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四 裏切り

 平日昼間勤めている会社で茂は今日も同じ係にいる同期にこき使われた一日だったが、そのことが苦痛に感じられないほど心ここにあらずだった。

「おい河合」

「今いそがしい」

 斜め前の席で帰り支度をしている、才色兼備の同期に声をかけられても、茂は見向きもしなかった。

 三村英一は立ち上がりながら不審そうに茂を見下ろす。

「特になにかしているようには見えないが。」

 しばらく茂は無反応だったが、十秒ほどもそのまま固まったあと、今度は急に英一のほうを見た。

「三村、お前さ。」

「なんだ。」

「最近高原さんと会った?」

「いや、事務所には最近行ってないし、外でもここしばらく会ってないな。」

「そうか・・・・」

「なんでだ」

「お前にだったら、高原さん何か相談してるんじゃないかと思って。」

「月ヶ瀬さんのことか?」

「どうしてわかった?」

 英一は少し目を逸らして口だけで笑った。

「お前に聞いた最新の警護案件は、確か月ヶ瀬さんがメインで山添さんがサブで担当されたものだったから。その後、ほかの話を全然しないということは、その件でなにか気になることが続いている証拠だ。」

「探偵みたいだなー。お前。でも当たってる。月ヶ瀬さんも先輩たちも相変わらずなんだけどさ」

「相変わらず、関係が悪いんだな?」

「ああ。でも、ここしばらく、波多野さんまで、おかしいんだ。山添さんを除いては、事務所で月ヶ瀬さんと唯一他の人間と全然変わらない様子で話をするのが上司の波多野さんだったんだけど、顔を合せてもなんだかよそよそしい。波多野さんを介してならなにかきっかけが掴めるかと思っていたのに。」

「気のせいじゃないのか?波多野さんはもともとそんなに愛想のいい人じゃなさそうだし。」

「まあね。・・・俺は、いつか月ヶ瀬さんと、普通に話ができるようになりたいんだ。」

「どうして?」

 茂は少し顔を紅潮させた。

「だってあんなに有能な人なんだから。もちろん高原さんみたいに警護員の生きたお手本みたいな感じじゃないけど、それにすごく癖があるにはあるけど・・・・」

「なんというか、魅力的、なんだな?」

「そうそう。そうなんだ。」

「お前、たぶん、ドМだな。」

 茂は思い切りひるんだ。

「・・・・とにかく、僕なんかもう自分から話しかけることさえ、いまだにできない。どうすればいいのかいつも途方に暮れる。口を開けば他人の嫌がるようなことを言われるし・・・、いや、その内容は実は意外に的を射ていることが多いんだけど言い方がいちいち感じ悪くて、でも嫌になるくらい頭が良くて仕事は完璧でついでに顔もキレイで、上から目線で傲慢で威圧的な、そんな人を相手に普通の関係を築くにはどうすればいいのか・・・。」

