ナンバリング・16
階下から、隆宏の声がする。
高志と絵里の帰りを待っているようだ。
部屋にはいると、玲の言いつけを律儀に守って、タオルを当てている実の傍らで、本に目を通している護がいた。
健は、持っていた錠剤を彼に渡した。
「これを飲ませておいてくれないか。オレは……休ませてもらうから」
「……ケン……」
どうやら寝ていたわけではなかったようだ。聞きづらい、弱い声がした。
短時間で、ますます声が掠れてしまっているのは、熱が上がっているせいか?
健は、そっとタオルを取った。
眩しそうに目を細めながら、実が彼の腕をとる。
「ここに……いてくれないか……?」
今日一日、護が傍にいながらそう言った実に、健が首を振る。
「マモルではダメなのか?」
「そうじゃ、ない。……シノのところに……おけない……」
「彼を一人にするつもり?」
健には、実の気持ちはよくわかっているのだ。
隆宏たちが認めるとおり、実は、メンバーの中で、一番、優しい。言葉や態度が、冷たく、棘があるように見えるが、本質は、誰よりもメンバーを思いやっているのである。
健の一言に口を閉ざし、彼は体を横に向けて起き上がろうとした。
「ダメだよ、ミノル」
「戻る」
「ダメだってば。おとなしくしていてくれ」
「何も……わかっていないんだ……」
腕の力が抜けた。
今まで溜まっていた疲れが、熱のせいで一気に噴出したようだ。
これだけの動きに、息が早くなっている。
「マモル、すまないが……」
「水を取り替えてくる」
わかっている、と頷き、彼は洗面器を持って出ていった。
「ミノル、今のおまえでは、かえってシノに迷惑だよ。大丈夫。彼を一人にしないから」
「違う……。あいつはどうでも、いいんだ。……おまえのほうが……」
「ああ、もう、喋るな。本当にひどい声だな。オレが大丈夫だと言っているんだ。信じてくれよ。とにかく、おまえは安静だ。ちゃんと、薬を飲んでおくんだよ」
こんな状態では、実の隠し事を知っているとは言えない。
心配することはないのだ、と。
実が何を志乃に教えようとしているのか、それを、少しではあるが、無意識に理解していると、言いたかったが、やはり、今夜はやめた方がいい。
手に持ったままだったタオルを額に当て直して、健は、さっさと部屋を出た。
廊下で待っていると、護が洗面器を持って上がってきた。
「マモル、さっきの薬、無理強いはしなくてもいいからね」
「わかった」
一言呟いたものの、彼はなにか言いたそうに顔を上げた。
「ミノルの……ことだが……」
そこで言葉が止まる。
いつものことなので、健は、次の言葉を、黙って待っていた。
「……彼の……懸念は当然のことでは……ないだろうか?」
「さっきも言っただろう? 何とかなるよ。それに、今夜はおとなしく休ませてくれそうだから。……というより、強制的に休めと言われてはね。だから、寝かせてもらうよ」
「……」
どう、答えていいのかが、護にはわからなかった。
結局、ただ、頷いただけで部屋に戻る。
健もまた、高志たちの帰りを待つことなく、戻った。
「おかえり~」
志乃は、ベッドに腰を掛けたまま、そこをポンポンと叩いて、健を待っていた。
デスクを見ると、コンピューターのスイッチも切られてしまっている。
やはり、このまま寝るしかなさそうだ。
「ミノルのベッドはこっちだったね」
必ず窓際に陣取る実の癖は、たとえ同室の人間が変わったところで譲るはずもない。
正に今、志乃が座っているベッドが、実のものだ。
「そうだよ。ほら、早く横になる」
「はいはい……」
素直に服を脱ぎ捨てて、ベッドに上がる。
腰を掛けたまま、志乃は体を捻った。
「少し、話しててもいいかい?」
「いいよ。何?」
「ミノル、どうだった? なんの病気か、まだ聞いていないからな」
「病気じゃないよ。ただの疲れ。今朝も言ったとおり、限界だったんだ」
昼間は仕事で外出していて、夜は志乃の相手、となると、確かに疲れが溜まっていても当然だったかもしれない、と、志乃は肩を落とした。
やはり、気持ちのどこかに罪悪感がある。
「やっぱ、俺のせいか……」
「違うよ。これは、オレの責任だ」
「どうしてそうなるんだよ?」
「単純な、判断ミス、だね」
「はあ?」
どうして、判断ミスになるんだ?
もしかして、実を自分と同室にしたのは、健の判断だったのか?
