ナンバリング・15
食事のあとで、夕子は明日のための準備を始めると言った。
絵里がいないため、キッチンに一人で立った彼女に、隆宏が手伝うと申し出たのは、代役のつもりだったのだろう。
いつもは、食後のデザート程度のものしか作らない彼女は、パーティー用のケーキを大量に作れるのが嬉しいのか、無意識に歌を口ずさんでいる。
絵里よりも隆宏のほうが手際がいいのも、要因のひとつかもしれない。
護は、極力志乃に注意を向けなかった。だから、食事を済ませると実のところに行ってしまったので、残った志乃は、夕子たちの作業を、後ろで見学していた。
パーティーとは言っても、彼らにはこだわりがなかったため、夕子が手掛けているケーキを、ホールで三種類作るくらいしか思い付かなかったようだ。
それならば、と志乃が提案したのは、他にフルーツパンチなどの、果物を使ったデザートを中心にすることだった。
デザート自体が苦手だという健を考慮して、果物なら、と言ったのである。
「やっぱ、手際がいいねぇ」
毎日、夕子と共に、留守番に徹していた志乃が言う。
彼女は、恥ずかしそうに笑った。
「これしかできませんから」
「充分だって。手作りケーキ、いいねぇ。あんた、いいヨメさんになるよ」
「シノ、手伝う気はないのか?」
ニヤニヤと笑いながら見ている志乃の視線に、隆宏がうるさそうに尋ねる。
「あるわけねぇだろ。自分で作ったケーキ食って、どこが旨いんだよ」
きっぱりと言ってくれる。
隆宏は、それならば、と彼をキッチンから追い出した。
「ケンの傍にいてあげてくれないか。あまり無理をさせたくないんだ。今日くらい、ゆっくり寝てもらいたいんだよ」
「今日くらいって……」
そういえば、今日は貧血で倒れたのだということを思い出す。
「ま、病み上がりじゃ、しょうがねぇよな」
「違うよ。それは時々あるから別にいいんだ。ただ、このところ夜になると、自分の仕事をしているらしくて、寝不足が続いているみたいなんだ。……どうせ、何を言っても聞かないだろうけれど、適度なところでベッドに押し込んでくれればいいから」
「適度って、そんなことわかんねぇぞ」
隆宏は、持っていたペティナイフを思わず志乃に向け、すぐに気がついて、ゴメンといいながら背中に回すと、諭すように彼を見上げた。
「わかろうとしないだけじゃない。昼間、言っただろう? 彼をよく、見るんだ」
「ホントに見りゃわかるのかよ?」
「ケンがそう言ったんだろう?」
「うん。まあ」
「なら、絶対にわかる」
健が言うことだから、という判断か。
本当に、盲目的に彼を信頼している。
志乃は、ハタと何か思い付いたらしい。口許に何やら企んでいるような笑みを浮かべた。
「ま、なんとかなるか。手っ取り早く寝かせるって手もあるし」
彼にしてみたら、隆宏の申し出は、ある意味願ってもないことだったろう。
『とりあえず』という条件付きではあるが、約束ごとが無効だということは、成り行き次第ではどうにでもできそうな気がする。
寝かせついでに、押し倒すのもひとつの手だ。
足取りも軽く二階に上がると、ノックの直後にドアを開けた。
健は、机に向かっていた。
静かに近づき、その背中に抱きつく。
「な~にやってるの?」
突然の感触に、資料を取り落としながら、健が振り向いた。
「お、驚いた。……もう食べ終わったのか?」
「腹一杯。……なあ、ホント、なにやってるんだよ?」
「これ? ちょっとね。過去の事件を調べているんだよ」
「あのおっさんに関係あることかい?」
と、背中越しから、用紙の一枚を取り上げる。
どうやら、事件の報告書の一部らしいが、ぎっしりと書かれた手書きの文字が、どうも読みづらい。
かなり癖のある字に興味をなくし、すぐに机に放った。
「今時手書きかよ? こんなもん、よく読めるな」
「読みづらいのは確かだね」
コンピューターもスイッチが入っていた。だが、ディスプレーは白紙のままだ。
志乃への返事の合間に資料に目を通していたが、読みづらいと言いながら、健には内容がわかるらしい。流し読みに近い状態だったが、次々と用紙を取り上げては足元に積んでいる。
