ナンバリング・14
それぞれが、袋を二つずつ抱え込んでいる。
買い物をして、今は高志が予約を取っていたスポーツジムに向かうところだ。
厳密に言えば、護たちを呼び出したのは志乃だった。
彼が、料理を目の前にしておきながら、隆宏についてきた理由を言ったところ、今まで考えに及ばなかったという答えに、企むつもりで呼んだのである。
彼らが顔を合わせて一年半。
まさか、メンバーでない志乃から、誕生日のことを言われるとは思わなかった。
彼に言わせると、護のときに、誰も何も言わなかったことが信じられなかったらしい。
志乃は、仕事柄、いつも一人だったが、年に二回、八月と十一月には、必ず圭吾と騒いでいたという。互いの誕生月には、申し合わせて、羽目をはずしていたのである。
健たちには、それが年に七回、健と高志は同じ月としても、最低は六回の機会があるのだ。
彼らのことだから、大騒ぎはしないまでも、何かすると思っていた。
「ケンのときもリアクションがなかったからなぁ。あんたたちにはそういう習慣がないのかい?」
「今さら、というところかな」
「マモルとケン、それにオレが近いんだよな」
高志は、あと一週間ほどなのだ。
改めて気がついた、というように言った。
「だからさ、三人分、まとめて騒ぐにもいいんじゃないか?」
「でも、明日もユウコは出掛けるのよ。用意する暇なんて、ないわ」
食材を買い込んでから言うのもおかしいのだが……。
しかし、その辺りは、どうやら隆宏と志乃で話をつけていたらしい。
「ケンには悪いけれどね。資料集めを休むよ。君とユウコで用意をしてくれないか。女性の方は、オレとタカシで護衛をするから」
「ミノルはどうするのよ?」
と、護に問いかける。
付き添っていたのは彼だから、様子を伺うしかない。
「……」
言葉はなかったものの、ダメだ、というサインではなさそうだ。
「じゃ、ケンへの説得はあんたに任せるわ」
と、勝手に判断して、言う。
それに対して、僅かな困惑が、護に浮かぶ。
メンバーの中で、説得というものを一番苦手としているのは、やはり護だろう。
普段、話しかけられなければ口を開かない彼が、どうやって健を説得できるのか。
しかし、絵里は、単純に意地悪で言ったわけではない。
「タカシの話だと、あんた以外はミノルに会えないんだから仕方がないわよ。ケンの許可をとるなら、あんたしかいないでしょう?」
そう言われたら、嫌だとは口にできない。
もっともそういう感情自体、今まで表に出したことも、口にしたこともなかったが。
仲間内で会うことを制限されても、決して嫌な顔をしない彼女たちに、これくらいの責任を持つのは当然か。
柔らかすぎる髪を揺らして、護は頷いた。
「よっしゃ。決まったな、タカヒロ」
「そうだね。……それにしても、パーティーとはね。久しぶりだよ」
「あたしも結構楽しんだわ」
隆宏が、目を細めた。
「そうなんだ?」
「もっとも、ホームパーティーで収まらないほど友人がいたから、外食だったけれど。……訓練なしの、自由時間……一日いっぱい、彼らと出掛けたものよ」
へえ、と、感心して、志乃が隆宏に言った。
「ホームパーティーだって似たようなもんさ。ケーキとご馳走を前に騒ぐだけ。難しいこっちゃない。ちなみに、俺は八月だからな。覚えといてくれよ」
「ケンとは半年違いか」
高志が、指を折りながら呟く。
「そういうこと」
「あ、あそこだよ」
歩いているうちに、スポーツジムのネオンが見えてきた。
高志は、自分の荷物を志乃に渡した。
「じゃ、遊んでくるから」
「あたしも行こうかしら」
と、返事も聞かず、彼女もまた、荷物を護と隆宏に渡す。
昼間、隆宏たちがいた図書館の窓から見えていたそこに、予約をとってから帰った高志は判るとしても、絵里までが便乗するとは……。
隆宏が呆れ顔で言った。
「ダンナを放っておいて、他の男と遊びに行くヨメは君くらいじゃない?」
「あら、貞淑さを期待しないでちょうだい。わかっていて結婚したんでしょう? 今さら文句は言わないの」
まったく、口では敵わない。
もっとも、最初から結婚というもの自体、形だけだから、さほどのこだわりがないのも確かだ。
結婚、という言葉を、最初に口にしたのは絵里のほうだったが、それは、単に二人の気持ちが一致したからにすぎない。
それに対して、形ある証明を用意してくれたのは健だった。
ただし、彼にそのような知識があったとは思えず、恐らく実のアドバイスだろうと想像できるが。
結婚指輪は、しかし、彼らに何らかの変化をもたらすわけではなかった。
笑いながら見送る隆宏たちに手を振って、高志と共に、彼女はジムに向かう。
