ヴァニッシュとノア
ダラッダラと冷や汗を掻き、文はノアを見上げた。
「あ、あの……怒ってらっしゃるのですか?」
「みょうちくりんな敬語を使うな。うざすぎるわ」
「けど、明らかに怒ってるだろ……」
怖い怖い怖い。だがしかし?持って帰ってないということはまだ未遂なのだ。そこまで怒られることもないであろうということを想定してみたが、そんなことはないだろう。
いや、でも。味見しただけだ。そこまで深い傷はつけてないし、確実に数滴しか飲んでいないし――だが、怒られるとして思い当たる節が多すぎる。
だが、安心さえしなければ雷は落ちないだろう。
「怒るだと……?」
「え、ノア……?」
「この――ドアホがぁぁあぁぁぁぁ!!!」
「ひいいやぁぁっ!?」
ギランと瞳が輝いた。恐ろしい光を宿して。
――安心しなくても雷は落ちました。
* * *
「全く……てめェは昔から他人のものばかり欲しがって、結局は壊したり弁償させられたりと……馬鹿だな、いつも通り。そっちのてめェも、抵抗くらいしろ」
「し、しましたよ……」
とりあえず城に帰さた二人は、床に正座させられてノアに説教を受けていた。長々と終わりもなく、ほとんどエンドレスに。
しゅんとしてしまい、ヴァニッシュはノアに頭を垂れていた。
「ごめんなさい……」
「あぁ、謝るな。さっきのは冗談だ。――てめェはいい子なんだな」
「いい子……?」
心なしか、ヴァニッシュの表情がほんの少しほころんだ。
むっとし、文はがばりと立ち上がった。
「お前、それじゃあ贔屓だろ」
「贔屓?何のことだ?このアホが」
「アホって何回も言うな。余計アホになるぞ」
「知るか。大体、こいつは何者だ?どうして他人の血を飲むんだ」
「……こいつも、化けモンだから」
何と答えていいのかわからなかった。ヴァニッシュを押しつけられたのは確かなのだが。
深く息を吐き、ノアは雑に頭を掻いた。
「化けモン……な。で、正体は」
「【狼】の血筋だろうけど。耳とかあるし」
「獣……!?」
ひくっと、ノアの表情が引きつった。
小首を傾げ、文はヴァニッシュを見やった。
「何かおかしいのか?おいしいぜ?」
「……禁忌も禁忌だ。獣の類は、【吸血鬼】の中でもその血を飲んだら――」
「――何がダメなんだよ。こいつは、変な【魔女】に押しつけられたんだよ」
理由や言い訳にはなっていない。ただ、少し怒られることにイラついた。
すっ……と、ノアの手がヴァニッシュの額に触れた。
「温かいな……けれど、てめェの中は空っぽだ」
「っ……どういうこと」
「わからないか?――文。てめェ、こいつの血を飲んだのに気が付かなかったのか?」
「何が……?」
ふぅと、二度目のため息がノアの口から洩れた。
窓の外から射す夕陽が、熱っぽくヴァニッシュを浮き彫りにしていた。
「こいつは――頭の中が空っぽなんだ」
数瞬――空気が凍りついた。
静かに、ヴァニッシュはノアを見上げた。
「……からっぽ?」
「ああ。――てめェ、記憶が欠けているんだろう」
「っ、記憶?」
聞き返したのは文であった。
ふるふると、ヴァニッシュは震えるように首を振った。
「記憶……?どうして……っ?」
「自分で分かってるだろう?どのあたりの記憶がないのかも、何が欠けているのかも」
「……ヴァニッシュ?」
無言でうつむき、ヴァニッシュは膝を抱えた。
ぼそぼそと、聞き取りにくい声がヴァニッシュの口から洩れた。
「何も……知らないんだ……気付いたらリリスがいて……俺を助けてくれて……」
「……名前は」
「ヴァニッシュ。それだけはっ……ちゃんと、覚えてたから……っ!!」
必死にそう言い、ヴァニッシュはノアにすがるように言った。眼に涙をため、潤ませて。
うぅ、とノアが低く唸った。




