第四一話
「……ずいぶんと余裕そうだな」
「余裕なんだよ。仮にクリスを白虎の依代にしたと仮定してもお前程度が操れているんだ。たいした力も出せねえだろ」
伐の態度にライオネルは彼が何か企んでいると考えたようで手でクリスを制止し、彼の様子をうかがう。
ライオネルに扱われているクリス相手では伐は相手にもならないと鼻で笑った後、不意に表情を引き締め、ライオネルへと鋭い視線を向けた。
「……俺の興味があるのはこんなくだらね術式を組んだ術者だ。そいつはどこに行った?」
「知りたいなら、無理やり口を割らせてみたらどうだ? できるならな」
その言葉と同時に伐の背後からは殺気が放たれる。
ライオネルはその殺気に威圧されかけたようだが、彼のプライドなのかすぐに立て直すとクリスに伐に攻撃の指示を出す。
クリスは指示に頷く事もなく、伐に向かって一直線に駆け出すと彼女の足元からは黒い靄が溢れ出して行く。
「……一応、白虎を呼び出したなら、こっち側の力を使うんじゃねえよ」
クリスから溢れ出している力は聖獣である白虎とは程遠い位置にある力であり、それは伐と同様に歪みの力に近い。
その様子に伐がけだるそうなため息を吐いた時、クリスの右拳が伐の頬を狙って振り下ろされるが、彼女の右拳は特殊な壁のようなものに弾き飛ばされ、何かが折れるような音が響く。
「……」
「……折れたか。ずいぶんと容赦がないな」
部屋に響いた音はクリスの指の骨が折れた音であるが今の彼女には痛みを感じる事もなく、続けて左拳を伐に向かって振り下ろした。
再び、壁のようなものに彼女の左拳は弾かれ、同時に骨が砕ける音が響く。
クリスは指の骨が折れようが関係なく、伐へと何度も拳を振り下ろすが彼の身体に触れる事はない。
壁を彼女が叩く度に骨が折れる音が響き、骨が手の皮を突き破るとその傷からは真っ赤な鮮血が飛ぶ。
ライオネルはクリスの身体が傷つこうと彼女をいたわる事はなく、口元を緩ませながら伐に向かって良心は無いのかと問う。
「俺に言う前に自分で止めてやれよ。お兄ちゃん」
その言葉に伐は興味などないと言いたげにタバコの煙を肺一杯に吸い込むとクリスに向かって煙を吹きかける。
伐の口から吐き出された煙は膨れ上がり彼女の身体にまとわりついて行く。
まとわりついた煙は彼女の動きを妨害し、クリスは鬱陶しそうに手を払うが煙が彼女から離れる事はない。
「……数日、一緒に住んだだけでは情などわかないか」
「何年も兄妹やっていたくせに妹をコマとしか見られない人間には言われたくねえ言葉だな」
情が移れば伐が甘くなると考えていた節もあるのか、ライオネルは彼が先決に染まって行くクリスを見てもなんとも思っていない様子に忌々しそうに舌打ちをする。
しかし、その言葉は血の繋がった妹を白虎の生贄にしようと画策したライオネルが言って良い言葉ではなく、伐はわざとらしいくらいに大袈裟に肩を落とした。
彼の態度はライオネルの癪に障ったようで彼のこめかみには小さな青筋が浮かぶ。
その変化を伐は見逃すわけもなく、楽しそうに口元を緩ませるとくわえていたタバコを手に取り、タバコの火をクリスに向ける。
タバコの火は青白い光を放つと彼女にまとわりついていた煙に引火し、小さな爆発が起きるがその爆発は更なる爆発を呼び、クリスを壁まで吹き飛ばす。
「貴様にとってはティナなどどうでも良い存在か……人選を誤ったか」
「他人におぜん立てされて女を食うほど落ちぶれてはいねえよ。それに今の時代、金を払ってまで男を食い漁りたいってバカも多いんだ。肉体関係で情が移る、移らないってのも時代遅れだろ。そっちだって性欲処理をするためだけの女の一人や二人いるだろ」
「……確かにそうか」
表情を変える事無くクリスに攻撃をする伐の姿を見て、ライオネルはクリスに向かい役立たずだと吐き捨てるように言う。
伐は彼の言葉が甘いと言いたいのかため息を吐くとライオネルは心のどこかで伐を自分と同種の人間だと思ったのか無意識に口元を緩ませた。
「本性が出ているぞ。お兄ちゃん」
「……確か、黒須伐と言ったな。提案だ。私のコマにならないか? お前を買ってやる。私のコマになるのなら、この出来損ないもくれてやる」
ライオネルの考えなどどうでも良いようで伐はタバコをくわえ直す。
その不遜な態度と白虎を宿したクリスを簡単にあしらう伐の事を気に入ったようでライオネルは自分の下に付けと命令をする。
伐はあまりのバカさ加減に眉間にしわを寄せると小さくため息を吐いた。
「悪いな。俺は気ままなノラなんでね。誰かの下に付く気はねえよ。下に付けたいって言うなら、借り物のその力でまずは屈服させてみろよ」
「そうか……それは残念だ。使い勝手の良いコマになると思ったんだがな」
タバコの煙を吐き出しながらその提案を断るとライオネルはその方が面白いと言いたげに口元を緩ませ、立ち上がったところのクリスに向かって指示を出す。
クリスは床を蹴り、駆け出すが彼女の向かっている場所は伐の元ではなく、指示を出したライオネルである。
猛スピードでこちらに向かってくる彼女の様子にライオネルは一瞬何が起きたかわからずに身体を硬直させるとクリスは右腕を躊躇する事無く、彼の心臓に向かって振り下ろす。
「……お兄ちゃん、これは料金が発生するからな。後でこっちの言い値で振り込んで貰うぞ」
「ど、どう言う事だ? ティナは私の指示に逆らわないはずだ。何が起こっている?」
突然の事にライオネルの身体は硬直するが、何とか彼女の腕を交わす。
しかし、完全に交わしきる事はできず、クリスの右腕は脇腹をえぐった。
ライオネルは何が起きたかわからずにえぐられた脇腹を押さえて顔を上げると自分の血とライオネルの返り血で顔を真っ赤に染めたクリスが光の無い瞳で彼に向かって右腕を振り下ろした。
彼女の右腕がライオネルに振り下ろされた時、クリスの手を伐がつかみ、彼女の攻撃を制止すると小さく口元を緩ませてクリスを投げ飛ばす。
クリスが自分に攻撃する事など考えていなかったライオネルは伐の声など耳に届かないくらいに慌てているのか、彼女に再び、指示を出すがクリスは立ち上がるとライオネルの命を狙うように駆け出してくると拳を振り下ろした。
振り下ろされた拳は伐の力である特殊な壁に弾かれるが、彼女は気にする事無く、攻撃を繰り出し、クリスの四肢は壁を叩く度に鮮血をまき散らし、その血はライオネルの顔を染めて行く。