護たちは、増えた荷物をもって、家に戻った。
キッチンに近いテーブルには、健と玲以外、手をつけていない食器がまだ並んでいたため、健は、ソファの方で、隆宏たちが持ち帰ってくれた資料に目を通していた。
ドアが開く音にも、彼らが入ってきた音にも気づかず、一心不乱に、何枚かの用紙を見ている。
荷物をキッチンに置き、隆宏が彼の背中から声を掛けた。
「戻ったよ、ケン」
しかし、やはり返事がない。
いつものこととはいえ、音楽も流さずに集中できていることを意外に思って、彼は、健の目の前に手をかざした。
その邪魔で、ようやく気がついた。
資料から目を離し、隆宏を振り仰ぐ。
「ああおかえり。遅かったね」
「ごめんね。他に買うものを思い出してさ。荷物が多すぎて、みんなを呼び出したんだ」
パーティーの話は、用意が整う、明日の夜まで秘密だ。
どうせ、材料を見ただけでは、健にはなんの用意かはわからない。
「そう。……戻ってすぐで悪いんだけれど、アキラさんを駅まで送ってあげてくれないかな?」
「すんだの?」
「まあね」
「……送るのはいいけれど……なんか、文句を言いそうなんだよね」
先程のことを考えると、会いづらい、よりも、やはり文句のひとつ二つをぶつけそうなのだ。
せっかく実のために来てくれた相手に、失礼なことをする自分を想像すると、やはり躊躇ってしまう。
健は、その辺りの事情を玲から聞いていたから、それなら、と志乃に頼んだ。
「いいのかい? 初対面だぜ?」
「嫌でなければ頼むよ」
「別に、俺は構わねぇけど、相手はエリートだろ?」
なにしろ、あの実を診察するくらいだ。気の強い中年相手に、話が合うかどうかという懸念はある。
が、健は軽く笑った。
「彼にはそういう意識はないよ。……マモル」
玲は実のところだ。
返事もせずに護は二階に上がり、彼を伴って降りてきた。
隆宏に笑いかけながら、その向こうにいる志乃に気がついて、健を見下ろす。
「彼がお客さん?」
「そう。彼は万里村志乃。シノ、こちらは鶴野玲さんだよ」
互いの紹介に、二人は頭を下げたが、志乃はてっきり四、五十代の男をイメージしていたから、思わず苦笑する。
自分とさほど変わらないじゃないか、と。
しかし、同時に、同年代ほどの彼が実を診察したということにも驚いた。
“やっぱ、エリートじゃねぇか”
顔は人並みで、健たちを見慣れているから、少し太めに見える。
高志と同じくらいの身長か。
笑顔はのほほんとしているものの、あの実を診るくらいだ、帰り道、小難しいことを並べ立てるんだろうな、などと考えながら、志乃は立ち上がった。
「彼が駅までついていくから。遅くまで、申し訳ない」
終電に近い時間まで引き留めてしまったことを詫びる。
「いいよ。じゃ、遠慮しないから。万里村くん、頼むね」
「堅苦しいねぇ。シノでいいよ」
エリートだろうが、関係ない。
要は、話のペースをこちらに向ければいいだけのことだ。
玲も、人好きのする笑顔で返した。
「じゃ、僕のことも名前で呼んでくれる?」
と、意外なほど気さくに言って、彼は健たちに手を振ると出ていった。
そのあとを、隆宏が追う。
いくら気まずいからと言って、やはり、ここでそのままというわけにはいかないだろう。
彼の誠実なところだ。
「マモル、おまえたちはまだ、食事をしていないんだろう?」
頷くだけの返事があった。
「ミノルにはアキラさんがスープを作ってくれたからいいよ。すまないが、オレはミノルたちの部屋のほうにいるから、あとを任せるよ」
これにも頷いたが、健が、足元の袋に手をかけようと屈むのを見て、素早くすべてを取り上げると、先に立って二階にあがった。
部屋の前で袋を渡しながら、護は、僅かに実のいる部屋を振り返った。
「大丈夫……なのか?」
護にとって心配なのは、健が、実の代わりに志乃の『犠牲』になるのではないかということだ。
実の場合、相手が男だろうが女だろうが融通がきくというのを知っている。自分の中に、他人の感情が入っているため、心境的に男女の区別がないのだ。
護自身も、ある意味事件として、体感している。だからこそ、他人と距離を置いているのだから。
が、それがなかったとしても、普通の感覚ならば、近づきたくない性癖を、志乃は持っているのだ。
まして、健には今、本部に成瀬萠実という相手がいるのである。
健は、護が実以外のメンバーにそういう気遣いをしたことを意外に思いながら、ドアを開けた。
「何とかなるよ」
その言葉が引っ掛かる。
大丈夫、と言わなかったのは、ある程度の覚悟をしているのではないか?