確かに、メンバーは彼の言うことなら反対はしない。
尋ねたが、健は、あっさり否定した。
「わっかんねぇな。さっきのツルノ? アキラも何も言ってくれなかったしよ。……で、いつまで休ませるって?」
「オレが許可するまで、だよ」
「あっそ。……それで? いつまで?」
「さあ。ミノルに聞いてみないとわからないな」
「はい~?」
ますます理解できないことを言う。
今朝の電話では、実は、玲の診断に従うということで話はついていたはずだ。
その玲が、健の判断に任せたはずなのに、健は実に聞かなければわからない?
体を捻っていることが面倒になったのか、ベッドに乗り上げて、彼は胡座をかいた。
「あのよ、あんた、本っ当に俺をからかってないか?」
今日一日で、何度ごまかされたか、わからない。はぐらかしては謎ばかり残して、さっさと次にいってしまうのだ。
「まさか。君をからかう理由がないよ。オレは、事実を言っているんだ。君の方が、オレたちを理解しようとしていないだけじゃないか」
この言葉もまた、志乃は隆宏からも聞いている。
本当に、同じ考えをしているな……。
ならば、彼らが言うように、見ていれば志乃にもわかるようになるのだろうか。
そうは思えないのだが……。
大体、彼らは、ずっと一緒にいた。団結力も、健を中心に、強くなっているはずだ。そんな中に、いきなり割り込んだ志乃に、同じことをしろというのは無茶もいいところだ。
「見ればわかるって言われてもなぁ。俺もノーセレクトなら理解できるんだろうけど、あんたら見たいな芸当を求められてもな」
「無理、かな?」
「だね。降参。教えてくれ」
あっさり手を上げる。
健は、その潔さに苦笑しながらも、自分のやり方を譲る気はないらしく、噛んで含めるように繰り返した。
「聞く以前に、もう一度、考えてみようか。アキラさんはノーマルだね?」
「らしいな」
「ノーマルの彼が、オレに判断を任せた。それはどうしてなのか」
考える時間を与えて、だが、答えを待つつもりはなく、彼は続けた。
「次に、同じ医者の資格を持つノーセレクトのミノルは、自分の症状を知っている。けれど、ノーマルのアキラさんには逆らえない。これはなぜかな?」
やはり、ここでも、彼は志乃に、少しの間、考える時間を与えた。
「最後に、ノーセレクトだけれど、医者の知識がないオレは、ミノルに教えてもらわなければ、判断がつかない。……さあ、もう一度考えて」
言葉を変えてまとめただけだ。
だが、三竦みのように聞こえた謎かけを、志乃は真剣に考え始めた。
見ればわかる。理解しようとすれば、必ず見える。
その言葉を信じて、健に視線を落とし、窓に写し、俯いて……やがて……
「あ……。あんたの判断の意味が違うのか」
「わかったようだね」
「ミノルに教えてもらう、ってのがイコール、あいつを見て、判断するってことか。直接聞くんじゃなく、様子を観察することで、聞くことになるってわけだ」
「そういうこと。どこでわかった?」
「そりゃ、今朝のことを思い出して……」
頭に浮かんだのは、健のセリフだ。
志乃の前で薬を飲んだことも、それをわざわざ健に言ったのも、余分な薬を作ったことも、すべてがメッセージだったとすると、実の言動もまた、健が観察した上で、変化を判断することになる。
「だからよく見ろって……みんなが言うのか……」
健は、両膝をたてて、そこに腕を引っ掻けながらにっこり笑った。
「オレたちもね、はじめからこうだったわけじゃないんだよ。ノーセレクトだからという理由は、一部でしか、ないんだ」
「じゃ、ホントに、見てりゃ俺にもわかるようになるのか?」
「今はね、それで充分だ。好きなミノルだけじゃなくて、オレたちにも目を向けてほしいな」
不意をつかれて、志乃は赤くなりながら髪をかき揚げた。
「言ってくれるぜ。まったく、あんたはなんでも見抜いてるよな。それも、俺を見て、わかったのかい?」
「君だけじゃないよ。ミノルも……だ」
「えっ? もしかしてあいつも俺を?」
期待に目が輝いた。
しかし、健の方は逆に、迷うように首を振る。
「いや……。そこまではわからない。ただ、彼の場合ははっきりとしているからね。好きか、嫌いか、どちらかなのは確かだけれど」
「……両極端な気持ちだな。……というか、嫌われてる方が確率が高いか」
