【競演】報告
あなたと会うのは本当に久しぶりね。会わなくなってから、かれこれ五年になるのかしら。明日あなたに会うために、アンサンブルを新調しちゃったの。靴も一緒に。今から会ったからって、二人の間にまた何かあるわけじゃないのにね、バカみたいでしょ。でも、女ってそういうものよ。綺麗な自分を見せたいの、少し見栄を張りたいの。特に昔の恋人の前ではね。
会えなくなって、ずいぶん泣いたし恨んだのよ、どうして? って。あなたは何にも説明してくれないし。あなたのお母様も、あなたのことはもう忘れなさいって言うばっかりで。本当に、どうしていいか分からなかったのよ。
明日はこんな恨み言をたっぷり聞かせてあげるから、しっかり覚悟してね。じゃあ、そろそろ寝なきゃね。そう、明日の天気予報、雨なのよね。せっかく新しい服なのに、本当に降るのかしら? そういえば、あなたいつも傘の用意がなくて、よく濡れてたわね。明日、家を出るときに降っていたら、自分が差すほかに折りたたみ傘も持って行くわね。じゃあ、お休みなさい。
おはよう、今日のこと、忘れてないわよね? 今日は大事な報告があるの。ちゃんと聞いてよね。
ううん、それにしてもいやな空模様。降りそうな降らなさそうな、白いけど厚い雲が空一面に広がってるの。天気予報も雨のまま。やっぱり、傘は二つ用意しなきゃね。靴はさっそく傷むかもしれないけど、これはしかたないか。
パンケーキとカフェオレ、フルーツサラダの朝食。あなたは、こんなのは食事じゃなくおやつだって言うでしょうね。朝はお米のご飯の人だったし。私はどちらも好きよ。毎日違うメニューって、楽しいじゃない? 私だけかしら?
食事も取ったし、身支度しなきゃね。あ、鼻歌交じりなのは、あなたに会えるのが嬉しいからじゃなく、いえ、それはそれで嬉しいんだけど、せっかくお洒落するんだから、楽しくした方がいいと思って。しかめっ面にお化粧したって、映えないもの。そういえば、あの頃はあんまり気にしてなかったわね、まだ若かったから。若さって、どんなにお金を出しても手に入らないアクセサリーだわ。もう若くないから、たくさん笑うようにしてるの。笑い皺が出来るって? もう、失礼ね。笑い皺は幸せの証拠よ。
お化粧は濃すぎず薄すぎず、髪はまとめてアップにして。新しいアンサンブルに合わせて、今日はちょっと知的なイメージで。あなたに「もったいなかった」って思わせるんだから。
いつものトートバッグに折りたたみの傘を入れて、と。さすがにバッグまでは買えなかったのよね。
新しい靴を履いてドアを開けると、空はやっぱり一面に白い雲が広がってる。念のために持つ自分の分の傘は、淡いベージュに色とりどりの花柄。今日のちょっとシャープなイメージに、一点だけ甘いアクセントになるな。うん、それほどバランスは悪くない。よかった。
駅までの道を、今日はのんびりあるくの。あなたは背が高い分足も長くて、歩幅がまるで違うの。そういうことにまるで気付かないんだから、あなたと一緒に歩くと、いつも早歩きだったのよ。知らなかったでしょ。
郊外へ向かう電車は空いてる。そうよね、郊外へ行くなら、普通は雨が降るかもしれないよりは晴れた日よね、うん。電車がひとつ駅に着くごとに何人かが降りて、新しく乗り込む人は少ない。でも私は、今日じゃなきゃ。晴れたからって会社を休むわけにも行かないし、ちゃんとお互いの都合も合わせなきゃね。
目的の駅に電車が止まる。私のほかにも何人か降りたけど、きっとみんな同じ場所へ向かうわね。ここに住んでる人以外、ほかに行き先なんて無いもの。きっとみんな、あそこで誰かと会うの。
途中で目にした花屋さんで、花束を買う。誕生日とかクリスマスとかバレンタインとか、何かをプレゼントするとき、あなたはいつも実用品ばかり欲しがるの。たまには遊び心のあるものを贈りたかったのよ。だからこれは、私の素直な気持ちと、昔のあなたへのささやかな嫌がらせ。ちゃんと受け取ってもらうわよ。
お店を出て空を見上げると、朝より少し明るい気がした。あいかわらず白い雲が空を覆っているけど、厚ぼったい感じがしない。西の方にほんの少しだけ雲の切れ間があって気持ち程度に青空を覗かせている。雨、降らないかもしれないな。そうしたら傘は無駄になるけど、まあいいか。靴も傷まないし。
正門が見えてきた。あの向こうで、あなたが待ってる。門の向こうは綺麗な緑。手入れされた芝生が広がっている。門に刻まれた文字を確かめてそこを通る。門の向こう側には、芝生と同じく丁寧に作られた花壇もあった。
少し先の管理事務所で、入園の記帳を求められた。最近はお墓にも悪さをする人がいるのよね、子供の頃はお墓参りにこんな手続き無かったのに。罰が当たるわよね、もう。
大きな公園の散策路のような、芝生の中に描かれたタイルの舗道をゆっくり進む。整然と並んだお墓は、ほとんどがまだ新しい、艶やかな大理石で出来ている。もうすぐ、あなたのお家のお墓が見えてくるはず。
あった、最近増えてる、横型の墓石。刻まれている『敬』の文字は、ご先祖様を敬うことと、あなたの名前の一文字を使うことを合わせたとお母様が言ってらしたわね。墓石の横にある墓誌の最後に、五年前のあの日の日付と、あなたの名前が刻まれている。
新しい黒のアンサンブル、どうかしら? 似合ってる? あなたが明るい色の方が好きなのは知ってるけど、お墓参りだもの。やっぱり黒よね。
さて、それじゃ花束のプレゼント。いやだと言っても受け取ってもらうわよ。お墓に『実用的なもの』のお供えなんて、有り得ないじゃない?