健の場合、性格もあって、気休めの嘘は言わない。ダメなときははっきり口にし、しかし、最善の方法を考えて、メンバーを導くのである。
だからこそ、彼が『大丈夫』というときは、誰もが理由を必要とせず、安心する。
しかし……今の言葉は……。
「ダ……」
ダメだ、という言葉が、出てこない。
今となっては、痛みしか思い出せない、そのときの感覚が浮かぶ。
心の底の記憶に、気分が悪くなる。
彼にとって、そのときの記憶は、実すら敬遠するほど、おぞましい過去でしかない。
青ざめて俯いた護を見て、健が一度、ドアの向こうに袋を置くと、ドアを閉めた。
「困ったね。おまえがこうなるだろうからミノルは素振りすら見せなかっただろうに。……シノに会うのが怖くなった?」
「……少し……。だが、今は……君が……」
「仕方がないね」
健は、少し考えて、続けた。
「昼にね、シノから聞いたよ。いろいろとあって、女性は精神的に避けていたらしいんだ。それでいながら、愛情を感触で確かめていたいらしい。……ミノルに関しては、シノから仕掛けたわけじゃない。ミノルの方は、防波堤になっていたつもりなんだろうけれど、それがよかったのかどうか……。シノの気持ちが変わったんだよ。今は、もう……」
「……」
「シノは、本気だ。それが、おまえのときと違うんだよ」
「それでも……ミノルは……シノの勝手な……」
「そうだね。一方通行の想いかもしれない。それは、彼も承知しているよ。……今日はまだいい。でも、日がたつにつれて、ミノルとの約束が負担になるだろう」
「約束?」
「想像はつくんじゃない? どうして、ミノルが、彼をメンバーに近づけさせなかったか……。もちろん、それはオレたちを守るためだったろうね。けれど、ミノルの、真の目的は違うんだ。なぜ、彼に約束をさせたのか、まだ彼には理解できない。それをわからせるのが、オレの役目なんだよ。だから、何とかなると言ったんだよ」
やはり、志乃を受け入れるつもりか……。
痛みも、苦しみも、そして、辛さも……。
「ケン、まさか……あなたはオレたちのために……」
ふと、気がついた。
志乃の気持ち自体が実に向いているというのなら、あとの問題は、抑えられない体の欲求だけだ。
歯止めとなっていた実が倒れた今、新たな盾になるつもりなのか、と。
メンバーのため、何より、護のために。
「まあ、何事も経験かな、と思ってね。おまえやミノルの感覚は、話を聞いても理解してはあげられない。もっとも……」
苦笑混じりに、健は顔を逸らすと、気まずそうに続けた。
「できれば避けたいから、説得するつもりではいるけれど」
もう、何も言えなかった。
彼の心を変えることなど、誰にもできるわけがないのだ。
メンバーのため……それしか頭にない健に、自分を大切にしろとは、言えない。自分には、言う資格もない。
いや、それ以前に、護はどこかで思っていたのかもしれない。
健ならば、志乃を変えるのではないか、と。
心が晴れたわけではない。しかし、護は黙って下に降りていった。




