、その中に、多少の嫌みが含まれていても否めないだろう。
だが、発言とは裏腹に、その声には反発は感じられない。
はっきり言えば、納得できたのだ。
彼にしてみれば、この先、嫌みや皮肉の塊のような実のことをどこまで我慢できるかわからない。
しかし、隆宏の指示と健の決定であれば、実が表面に出ることはないと判断できたのだ。
要は、隆宏の考えを健が決定する、それに従えばいいだけのことで、高志自身も思っていたとおり、頼りなく見える健がすべてを考えるのでなければ何をしても不安に思うことはないと考えたのだ。
そして、人間性を抜きにすれば、高志は、実の判断に感心していたのも事実だった。
ここに来る途中の電車内ではいろいろと腹を立てていたものの、それでも、健の頼りなさと比べるとやはり認めるしかない。
健の場合、いってみれば『いい人』なのである。
この場合の『いい人』が決して誉め言葉にならないことは、先程の実の指摘でも明らかだ。
会話自体がさほど多くなかった司令室においては、健からの印象は、『いい人』という形容しかできなかった。
キツさが欠片もない。
言い含めるような大人びた口調ではあったが、悪い言い方をすれば、他人に媚びているともとれる。
そういう『いい人』が、人を引っ張っていけるかどうかが疑問だ。
「それで……タカヒロはいいとして、オレたちはどうすればいいんだ?」
「おまえのお喋りは、ある意味重要なことだ。自分に納得ができないときは、タカヒロたちに遠慮をせず、反対すればいい」
「だって、反対はするなって……」
「ケンの決定には、だ。ただし、闇雲に対立はするな。あくまでも、タカヒロの考えに納得ができないときだけだ」
「……よくわからないけれど……いいよ」
「最後に一つ、これだけは忘れるな。これから先、ケンにはなにもさせるんじゃない」
隆宏も高志も、さらには、いたことすら忘れるほどひっそりと座っていた護まで、疑問を持つように実に注目した。
「何も? ……って?」
「言葉通りだ。タバコを吸うのなら、火をつけさせるな。オレたちの誰かがやる。極端に言えば、物の上げ下ろしすら、許すんじゃない。買い物も論外。要するに、あいつの世話を焼くと言えばわかりやすいだろう」
一体、それに何の意味があるのだろう。
疑問はある。
しかし、とりあえずは言うことを聞いたほうがいいという、それぞれの思いはあった。
まだ、何もしていない。
仕事のスタート地点にもたっていないのだから。