「・・・・・」

 英一が固まっていることに茂は気がついた。

「いや、お前のことじゃないよ。」

「わかっている。・・・・・・・・波多野さんの様子がおかしくなったのは、いつからだ?」

「お前がさっき言った、この間の警護案件が終わってしばらくしてから、かな。」

「月ヶ瀬さんに対してだけなのか?」

「うーん、そうでもないかな。確かに・・・誰に対しても、全体的に不機嫌、という感じかもしれない。」

「・・・で、肝心の、月ヶ瀬さんの様子は?」

「いつもと全然変わらない。でも、最近、事務所におられることがちょっと増えたような・・・気がする。」

「そうか。」

「俺が事務所に顔を出すと、自席で作業しておられることがけっこうあって。顔を合わせる機会が増えたから、いろいろ気になるようになったのかもしれないな。」

 茂は腕組みして考え込む。

 英一は、おもむろに少し声の調子を変えて、茂に言った。

「ああいう人と、普通に話せるようになるのは、たぶん無理だ。」

「そうか・・・?」

「無意識じゃないからね。たぶん」

「え?」

「月ヶ瀬さんが嫌な言い方をするのは、癖とか性格とかじゃないと思うから。」

「どういう・・・意味・・?」

 茂はその透き通るような琥珀色の目で、英一の漆黒の端正な両目を凝視した。

 英一は斜め下に目線を下して、少し憂鬱そうに苦笑した。

「そのままの意味だ。わざとやっている。意識的に。だから、つまり、明確な理由がある。そういうことだと思う。」

「・・・・・」

 茂は英一の言う意味が分からず、沈黙した。

「簡単なことじゃないかな。」

「お前、以前言ってたことがあった。月ヶ瀬さんは他人にも自分にも厳しくて、そしてある意味、幸福な人だって。でも俺には、やっぱり、わからない。他人に嫌われることって、幸福なのかな。」

「少なくとも、ラクなことだ。」

「・・・・・」



 高原は、応接室で目の前の上司の様子が、これまで一度も見たことがないほど静かで、そしてそれが、つまり前例がないほど波多野部長が動揺している証拠であることが分かり、息を飲み込みながらその言葉を待った。

「すまんな、晶生。いつも面倒なことは結局お前に相談してる気がするが、今回もそうだ。」

「いえ・・・・。どんなことでしょうか。」

「俺はたまに、自分の勘が嫌になるくらい冴えてると思うことがある。」

「は。」

「そして、そのことが、嫌になる。」

「はい。」

「うちの会社は、各警護案件はその担当者以外にみだりに情報共有してはいけないのがルールだが、それは警護員たちの自主規制に任された緩やかなものだ。」

「そうですね。」

「コンピューター上のデータの管理も同様だ。警護員は誰でもアクセスできる。記録は残るがな。ただし、データの持ち出しや外部への送信は、絶対に禁止だ。」

「はい。」

「この間、警護依頼があり、俺が訪問し面談した作家がいたのを、覚えているか。」

「もちろんです。俺が担当するかもしれないと言われていましたから。」

「結局うちは警護依頼を断った。契約できない事由はいくつかあるが、そのひとつに該当した。」

「告知された事実に明らかな虚偽があった、そうでしたね。俺が聞いたのはそれだけでしたが。」

「もちろん、事由に該当すれば直ちに断るわけじゃない。事情を聞くし、グレーであれば、差し迫っている襲撃の危険度合いと秤にかけて最終的には判断する。」

「はい。」

 高原は、まだ波多野が何を言おうとしているのか話が見えず、その眼鏡の奥の知的な両目を凝らして上司の表情を読み取ろうとした。

「・・・その作家の知人と言う人間が匿名でうちに連絡してきたんだ。犯罪歴があるだけではなく、現在も進行中であると。彼を守る最良の方法は、警察へ突き出すことだ、と。一緒に送ってきた証拠はどれも決め手とまではいかないものだったが、少なくとも、過去の襲撃未遂事件がつくりものである証拠は間違いのないものだった。」

「そうだったんですか・・・・」

「今の犯罪の完了まで彼を無事でいさせることが、ボディガードの仕事なんですか?というメッセージ付きで。・・・これ、できすぎだと思わないか?」

「そうですね。」

「探偵社の仕事だ。それも一流の。」

「・・・・・」

「まあ、これが升川事件でも我々に警告したあの探偵社の仕業だとしても、それはそれで構わない。ご親切なことだ、と思うだけだ。ただし、問題がある。」

「はい。」

「升川事件と違い、うちにはこの作家と長年の因縁などはないから、うちにこんな親切な警告をする動機がいくらなんでも今回の奴らにはない。そして殺害現場を特定の場所にする理由もないはずだ。つまりうちに警告しているその時間を使って殺せばいい。つまり・・・」