その様子を肩越しに見ていた志乃は、取り上げていた健の資料に目を止めて小さく読み上げた。
「現金輸送車?」
「そうだよ」
「昼間のおっさん、強盗でもやったのかい?」
健の、遠慮がちの笑い声が響いた。
「日付が違うよ。これは五十年ほど前の事件なんだ。あの男性とは関係ないよ」
「これ、全部あんた個人の仕事か?」
「……の、一部だね。半月近くかかってもまだ、全部じゃないんだ」
足元の、積まれた資料どころではない。机の上にも用紙は重ねてあったし、更に、机の脇には、紙袋が四つも並んでいる。
「五十年前の?」
「そう」
もう一度、健の手から用紙を抜き取る。
今度のものは、手書きではなかった。
昔の、痴漢を取り調べたもののようだ。
「何でこんなもん、いちいちプリントするんだ? このコンピューターで直接取り込めばいいじゃないか」
「そういうわけには、いかないんだよ」
どうにも理解ができない。
昼間もそうだったが、彼はほとんど、自分が何をしているのか、話さないのだ。
表面的な説明は、こうして優しく口にしてくれる。
しかし、何を考え、行動しているのか、ということになると、口を閉ざすかごまかしてしまう。
どうせ、今も話すつもりはないのだろう。
志乃は、健から離れると、ベッドに腰を掛けた。
「なあ、それはあんた一人でまとめてるんだろ?」
「そうだよ」
「いくら個人的なことって言っても、タカヒロたちに任せないってのは、信用してないからじゃねえのか?」
健の目が、一瞬鋭く、志乃を睨んだ。
が、すぐにまた、彼から資料を抜き戻す。
「違うよ」
「なら、まとめ作業も奴らに任せりゃいいだろ?」
紙袋五つ分の用紙、となると、半端な数ではない。ゆうに二千枚は越しているだろう。
志乃は、護もまた、以前にこうして資料を渡していたのを見ている。
実以外には興味を持って接していなかったから、気にも留めていなかったが、その頃から、こうして一人でまとめていたわけだ。
隆宏が心配するのも当然か。
健は、持っていた一枚を足元に置いて、デスクに肘をついた。
「ダメなんだ。これだけは……ダメなんだよ」
「なんで? 教えろよ。タカヒロに頼まれた手前、納得いく説明なしに言いくるめられるのはゴメンだからな」
隆宏に何を頼まれたかは知らないが、健は、表情を曇らせた。
「説明できないことだと言っても、聞くつもり?」
「俺のおつむじゃ理解できないってことかい? バカにすんなよ」
「そうじゃないよ。彼らに頼めるのなら、最初からそうしているよ。こんな、回りくどいことなんて、しない。……これは、個人的なことだ。オレが納得できないことを、彼らに押し付けたくないだけなんだよ」
結局、そうやってごまかそうとしている。そう思うと、志乃は無性に腹が立ってきた。
隆宏たちが、メンバーに頼らない健を、残念に思うどころか、体を心配しているというのに、理由を説明できないといいながら、口を閉ざしているのだ。
志乃は、思いきり腕を伸ばすと、彼の腕を掴んで力一杯引き寄せた。
椅子が倒れると同時に、そのまま自分の体を回し、健をベッドに押し付けたのだ。
頃合いを見て、と言われたが、人に理由を言わない、勝手な行動に、頃合いなど、いるものか。
「説明できない? 教えられないだと? 納得できるわけねえだろうが。あんたにはチームワークってのがないのか? 個人プレーが許されるんなら、俺と同じじゃねぇか」
押さえていた手をゆっくり外し、健が動かないことを確認して、志乃は一度離れると、ドアに鍵を掛けた。
その間に体を起こした彼を、慌てて戻って、足を持ち上げ、ベッドに上げてしまう。
「逃げられると思ってるのかよ?」
「……逃げるもなにも……」
再び押さえつけられてしまっては、身動きがとれない。
健は、ため息混じりに志乃から顔を逸らした。
これで、説得は可能だろうか……。
「あのさ、あんた、忘れてるんじゃない? 俺は、敵なんだぜ。大体、なんで俺がミノルとの約束を律儀に守んなきゃならなかったんだか。しかも、それも、あんたに関しちゃ、反故になってる。……もう一度聞くぞ。やってることの説明をするか、このまま疲れて寝るまで抱かれるか、どうする?」
