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シナリオはいつもアドリブで

泳がされる魚のように

作者: 卯月瞳子

「本当に混んでるな」


日曜日のホームセンターの混み様を見渡して柴咲さんが言う。子どもを連れた家族連れの姿とあちこちで響く泣き声に今にも頭痛がしてきそうだった。


「どうしてここへ?」


寝ているところを電話で起こされて無理矢理連れて来られたのだから、私には訊く権利があるはずだ。柴咲さんは私の問いかけに大して気にする様子もなく灰色のショッピングカートへと手を伸ばした。答える気がないらしく、そのまま広い歩幅で歩きだす。こんなとき、睦月だったら間違いなく立ち止まる。そして私の顔を正面から見据えてちゃんと答えてくれるはずだ。



睦月は柴咲さんの私への気持ちが本気だと言うけれど、そんなの嘘だ。本気で好きな相手の言葉を受け流すなんて、絶対にあってはいけないことだと思うしそんな人を私だったら恋人になんかしたくない。


食器や洗剤等々の並んだスペースを早足で通り過ぎるとその先にある家具置き場で柴咲さんはピタリと足を止めた。

「来月引っ越すんだよね、俺」

柴咲さんは睦月と同じ会社の同期だ。几帳面な睦月と大雑把な柴咲さんは私の目から見れば明らかに正反対だ。どうして仲がいいの?と訊いたら睦月は少しだけ考えてから答えてくれた。正反対の相手だからこそ一緒にいて楽なのかもしれない。そんな風に言って笑った。


その時私は思ったんだ。睦月と私は血が繋がっていないのに性格はとてもよく似ている。だったら睦月は私と一緒にいて苦しくなることがあるのだろうか。だけど怖くてそれを睦月に訊く気分にはとてもなれなかった。



「教ちゃん聞いてる?俺の話」


睦月のことを考えていたなんて口が裂けても言えない。

「聞いてる。引っ越すんだよね」

「そう。金が貯まったから念願の一人暮らし。だから家具とかも全部新調したいんだ。だから教ちゃんに選んで欲しくて連れてきた」

「なんで私が」

「だってどうせ睦月の家具だって選んでやったんじゃないの」



大学での講義中に使用した資料をなぜか思い出した。シマウマの死骸を人間が食している絵だ。口の周りを血の色で真っ赤に染めて、それを拭おうともしない。野性的に、本能的に。人間はきっと本来、色々なことに対して敏感に察知出来る能力を持っているんだろうと思った。



あの時代に生きていた人間は本能だけで生きていたはずだ。生きることにただ貪欲で忠実。


理性では駄目だとわかっていても睦月を愛してしまう私もまた、ある意味で本能に忠実だと言えるのかもしれない。


だからだろうか。柴咲さんの言葉で私は全てを悟ったような気がした。

「睦月はいつ引っ越すの?」

自分でも声が震えているのがわかった。

「やっぱり話してなかったんだな。あいつ」

「そんなことどうでもいいから!いつなの」


自分の感情が想像もつかない領域へと高ぶっていくのを止める気にさえならなかった。驚いた表情をしている柴咲さんに食って掛かる私に、近くにいた子どもが「ママー、あの人怖い」と言う声が聞こえてきた。


「ちょっと場所変えようか」


私の手を取ったまま、片方の手でショッピングカートを柴咲さんは押してひたすら歩いた。そして再び足を止めた場所は、今度はペットコーナーの魚の場所だった

カクレクマノミにバルーンモーリー、ミッキーマウスプラティーにゴールデンアリジイーター。色鮮やかな魚たちが、狭い空間の中でたくましく泳いでいる。

「睦月は俺より早く今月末に引っ越すよ」


今月末なんてもう二週間しかない。いつかこういう日がくることを今まで予想しなかったわけじゃなかった。


頭のいい睦月は高校も大学も選びたい放題で、どちらも自宅から通える距離の県立と国立に進学した。


普通に考えてみたら、睦月の一人暮らしは寧ろ遅すぎると言っても不思議じゃないのかもしれない。でも許せないのは、睦月が私にそんな大切なことを二週間前になった今でも黙っていることだった。



家に帰るともうすっかり日は暮れていた。電気もつけずに暗くなったリビングのソファで眠っている睦月を見つけた。



こんな風に日常的になってしまった睦月のいる光景を失うことなんて考えもつかない。睦月の存在が示すものが余りにも私のなかで大きく育ってしまっていた。



買ってきたミッキーマウスプラティーの入ったビニール袋をテーブルの上に置き、冷蔵庫から取り出したペリエをグラスに注ぐと、瓶とグラスがぶつかってきれいな高音を奏でた。


「教子?」

起き上がった睦月に気付かないフリをして、注いだペリエを一気に飲み干すと淡い炭酸が擦れている喉をちくちくと刺激して痛みが走った。



柴咲さんと別れた後、トイレの個室で声を上げて泣き続けた無様な私を知られたくはなくて喉元に力を入れた。



二杯目を注ぎ、三杯目を飲もうとした手を強い力で掴まれた。



「なによ」

「さっきから呼んでるのにお前変だぞ。柴咲と何かあったか?」

「別に何もなかったよ」

「本当か」

「本当だってば」

「じゃあなんで泣いてる?」

「睦月のせいでしょう!」



掴まれていた腕から、睦月の温もりがスッと一瞬で抜けていく。睦月の熱にこの身が溶かされたなら、どんなにか幸せだろう。何度そんな風に願ったかしらない。


「話さなかったのは悪かったと思ってる。でも俺たちはこうしなきゃいけないんだ」

「こうするって何。別々に暮らしたらどうだって言うの?じゃあ一緒に暮らしてれば睦月はいつか私を抱いてくれる?」



睦月が唾を飲み込んで、ゆっくりと喉仏が上下するのがわかった。




「俺たちは兄妹だろ。紙の上の文字だけの関係でも」

「じゃあどうしてキスしたの?」

睦月は狡い。あのキスで私の心を固めてしまったのにどこまでも兄妹ごっこを続けていこうとする。そんな茶番劇なんか誰も見たくないはずなのに。

「ごめん。でも俺たちが正直に生きることは誰も幸せになんてならない」

「誰も幸せになんてならない」私は自然と睦月の言葉を復唱していた。でもそれなら、私の気持ちはどこへ向かうというのだろう。決して明るい場所でないことだけは確かだ。



向き合っていた私たちの頭上を蛍光灯の明かりが真っ白く照らした。

「あなたたち、そんなところで何してるの」

睦月のお母さんが暖簾をかきわけていつもと変わらない声で言った。

「別になんでもないよ。ちょっと教子に引っ越しのことで話してたんだ」

「あらそう。じゃあもう口止めしなくていいのね。あんたが教子ちゃんだけには話すなって言うから、お母さん気が重かったわよ。全く」

広く明るいリビングの下、完全な茶番劇がちゃんと続けられているのを私は夢のように現実感を感じない世界で見つめていた。テーブルに置いた袋のなかで、ミッキーマウスプラティーは所狭しと泳ぎ回りながら、私たちの茶番劇の行き着く先を見つめているような気がした。



(了)










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