そういえば、あなたのプロポーズの言葉、あれも実用的だったわね。
田舎のお墓は遠いし管理もされてないからお参りも掃除も大変だって、雑談みたいに切り出して。ご両親のために新しいお墓をこの街に建てるから、将来、君も一緒にそこに入って欲しいって。ホントに、ロマンチックから程遠い人よね、あなたって。
逆になっちゃったわね、あなたのプロポーズと。ご両親があなたのためにお墓を建てて、田舎のお墓を引き払って。
あの日、「あなたが事故にあった」ってお母様が連絡をくれて、病院に駆けつけたときはもう冷たくって。どんなに悲しかったか分かる? どれだけ泣いても名前を呼んでも、あなたはもう返事してくれないのよね。あなたの手を握っても、握り替えしてはこなくて。
あなたの手、男の人にしては指が細くて繊細だったわね。その指が、とても好きだったわ。実用的なことが好きなあなたの、内側の優しさが表れてる気がして。
あ、降ってきちゃった。霧みたいに細かい雨。空気がしっとりと湿る。
西の雲の切れ間から光が細く差して、雨粒が光を反射してとても綺麗よ。見える?
私はトートバッグから折りたたみ傘を出して、それを広げると墓石が濡れないように立てかけた。これで、あなたが濡れずにすむわね。それから自分の分の傘も広げる。
墓石に水をかけない宗派があるなんて、あなたのお骨を収める時まで知らなかったわ。私の田舎では、うちもご近所の人たちも、墓石の頭からザブザブかけてたもの。
あの日から五年も、ずっと来なくてごめんなさい。でもね、大体、それはあなたが悪いのよ、何の予告もなく死んじゃったりするから。最初はね、いつかあなたが帰ってくるんじゃないかって、そんなことを考えてたの。ここに来て、もうあなたがいないことを繰り返し認めるのがいやだったの。そうしたら、気持ちが落ち着いても何だか来づらくなっちゃって。
今日はね、伝えたいことがあるの。だからがんばって、こうして来たのよ。
「分かってるから泣いている、この雨は俺の涙だ」なんてことは、ロマンチックから程遠いあなたは言わないでしょうね。
私ね、結婚するの。
もうすぐ、彼が挨拶に来るわ。
あなたと同じ、背が高い人よ。でも、ちゃんと私に歩調を合わせてくれる。
あなたと違って、ゴツゴツした手を持ってる。大きな手でね、彼と手をつなぐと、私の手が小さく見えるの。私の手は小柄な男性より大きめな位なのにね、びっくりしちゃった。
彼ね、工場で働いてるの。ラインが止められないから交替勤務で、私に合わせて、貴重な日曜休みにここに来てくれるのよ。
ああ、来た。彼よ。もう、やっぱり傘を持ってない。こういう所はあなたと同じ。でも、西の空はさっきよりも明るくなってるから、雨はきっともうすぐ止むわね。傘は一本で充分か。
彼が片手を軽く上げる。私もそれに応えて、傘を持ってない方の手を上げた。
お墓の前に彼が着いて、私は持っている傘を彼に差し掛ける。彼はお墓の前に屈み込んで、あなたに話しかけた。
「彼女と結婚します。許してくれとは言わない、許されなくても結婚しますから」
なんて無遠慮な挨拶だろう。男の人同士って、そういうものかしら? それとも気付かなかっただけで、この人が特に無遠慮なのかしら。でもあなたもロマンチックじゃないから、これでちょうどいいのかも。
「天気予報、当たったな。ちゃんと降った」
「涙雨じゃないわよ」
「それならもっと激しいだろう」
「それもそうか」
「むしろ、彼からのお祝いだと思うよ、ほら」
私は促されるまま、彼が指さす方を見る。背後にはまだ白い雲が広がって、霧のような雨が降り続いている。その霧雨をスクリーンにして、七色の大きなアーチがぼんやりと空に映し出されていた。
彼があなたにお別れの言葉を告げて立ち上がった。私の手から傘を取り、私に雨がかからないように差し直す。私達はお祝いの虹に見送られながら、ゆっくりと歩き出した。雨はもうじき止んで、虹は鮮やかさを増すだろう。
きっと明日は良いお天気だわ。
さようなら、あなた。素敵なお祝いを、ありがとう。
いつかまた、遠い時間のどこかで。
お楽しみいただければ幸いです。