第十一話
「伐?」
「あ? 何の用だ?」
「ほ、包丁を向けないでよ。あ、危ないよ!?」
「……後ろに立つな」
伐がキッチンで食事の用意をしているとクリスが遠慮がちにキッチンを覗き込む。
背後から声をかけられた伐は振り返ると持っていた包丁の先を彼女に向けた。
向けられた包丁の先を見て、クリスは後ずさりをして廊下の壁にぶつかると伐は料理を再開する。
「う、後ろに立つなってどこかの殺し屋じゃないんだから……伐はそう言う雰囲気を醸し出しているけど」
「そう思うなら、背後に立つな。今のところは猟奇殺人の気はねえが、これで人間なんて簡単に解体できるからな。解体した方が運びやすいしな」
「……伐が言うとなんか怖いよ」
クリスは伐の様子に不満げに頬を膨らませるとキッチンの中にあるイスに腰を下ろす。
彼女の声に伐は振り返る事無く、包丁を持ち上げるとその刃先へと視線を向けた。
包丁は鈍い光を放っており、伐の視線と重なるとクリスは背中に冷たい物が伝ったようで声を震わせる。
「……それより、足は大丈夫か?」
「え? う、うん。伐の手当てが良かったのかな? 痛くないよ。ほら」
伐は包丁をシンクに置くと鍋を火にかけると手が空いたようでクリスのケガの具合を聞く。
彼の見立てでは一日、二日では歩くのに痛みが伴うようでクリスの様子に疑問を持ったようである。
クリスは伐の質問の意味がわからないようで首を捻るとイスから立ち上がり、何度か軽く跳ねてみるがまったく痛みが無いようで表情を緩ませた。
「そうか? 見せてみろ」
「う、うん……」
伐は患部の状況を確認したいようでクリスに座るように言う。
その言葉にクリスは頷くと伐は彼女の足もとにしゃがみ込み、足から包帯を解き、ケガの状況を確認する。
傷だらけだった足は一晩では治る物ではないが、なぜか、昨晩、治療した傷は全て消えており、伐は眉間に小さなしわを寄せた。
「ね、ねえ。そうやって見られていると恥ずかしいんだけど」
「……安心しろ。別に脚フェチってわけじゃねえよ。それより、本当に痛みはないんだな?」
「ないよ。どうかしたの?」
クリスはじろじろと足を見られるのが恥ずかしいようで顔を赤らめるが、伐はため息を吐いた後、もう一度、クリスに足の具合を聞く。
何度も同じ質問をされる意図がわからずに首を傾げるクリスに伐は小さく頷くと彼女の足を軽く叩き、キッチンは小気味いい音が響いた。
彼女の白い肌は伐の手の形で赤くなり始め、クリスは足の痛みに伐へと視線を向けるが、伐は興味なさそうに立ち上がるとシンクの前に戻って行く。
「な、何するの?」
「あ? ちゃんと痛みを感じるんだから、神経は問題ねえだろ。痛くねえって言うから、そっちに何かあったのかと思ったんだよ」
クリスは意味がわからないため、声を上げるが伐はけだるそうな口調で意味がない事をするわけないと言う。
彼の言葉にクリスは頷きかけるが納得してはいけないと思ったようで頬を膨らませながら、伐の背中を見ている。
「あ? お客さん?」
「おい。勝手に出るな」
クリスは伐の背中をしばらく見つめているが、伐は何も話す事はなく、彼女も何を話して良いかわからないため、二人の間には沈黙が訪れている。
その沈黙がしばらく続いているとインターフォンが鳴る音が響き、クリスはパタパタと廊下を走って行ってしまう。
彼女の行動は自分に起きた状況に対する危機感はなく、伐は慌てて声を上げるがすでに遅く、眉間にしわを寄せながら伐は家の入口のある事務所へと向かって歩き出す。
「……何の用だよ?」
「ノラ猫くん、こんな、品の良さそうな外国産の白猫をどこで拾ったの?」
クリスは事務所に着くと警戒する事無く、入口を空けてしまう。
事務所を訪れたのは真であり、遅れてきた伐は眉間に深いしわを寄せると彼を追い払うように手を払った。
しかし、真は伐の言う事を聞く気はなく、事務所に上がり込むと興味深そうにクリスの顔を覗き込む。
クリスはその時、自分が迂闊な行動をしてしまった事に気が付いたのか目の前の真の姿に自分の身に起きていた事を思い出し、身体を震わせて伐の背中に隠れてしまう。
その様子に真は伐とクリスを交互に見た後、弱みを握ったと言いたいのか楽しそうに口元を緩ませる。
「……変な勘違いをするな。それより、何の用だ?」
「最近、忙しくてね。まともな食事にもありつけないから、ノラ猫くんにエサでも恵んでもらおうと思って」
「……他に行け。他人に飯をたかるな」
「良いじゃないか。せっかく、昨日は大金を手に入れたんだし。僕は仕事を紹介したのに残る物は無いんだから……それに、その子、クリスティーナ=ウェストロードって子だろ。伐がかくまっているって圭吾に教えちゃうよ」
自分の背後で震えているクリスを責める気にもなれなかったようで、伐はため息を吐くと真に何しに来たかと聞く。
真は腹が減ったと言いたいのかわざとらしく腹をさすりながら言うが伐は真を追い払うように手を払う。
彼の反応に真は小さく口元を緩ませるとクリスの正体に気が付いたようで伐の横に回り込むとクリスにも聞こえるよう声をかけた。
真の口から出た圭吾の名前にクリスは知り合いに自分の身に起きた事が知られるのではと言う恐怖が襲い、顔は青ざめ、震わせると助けを求めるように伐の服を引っ張る。
「……お前は何がしたいんだ?」
「ノラ猫くんが意地悪するから、白猫ちゃんが怖がっているじゃないか」
「俺のせいじゃないだろ……ったく、面倒だな。さっさと入れ。カギはかけろよ。見ての通り、面倒事を抱えているからな」
「はいはい。わかったよ。それより……役得?」
伐は真の行動に呆れたようにため息を吐くが、真は悪いのは伐だと笑う。
言っても無駄だと判断した伐は震えるクリスを抱きかかえると真に入口のカギをかけてから入って来いと命令する。
その言葉に真はおざなりに頷くと入口のカギをかけて伐とクリスを追いかけるが彼の様子を見て、彼をからかうように笑うが伐からの反応は薄い。