第一話
「……開いている? 死が運命って事ね」
放課後、一人の少女は屋上のドアへと手を伸ばす。
普段はカギがかかり立ち入り禁止になっているはずのドアのノブは簡単に回り、少し錆びついているのかギギと不快な音を立てながらドアが開く。
目に映るのは夕焼けで染まる真っ赤な空、それは自殺を考えている自分から抜け出た命の色と重なり、少女は自虐的な笑みを浮かべた。
少女は屋上のふちまで行くと転落防止のネットに沿って歩く。
乗り越えやすそうな場所はないか、立ち入り禁止になっている屋上、ネットが劣化して飛び降りやすい場所は無いかと……
「やっぱり、ネットを登らないとダメね……ジャージに着替えてきたら良かったかな?」
ネットが破損している個所はなく、少女は普段、登校に使っている道が見える場所へ、死に場所を決めるとネットを越えようと手を伸ばす。
どうせ、死ぬんだ。格好なんてどうでも良いかと思いながらも、やはり、女子高生としてジャージ姿では死ねないと思った。
死を前にしてそんな事を考えてしまう事に少し表情が緩む。
死にたくないと言う気持ち、でも、終わりにしたいと言う想いの間で揺れそうになる。
決意したんだ。
私にはもう何もないから……
少女は生に執着しようとする自分の想いを振り払うように首を勢いよく横に振るとネットをつかむ。
「……死ぬのはあんたの勝手だけどな。せめて、場所は選んで欲しかったな。学校はあんただけの場所じゃないんでね。肉塊になったあんたの身体を片付ける人間の事を考えるとかしろよ。後、いじめだなんだとか面倒な事なら親に遺書でも書いておけば良かったんだ。命の値段って言う名のあぶく銭が手に入ったのにな。出来の悪い娘の代わりに大金が手に入るんだ。その方があんたの両親も喜んだだろ」
その時、少女のすぐ耳元から、少年の声が聞こえる。
自殺する事を考えたからと言ってこの距離まで少年が近づいてきた事に気が付けなかった事もあり、少女は慌てて振り返った。
振り返った先には少女と見間違えてもおかしくないくらいの線の細い少年がけだるそうにタバコをふかして立っている。
けだるそうに特に何も興味などなさそうにしているが少年の目は鋭く、少女は彼の目に怯んでしまったのか後ずさりしてしまう。
後ずさりした少女の身体はすぐに転落防止のネットにぶつかった。
ネットは外に野ざらしになっているため、錆びてきているのかギシギシと音を立て、その音が先ほどまで自殺をしようと思っていたはずの少女を生へと呼び戻そうとする。
「何だ? 飛ぶんじゃねえのか? 他人の迷惑を考えなかったんだ。速くしろよ。それとも躊躇しているなら、俺が突き落としてやろうか? ……なあ」
「な、何をするの。ひ、人殺し!?」
少年は少女の死への渇望をあざ笑うかのように口元を緩ませると少女の左肩に左手を当て迷う事無く力を込める。
その力は細身と言っても力強く、背中にはネットが食い込んで行く。
少女は背中に当たるネットの感触と痛み、耳に入ってくるネットのきしむ音に先ほどまで自殺をしようとしていたはずなのに少年を人殺しと責め、その瞳からは大量の涙が溢れだす。
「あんたは自分で終わりを選んだんだろ。俺はそれを手伝ってやっているだけだろ。安心しな。社会的に人殺しだって言われるようなへまはしねえよ、だいたい、もう終わっているんだからな」
「バ、バカな事を言わないで!? や、止める。自殺なんてする気はもうありません!? 殺さないでください」
「……」
少年の口元は口元を緩ませたまま、少女の身体をネットに押し付ける。
少女は彼の笑顔に本気で殺されると思ったのか顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして首を横に振った。
その姿からはすでに死への渇望は完全に失われており、生への執着しか見えない。
少女の様子に少年はつまらないと言いたいのか、けだるそうにため息を吐き、少女の肩から手を放すと吸っていたタバコを下に落とし、足で踏みつぶし火を消す。
少女は肩にかかる圧力が無くなった事で恐怖から解放されたのか力が抜けたようで膝から崩れ落ちる。
「殺さないでくださいって。何度も言わせるな。お前はただ繰り返しているんだよ」
「く、繰り返している? ひ、ひぃ!? な、何なんですか!?」
「屋上にはそう言う奴らがいるんだ。あんただって、あの時に引っ張られたんだろ?」
