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七 回答

「どうして、君が、泣くの?」

 葛城の顔を不思議そうに見上げ、月ヶ瀬が低い声で言った。

 声を出せない様子だった葛城は、しばらくしてようやく口を開いた。

「俺はお前のために、大森パトロール社へ残ったわけじゃないよ。」

「・・・・なら、よかったよ。」

「自分の選択は、常に、自分のためだから。」

「そうだね。」

「お前だって、そのはずだ。」

「そうだよ。」

「警護員たちが、より安全に仕事ができるようになること。それも、自分のためってことだよな?俺たちじゃなくって、お前自身のためってことだよな?」

「・・・・・」

「さっきお前が茂さんに言ったことを、そのまま返すよ。なにをしようと勝手だけど、俺たちを実際に巻き込むのは、迷惑だ。」

 茂は驚いて葛城の顔を見た。

 葛城の美しい横顔は、切羽詰まった表情で満ちていた。

 月ヶ瀬が、笑った。

「・・・そうかもしれないね。僕は、間違っていたかも、しれない。」

「どうしてそんなことを、した。」

「自分のために。」

「そう、お前のために。どうして。」

「失うことが、嫌いだし、イヤだから。」

「他人も、自分も。」

「そうだよ。僕はいい。僕と誰かの間もいい。でも、それ以外のものも、見たくなくても目に入るでしょ。」

「そうだな。」

「それが、イヤだった。そういうこと。」

「馬鹿だね・・・・・信じられない・・・・」

「自分でも、そう思う。」

 さらに数滴の涙が、葛城の頬を伝って床へと落ちた。

「そんなんじゃ、阪元探偵社だろうとうちだろうと、やっていけるはずがないじゃないか。」

「そうだよね。こんなに理屈が合わないことを、自分が考えたりやったりするって、正直思わなかったよ。びっくりしたよ。」

 葛城が、床に膝をついて月ヶ瀬の両肩を両手でつかんだ。

「波多野さんに、説明しろ!」

「・・・・・」

「今日のうちに。今から事務所へ連れていく。」

「業務命令違反と、その動機とは、関係がないこと。」

「いいから!・・・・・力ずくでも、一緒に来てもらう。」

「僕を拉致するの?」

「葛城さん!」

 月ヶ瀬の襟首をつかんだ葛城を、慌てて茂が後ろから止めた。

 そして、葛城の両手をつかみながら、茂も月ヶ瀬に言った。

「俺からもお願いします・・・・どんな結果になるとしても、真実を明らかにして、そしてしかるべき結果を甘受すべきです。」

「生意気な言い方をするようになったんだね、新人警護員さん。」

「すみません・・・」

「ひとつ、教えて。」

「はい。」

「僕が殉職したら、君は、どう思う?」

「もちろん、誇りに思います。先輩として。」

「悲しい?」

「いいえ、まったく。」

 月ヶ瀬は、微笑んだ。

「及第点の、答えだね。」

「はい。」

「・・・ただし、満点には、まだ届かない。満点になるのは、そんな顔をせずに、同じ答えを言えるようになったときだね。」

 茂は、涙を指で弾いて、唇を噛んだ。



 大森パトロール社の応接室で、波多野が目の前の三人の警護員を順に見ながら、大きなため息をついていた。

「晶生と透からの話を総合すると、今のようになるな。」

「俺たち、残念だという気持ちに、なるべきなんですよね?」

 山添が冗談とも本気ともつかないようなことを言った。

 波多野はメタルフレームのメガネを持ち上げ、短く笑う。

「それは誰にも分からんさ。俺たち警護員は、ほんの一部の人間の、ほんの一部の時間を守るだけだ。それ以外のどんなこともできない。守っていないときに、守っていない人間になにがあろうと、それは俺たちには関係のないことだ。関知できないことだ。いや・・・関知すべきでない、ことだ。」

「そうですね。」

 高原が言い、そして葛城は体を硬くしてうつむいた。

「怜、メイン警護員を務めたお前の気持ちは、もちろんわかる。殺したいほど憎い相手を、死ぬ気で警護したんだもんな。うちのポリシーを放棄しないために。あんなに、あいつらに・・・・阪元探偵社に挑発されても、屈することなく。」