「我々に警告をすること自体が、何か別のことへの、見返り・・・」

「そしてこの先はまったくの勘だったが。」

「はい。」

「阪元探偵社の殺人専門エージェントと対峙した、うちの敏腕警護員だ。」

「・・・・」

「阪元探偵社が、営業相手として好みそうに、思えた。透のような、人間は。」

「波多野さん」

「嫌になるよ。」

「まさか・・・」

「コンピューターのアクセスの履歴には、まったく怪しいところはなかった。そう、あいつはうちのシステム管理について熟知している。それで、警備部門のほうの情報システム担当部署に依頼して、あいつをターゲットにした罠を張った。」

「・・・」

「ハッカー対策用プログラムをほぼ新たに導入して、さらにあいつの個人用端末に細工もして、そしてファイル複製履歴を虱潰しにして、ようやく証拠にたどりついた。」

「そんな」

「外部へデータを持ち出した形跡が、みつかった。ここ最近の警護依頼案件に集中して。」

「・・・・・」

 波多野は、ソファの背にもたれ、腕組みをした。

 高原は宙に視線をとどめたまま、動かない。

「うちは、探偵社じゃない。」

「はい。」

「しかし、内通者は、調査する。」

「はい。」

「電子的な確認は終わった。最後は、人的な確認だ。」

「・・・・」

「高原、お前に頼みたい。」

「波多野さん、ひとつ確認してもいいでしょうか。」

「なんだ。」

「月ケ瀬が・・・もしも実際に奴らへうちへの警護依頼案件について情報を提供していたとして、その見返りは、奴らが短い時間にかなりのコストをかけて調査する、その依頼人の周辺情報ということになります。」

「そうだな。」

「はい。そしてさらに、相手側・・・仮に阪元探偵社とするならば、阪元探偵社側の、動機は・・・」

「・・・・・」

「波多野さん、俺は、やはりひとつしか、思い当たりません。」

「・・・・そうだな。」



 ホテルの一室に長期滞在している痩せた中年の作家は、普段通りの時刻にフロントの前を過ぎ、スタッフの挨拶を受け、そして上層階の自室へ向かった。

 いつも連れている屈強そうな男に見送られてカードキーで自室のドアを開け、これもいつもの通り、中に怪しい変化がないことを確認し、部屋へ入る。

 屈強そうな男はしばらく周囲を見渡し、部屋の前に立つ。

 やがて、ルームサービスのワゴンを押したホテルスタッフが現れ、屈強そうな男を言葉を交わす。男がホテルスタッフの代わりに部屋のベルを鳴らし、中から返事があり、男は自分が持っているカードキーでドアを開けた。

 次の瞬間、屈強そうな男はホテルスタッフに一撃で倒され部屋へ引きずり込まれていた。

「先生、お食事はできそうにありません」

 ワゴンを廊下に置いたまま部屋へ入ったホテルスタッフはそこまで言って、部屋の奥のテーブルの前で、窓の外を見て立っていた人物がこちらを振り向いたのを見てそのまま言葉を止めた。

「あなたは・・・・」

「作家の先生じゃないんです。申し訳ないですね。」

 ホテルスタッフの姿をした、まだ若い、短髪の暗殺者は、月ケ瀬はもちろん初めて見る相手だった。深山とも板見とも違う。高原くらいの長身の、浅黒い肌をした青年だ。

 月ケ瀬が刺客の脇に滑るように位置を変え、その背後を通り過ぎてもう一人の人物が廊下への出口へと向かったのと、刺客が身を翻してミッション遂行を試みたのが同時だった。

 しかし、月ヶ瀬のほうが速かった。

 音もなく鋭い刃物が切り裂いたのは、体に遅れてその前に舞った月ケ瀬の長い艶やかな黒髪のひと束と、右肩から胸の中央までにかけての衣服、そして皮膚だった。

 そしてそこまで行った刃は、月ヶ瀬のスティールスティックに軌道を阻まれ、高い金属音とともに動きを止めた。

 切られた黒髪の束が散りながら舞い落ち、そして赤い液体が続いて絨毯へばたばたと落ちた。

 ターゲットの作家はすでにドアの外へと逃げ去っていた。

「君、なかなかの腕だね。あの外人さんみたいな殺人専門のエージェントくんには、及ばないみたいだけどね。」

「月ケ瀬さん、どうして、こんなことを・・・?」

「あまりゆっくり話している時間はないよ。悪いけど、ホテルに連絡した。でも、殺害をあきらめれば逃げる分には問題ないと思う。・・・僕は、つまり気が変わった。ごめんね。」