少年は制服からタバコを取り出し、二本目のタバコをくわえると少女を追い払うように手を振る。
少女は少年の言葉の意味がわからずに首を捻ろうとするが、身体は動かない。
自分に何が起きているかわからずにわずかに動く目線を足元に移す。
そこには赤黒い人の手のようなものがいくつも自分の足首をつかんでいる。
少女がそれに気が付いた瞬間、彼女の上半身は彼女の意志とは無関係にのけぞり、背中が再度、保護ネットに勢いよく押し当てられ、ギシギシと音を立て、ネットが背中に食い込んで行く。
それは明らかに人と言うものの仕業ではなく、少女は何が起きたかわからずに目の前にいる少年に助けを求めようとするが声は出ない。
「人が集まる場所には人以外の存在も集まるんだ。良かったな。どうやら必要とされているみたいだぞ。まぁ、ただのエサとしてだけどな。ん? それなら、生きていた時と変わらないか?」
少女の怯える姿にまったく興味がないのか少年は肺一杯に溜め込んだタバコの煙を吐き出す。
少年の目に映る少女の姿は捕食側にいけないただの被食側にすぎないようで小さく口元を緩ませた。
「た、助けて、死にたくない!!」
「知らねえよ。だいたい、死にたくないってもう手遅れだろ。お前は終わりを選んだから、死を繰り返しているんだ」
少女は恐怖を振り払うように少年へと助けを求めるが、少年は助けるメリットがないと言い放つと少女に背を向け、屋上と校舎を隔てるドアに向かって歩き出す。
その行動は少女を絶望の淵に立たせるのは充分である。
「死を繰り返している? ……う、嘘だ。私はまだここにいる。身体もある。生きているの。そ、そんなわけない」
少女は少年の言葉を繰り返すようにつぶやくと同時に彼女の脳裏に自分が屋上から落ち、頭がい骨が砕ける鈍い音と同時に視界が真っ赤に染まった。
頭をよぎる死のイメージは消える事はなく、少女は嘘だと言いたいのか発狂するように叫ぶが、少年がその言葉を否定する事はない。
少女の叫び声に応じるように先ほどまで彼女を押さえつけていたはずの圧力が無くなっていくが、それは消えたわけではなく、少女の中に自分達と同じも感情を見つけたようで少女の身体の中に溶け込んで行き、異物が身体の中に入ってくる感覚に少女は正気を保つのが難しいのか目の光は徐々に失われて行く。
光が完全に失われた瞳で口からは今まで彼女を傷つけた人間に対する呪詛のようなものを吐き出し始め、口から吐き出された呪詛は黒い靄となり、彼女の身体を包んで行く。
「だから、言っただろ。必要とされているって、死んでからもエサにされるとは哀れだな」
少女の変わりゆく姿に少年は振り返るとけだるそうに欠伸をする。
彼の言葉は自殺をしようとしていた少女に向けられた言葉ではなく、少女の中に取り込まれた者達に向けられた言葉のようにも聞こえた。
「……力が溢れてくる。この力で私を苦しめた奴らに同じ思いを味あわせてやるんだ」
「くだらねえ事を考える奴は考える事もくだらねえな……まずは目障りな俺からって事か?」
少女は自分の中に溢れだした力に今まで押し付けられていた思いが膨れ上がって行く。
少年は彼女が導き出した答えにつまらないと言いたいのか吸っていたタバコを足元に落として踏みつける。
踏みつけられるタバコは少女には苦い過去と重なって見えたようでタバコを踏みつぶす少年が自分を苛め抜き自殺にまで追い込んだ人間達と同類と見なしたようで彼に向かって襲い掛かった。
少女の右手は少年めがけて振り下ろされる。
その動きは人間が出せるような速さではなく、振り下ろされた右手からは風の刃が起き、風の刃が少年を襲う。
しかし、風の刃が少年の身体を引き裂く事はなく、刃は少年を避けるように屋上のコンクリートを傷つけて行く。
「……」
「力を手に入れても何も理解できないようだな」
力を解放したにも関わらず、少年を切り裂く事ができない事に少女の形をした物は首を捻りながら何度も両手を振り下ろし、風の刃を発生させる。
風の刃は少年の身体を傷つける事無く、弾き返され、自分が発生させた風の刃が少女を襲い、少女の首を落とすが血があふれ出す事はなく、少女は落ちた頭を拾い上げると元の位置に戻す。
少年はその様子に驚く事もなく、制服からオイルライターを取り出すとけだるそうに火を点けている。
光の無い目は状況を理解しようとしているのか、表情をなくして少年の顔を覗き込むと少年は火を点けたばかりのタバコを少女の瞳に押し付けた。
