ステンドグラス・カラー
かすめ、弾き返される。どんなに“覚醒”して強くなっているとしても、いい加減体力の消耗が激しすぎる。
銃弾を避けて駆けながらリロードをし、ヴァニッシュは床に手をついて高く跳躍した。
口にくわえていた銃を手に持ち直し、ヴァニッシュは逆さに見える世界で文に狙いを定めた。
「おー……」
「っ、ざけんないでよ――」
どうして笑う。笑いながら戦うなんて、真面目のかけらも視えない。
吐いた吐息をかき消すように引き金を引き、ヴァニッシュは文を見据えた。
「これでっ……」
「はい残念。学習しなさい」
かざした手の背後で目を見開き、文はそのまま降ってくる銃弾の雨を受けた。
まるで生き物のように――真っ直ぐに降っていたはずの銃弾の雨は、その軌道を曲げ、脇の花畑の中へと一斉に降り注いだ。
「……ははっ。満足して――」
「うるさい」
いつの間にか文の視界から消えていたヴァニッシュが、声音も低く文の背後に回っていた。さっきの文のように。
気付かれるよりも数瞬早く、ヴァニッシュは文の右腕に噛みついた。
「っ……!?狼風情がっ……」
「悪いけど、結構限界なんだ。だから――」
小さいころから、噛みついて引き裂いて。それが当たり前で、“覚醒”を解く役目は兄さんだった。解けなくなってからは強制的に意識を飛ばしたけれど、それまでは。
離れないように文を噛みついたまま抱きしめ、ヴァニッシュは彼の腹部に銃口をあてがった。
「……私は消滅するだけだ。この子の身体が傷つくがそれでもいいのかな?」
「知らない。【吸血鬼】は殺せない」
「そう。なら、早く引き金を引いて」
あぁ、ムカつく。この余裕も、笑みも。知っている気がして腹立たしい。
それに――殺されることを望んでいる――そんな目をしていた。
噛みついた傷口から血を飲んでしまわないように注意しながらも、ヴァニッシュは引き金を引いた――
「っ……あぁ……痛い……」
「黙ってよ……その声は聞きたくない……」
知ってる――?けど、どうして?そんなわけないじゃないか。
いつにも増して香る硝煙の香り。煙を薄く放つ銃口には、散った血液がはっきりと残っていた。
動いてもいない心臓を抑え、文はヴァニッシュを振り払った。
「……我が夢は……幻惑にして狂気……ムーンエッジのその名において……死は許されない……っ」
「は……何言ってんの。あんたはもうすぐ……」
「死ぬことはない……死ねないんだ……あァ、神よ……私に祝福を……」
そう呟くように吐きながら、文はヴァニッシュに向けてまだ使える右手をかざした。
逃げる間もなく、文は羽を羽ばたかせた。
舞い散る羽根が、無数のナイフを出現させた。
「――道連れ旅行。キミを生かしてはおかない――」
「ふざけんなよ化け物っ……!」
逃げられない。どうあがいても射程距離に入るし、このまま離せばこいつは復活するかもしれない。【吸血鬼】の治癒能力の性能の高さは、十分わかっている。
覚悟を決めてさらに強く噛み付き、ヴァニッシュは文の首に尖った爪を立てた。
耳元で、微かに笑ったような声が漏れたのが聞こえた。
「――上出来。キミは私とは違うんだね――」
ほんの一瞬、時が止まったように感じた。
刹那、時が動き出し無数の羽根が自分と目の前の【吸血鬼】に向かって降りそそいだ。
痛い――肉を貫き、骨を刺し砕き、肌を引き裂く。逃げようにも離れられず、自分の血と相手の血が混じって溶けていく。
これを何と言うのだろう。阿鼻地獄とはまた違う。
心地良い痛みと揶揄するのに相応しい――そんな、奇妙な痛みだ。自分を引き戻してくれる、そんな痛み――
*
――痛みも何も感じなくなって、もう何時間たったんだろう。
寒いとか暑いとか、苦しいとか気持ちいいとか。根本的な感情の何もかもが崩れてしまった。
あれだけ派手に暴れれば、誰も来られないだろうとタカをくくっていた。本当に誰も来れないくてとてもよかったと思っている。
――さぁ、片付けをしないと。
「いくら【吸血鬼】でも……これだけ大怪我なら死ぬよね……」
目の前に横たわる、紅の似合う麗人。そのヒトは自分を苦しめたのに――何故かひどく懐かしい。
ゆっくりと立ち上がり、ヴァニッシュは傷だらけの身体で文の襟首をつかんだ。
ズルズルと引きずりながら、どこまでも。窓から落とせば下は谷だ。【吸血鬼】は水に弱いらしいから、このまま骨の髄まで消えてもらおう。
