お嬢さんは俊足 Ⅲ
「ダメだろ、人をからかったりしちゃあ……文さん、困ってたぞ」
「そんな風には見えなかったわ。暇なお兄ちゃんの相手をしてあげたの」
「このお兄さんそこまで暇じゃないよ。急いで走ってたし……」
「私を追ってたのよ。低脳ね、ヴァニッシュは」
「……あのさぁ」
つまり――こいつらは『化けモン』だ。それだけが何となくわかった。そうでなけりゃ、別次元の人間だ。要は人以外の生物。
リリスを叱るのをやめ、ヴァニッシュは文に再び頭を下げた。
「すみませんでした、本当に……ちゃんと叱っておくので」
「いや、そんなのいいんだけど……」
「叱るなんて失礼言わないでよ。私はレディよ?」
「はいはい。それじゃ、文さん。俺たちはこれで」
「あ、あぁ、うん……」
このまま逃がしていいのか?ノアに報告さえすればいいような気もするが、逆にとてつもなく怒られるような気もする。
リリスの手を引いて帰ろうとするヴァニッシュの肩を素早く文がつかんだ。
驚いたようにヴァニッシュは振り向いた。
「――まだ何か?」
「ちょっと、聞きたいんだけど。あんたと、そのオチビさんについて」
「……リリス、何がしたいわけ」
文の真剣な表情を見て、何故かヴァニッシュはリリスを見た。
ぷくっと再びリリスの頬が膨れた。
「あなた、勘だけは鋭いんだから。嫌になる」
「俺と文さんを鉢合わせにしようとしたよね。今わかったよ」
「何か悪いのかしら?ねぇ、文」
「は……?」
突然喋りだすもんだからさっぱりわからない。つまりはアレか?俺はこのちっさいお嬢にはめられたのか?
ヴァニッシュの手を振り払い、リリスは文に向かった。
――そして、口を開いた。
「――ねぇ、文」
「あ……何」
「――お願いがあるの。聞いてくれたら――あなたがあの上の城の化け物だってこと黙っててあげる。この町へ降りてきたとなれば、あなたは死刑かもよ?まぁ、怖がって誰も近づかないけれど」
「……何それ。あんた、俺のこと知ってたわけ」
化け物、と。確かにそう言った。
最初から俺のことは知っていて
なおかつ勝負を申し込み(?)
そして俺とヴァニッシュを鉢合わせた――
「ええ、知っていたわ。匂いで分かった」
「で?そんな化けモンに何の用だ」
「ふふっ、一応理解力はあるのね。だったら話すわ」
ニコっと愛らしく微笑み、リリスは一枚のカードを文の手の上に置いた。
かわいらしく装飾を施されたそのカードは、不思議に暗い場所でも輝いていた。
「差し上げますわ。私はもう捕まりはしない。【悪魔】の名において、自ら現れるまでは」
そう言って、リリスはワンピース型のドレスをひるがえし、高く跳躍した。
「っ、待てっ!!」
「アハハハハハハっ!!捕まえられるものですかっ!この馬鹿ども!!」
「えぇー……何あの子ー……」
ヴァニッシュは捕まえるのに必死。そして文はぽかんとその姿を見ていた。
煙のように消えてしまい、リリスの声だけが路地裏に反響していた。
特に何事もなかったかのように、やがて文はヴァニッシュに言った。
「ま、これで報告もしないでいいわけだ。めんどいし」
「え……本当にいいのか?」
「捕まえには来てないしな。とりあえず、この紙――」
表は白紙。二つに折りたたまれていたそれを文は開いた。
――差し上げます。
「……うん、わかった」
「え?何が書いてあったの?」
「別に?気にすんなよ」
『差し上げます』と。流暢に美麗な文字で、ただ一言だけつづられていた。
この男を。ヴァニッシュをくれたらしい。別に欲しくないわけじゃないが、これはアレか。子犬を拾って親に怒られるパターンだろう。
ああ、ノアに怒られる――どうしよう。