覚醒 Ⅳ
*
キィン、と。乾いた音を立てて、天窓にはめられたくすんだ色の硝子が割れた。
森閑なる聖域、美しく輝く青い空。まるで子供のころに見ていた空のように、深く青く――
パラパラと粉になって降ってくる硝子片を手にのせて眺め、静かに言葉が吐かれた。
「……死んだのか」
同胞――とは言えなくもなかった。少なくとも、共闘の関係であった。仲は良くなるつもりはなかったし、なったところでどうにかなるものでもなかった。アレは、自らの願望と執念とで動いているようなものだったから。
周りの仲間はもういない。“覚醒”した弟に、全て殺された。外から客が来るまで暴れて、また眠って――そんなところが子供の時から何一つ変わっていない。「困った癖」と片付けてしまうにも、それはそれでかなりの無理がある。
弟は、俺を殺しにきっと来るだろう。そして、あの【吸血鬼】も。どちらかに殺されるのなんて、わかりきっている。
「……死ぬつもりなどないが」
来るならば来るがいい。自分の行いに後悔はしていない。
幻の青い空を見上げ、ヴァンは声を殺して降り注ぐ光の雨を受けた。
*
許サナイ――絶対に許せない。俺は悪くない。
あのヒトは許してくれた。けど、俺はアイツを許さない。
【悪魔】という肩書きが嫌で【魔女】を名乗ったあのヒト。あのヒトは――あのヒトだけは、俺を認めてくれた。他のやつとは違って、ちゃんと俺を見てくれた。
見ていてくれて、笑ってくれて、愛情をくれて、怒ってくれて――そんな当たり前に慣れていたのに。
あのお兄さん達が邪魔をする。俺の何がわかるのかも知らないけど、邪魔ばっかり。そのくせしつこい。知ってるにしても面倒くさい。
「……やーな予感」
背後から駆けてくる足音。異常に速く、化け物並。ここに化け物がいないことの方がおかしいけど。
殺しても殺しても復活する。まさに不死の【吸血鬼】――
駆けながら剣を銃に変化させ、ヴァニッシュは顔に付いた血を袖で拭った。
*
あり得ない――何なんだ、あの化物。何故ひと思いに殺さなかった。伝言係などと、そんなものいらなかっただろう。
ずいぶん痛みも引いてきた。さすがに、もう行かなければ――あの化け物を止めなければ。
壁を伝いながら立ち上がり、ノアはふと辺りを見回した。
――何かが近づいて来る。
「……っ……は……っ」
ほんの一瞬、風が遠くから吹いた。
濃い血の匂い。それに加え、懐かしい匂い。
何かを感じ、ノアはとっさに腕を伸ばした。
「っ、待ちやがれ!」
とっさに掴んだ割には捕まえられた。だが――
ぬるりとした感触に、ノアは眉をひそめた。
「てめェ……」
「……」
返事はなかった。何一つ――呼吸さえも。
まるで闇に溶けるように、徐々にその手の感覚は消えていった。その瞳だけは闇の中でも静かにたゆたませて。
幻だったのかと思うようなそれがいた空間をじっと睨み、ノアは懐から一枚の写真を取り出した。
「……あァ――」
写っている、写ってはいけない者。そんなの撮った時点でわかっていたのだが。
ヴァニッシュ一人で映っているその写真を地面に置き、ノアは壁を伝って歩き始めた。
消えている。消えるはずなんてないだろう?なのに――常識なんて、そんなものは存在しない。
じゃあ、何が起こっているんだ。常識外の理、何もかもが間違っている――
*
カチカチカチカチ――止まることなく時計の針は動き続ける。
吹き渡る風のように緩やかに、確かに――それでも、異様なほどに速く――
「……よく来れたな。あいつらを殺してまで――」
「そう差し向けたのは、誰かわかってんの?」
開かれた扉から堂々と侵入してきたヴァニッシュを見やり、ヴァンは表情もなく再び天を仰いだ。
サラサラと未だに硝子片は落ち続け、光の雨のように陽を受け輝いていた。
「……覚悟して」
「了解。お前も、それ相応の覚悟を」
ガシャンと音を立ててリロードをし、ヴァニッシュはヴァンを睨みつけた。
足元につつましげに咲く花々を愛おしげに見やり、ヴァンは剣を引き抜いた。