第五十話
「伐、大丈夫かな?」
「こんなところで何をやっているの?」
病院を出たクリスは伐の家に向かった。
事務所の入り口がある階段を上り、ドアノブを回すがカギがかかっているようでガチャガチャと音が鳴るだけでドアが開く事はない。
クリスはドアにもたれかかると天井を見上げて伐の身を案じるようにつぶやいた時、階段を上ってくる音が聞こえる。
その音にクリスは階段の下を覗き込むが階段を上ってきたのは伐ではなく、手にコンビニのレジ袋とビニール傘を持った雪であり、クリスの顔を見た彼女は首を傾げた。
「ゆ、雪さん? どうしてここに?」
「ん? 差し入れ。新作が出ていたんだよね。今日はクリスちゃんの事も考えてコンビニスイーツ有りよ」
クリスは雪が伐の事務所を訪れた理由を聞くが彼女の質問の意味がわからない雪は持ってきたコンビニのレジ袋を見せる。
しかし、クリスの反応は悪く、雪は困ったように笑うと黒猫のキーホルダーが付いたカギを取り出し、手でクリスに避けるように指示を出す。
クリスは雪がこの家のカギを持っている事に驚きの表情をするが、雪は気にする事無くカギを開けて事務所のドアを開く。
雪はレジ袋を手に事務所の中に入るとクリスに手招きをし、彼女は伐が留守の間に入っても良いのか迷っているようでうつむいてしまう。
「ここに居候していたんだから、悩む事もないでしょ」
「そ、そうなんですけど……そう言えば、雪さんはどうしてここのカギを持っているんですか?」
「私とまこちゃんは持っているよ。伐がいない時はあんまり入らないけどね。後、合カギは作らせてあげないよ。欲しかったら、伐に貰ってね」
悩んでいるクリスの姿に雪は気にする必要はないと笑う。
彼女に言われてクリスは頷くと事務所の中に移動すると奥に進んで行こうとする雪の背中を見て疑問を口にする。
雪は振り返ると黒猫のキーホルダーを見せびらかすように言うとキッチンに向かって歩き出す。
彼女の言葉にクリスは少しだけ残念そうに肩を落とすとドアのカギをかけて雪の後を追いかけて行く。
「スイーツとカップ麺、どっちが良い?」
「……雪さん、ここに来るとカップ麺ばかり、食べていませんか?」
「気にしない。気にしない」
雪はキッチンに付くとレジ袋をテーブルの上に置くと電気ポッドのお湯の量を確認する。
お湯は何とか二人分はあるように見え、袋の中からカップ麺を取り出して見せるとクリスは大きく肩を落とした。
雪は笑って誤魔化すとクリスが初めて見るカップ麺のフィルムを剥がす。
「新作……ゆ、雪さん、伐がどこに行ったか知りませんか?」
「知っているよ」
「やっぱり、知らないですよね……」
「知っているって、言っているんだけど、聞いている?」
新作には心が引かれてしまったようだが、クリスはその考えを振り払うように首を大きく横に振ると雪に伐の居所を聞く。
雪は知っていると答えるが、クリスはダメもとで聞いていたようで勝手に知らないと判断したのか目を伏せてしまう。
その様子に雪は苦笑いを浮かべながらクリスの身体を揺すった。
「し、知っているんですか?」
「うん。だって、今日は晴れの予報だったのにこれだからね」
「雨ですか……」
雪に身体を揺すられてクリスは我に返ったようで驚きの声を上げる。
彼女の様子に雪は苦笑いを浮かべたまま、窓際まで移動すると外を指差した。
窓には雨が当たっており、窓の外に見える空は雨雲で真っ黒に染まっている。
「そう。前にも言わなかったかな。伐が大和に会いに行くと雨が降るって」
「それは聞いた事がありますけど……あの、その場所ってわかりますよね?」
「わかるけど、教えてあげない」
雪は小さく頷くと伐は彼がクリスを拾った路地裏に行っていると言う。
クリスは以前に彼女から聞いた大和の話を思い出すが彼女は伐に拾われた時、気を失っていた事もあり、路地裏の正確な場所はわからないようで雪に伐の居る場所を聞く。
彼女の様子に雪はくすくすと笑うと首を横に振った。
クリスは納得ができないようだが、その場所が伐にとって特別である事も理解しているためか、雪に強くは言えないようで目を伏せてしまう。
「それより、クリスちゃんは外に出る事ができたんだから、ここにいつまでも居着いたらダメよ。ここは猫の住処だから、あなたには似合わないわ」
「ど、どうしてですか?」
「あなたの日常と伐の日常は違うの。あなたは元の生活に戻るべきよ」
彼女の反応に雪は笑みを浮かべた後、表情を引き締めると伐にはこれ以上、関わらない方が良いと言う。
その言葉はクリスにとって予想外の言葉であったようで驚きの声を上げるが雪は真っ直ぐとクリスを見ている。
彼女の瞳にクリスは威圧されてしまったようで息を飲んだ。
「わ、私は」
「このまま、伐を追いかけてもつらい思いをするだけよ。あいつは見ての通り、口は悪いし、女癖も悪いわよ。傷つくだけだと思うけど」
「だとしても……私は伐と一緒に居たいです」
クリスは雪の言葉を振り払うように声を出すが雪は彼女が何かを言い切る前に結論を言ってしまう。
それは彼女なりの優しさであり、クリスの身を案じてだと言う事は彼女にも理解できたようだがそれでもクリスは伐と一緒に居たいとつぶやく。
「つらい思いをするのに? あいつと一緒に居ようって決めたって女の子の普通の幸せは無いわよ。クリスちゃんは美人なんだし、あんなの忘れて生きていけるわ」
「で、でも……」
「仕方ないわね」
雪はクリスの思いを振り切るように言うがクリスは絶対に諦めないと言いたいのか真っ直ぐに見返して言う。
彼女の様子に雪はクリスが覚悟を決めたと判断したようでため息を吐くと表情を引き締める。
「わ、私は」
「覚悟を決めたって言うなら、不安そうな表情をしない。ほら、笑って」
「は、はい」
クリスは雪の表情の変化にまた何かを言われると思ったようで負けるわけにはいかないと膝の上に置かれていた手を強く握り締めた。
雪はクリスの様子に彼女の覚悟が本物ならば泣きそうな表情をしないようにと言うと優しく微笑みかける。
その言葉にクリスは大きく頷くと笑って見せ、雪は満足げに笑うとカップ麺のふたを開けてお湯を注ぐ。