「怪我の手当をさせてください。あなたを傷つけたくは、なかった。」

 刺客はベッドのシーツを取り、刃物でさっと裂いた。

「いいよ。余計なことしないで。そういう、君たちの、切り替えが早すぎるとこ、逆に嫌いなんだよね。」

 踵を返してバスルームからタオルを持ち出し、肩から胸にかけて切られた傷の血を抑えながら、月ケ瀬は早々に部屋を出ていった。

 しかし、刺客から連絡を受けたさらに腕の良いエージェントが、ホテルから少し離れた、遠くに人工の砂浜と海上の巨大な橋とを臨む駐車場で、彼のオートバイの前に立ちふさがるようにして月ケ瀬を出迎えた。

 髪の色は本来の金茶色に輝き、その白人のような異国的な顔に、硬い表情を湛えていた。

「僕の名前は、深山祐耶だよ。いつまでも一般名称で呼ばれるのもなんだから。」

「ちょっと血が止まらないから、話はまた今度にしてもらえない?」

「止血する。」

 月ケ瀬に抵抗されることも恐れず深山はすぐ近くまで行き、血が沁みたタオルを月ケ瀬の手から奪う。そしてそれを折り直し改めて月ケ瀬の傷口に沿って当て、その上から自分が手にしていた長い布切れを当てて背中にまわして縛った。

 月ケ瀬はされるがままにしながら、目の前のエージェントを見ていた。

「兄が・・・いや、うちの社長がお願いしたことは、シンプルだったよね。」

「そう。とっても効率的。」

「どうして、だめなの?」

 月ヶ瀬の答えを待つ深山の表情はさらに険しさを増している。

「お兄さんに伝えて。第一には・・・・この先ずっと誰かを送り込むことも、そして操作することも、やっぱり無理だと思う。今回自分で一応やってみて、心からそう思った。うちには・・・・いつのことからか分からないけど、意味不明の揺らぎがある。予想困難つまり制御困難。」

「・・・・・・・」

「とても優秀な人間たちだ、っていうこともあるけれど、なにより、理屈に合わない人間たちなんだよ。うちって。」

「・・・・・・・」

「だから、無理なんだ。もしもできたなら、どんなに合理的だろうかって、思ったけれどね。」

「そうなんだね・・・」

 深山は、緩く波打つ金茶色の髪が海からの強風になびくにまかせ、そして唇を噛んだ。

「そんな顔をしないで、深山さん。お兄さんには本当に感謝してるよ。彼は、もうひとつの、僕の癖まで考慮してくれた。そう、違法で裁くのは違法だけ、そうシンプルに整理することで・・・・仕事の度に一緒に何かを考え合意する必要がなくなる。余計なことに煩わされずに済む。それは確かだよ。でもね・・・・」