「・・・・」

 葛城がさらに深くうつむきながら、小さくうなずく。

「そして、崇。」

 波多野は山添を見た。

「お前は、朝比奈和人警護員と、一番仲がよかった。和人を欺き殺した升川厚は、何度殺そうと飽き足らないほどの相手だったろう。それを、担当警護員ではなかったとはいえ、警護現場で後方支援をしてくれた。あのときの心中は察して余りある。感謝している。」

「・・・・ありがとうございます。すみません、波多野さん・・・」

「升川を、阪元探偵社が殺してくれてよかったと思っているか?」

「正直、そう思っています。自分にできないことを、してくれたと、思ってしまいます。警護員として、あるまじきことです。」

「個人としての感情は、また別だ。それはそれで普通のことだし、当然のことだ。恥じることはない。」

 高原が口を開いた。

「波多野さん、升川はあのまま逃亡していれば、殺されることはなかったでしょう。板見が自ら囮になっていたのも、升川が報復を図る、その機会を捉えようとしたのでしょう。自分の計画を妨害した阪元探偵社に、今回報復しようとした升川の、自業自得です。少なくとも俺は、個人としても警護員としても、なにひとつ遺憾には思いません。」

「ああ。」

「升川の警護を応援したことも後悔してませんし、升川が死んだことも、それを自分が喜んでいることも、まったく違和感はありません。これはもしかしたら、一部阪元探偵社の考え方に同調してしまっている、と言えるのかもしれませんが・・・。」

「晶生、あまり分析しなくていい。」

「すみません。・・・とにかく俺も、大丈夫です。波多野さんが、実際は一番、精神的にきついんじゃないですか?」

「まあ、かなりショッキングな出来事ではあったな。」

「俺たちのことは心配しないでください、波多野さん。連日色々あってお疲れと思います。たまには、ゆっくり休まれてください。」

「ありがとう、晶生。」

 波多野は実際疲れた顔で、しかし優しく微笑んだ。

「あの・・・・このことを・・・・茂さんには、話されますか・・・?」

 葛城が尋ねた。

「まあ・・・そのうちに、な。今はまだいいだろう。」

「はい。」

「河合には、今朝月ヶ瀬の処分が決まったことを伝えたら、もうそれだけで取り乱していたからな。」

 三人の先輩警護員たちは一斉に笑った。

 葛城が特にひどい思い出し笑いをしていた。

「茂さん、電話の向こうで一分間くらい何言ってるか分からない状態でした。よく聴いたら最後のほうでようやく、出勤停止ってつまり解雇じゃないってことですよねって言ってることがわかりました。」

「はははは。」

「三か月の出勤停止期間が過ぎたら、また前と同じように仕事ができるんです、ということを最後まで説明するのに、大体五分ほどかかりました。」

「しょうがない奴だよなあ。」

「今日は平日昼間のほうの会社ですが、ちゃんと仕事できてますかね。」

「まあ、いつもできてないみたいだから変わらないかもな。」

「今朝あらためて出頭してきた月ヶ瀬と顔を合わせてもいないから、あいつが解雇以上に恐ろしい目にあったことも知らないんですね。」

「そう・・・・月ヶ瀬が、大森社長に、三時間説教されたこと。」

「あいつがあんなにダメージを受けた顔、初めて見ました。」

 波多野はソファーにもたれ、両手を頭の後ろに組んだ。

「当然だ。社長をなめてはいかんぞ。警護員達への、あの人の思いは、半端なものじゃない。」

「そうですね・・・・」

「もちろん、人間を、変えるなんていうことは、ほぼ不可能なことだ。誰かを一生守るなどということが、不可能であるのと同じようにな。」

「はい。」

「しかし、その者の、他人との関係は、いつか少しなら変えることができる・・・かもしれない。」

「はい。」

「まあ、それさえも、やっぱりできないかも、しれないけどな。」

 三人の警護員たちは、それぞれに、頷いた。



 坂を上りきったところにある教会の前で、高原が車を停めたとき、既に太陽はほぼ西の空の地平線際にあった。

 後部座席から荷物を取り、教会の敷地へ足を踏み入れる。

 教会を回り込んだところにある、階段状になっている墓地の、奥の小さな墓碑の前に、一人の墓参者が立っているのが見えた。細くしなやかな体に、黒のコートを着て、同じ色の髪が正面からの風を受けて肩を滑るように揺れている。

