ナンバリング・21
護が、二階から降りてきた。
ハンドミキサーに翻弄されている絵里が、声をかける。
「どうしたの?」
気を抜けば、手から飛んでしまいそうなボウルを、当の護がさりげなく支える。
そのついでに、夕子に声をかけた。
「ミノルの食べるものはあるか?」
オーブンを覗き込んでいた彼女は、
「熱は下がりましたか?」
と、尋ねた。
「まだだ」
「それなら、冷たいほうがいいかもしれませんね」
どうやら、温かいものと、両方を用意していたらしい。
冷蔵庫から、小さな片手鍋を取り出すと、中身をマグカップに移し、トレイに載せて、テーブルに置いた。
「マモル、あたしのほうはいいわ。持っていってあげなさい」
言われるまでもなく、そのつもりだった彼は、ボウルから手を離し、トレイを取り上げると、部屋に戻っていった。
夕べからずっと、タオルを目に当てていた実は、音だけで判断するしかなく、ぼやけた頭で、ドアが開いた音を聞き分けると、その向こうの大きな音に、顔を向けた。
「なんだ……あれ……」
ほとんど聞き取れないほど、掠れてしまっている。
無理もない。
夕べから、寝ていたというよりも、熱にうなされていたと言ったほうが近い状態で、やっと、明け方になって、呼吸が楽になった程度に落ち着いただけなのだ。
熟睡などできたわけでもなく、寝ていないから、頭の中に、霞がかかったような状態が続いている。
いつもなら、音を聞き分けるくらい、たやすいはずの質問に、護は、トレイをサイドテーブルに置いて、カーテンを閉めてから、額のタオルをとった。
「ケーキを、作っている」
言いながら、体を起こそうとする実の背中を支えた。
ベッド自体をリクライニングにすればすむことなのだが、護は今までも、彼のすることに提案のひとつもしなかったため、今回も、自分の枕を彼の背中に当てるだけだった。
それだけの動きに、実が大きな息をつく。
護は、マグカップを実に手渡した。
スプーンを渡そうとしたが、実はそれを押しやって、カップの中身に、眉をひそめた。
健の話では、昨日も、玲の作ったコンソメスープだけだったというが、食欲がほとんどないらしく、どうも、無理矢理飲んでいるという感じで、すぐにため息をついた。
「できれば……コーンスープがよかったな」
「違うのか?」
実と違い、護は料理自体、ほとんどできない。健ほどではないが、食材などにも興味がないため、このスープも、何を持ってきたのか、知ろうとしなかったのである。
「これはカボチャ」
と、言いながら、また一口。
好き嫌いのない彼だから、確か、カボチャも平気だったはずだが……。
今は、その気分ではなかったらしい。半分ほどでやめてしまった。
「もう、いらない」
渡されたカップをサイドテーブルに置いて、護は椅子に腰を掛けた。
「ケンは?」
「出掛けている」
と、なると、やはり志乃も一緒ということか。
落ち着き払った護の様子から、健が無事だということは判断できるが……。
ふと、手首のリストバンドに目を落とし、彼はごそごそと身を捻ると、横になった。
「風呂に入りたい……」
熱で汗ばんだ体が気持ち悪い。
結局、着替えもできない状態で、服のまま寝込んでいるのだ。
体を拭くこともできないのは、護が手伝おうとするからで、見られたくない手首の傷に、触れられたくないからでもある。
だから、愚痴にするしかない。
ここまでひどくなるのなら、最初から健に話しておけばよかったと思う。
結果的に、健が志乃をつれ回しているのなら、自分が今まで黙っていた意味がない。
志乃とのことを、健だけには知られたくない。
しかし、黙っていたことで体を壊しては、本末転倒もいいところだ。
護のためにと考えていたことが裏目に出たか。
いや、彼だけのためにしたことではない。
隆宏にしても、高志にしても、志乃の性癖は無縁であり、近づけてはいけないものだ。
まして、健がそのことを知れば、体を張って、メンバーを守ることを選んでいた。それどころか、遅れて現れた、同じノーセレクトの、志乃の望みを受け入れていたはずだ。
できもしないことを、リーダーだからという理由だけで、引き受けていただろう。
だから、言えなかった。
今なら、志乃に言い聞かせてあることが、歯止めになる。
問題は、自分たちのことを健たちが知らない状態で、どこまで志乃を信じればいいのか、ということだ。
意地だけで実の口を割らせる、と言ったのは、最初のころだけだった。
しかし最近、志乃のようすが変わってきている。それを、肌で感じられたから、なおさら、素直に信じることができない。
「話して……おくべきだったかも……」
その呟きは、静かに毛布がかけられたことで、止まった。
ハッとして見上げると、そこにいることを忘れていた護が、心配そうに覗き込んでいるのに気がついた。
「あまり……考え込まない方がいい。何をするにしても、熱が引いてからだ」
「……おまえ……ずっとここにいるつもりか?」
「邪魔、ということか?」
夕べも、護が傍にいながら、健にいてほしいと言っていた。
志乃を一人にできないとわかると、無理がきかない体で部屋に戻ろうとしていた。
やはり、実もまた、志乃を仲間として、認めている。
彼の言動にも、考えにも、反対するつもりはない護だったが、やはり、どこかで自分の心境が変わっていたようだ。
微かに、心の中に、蠢くものがある。
実は、関心もなさそうに仰向けになると、自分から、サイドテーブルにあったタオルを額にのせた。
「別に……邪魔だとは言っていない」
その返事に、護は心の中で問いかけた。
“言葉では、だ。けれど……心の中は……?”
このところ、実はまともに護と話をしていなかった。
意識的になのか、無視、とまでは言わないが、彼のほうから護に話しかけようとはせず、そして、護も、それに合わせて黙っている。
護にしてみれば、それで充分だったはずだ。
実が傍にいる。それだけでいい。
そのはずだったのだが……。
「傍にいる。オレは、ここに……」
こうでも言わなければ、もう、伝わらないのか……。