「でも、なに?」

「ごめん、僕は逆にあまりにも君たちに同意してしまったから・・・・・。だから、君たちのところへは、行けない。」



 大森パトロール社の入っている雑居ビルの駐車場に月ヶ瀬がオートバイを乗り入れると、駐車場の中で、立ってこちらを見ている人物がいた。

 月ヶ瀬は、オートバイを停め、ヘルメットを脱いでゆっくりと歩み寄り、ほほ笑んだ。

 高原が、厳しい表情で月ヶ瀬を見つめていた。

 少しうつむいた月ヶ瀬の、艶やかな漆黒の長髪が、微風を受け顔をなでるように舞った。

「・・・・ばれたみたいだね?」

「ああ。」

「尾行?盗聴?」

「お前の業務用携帯電話に、細工してもらった。集音マイク機能をつけた。今日の会話は全部録音したよ。」

「そう。」

「事務所で、波多野さんが待ってる。俺は同席はしない。ちゃんと、波多野さんに、説明しろ。」

 月ヶ瀬は意外なほどの柔和な様子で微笑んだ。

「君はほんとにいつも・・・無駄に優しいんだね。高原。」

「だがその前に」

「・・・?」

 高原は車のキーを手にしていた。

 後ろの車に一緒に乗るよう月ヶ瀬を手招きした。

「まず、うちの契約病院へ連れて行く。」

「え?」

「怪我の手当てをする」

「・・・いいよ、そんなの。」

「だめだ。」

 上着の下に月ヶ瀬が巻いた白布は、すでに白い部分があまり残っていないほど、血に染まっていた。


 病院で手当てを受けた月ヶ瀬が、高原に伴われて事務所の応接室入口まで来ると、中から波多野が入るよう言い、月ヶ瀬が一人で中へ入り扉が閉まった。

 波多野は月ヶ瀬に座るよう促す。

「怪我は大丈夫か」

「はい。」

 波多野はゆっくりと、テーブルの上の携帯端末を示した。

「電子データの複写と持ち出しの記録。それから、今日のお前の会話記録。内容は、改めて確認しなくてもいいな?」

「はい。」

「データの提供先は、阪元探偵社、だな?」

「そうです。」

「そしてうちが断った警護案件についても、その中にあった。」

「はい。」

「それで?その先を、説明しろ。」

 月ヶ瀬は伏せていた両目を上げて、上司を見た。

「データをもとに警護依頼人を調査し襲撃者を調べ、阪元探偵社が襲撃を請け負うにふさわしいクライアントを割り出すのに利用されたと聞いています。」

「なぜ、そんなことをした?・・・奴らは。そして、お前は。」

「彼らの動機はわかりません。私の動機は、単に、金銭です。」

「・・・・!」

 波多野が顔色を変えた。

 月ヶ瀬はそのままの様子で上司の顔を見つめ続けている。

「申し訳ありません」

「・・・では、なぜ、今日でやめると奴らに言った?奴らの襲撃計画をなぜ妨害した?」

「自分が犯したことの影響が、その報酬に見合わない重大なものだと気がついたからです。」

 波多野が、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、ものすごい勢いで、右手で月ヶ瀬の頬を引っ叩いた。

 事務室内の自席にいた高原は、応接室から明らかな平手打ちの音と波多野の怒号が聞こえ、苦い表情でうつむいた。

 波多野は、立ったまま、月ヶ瀬を凄まじい表情で見下ろした。

「お前のことは、信頼してきた。」

「・・・・」

 左頬を平手打ちされ、顔を右へ向けたまま、月ヶ瀬はじっと黙っている。

「優秀なだけじゃない。俺の信頼に応えて、プロとして行動してくれると、思ってきた。」

 月ヶ瀬は答えない。

 高原は、応接室の中から、壁になにかが激しくぶつかる音が響いてきたのを聞いて、さすがに驚いて応接室の扉を開き中へ飛び込んだ。

 波多野が、月ヶ瀬の襟首をつかんで奥の壁に押し付けていた。

「波多野さん!」

 高原に羽交い絞めされるようなかたちで波多野が月ヶ瀬から離され、月ヶ瀬は喉を押さえてしばらく咳き込んだ。

 波多野は息を整えるようにしばらくうつむいて黙っていたが、やがて言った。

「今日はこれで帰れ、透。自宅で謹慎していろ。処分は追って通知する。」

「わかりました。」

 月ヶ瀬は一礼し、静かに波多野の脇を通り抜け、応接室を出ていった。やがて、事務所の従業員用入口が開き、また閉じる音も聞こえてきた。

 高原は波多野の後ろに立ったまま、なにも言えずにいた。

 波多野がまだ息を少しあげたまま、やがて言った。

「あいつ・・・嘘をついている。」

 高原は恐怖に似た驚きをその両目に露わにしながら、波多野の背中を見つめた。

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