 高原が後ろからゆっくりと近づくと、墓参者は振り向かず、低い声で言った。

「僕がここにいると、思った?」

「自宅へ行ったら、いなかったからね。」

「今日から晴れて外出自由になったんだから。」

 強い風が吹き抜け、月ヶ瀬は左手で顔の前の髪を払った。

 高原は数メートルほどのところまで近づくと、足を止める。

「朝比奈さんに、報告してたのか。」

「そういうわけじゃないけど。」

 太陽が落ちるように姿を消し、高台から見える下界の街に、少しずつ灯がともり始めている。

 風がやんだが、月ヶ瀬の髪は、持ち主が少しうつむいたため再び肩を滑り落ち顔を覆った。

「そうだな。生きている人間にさえ関与しないお前が、死んだ人間に関心があるはずもない。」

「そうだよ。」

 高原は自分も月ヶ瀬の目線の先の、光を消しつつある空へ向けた。

「・・・お前と同じように、俺も、他人のことなどあまり考えないように、するよ。」

「そう。」

「お前が嬉しいかどうか、喜ぶかどうかなんて、どうでもいい。俺はね。・・・俺たちが、哀しい思いをすることが減るようにと、考えてくれたお前に、感謝している。」

「・・・・・」

「俺は感謝しているし、そのことをお前に伝える。お前がどんなに、迷惑だろうとね。」

「・・・・・」

「俺たちのためにしてくれたのかどうか、そんなことさえ、どうだっていい。」

「確かに、死ぬほど迷惑だ。でも、僕が僕のやりたいようにするのと同じように、君も、好きにすればいい。僕には関係ない。」

「そうだな。」

「花、供えれば?」

 高原の手元には、白いユリの花束があった。

 高原は墓碑まで歩き、隣に立ちずっと目線を下げない月ヶ瀬の、すぐ隣で跪き、朝比奈和人警護員の墓に花束を置いた。

 そして跪いたまま、墓碑銘を見つめたまま、高原が言った。

「どうして、奴を、自分の手で殺すことができなかったのか。そんなことを、思っていたか?」

「他人の心を想像するのは勝手だけど、あまり品の良いことじゃないね。」

「品が悪いのは生まれつきなんだ。」

「誰かを大切に思うのは、苦しいことだよ。」

「ああ。」

「そしてすぐに、わからなくなる。その人のためなのか、自分のためなのか。」

「そうだ。」

「そして大概、失ったときに、気がつく。自分のためだったって、ね。愛じゃなく我儘だったって。そして、そのとき、もっとあんなことをしてあげたらよかったのに、とか、色々思う。手遅れ。」

「そうだ。」

「でも人間、学習しない。また繰り返すんだよ。」

「・・・そうだな。」

「人間の能力をはるかに超えたこと。誰かをちゃんと愛するっていうのはね。だから基本的に、やめたほうがいいこと。」

「そうかもしれない。」

「お墓は、そういうことの、最高の先生なんだよ。」

 高原は墓前に膝をついたままでいる。

「学習しない。その通りだな。そして俺たちは、きっとまた、いつか仲間を失う。そしてきっと、また誰かがなにかを死ぬほど後悔するんだろう。しかも、また、敵討ちひとつできないんだろう。」

「そうだよ。」

 高原は、立ち上がった。

 月ヶ瀬が、踵を返し、高原とすれ違うように足を踏み出す。すれ違いざま、高原が言った。

「誰かを大切に思うほど、寂しさは、増すものだな。」

「ほんとに。ご苦労様なことだと、思うよ。」

「俺たちは、そんなに優しくないよ、月ヶ瀬。」

「・・・・・」

「お前を、失いたくない。」

「・・・・」

「お前を亡くすなら、自分が死ぬほうがよっぽどマシだ。」

「・・・・」

「つまり、最悪の、我儘な人間たちだ。」

「・・・・身の程知らずの、ね。」

 月ヶ瀬は静かに墓地を出ていった。微風に靡いた黒髪が、微かに煌めいていた。

 空には、星はまだ見えなかった。

第十四話、いかがでしたでしょうか。

次回、朝比奈和人の弟が登場する予定です。

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