しかし、少女は熱さも痛みも感じないのか光の無い瞳で少年の顔を覗き込んだままであり、その様子に少年は小さくため息を吐くとタバコをくわえ直し、少女の首をつかむと目障りだと言いたいのか少女の頭を屋上の床に叩きつけると首の骨が折れたのかそこには鈍い音が響く。
叩きつけられた少女の首はおかしな方向に曲がっているが、その瞳は今も光がないまま、変わらずに少年を見据えており、自分が少年にやられたように少年の首へと手を伸ばすが、風の刃と同様に手が少年に触れる事はなく、少女の手は弾き飛ばされて吹き飛んだ。
手が無くなった事を理解しきれないのか、残っている手で少年をつかむが同じように手は吹き飛んでしまい、少女は不思議そうになくなった両手を覗いている。
吹き飛んだ両手には先ほど少女から溢れ出た黒い靄が集まり始め、手の形になろうとしており、少女はまだ終わっていないと言いたいのか壊れたように奇声を上げて笑う。
「ここまでやっても状況を理解できないか?」
少女の様子に少年はけだるそうにため息を吐くと左手を少女の胸に突き刺すと少女の身体の中から黒い靄を引っ張り出す。
少女は少年が自分から力を奪おうとしていると理解し、少年へと攻撃をしようとするが、彼女の攻撃は少年の身体に触れる事はなく、少年の左手が少女から離れた瞬間に彼女の身体は大気に解け始める。
少女は何が起きたかわからないようで少年へと恨みのこもった視線を向けるが少年は気にする様子もなく、少女の中から取り出した黒い靄を握りつぶすと黒い靄と同時に少女の身体も消滅してしまう。
「……ったく、なんで俺がたいした金にもならねえ事をしねえと行けねえんだよ」
少年は先ほどまで確かに存在していた少女の行方など気にする事もなく、舌打ちをするとタバコを吹かしたまま屋上を後にする。
「ノラ猫くん、お疲れ様……反応鈍いよ」
「うるせえな。それより、さっさと金出せよ」
少年が校舎から出ると一人の男性が少年に手を振っている。
男性の顔に少年は興味なさそうに言うと左手を出した。
それは明らかに金銭の要求をしており、男性は小さくため息を吐くと懐から茶封筒を取り出して彼の手の上に置く。
厚みを確認すると少ないと言いたいようで少年は舌打ちをするが目的の物は受け取ったため、この場を離れようと歩き出そうとする。
少年の様子に男性は慌てて手を伸ばすが少年は振り返る事無く、その手をひらりと交わす。
「……何だよ?」
「人の話は最後まで聞きなさいって小さい頃に教わらなかったかな?」
「教わった記憶はねえな。それで他に何かあるのかよ?」
これ以上の時間は付き合っていられないと言いたげな少年の言葉に男性は少し呆れたように言う。
しかし、少年が態度を改める事はなく、振り返る事無く用件を言えと男性を急かすようにため息を吐いた。
「あるから、呼び止めたんだけどね……ノラ猫くん、君ならここ最近でこの街で女の子達が行方不明になっているのは知っているね」
「失踪事件ね。どうせ、援交だ。なんだで男のところに泊まっているか、後は姦されてどこかに捨てられているんだろ。興味はねえな。だいたい、多すぎてどれの件がわからねえよ」
男性はため息を吐いた後、表情を引き締めて少年に失踪事件の話を振る。
失踪事件と聞いても少年は興味などないようでけだるそうに欠伸をすると歩き出す。
「ノラ猫くんはこの街で起きている事から目をそらすのかな? それは猫の名前を継ぐ者として相応しいのかな?」
「知らねえよ。バカがバカをやって死のうが何しようが自業自得だろ。そんな物に猫は興味を示さない。猫が興味を示すのは金と食い扶持だけだ」
男性は少年の前に回り込むと彼を挑発するように笑うが、行方不明になるような人間は本人に問題があると言いたいようで男性の横を少年はすり抜けて行く。
「……依頼主からは相場の五倍出すって言っているけど」
「ほう」
「話を聞く気になって嬉しいよ。ノラ猫くん、それじゃあ、車を回すから付いてきてくれるかな?」
少年の背中に男性はため息を吐くと依頼条件を提示する。
それは破格の値段のようで少年は話を聞く気になったようで振り返ると小さく口元を緩ませた。
少年の口元を見て男性は了承したようで懐から携帯電話を取り出し、その様子に少年は興味などないのか加えていたタバコを足元に捨てると新しいタバコを取り出す。
ノラ猫シリーズ新作です。
今までの二作とは別の物語ですので楽しんでいただければ幸いです。