そうは言ったものの、彼の表情には、さほどの落胆は感じられない。
「いいのか? それでも」
不思議に思い、尋ねる。
彼が、苦笑いで肩をすくめた。
「別に……いいさ。どうせ、俺の方だって気づいてなかったんだ。好かれてるなんて、思ってねえよ。俺にとって肝心なのは、自分の気持ちってことさ。これでも俺、結構一途なんだぜ」
「……なるほど……だから、か……」
一人で納得して頷く健に、志乃が身を乗り出した。
「また何を考えてんのかなぁ~?」
「うん……まあ、つまり……なぜ、彼が急に具合が悪くなったか、ということ」
「それって、あんたの判断ミス、だろ?」
「まあね。まさか、そこまでとはね……」
「はあ? 何が?」
健は、クスッと笑って、首を振った。
それ以上は言えないだろう。
恐らく、実もまた、自分の気持ちの変化に気づいていない。
感じた思いを、他人のものと比べることでしか認識できない彼には、『スキ』と『キライ』は同じなのだ。
要するに、どちらにしても、実にとって志乃という存在は、メンバーと同等になっているということだ。
つまり……
「……とはいっても……どちらにしろ……」
時として口にしてしまう独り言は、志乃をますます混乱させた。
「なんだよ~。ホント、あんたってわかんねぇ奴だよな。思わせ振りなことばっかりじゃねぇか」
躊躇いもなく聞いてくる志乃に、彼は、笑いながらも首を振った。
「ごめん。でも……何度も言うように、簡単に聞かないでくれないか。何もかも、見て、理解しようとすれば、わかることなんだよ」
そう。
少なくとも、メンバーと共に行動する限り、自分の目で確かめていかなければ、志乃の望む復讐の形にはならない。
心の奥底に潜み、気づいていない本当の望みは叶わないのだ。
健は、そうしてきた。
メンバーの誰もが、彼に、『見る』ことの重要さを示唆してた。
彼らを、『見る』
逆にいえば、メンバーは、自分たちをそれだけ『見せて』きたのだから。
子供のように拗ねて、頬を膨らませた志乃は、それでも、健の言葉が正論だと思ったのだろう。
「わかったよ」
と、やはりあっさり納得して、彼を見据えた。
「眠いか?」
「……少しね。することがなくなったら気が抜けた」
「じゃ、今夜はゆっくり……」
……ダメ、かな……
一瞬、期待した。
しかし、頭に浮かんだのは、実の様々な表情と、今、目の前にいる健の、優しく、頼りない笑顔だった。
どちらも、志乃の胸を高鳴らせる。
本当に、脅迫じみた、魔力のような微笑みだ。
「約束……だもんな」
手が伸びる。
健の肩に触れ、ゆっくりとその体を横たえて、自分の葛藤を心のなかで繰り返し……そして……
「……畜生、……あんたがいけないんだ」
乱暴に、毛布を健の肩まで被せると、階下にまで響くほどの音を立てながらベッドを降りた。
「早く寝ちまえ。ライト消すぞ」
ドアの横にあるスイッチを、叩きつけるように消した彼は、健の忍び笑いを聞きながら、クローゼットに向かった。
着替えのためだ。
カーテンを引いて、明かりを消すと、こんなにも暗いものなんだ、と思う。
ほとんど手探りに近い動作だ。
「……なあ、ケン、知ってるか?」
「なにが?」
「ミノルさ……。毛布を被っているクセに、ライトつけっぱなしで、カーテンまで開けて寝るんだぜ。あれ、なんとかならないのかな? 俺は暗い方が寝られるのに怒るんだよ。あんたから言ってくれると助かるんだけど」
モゾモゾと動く音がする。
健が、こちらを向いたようだ。
「暗い方がいいのなら……シノ、ミノルと離れて寝るしかないよ」
「どういうこと?」
「……また、聞くんだね。その答えも……自分で確かめるべきだ。……オレは、彼に何もいうつもりはないよ。おやすみ」
やはり、教えてはくれないか。
自分の目で見て、確かめて、考え、理解する。
親切で、優しくみえて、じつのところ、一番多く、謎を残す。
これが健のやり方、か。
これが……メンバーの、絶大な信頼の形……か。
“つまり、弱点もそれで見つけろってわけだな”
確かに、簡単に弱点を教えるほど、彼らは単純ではないはずだ。嘘を教える可能性のほうが高い。
むしろ、簡単に聞き出せることは、信じられないと考えるのが妥当だ。
“それにしても……憎まれてるってのに、なに考えてんだか……”
志乃は、自分のベッドに腰を掛けた。




