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六 詰問

 救急車を呼び電話を切った茂は、ようやく少しパニックが収まり、大きく息をはきだした。

 そしてソファーの上の月ヶ瀬のほうを振り返り、再び驚愕した。

 月ヶ瀬が、目を開けて、右手で顔にかかった髪を額の上へかき上げながら、この世のものとも思えない不機嫌な表情で茂のほうを見ていた。

「月ヶ瀬さん・・・・」

「今日は君が確認の当番なの?インターフォンに気づかなくて申し訳なかったね。でもいるのを確認したら、すぐに帰ってもらえない?」

 茂はその場へ座り込んだ。

 絹糸のようなさらさらの茶髪に似合う、琥珀色の両目が呆然と月ヶ瀬の美しい両目を凝視している。

「よかった・・・」

「は?」

 ようやく月ヶ瀬は事態を理解し、左ひじをついて上体を起こした。

「何か勘違いしたみたいだね?」

「月ヶ瀬さんが、呼びかけても揺さぶっても全然目を覚まされないので、てっきり・・・・・」

「・・・もしかして、救急車とか呼んでない?」

「呼びました!」

「今すぐキャンセルしてくれる?」

「は、はい!」

 茂は再び救急へ電話をかけた。電話で詫びて事情を話し、茂が電話を終えるころには、月ヶ瀬は起き上がりソファーへ座っていた。

 めまいを取り去ろうとするように頭を振り、長い黒髪が肩を流れる。

「僕が死んでると思ったの?」

「はい。」

「脈拍とか呼吸とか確認した?」

「してません。」

「君、たしかうちの警護員だよね・・・・」

 月ヶ瀬は怒りというより呆れた顔をした。

「すみません、部屋に入ったとたんに頭が真っ白になってしまいました。」

「・・・前に高原にも、僕が寝ていると息してないみたいに見えるって言われたけど・・・・」

「ほんとに、呼吸しているなんて思えませんでした。それに、大声で呼んでも揺すっても無反応で、とても眠っておられるようには・・・・」

「不眠は僕の持病みたいなものだから。もう何年も、病院で処方してもらって睡眠薬を使ってるんだよ。寝る時はほぼ必ず。」

「・・・・・そうだったんですか・・・・。」

「波多野さんはご存じだから、非番の夜に僕が電話に出ないと、そういうことだと思ってくださっている。でも、確かに、他の人間は知らないからね。君を責めはしない。じゃあ、もう用事は済んだよね?」

「あの、月ヶ瀬さん・・・・」

「なに?」

「あ、あの・・・・」

 茂は言い出しかけて口籠った。

「なんなの?」

「えっと、その、寝るときは布団をかけたほうがよいと思います・・・風邪をひかれてはいけないですから。」

 さらに呆れた顔で月ヶ瀬が目の前に座り込んでいる後輩警護員を見る。

「アドバイスありがとう。」

「で、できればソファーじゃなくちゃんと布団敷くとかベッドとか」

「わかったよ。」

 茂は前歯で唇を挟むようにして、月ヶ瀬を見ている。

 月ヶ瀬はうつむいてため息をついた。

「なにか、僕に聞きたいことがあるみたいだけど。」

「はい。あの・・・・」

「月ヶ瀬さんのような優秀な先輩が、どうしてあんなことをしたんですか、なにか訳があったと僕は信じています、ほんとうのことをおしえてください、このままでは解雇されてしまいます」

