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二 報復

 きらめく夜空と海面に包まれた、動かない大型客船の上でのパーティーは、不思議な盛況感とともに進行した。主役の研究者は九十歳を超える高齢というだけあり、基本的に車いすに座っているが、杖を使い、ときどき立ち上がり来賓らと肩を叩き合ったり記念撮影をしたりしている。足以外は非常に健康そうだ。むしろ月ケ瀬と山添のクライアントの老教授のほうが、一回り以上若いにも関わらず体ははるかに痛んでいそうだった。

 襲撃者を雇った人間は警護依頼人も警護対象者も大いに心当たりがあった。名前は今日の最初の襲撃の直後にクライアントが口にしたとおりである。かつての共同研究仲間で、その成果をクライアントらに奪われ道を誤った、現在どこにいるとも分からない、クライアントの「旧友」だとのことだった。

 かと言って、クライアント自身も特に華々しい人生を送ってきたわけではない。特別良くもない代わりに大きな挫折もない、いち研究者そして教育者として静かな生活を送ってきた、それだけにしか見えなかった。

 今になってかつて裏切った友人にクライアントが命まで狙われる理由を、大森パトロール社の警護員たちは想像もできないし、また、想像することはその業務の範疇でもない。

 誰かの警護をすることは、間違いなくその人生の一端に関わることであると同時に、その人生のほんのわずかのことさえも知らぬままに、行わなければならないことでもある。

 山添は、ときどき月ケ瀬が口にする言葉を、思い出していた。

「ボディガードって、何も考えなくていいのが、好きなところ。」

「そうか?」

「やることは明快。クライアントが、守るべき人間かどうかなんて、考える必要もない。考えるべきはクライアントの要望に自分が添えるかどうかと、あと、自分の日程が合うかどうか、だけだからね。」

「確かにそうだな。」

「ときどき、自分が狙われている理由を、言い訳がましく語るクライアントがいるけど、鬱陶しいの一言だね。」

 月ケ瀬の言葉は、大森パトロール社の警護員として端的に正しく明快だと山添は思う。そして同時に、そこまで割り切れない自分がいまだにいることも、確かだった。何度乗り越えたつもりでも、螺旋階段の景色のようにまた目の前に現れる、問題。それがない月ケ瀬が、ある意味、羨ましくもあった。

 パーティーの終了時刻が迫り、インカムから月ケ瀬の声が入る。

「もういい、終わりにしよう。」

「え?」

「君をクライアントに紹介するよ、山添」

「最後までいたいというのは変わらないんだろう?」

「そうだけど、僕はもう離れるよ。」

「ええっ!」

「もう、襲撃はないよ。二度目は、ない。」

「根拠は?・・・まあ、少しは俺も想像つくけど・・・ひとつは、あの、ダミー役くんの妙な動きだな?」

「そう。何考えてるのか知らないけど、ずっと顔をさらしている。僕に殺してほしいのかな?」

「やめろよ。」

 月ケ瀬がそういうことを言うと、冗談と分かっていても一瞬どきりとする。

「根拠のふたつめはね、直感。」

「・・・・」

「殺気が、なくなってるんだ。」

「・・・なるほど。」

 理屈で説明しがたい、警護員の職業的な本能。しかしそれは、基本的に、当たる。

 山添はようやく、パーティーがお開きになるまでクライアントの傍にいるよう月ケ瀬を説得し、そして数分後に司会者が閉会を宣言すると同時に、ふたりのもとへ向かった。

 月ケ瀬は、特に驚く様子もないクライアントを山添に引き渡し、再び意外なことを言った。

「クライアントを、車までお送りしてもらえる?僕は、途中からここへ、引き返す。」

「え・・?」

 聞き返した山添に答えず、月ケ瀬は先に立ってさっさと歩きだした。

 船のメインデッキからエレベーターを使って今日の主役が降りることになっており、桟橋から船を後にするのをスタッフ達が下の降船口のあるデッキに整列して待ち受ける。

 来賓たちはエレベーターの前で今日の主役に最後に一目会おうと待つ者、先に階段を使い降りて行く者など様々だが、階段で桟橋まで降りたところで月ケ瀬はクライアントへ一礼した。

