覚醒 Ⅲ
*
「――くれてやる」
刃が光り、一撃がその肩口を貫いた。
明かりも射さない暗い道。それはずっと変わらない。
噛みつかれたままもう片方の腕で剣をもう一度持ちあげ、ヴァニッシュは舌打った。
「あんまり引っついてんなら……本当に殺すよ」
耳にざらついて邪魔な声。咆えるだけでは脳が無さすぎるのに、どうして分からない。
剣を振りあげた刹那、月光が斜めに刃を反射した。
「っ、クァトロ!!」
「動くんじゃねぇよ、カルヴォ!」
自分は“獣”だ。そんなことわかっている。覚醒を経て、ここまで戻ることができた。感謝こそしていないが、力はずいぶんと上がっている。
ぐしゅ、ぶしゅ、べしゃり。音を立てて、血が飛び散る。
狂いの笑みで刃を濡らし、鮮血がヴァニッシュの顔に散った。
「――逃げられればいいのになー?俺がちゃんと掴ませてるから、逃げもできないで――俺の玩具になって死ねばいいんだ」
「今すぐにクァトロから離れろ、薄汚い血汚しが!」
「血汚しィ?そんなこと言うなら、本当にこいつぶっ殺すよ」
手に噛みついた時点でゲームオーバー。そのまま離せないように術をかけて、ぶっ殺すために用意もした。勿論、喉は塞いであるから話せるわけもない。
苦しんで暴れるクァトロを眺め、ヴァニッシュは剣をカルヴォに向けた。
「理性までぶっ飛んでるくせにさ、何愛しちゃってんの。そういうの、本当にムカつく」
「私の大切なヒトだからだ、ふざけるな!殺すなら私を殺せ!お前をそうしてしまったのは私だ、クァトロは関係ないだろう!!」
「大いにあるね。愛だのなんだの、目に見えないことを語るな。それこそ反吐が出る」
「そんな理由で殺していいとでもっ……!」
「あんたが言わないでよ。散々虐げてきたくせに、今更こんな化け物一匹に命乞いなんて馬鹿らしい。そんなに殺してほしいなら、お望み通り殺してやるから――黙って見てなよ」
「ふざけるなと言っているんだ!私の生きる希望をそう簡単にっ――」
「ふざけてるとでも思ってる?」
何度も何度も、鮮血を散らして獣は裂かれた。その肉も骨も、何もかも。
満足気に攻撃を追加し、ヴァニッシュは逆手に剣を構えた。
「――フィニッシュ」
「[覚醒解除《リリース》]!」
二人の声はかぶり、そして消えた。まるで二つはそのまま衝突したかのように。
――ぶしゅ、とクァトロの心臓を刃が貫いていた。
すっかり動かなくなったその死屍を地面に落とし、ヴァニッシュは頬を拭った。
「……つっまんない。最後まで邪魔しやがって」
「は……っ……ああぁああああぁああああ……!!!!」
カルヴォはやがて、壊れるだろう。ものの数分で、精神が限界に達して。
動かない狼カルヴォの足元へと蹴飛ばし、ヴァニッシュはノアを見やった。
「……口出ししないのは賢明だよ。お兄さんは、できれば殺したくない。一応部外者だからね」
「部外者か……今更何をほざく。ここまで首を突っ込んでいるんだぞ」
「だから、何。お兄さんは【純血吸血鬼】だから、殺せない。殺したって死なない」
「――文はどうしたんだ」
再度質問を投げかけ、ノアは剣呑に眉をひそめた。
しゃがみ込んでノアの傷口を指先で触れ、ヴァニッシュは微かに笑った。
「【和製吸血鬼】――死ぬよ。けど、多分死んでない。兄さん殺してから殺すから、それまでお預けって自分ルール作ったんだ」
「っ……まだ死んでいない……?」
「殺すけどね。――お兄さんって、あのお兄さんのお気に入りなんだってねぇ……【吸血鬼】って言うのは、本当にわからない」
「……何が言いたい」
明らかにぼかして言っている。何を望むのか、見透かせない。
ふっと立ち上がり、ヴァニッシュはカルヴォに目をやった。
「――あんな風に壊れないから。あんたら【吸血鬼】は」
「……俺とあいつだからそれが成り立つ。他のやつなら、あれだけ愛していれば壊れるぞ」
「あぁ、そうなんだ。まぁ、どうでもいいけどさ。このままお兄さんは、壊れていく憐れな狼を見ていてよ。邪魔したら容赦しないよ」
「……だったら、殺せばいいだろう」
「殺せないって。それに――お兄さんにメッセージを伝える人が必要だから」
それだけ言うと、ヴァニッシュは柄を握って持ち上げた。
うろたえて顔を両手で覆っているカルヴォは、地面に伏すクァトロの死屍にすがっていた。
――ゆっくりと顔を上げ、カルヴォはヴァニッシュを視た。
「……クァトロがいない……どうしてお前はそこに立っているんです……?」
「ぶっ飛んでるね。大丈夫?」
「……どうした……私を早く殺せ!クァトロが待っているんだ……!」
狂ったように咆え、カルヴォはフードの下からヴァニッシュを嗤いながら見ていた。
不機嫌な風にも見える表情を浮かべ、ヴァニッシュは剣を斜めに構えた。
「――飽きた」
そう呟き、ヴァニッシュは庇うようにクァトロを抱いていたカルヴォを刃で真っ直ぐに刺し貫いた。
背から地面へと二人を刺し貫いた刃は、血に濡れて引き抜かれた。
悲鳴の一つもなく、血を吐いてカルヴォはふらふらと立ちあがった。
「……私が殺した……クァトロを殺したのは……」
「よく立てるね。そうだったら、何か問題でもあるの?」
「……ははっ……」
剣呑にそう尋ねると、カルヴォは静かにヴァニッシュへと笑みかけた。
風に落とされた葉のようにゆっくりと倒れ伏し、カルヴォはそのまま息を引き取った。
憐れむように二人を見下ろし、ヴァニッシュはノアの方も向かずに言った。
「じゃ、行くよ。また今度、会えればいいね」
「っ……死ねばいい。てめェも……」
「かもしれない。だから――お兄さんが来る時はそれを覚悟して」
ニヤニヤと、さっきとは違って――さらに狂気を孕んで。ヴァニッシュは明かりも持たずに進み始めた。
疼く傷口を押さえ、ノアは何も言わずにヴァニッシュを見送った。
「……は……っ」
こんな傷、本当ならすぐに治るのだが。あの化け物に付けられた所為か、全く治る気配がない。おおよそ、カルヴォが術でも掛けたんだろう。
嘲笑するように鼻で嗤い、ノアは動くことのない死屍を眺めた。
憐れ――本当に、それ以外の言葉が思い浮かばない。自分も、文が死んでいればここまで狂うだろうか――
あぁ、でも――狂いはしないか――ただ、壊れるだけで。