勿論――兄さんの望みだから自分も死ぬ。自分は生きようとしたのが間違いだった。
幸せになんて、自分は向いていない。不幸の不幸のどん底がお似合いだ。そうでなくては化け物としての自分を全否定することになってしまう。
生きていた証を否定なんて――死ぬ方がずっとずっとマシだ。
「……は……」
「っ……!?何で生きてっ……!」
ぱちりと目を開けて、傷ついて死んだはずの文が目を覚ましていた。虚ろに視線は虚空をさまよい、やがてヴァニッシュを見つめたが。
焦っても手を離そうとはせず、ヴァニッシュは言った。
「何……!?僕よりも化け物なんて……」
「――おはよう。夜が明けるよ」
「うるさい!お兄さん……何でまだ生きてんの……僕、もう戦えないのに……」
勢力尽き果てた。これ以上戦うなんて無謀だ。
そっとヴァニッシュの頬に手を伸ばし、文は静かに笑った。
「ただいま――とてもとても、寒かったよ――」
「っ、話しかけないでよ!何で僕のことっ……知ってるはずないのに!」
「大好きな子を忘れるほど、記憶力は悪くないよ……ヴァニッシュ……」
「言わないで……言わないで……っ!お兄さん元に戻ってるよ……!!」
「ダメ――?」
かすれたような声を上げ、笑顔を浮かべ。文は、じっとヴァニッシュを見つめていた。
イラつきを抑えようともせず、ヴァニッシュは文の襟首をつかんだまままた引きずった。
長く短く――そうして、時間だけが割れたガラスの破片のように突き刺さってなお進んでいた。
「……ヴァニッシュ」
「呼ばないで。頭痛い」
「……本当は“覚醒”なんてできてないでしょ?君みたいな臆病君が……できるはずない……」
「っ……その僕に負けたあんたが言うセリフ?」
話したくない、離したくない。二つはすれ違って交わって、距離をまたゆっくりと縮めていく――
ニコっと笑みを浮かべ、不意に文はヴァニッシュの腕をつかんだ。
それに慌てて文の襟首を離し、ヴァニッシュは壁に背を打ちつけた。
「……戻っておいで。俺は戻ってこれたんだよ。だから、君も」
「ふざけないで。僕は僕のままだし、戻ることなんてありえない」
「強情……体が思うように動かないのに……」
そう低く不満そうにつぶやくと、文は唐突に駆けだした。
驚くも避ける間もなく、ヴァニッシュはあっという間に文に手首を掴まれていた。今度はもがいても離してくれそうになかった。
「――血が足らない。もっと――もっと――もっと――!」
「あ……」
首筋に触れる唇。吐息は甘く、意識を侵していく。
むせっかえるようなその色に、ヴァニッシュは文に噛みつこうと挑んだ。
表情もなくして、文はふとヴァニッシュの右手をとった。
「――思い出して。最初は俺達、ここから始まって――」
まだできたばかりの傷。さっき羽根で怪我をした指先だ。
文は跪き、静かにその滴る雫を吸った。
震えを止められないまま、それでも抗えずに。ヴァニッシュはただただ、その場に立ち尽くしていた。
か細く呼吸の音が聞こえる。動く心臓は自分だけ。文はそんなのも感じず、永遠にこのまま時を止めていられる。苦しいなんて思わないんだろう。
ピクリと指先を動かし、突然ヴァニッシュは手を払った。
「――触んな、【吸血鬼】」
「……そう」
指先からはまだ、唾液に混じった血液が流れ出している。それは止まらず、ダラダラと紅く。
苦しそうにうめき、ヴァニッシュは不意に自身の両肩を抱いてうずくまった。
「来ないでっ……来るなっ……どうして、そんな……っ!!」
「……」
割れたガラス片がキラキラと、明け始めた朝の空に煌めいていた。光の粉は足元を照らし、血に濡れた惨劇をも全て、ファンタジックに変えてしまっていた。
長い髪をかき乱して、ヴァニッシュは咆えるように叫んだ。
「触るなっ……!来るなぁああああああああああああああああああああぁああああああああぁぁぁぁぁあああああぁぁぁあぁあぁぁあああぁ!!!!!!!!!!!!!」
「っ、行くな!!」
砕け散って、その淵に尖った刺を覗かせている巨大なステンドグラス。色とりどりのそれももう原形はとどめておらず、裸足のヴァニッシュの脚を傷つけるばかりであった。
ふらつきながら窓辺に逃げ、ヴァニッシュは言った。
「この……“覚醒”を解かせはしないよ……そんなことなら、このまま――っ!!」
手を伸ばすのも遅く、ヴァニッシュは蒼い空へとその身を投げ出した。
刹那的に見えた笑みを追い、文も翼を広げてその場所から飛び降りた。