「お車まで、こちらの山添警護員がご一緒いたします。それでは、失礼いたします。」

 クライアントが笑顔で一礼したが、山添は慌てて月ケ瀬を呼びとめた。

「メイン警護員のお前の判断にいちいち口は挟まないが、インカムは装着しておけよ。」

「わかってるよ。」

 月ケ瀬は船内へ戻り、山添はそのままクライアントとともに近くの駐車場へと向かった。

 メインデッキにある船上レストランへ戻ると、まだ数人の来賓が名残惜しそうに雑談していたが、船内放送が流れそれらの客たちも別れの挨拶を始めた。

 窓際の白いテーブルクロスのかかった長テーブルの上にはまだいくつもの、ワインやジュースが入ったグラスが並んでいた。

 帰ろうとした最後のグループが、「もったいないねえ」等と言いながら思い思いに今日最後の一杯を取り、飲み始めた。

 会場係が笑顔で「どうぞ、召し上がっておいでになってください。」と言い、数人目の客が「じゃあ、私もひとつ・・・」と、両手で少し奥の、白ワインのグラスを取ろうとした。

「あっ!」

 客のスーツの袖が手前の赤ワインのグラスに触れ、倒れそうになり慌てて手をひっこめる。

 そのとき、会場係の左手に光るものが煌めいた。

「だめだ!板見!」

 叫び声がした。

 いつの間にか、会場には、その客と会場係しかいなかった。・・・いや、あとふたり、いた。

 三人目の人間は、ゆるく波打つ黒髪が瞬時になびくほどのスピードで、客の右、会場係から見て左から飛び込み、テーブルを挟んだ会場係と客との間に右腕を滑り込ませた。

 そして四人目・・・・レストランの入口から静かにその中央あたりまで到達していた月ケ瀬は、パーティー開始直後に最初のダミー攻撃を仕掛けた会場係の前に、その直後に鋭利な武器でクライアントの喉元を狙ったエージェントが右腕を伸ばし、ワイングラスを取ろうとした客の右手を掴もうとしたのが見えた。

 客の右手は一瞬エージェントの右手に掴まれたが、完全に捉えられず、振りほどくとエージェントを払いのけようとするように大きく右側へ振り抜かれた。

 月ケ瀬の目からも、エージェントが着ているシルクの白いシャツの、右袖の肘から肩あたりまでの間の部分が引き裂かれ、血がほとばしるのが見えた。

 それは奇妙な光景だった。遠目には、客が右手の平でさっとエージェントの右の二の腕をなぞっただけで、魔法のように袖と肌とが切れたかのようだった。

 エージェントはそのまま倒れこむように体ごとテーブルと客との間に割って入り、右手右足を床につき、左足で客の上腹部に強烈な蹴りの一撃を加えた。

 そしてエージェントは苦悶の表情で両手で胸をおさえ、そのまま床へと倒れた。

 会場係はテーブルを飛び越え、仰向けに倒れた客へ飛びかかった。

 月ケ瀬が叫んだ。

「指輪に触るな!猛毒だ!」

 そしてエージェントが、苦悶の表情でうつ伏せで胸をおさえながら最後に叫んだ。

「逃がすな!殺せ!」

 すぐ近くまで来ていた月ケ瀬の目に映ったそのエージェントの表情の凄まじさは、月ケ瀬も一瞬息をのんだほどだった。

 会場係・・・・いや、深山とエージェントとしてのペアを組んだ板見は、その目的を果たすべく客へ右足でもう一撃を加えるとその両手を後ろに回し、うつ伏せに組み伏せた。そして、客の右手人差し指にはめられた指輪を、抜き取った。

 指輪の内側に突き出た針から、赤いものが滴り落ちていた。

 そして板見は、右手で客の両手を拘束したまま、左手の刃物を相手の後頭部へ向けた。

「待ってくれ」

 客が、低い声で、言った。

「・・・・・」

「お願いだ、待ってくれ。」

 月ケ瀬はテーブル前に倒れた深山に駆け寄っていた。

 深山を仰向けにし、月ケ瀬は深山の裂けた袖をそのまま全部破り、その布切れを使って彼の右腕上部の肩口あたりをきつく縛った。

 板見はその宝石のような大きな両目で、組み伏せた相手の頭のあたりを見下ろしたまま、言った。

「待ちますから、では、名前を、言ってくださいますか?」

「・・・升川、升川厚・・・・」

「ありがとうございます。前回お目にかかったときとまたお顔とお名前が変わっておられますが、昔のそのお名前がやはり一番お似合いですよ。」

 月ケ瀬はその名にもちろん聞き覚えがあった。

「助けてください、板見さん。」

「私の名前を覚えていてくださり、光栄です。」

 深山の腕を縛ると、月ケ瀬は血のにじむ傷口に唇をあて、血液を吸い出し、吐き出してまた吸い出す、ということを繰り返す。

 升川は低い声で話し始めた。

「私は、人殺しを生業にしてきた。親も殺人者だった。生まれてから一度も、誰かに大事にされていると思ったことは、ない。」

「身の上話ですか」

「殺し屋の子は、やっぱり、殺し屋なんです。私は普通の生活をしようとしたけれど、誰ひとり私にそれを許してはくれなかった。人殺しの子としか見られなかった。だから私は、期待どおりの人間になった。」