「・・・・・」

「こんな感じでしょ。」

「はい。」

「君はふたつ間違ってるよ。まず、なにかもっともらしい理由があったら、悪いことってしていいの?」

「・・・・・・」

「それから、今ここでなにか君に話せるようなことがあるなら、一週間前に波多野さんに話しているよ。」

「・・・・たしかに、そうですよね・・・」

 今度は茂がうつむいた。

 漆黒の長髪を手で肩の後ろにはらいのけ、月ヶ瀬は青みを帯びた白い肌をした顔で、茂を見つめた。

「そういえば、河合さん。君、いつか葛城が退職しようとしたとき、がんばって引き止めたでしょ?」

「あ・・・・はい。」

「葛城は僕があいつの警護案件の対応の不備のせいで、負傷したと思ったんだね。そして河合さん、君は、僕をダシに使ったでしょ。葛城を止めるのに。」

「えっ」

 茂が目をまるくするのを、月ヶ瀬は冷ややかに見ている。

「あんなに命を粗末にするような可哀想な人を置いて、葛城さんは大森パトロール社を去るんですか、そんな薄情なことをするんですか。月ヶ瀬さんのことで責任を感じているなら、去るのではなく、残ることこそが責任の取り方じゃないですか。大方、そんなことを言ったんじゃない?」

「・・・・・」

「君の性格は、とってもわかりやすい。」

「・・・・」

「葛城たちと同じくらいに。」

「・・・・」

「僕のいないところで何を話して何をしようと、君たちの自由だ。でも、僕を巻き込まないでくれるかな。僕に、本当にそういう類のことを言うのだけは、やめてくれないかな。」

「・・・・・・・月ヶ瀬さんは、大森パトロール社を辞めることになってしまっても、いいんですか・・・?」

「僕にどうこうできる問題じゃないから。」

「月ヶ瀬さんの意思をお尋ねしてるんです。月ヶ瀬さんは、すごく賢いし、不合理なことはなさらないはずです。なにか理由があったからこそ、今までうちの会社にいらっしゃったわけです。そして、もういる理由がなくなったなら、こんな事件などなくても退職されていたはずです。」

「報酬を得て情報を漏らして、ばれなければずっと続けようと思ってた、それだけだよ」

「命がいらない人に、お金は必要ありません、月ヶ瀬さん。」

「・・・・・・」

 茂の両目に、氷のような怒りが満ちた。

 月ヶ瀬は思わず沈黙した。

「あなたは、阪元探偵社から彼らのところへ行くことを求められ、そしてその求めに、応じるつもりだった。」

「・・・・」

「でも、それならただ単に大森パトロール社を退職してあちらへ行けばよいだけなのに、どうして今回のようなことをなさったのか。」

「・・・相手に、本気度を試されただけかもしれないよ。」

「内通みたいな初歩的なかたちで試さなければ分からないような相手を、あの会社がスカウトしますか?」

「・・・・・」

「月ヶ瀬さんがあんなことをしたのは・・・・ご自分個人のことだけじゃなく、大森パトロール社という会社そのものについて、何かを、変えたいと思ったからですよね?」

「・・・・具体的には?」

「守るべきでないクライアントは、守らない。名実ともにそういう割り切りができるようになる、ということではないでしょうか。」

「ひとつ大きな間違いがあるよ。」

「・・・・?」

「それは、僕がそうしたいと思ったことじゃなくて、奴らが思ったこと。」

「・・・・・」

 茂は、正確には「奴らが」ではなく「奴らも」なのではないかと思ったが、指摘はしなかった。

「そうなれば僕が絶対に大森パトロール社にいられなくなるってことだから。」

「どうしてですか?」

「つまらない理由だよ。僕は、警護依頼がある度に、客観的に明らかな事柄以外のいろんな面倒なことについて・・・・守るべきかどうかとかそういう曖昧なことについて、社内で調整したり合意したりするような、そういう会社は無理だってこと。」