“矛盾……しているなぁ……”
自分が危うい状況にいるにも関わらず、なぜか、健は笑い出した。
「な、なんだよ?」
「……いや。……どうしてそこまでこだわるのかと思ってね。……仕方がない。教えるよ」
自分としても、出来れば避けたい事態だ。
健は、軽く志乃を押しやって、横になったまま言った。
「もう一度、会いたい人がいるんだよ。その人は、大分前に亡くなっているんだけれどね。もし、可能性があるのなら、彼が若かった頃に会いたいんだ」
「はあ? なんだ? そりゃ」
「わからないだろう? オレ自身、まだすべてを信じているわけじゃない。五十年も前の人に会うなんて、……信じないよ……誰もね」
「ご、五十年前? 会う? そりゃあんた、……SF小説じゃあるまいし……」
「そういうこと。だから、説明できないと言ったんだ。メンバー総出で調べることじゃない。なにより、この話を吹き込まれたとき、まだ子供だった。完全に、個人的なこだわりなんだよ」
「あんた……タイムマシンでも作ろうとしてるわけ? 過去の事件って……小説じみたことを信じたからやってるんだろ?」
健に確認する、というより、自分が期待して、尋ねた。
「……行けるの?」
目を輝かせて除き込む志乃を、健が、見下すように睨み上げた。
「やっぱり、安易に口にすることじゃないな。君まで夢のようなことを言うつもりか? 個人的な問題だと言ったはずだよ」
「で、でもさ、もし……」
「おとぎ話の類いだよ。君には関係ない。老人の昔話を聞かされていた気持ちは、君にはわからないよ」
「む、むかつく言い方だな。大体、元はといえばあんたが……」
「もう、いいだろう? 続けさせてくれないか」
僅かな隙をついて、健が体を起こす。
机に戻ろうとする彼を、しかし志乃がまた、引き戻した。
「いい加減にしてくれないか、シノ」
「それはこっちのセリフだよ。気に入らねぇな。確かに、一瞬でも信じた俺もバカだよ。でもな、あんただって同じだろうが。聞き流しゃいいものを、信じてるから資料をまとめてるんじゃないのかよ? それを、理由も聞かずに集めてるあいつらのことを考えてるか? あんたを心配してる奴らより、こんな紙くずのほうが大事なのかよ?」
「……シノ……」
「まったく、俺もお人好しだよ。……ケン、俺はミノルの代役だって言ったよな。今日はこのまま寝ちまえ。嫌だとは言わせねぇぞ」
魔力のように見える微笑みを持つ健を前に、なにもできない自分に舌打ちをしながらも、志乃は本当に心配し始めていた。
押さえつけたときの手首の細さも、体も、自分とは反対に脆く感じる。
なのに、仲間を絶えず気遣い、自分の問題を抱えながらも周囲に笑いかける。
健のどこをとっても、油断をしたら儚く神経が切れてしまいそうだ。
最初は本当に、疲れるまで抱いてやろうと思った。
しかし、インターバルをおかなければ、今朝のようにまた、倒れてしまうのではないだろうか。
今日の貧血も、連日の寝不足が原因のひとつではないかと、思う。
隆宏が心配するのも、ある意味当然だ。
「嫌だ……というより、重いんだけれど」
胸元を押さえつけられていては、動くに動けず、健が言った。
「我慢しろ。俺だって我慢してるんだ。今日はなにもしない。約束する。だから、あんたもこのまま寝るんだ。わかったな」
結局、事情を話しても続けさせてくれないようだ。
もっとも、すべてを話したわけではない。
健が、なぜ、志乃を、一年の期限つきで同行させているのかも、理由のひとつになっているが、まだ、時期的に話すべきではない。
諦めるしかなかった。
「わかったよ。素直に休むから。ただ、その前に、ミノルの様子を見てきてもいいかな?」
どうせ、ある程度の区切りをつけて、行くつもりだった申し出に、ようやく志乃が離れた。
「長話はダメだぞ。すぐに戻らないとそっちに乗り込むからな」
それは困る。
健は、ベッドを降りながら、苦笑いを浮かべて言った。
「薬を持っていくだけだから、大丈夫だよ」
倒れたままの椅子をよけて、健は、薬品棚のテーブルに置いていた、玲の手書きのメモを見ながら、同じ名の薬を取り出すと、部屋を出た。