「・・・・・」

「誰かの、殺したいほどの恨みを、代わって晴らす。そういう仕事を、選んだ。誰の恨みを、どういう理由で晴らすか。自分で決める。殺す相手も、請け負う相手も。そう、もう誰にも指図されることはない。自分が相手のことを、決めることができる。そう思えました。殺し屋になって、ね。」

「・・・・」

「あなたたちも、同じでしょう・・・・?私たち、仲間でしょう?」

「・・・・・」

 板見の刃物は、宙に止まったまま動かない。

「見逃してください。もう二度と、あなたたちを狙ったりしない。私は、恩だけは忘れない。それもあなたたちと、同じですよ。」

 数秒の沈黙があった。

 そしてその沈黙は、月ケ瀬の怒号で破られた。

「関係を築き、カネだけのために裏切り殺す、プロだ!生きている限り繰り返す。殺せ!」

 板見は、後ろを、見た。

 口を血で染めた月ケ瀬が、跪いた姿勢のままこちらを振り向いていた。

 そしてその傍らに仰向けに横たえられた深山は、両目を閉じたまま、既にまったく動かなくなっていた。

 板見の左手の刃物が、再び動いた。

 そしてそれは正確にターゲットを瞬時に絶命させた。

 板見は目の前の、死体となった升川を少しだけ見ていたが、すぐに立ち上がり深山と月ヶ瀬のところへ戻った。

 月ヶ瀬は、目を閉じてぐったりとしている深山の口元に耳を近づけていたが、板見が戻ってきたのを見て、言った。

「呼吸停止してる。」

「・・・!」

「毒の種類は想像つくけど、指輪を一緒にもって帰ったほうがいいよ。」

「・・・・」

「迎えはどこに来てるの?」

「・・・・この下です。」

 板見は、外のデッキの、手すりの先を見た。

「じゃあ早く!」

 月ヶ瀬は深山を抱き上げ、板見を促すようにデッキに出た。

 板見が手すりから細いロープを降ろし、海上へ合図しながら自分の体につなぐ。はるか下方の暗い海上には、大型の水上オートバイが待ち受けているのが微かに見えた。

「運んでる間、人工呼吸を続けて。」

「わかってます。」

 月ヶ瀬から深山を受け取り、深山の腰ベルトに自分のロープのカラビナをつなぐ。

 月ヶ瀬が最後に言った。

「お仲間がもしも助かったら、伝えて。もう一度その腕前を見せて、って。それが僕の望み。」

 板見はちらりと月ヶ瀬の顔を見て、そして深山を正面から抱きかかえたままフェンスのポールの間からさっと飛び降りた。

 


 その三時間後、夜中の大森パトロール社の応接室で、波多野営業部長は部下に説教していた。

「崇から電話で聞いたときは、耳を疑ったよ。どこからつっこんでいいかわからん。お前らしくもない・・・・・・、いや、ある意味お前らしいともいえるが。」

「申し訳ありません」

 月ヶ瀬は波多野の向かいのソファに座ったまま、頭を下げた。

「まず、警護終了後に勝手に現場に戻ったこと。襲撃者がまだいる可能性がある場所へ、単独で。」

「はい。」

「そして、インカムのスイッチを切っていたこと。」

「はい。」

「殺人現場に居合わせたにも関わらず、警察への通報を怠ったこと。」

「おっしゃるとおりです。」

「それからこれが、一番の問題だ。分かっているとは思うが。」

「はい。殺人犯の救護をしました。」

「もちろん、誰であろうと生命の危険に瀕した人間を助けることは、重要だ。しかも毒物を使ったような、一刻を争う場面では。しかし第一に、その仲間である殺人犯人が目の前にいるという状況で、そうした行動は自らの生命を危険に曝すものだ。第二に、山添が船から戻ったお前を見たとき、口が血だらけだったと言っていたのを聞いたときは、心臓が止まるかと思ったぞ。毒の種類もはっきりしないのに、だ。自らが中毒を起こす危険と、さらには・・・」