「なぜ・・・?」

「ひとりで仕事が、できないでしょ。」

 月ヶ瀬は冷たさの混じらない、珍しいような笑顔を見せた。

 茂はしばらく黙っていた。

 やがて茂が再び口を開いた。

「月ヶ瀬さん、では・・・・」

「まだ質問あるの?」

「・・・・これまでは、大森パトロール社では、月ヶ瀬さんはひとりで仕事ができていたということですか?」

「そうだよ。自分や他人の心について一切考えなくていいという意味で、完璧に、そうだよ。」

「・・・・・」

「曖昧なことについて、何かを決めながら仕事をするっていうのはね・・・・互いに不完全で不合理な、心の奥底まで、価値観を曝しあうことなんだよ。」

「・・・・・はい。」

「それを、しなくて済んだ。少なくとも、今までのうちの会社は。」

「・・・・?」

「少なくとも、あの探偵社とか、それから君とかが、葛城たちに悪い影響を与え始めるまではね。」

「・・・・・・」

「うちの会社は皆、十分に優しいから。僕の仲間に、ならないでいてくれる、程度には。」

 茂は何も言えずにいた。

 月ヶ瀬はため息をつき、哀しみのよぎる笑顔で目を伏せた。

「もうこういうことは、話題にしないでね。それから・・・携帯電話、電源は入れておいたほうがいいと思うよ。」

 はっとして茂は手元の携帯電話を見た。救急にキャンセルの電話を入れた後、誤って電源スイッチを切ってしまっていた。

 月ヶ瀬はドアのほうを見て、少し大きな声で言った。

「そこにいるんでしょ?・・・・大森パトロールの、葛城さん。」


 廊下に出る扉が開いて、葛城が居間に入ってきた。

 葛城は数歩歩いて立ち止まり、頭を垂れた。

「ごめん、勝手に聞いていて。」

「音も気配もなしに、忍び込むみたいにして入ってきたのは、家の中に襲撃者がいる可能性を考えてのことだろうけど・・・・居間で僕たちが平和にしゃべっていることが分かった後、気配丸出しで立ち聞きしてたのはどうかと思うよ。」

「申し訳ない。」

「まあいいよ。この新人警護員を連れて帰ってくれる?」

「・・・・月ヶ瀬。」

 葛城はもう一歩こちらへ近づき、月ヶ瀬の顔を見た。

 月ヶ瀬は反応しない。

「波多野部長がおっしゃっていた。明日、大森社長から、処分について決定が下りることになったって。」

「そう。」

「どうして、阪元探偵社へ行くのをやめた?」

「は?」

「今の、中途半端な状況の大森パトロール社より、明確なポリシーを持っている阪元探偵社のほうがいいと、思ったはずだ。そして恐らくあいつらは、犯罪を嫌うお前を説得するだけの整理もした上でお前を迎えようとしたはずだ。なのに、なぜ?」