「感染症の恐れもあります。」

「そうだ。ほんとに、勘弁してくれ。月ヶ瀬・・・・。今日、簡易な検査はしてもらったとはいえ、明日、改めてうちの契約病院で検査を受けろ。いいな?」

「はい。」

 波多野は大きくため息をついて、ソファの背もたれに体を預けた。

 月ヶ瀬は顔を上げ、その切れ長の冷たく美しい両目で上司の顔を見た。

「波多野さん、山添のいる前では、申し上げなかったことがあります。」

「・・・・なんだ?」

「殺人者のうち一人は、阪元探偵社の板見エージェント、もう一人は同じく、過去二回高原警護員を襲撃した殺人専門のエージェントですが・・・・殺された人間も、特定できると思います。」

「・・・・名前を、聞いたのか?」

「殺人者がそいつに名乗らせ、被害者は升川厚と名乗っていました。」

 波多野が言葉を失った。

 月ヶ瀬はしばらく沈黙した後、さらに続けた。

「僕は、うちが二度目に升川厚の警護をした案件にはかかわっていませんが、一回目の、あの、朝比奈警護員が殉職した案件はよく覚えていますし、そして二回目のあの案件も記録は読みました。」

「そうだろうな。」

「一回目の案件のとき、朝比奈警護員を利用し殺人計画を実行した上、朝比奈警護員を巻き添えで死亡させた人間・・・その升川が、顔も名前も変えて再びうちの警護員を犯罪に利用しようとした。しかし升川の殺害を阪元探偵社が計画していたことから、升川をクライアントとして、葛城と河合が警護した。高原と山添もそれを手伝った。そうでしたね。」

「そうだ。」

「クライアントである限り、違法な攻撃からはどんな人間も守る、という、うちのポリシーを放棄しないために。」

「そうだ。」

「それはとても立派なことだったと思いますが、今回結局、升川は阪元探偵社に殺害されました。もちろん、今回、升川はうちのクライアントだったわけではありませんから、僕に、奴を守る義務はありませんでした。」

「そのとおりだ。」

 再び沈黙が流れた。

 波多野が何か言おうとしたが、その前に月ヶ瀬が口を開いた。

「このことは、ほかの警護員には知らせないほうがいい。波多野さんは多分、そうお考えでしょう。」

「ああ、そうだ。」

「それならばもちろん、僕も、誰にも言いません。」

「すまんな、月ヶ瀬。」

「めんどくさいことは、僕もイヤですから。」

「・・・・・ところで、一つ、まだ聞いていないことがあるぞ。」

 月ヶ瀬は艶やかな黒髪を少し苛立ったようにかき上げた。

「はい・・・なぜ僕が、現場に戻ったのか、ですね?」

「そうだ。」

「あの殺人専門エージェントを、もう一度見たかったんです。」

「・・・・・」

「一回目の襲撃のとき、その腕に、正直驚愕しましたし、そして感銘を受けました。二回目があると期待しましたが、それはありませんでした。おそらく、何らかの理由で中止命令が下ったんだと思います。状況は十分実行可能なはずでしたから。」

「そうか。」

「そして、一回目の襲撃のときダミー攻撃をした板見が、その後ずっと会場でわざと存在をアピールするかのようにふるまっていた。彼らには、もう一つの目的があるんだと思いました。誰かを引き寄せる囮としか考えられませんし、その場合彼らがすることといえば、その人間を殺すこととしか思えません。ただし僕は、手を下すのはあの殺人専門のエージェントかと思いましたが、その点は予想が外れました。板見がやる仕事だったようです。」

「なるほどな。」

「ただ、彼がおそらくまだ技術的に未熟で、升川に本当にやられそうになり、殺人専門のほうのエージェントが後輩をかばって負傷した。そんなところでしょう。」

「ふむ。なるほどな。・・・・」

 波多野はしばらく腕組みをして黙っていたが、おもむろに腕組みを解き、顔を上げた。

「なるほど、ではあるが、感心してる場合じゃないな。月ヶ瀬、お前、自分の興味を満たすために自分の身を危険に曝すようなことは、金輪際許さんぞ。」

「わかりました。申し訳ありません。」

 月ヶ瀬は素直に詫び、再び頭を下げた。

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