「めんどくさい判断をしているのはあいつらも同じだし、むしろ元祖だよ」

「さっきの話から考えても、そのことだってあいつらはクリアしたはず。」

「・・・・・」

「明確な基準を設けることを、示唆してきたんだろう?お前だけのために。」

 月ヶ瀬は黙った。

 さらに足を進め、葛城はソファのすぐ前まで来た。

「『僕は逆にあまりにも君たちに同意してしまったから、君たちのところへは、行けない。』・・・・これは、どういう意味なんだ?」

 月ヶ瀬は厳しい表情のまま美しい両目を少し細めて、葛城の、同じ線の細い美貌でもまったく種類の異なる容貌の顔を、じっと見上げた。

「うちの会社は対外的な守秘はまあまあだけど、社内でのけじめはホントにぐずぐずだよね。」

「質問に答えてくれ。」

「・・・・・答える必要は、ないんじゃない?」

「・・・・・」

「それは、君に答えを教える必要がないという意味じゃないよ。」

「・・・・・」

「君が、答えをもう、知っているということ。」

 茂は葛城の顔を見上げて、息をのんだ。

 葛城の両目から、涙が零れ落ちていた。



 高原は、車のキーを指先で弄びながら、何度かうつむき、そして夜空を見上げ、落ち着かない様子で時間を過ごしていた。

 まだ十五分以上ある。しかしその時刻になる前に、戻ったほうが良いような気もしていた。

 公園の駐車場の入口から、強いライトがこちらを照らした。オートバイのヘッドライトだった。

 阪元探偵社の若きアサーシン、殺人専門エージェントが、降りたオートバイをゆっくり両手で押しながら、こちらへ近づいてきた。

「こんばんは、高原さん。」

「こんばんは。」

「僕の名前、もう知ってるよね。」

「知ってますよ。」

 深山祐耶は、道路から反射する光と頭上のわずかな街灯の光に照らされた異国的な容貌に、硬い表情を湛えて高原を見ている。

「呼び出しておいて、ごめんね、あんまり時間がないから用件だけ。」

「はい。」

「うちの会社の社長が、月ヶ瀬警護員をすごく気に入っている。どんな手段をつかっても、欲しいって言ってる。」

「・・・・・」

「僕も同感。今まで書類の上でしか知らなかったけど、あの船上パーティーで対峙したとき、兄の言ってる意味がわかった。月ヶ瀬の腕は、実際は高原さん、あなたにはわずかに及ばないかもしれない。でも月ヶ瀬警護員は、阪元探偵社が求めるものを全部備えてるんだ。」

「・・・・」

「僕の仲間が・・・、うちのエージェントが、僕が負傷したあの場面で月ヶ瀬がどんなだったか話してくれたときは、身震いした。うちのエージェントが、ターゲットに命乞いされて殺害を躊躇したとき、月ヶ瀬は一言で彼の目を覚ました。」

「・・・・」

「生きている限り繰り返す。殺せ、と、言った。あの人はたぶん、理屈が合えば今すぐに人を殺せる。迷うこともなしに。僕と、おなじようにね。」

 高原は表情を変えていた。

 その理由は、一部、深山の想定外のものもあった。

「高原さん。月ヶ瀬さんは僕の怪我の手当てをした。自身の身の危険も顧みずに。あの人は僕の仲間に言った。僕の腕をもう一度見たいって。それ以外の返礼はいらないって。」

「・・・・」

「でも僕はちゃんとけじめをつけたい。あの人は、今、なにを求めているの?」

「・・・・・」

「おかしな、質問?」

「深山さん、あなたが何をしようと、月ヶ瀬は一度決めたことは変えません。あなたたちのところへは、行かないでしょう。」

「わかってるよ。けじめをつけたいというのは、だからこそ、だよ。」

「そうですか。」

「『僕は逆にあまりにも君たちに同意してしまったから、君たちのところへは、行けない。』・・・・これは、どういう意味なの?」

「彼があなたに言った言葉ですか」

「そうだよ。」

 高原はかすかに苦笑した。

「簡単なことです。彼は、あなたたちと、深いところで、価値観が一致する・・・あるいは、一致したと感じたのでしょう。」

「え・・・」

「そういう相手とは一緒に仕事をしないんですよ、彼は。」

 深山が目を逸らし、しばらく唇を噛んで黙った。

 そしてうつむいた顔に、ゆるく波打つ金茶色の髪がすこし、かかった。

「それはつまり、正確な意味での、仲間というものを、彼がつくらないということ?」

「そうです。」

「そのためなら、したい仕事が十分にできないことさえ甘受するの?」

「そうでしょうね。」

「どうして・・・・・」

 高原は、苦みを増した微笑みを、一瞬よぎらせすぐに消した。

「なにも失いたくないからです。」

「・・・・・」

「そして、誰にも、なにも失わせたくないからですよ。」

 深山の茶色の異国的な両目が大きく見開かれて、高原のメガネの奥の刺すような知性を湛える両目を捉えた。

「ならば、兄が言うように、命を助けることは厳密な意味ではあの人に対する返礼にはならないんだね。」

「そうかもしれませんね。」

「僕に、なにができる・・・・?」

「たぶん、なにも。」

 高原はむなしそうに笑い、そして、別の話をした。

「深山さん。貴方たちが殺害したターゲットを、月ヶ瀬は知っていたんですか?」

「え・・?」

 深山は不思議そうな顔をした。

「生きている限り繰り返す。と言ったんですよね?」

「高原さんたち、聞いてないの?・・・升川厚だよ。あなたたちの仲間をかつて、欺き、殉職させた、プロの殺し屋。」

「・・・・・・」

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