覚醒 Ⅱ
「てめェっ……文をどうした」
脚を庇って身構え、ノアはヴァニッシュを睨んだ。
ノアの方を向き、ヴァニッシュは嗤った。
「あぁ、あのお兄さんね。生きてるかなー、死んでるかなー」
「んなこと聞いちゃいねぇンだよ……あいつが死ぬわけがない」
「『信じてる』んだよな。つまんない」
そう言って、ヴァニッシュはカルヴォとクァトロに視線を戻した。
表情もなく、カルヴォは本を開いた。
「化け物が……めんどうな」
「いいじゃん、別に。あのお兄さんもそこのお兄さんも傷ついてるから――まずはあんたから」
「……ヴァンとは共闘関係です。私は関係ない」
「とぼけないでくれる。俺の遊び相手は誰でもいいんだけど、その遊び相手を潰そうとしてる。それが許せない」
余裕が戻ったのか、カルヴォの口調は戻っていた。脇には再びクァトロを従え、ヴァニッシュを前にしてもその態度を崩さなかった。
にこりともせず、ヴァニッシュは剣を構えた。
「――俺は、兄さんを殺す。その為に遊び相手のあんたらを殺すんだ。これ以上俺とおんなじような馬鹿作りたくない」
「失敗作が、ほざかないでいただきたい。完全体という失敗作ですよ」
「知ってるよ。完全すぎて使えない、種族のお荷物。言うことも聞かない、命令したらその相手を殺す。そんな気の触れた化け物は、死んだ方がマシだって」
自虐的にも見える笑みを浮かべ、ヴァニッシュは目の前に手をかざした。
臨戦態勢に入り、カルヴォは頁をめくった。
「全員殺しちゃったぁ!うちの種族はもう、兄さんと俺だけなんだよ」
狂ったように咆え、ヴァニッシュは体勢低く駆けだした。
同じタイミングで瞬発的に駆けだしたクァトロは、カルヴォの合図によって牙をむいた。
「殺してもかまいません。脅威の芽は摘み取りなさい」
「っ……!」
ヴァニッシュが剣を振るいあげる寸前に、クァトロがその腕に牙を立てた。
眉をひそめ、ヴァニッシュは剣を地面に突き刺した。
「……どうせ、攻撃したら跳ね返ってくる。せっかく覚えた魔法、使わない手はないよな」
「直接攻撃なら。ここは、うちの領域ですからね。そういうのも使えるんですよ」
ボタボタと、赤黒い血液が腕を伝って地面に落ちた。さっきのノアのように。
もう一度剣をつかみ、ヴァニッシュはにっと口端を歪めた。
「――くれてやる」
ぐしゅ。ひどい音が、耳障りに響いた。
ボタリと血を落とし、ヴァニッシュは剣を離した。
* * *
――起きて。
誰かの声がする。自分を呼んでいるのだと、そんなことは知っている。
返事を返そうかと悩んでいるうちに、指先が喉元へと伸びた。
「っ!?」
――ほら、まだ生きてた。こうやって殺せばいい。
――死ななかったらどうするの?
――まだ治癒の能力も高くないから死ぬさ。このまま、湖の底に沈めるぞ。
急激に力が入り、首が絞まっていた。呼吸なんて意味もないのにしているが、それでも意識が薄れていく。おおよそ、誰かが能力を封じる術をかけたんだろう。
息を吐き、手を思い切り前に突き出した。
「やめてよっ……俺何にもしてないっ……でしょ……?」
誰も答えちゃくれやしない。もう、意識も限界だ。
大きく息を吐くと同時に、振り上げられた杭が心臓を貫いた。
痛みがあるのに声が出ない。血反吐を吐くのに視界が曇っている。カチャカチャという音がして、両足首に何かが付けられる。
そして――そのまま、冷たい水の中に落されてしまったのだ。
「っ……は……」
どこまでもどこまでも、深く深く落ちていく。切れた唇から、コポコポと音を立てて泡が浮かんでいく。
死ぬのか――何も失うものはないけれど、やっぱり未練があって困る。化け物のくせに。
そういえば、まだあの人は元気にやっているんだろうか。このところ会っていないけど、その間のことを何も覚えていない。
会えなくて会えなくて、辛くてたまらなかった。なのに、気付いたら自分は殺される寸前。
何があった――?自分が何をした?
わからない――助けて――もう一度会いたいよ――
「――文。大丈夫か?」
透き通るような声が、低く、耳をくすぐった。
深い海の底から、手を伸ばして抱き上げてくれた人。その肌は暖かく、濡れた体を温めてくれた。
静かに目を開け、文はその頬に触れた。
「……おかえり」
「ただいま。すまない、俺がいなかったせいで」
「ダイジョーブ……助けてくれてありがと……」
助けてくれただけで十分。これまで一緒に居れなかった分は、これから取り返せばいい。
二人で居るだけで満たされる。ノアの犯す禁忌は俺だけでいい。
――そんな、甘やかな生活に少なからず憧れていたのは事実。叶わないからこそ願っていた。
*
「ん……ふあ……眠い……」
いつの間に倒れていたのだろう。体にあった傷は何故か全て完治している。
ぼぅっと輝く闇空の月。綺麗な綺麗な三日月の銀。
まるで幼児のように手を伸ばし、文は草原から立ち上がった。
「――今、迎えに行くからね」
迎えに行かなければ。愛した人は、緋色月の似合う美しい人なのだ。そして、狂っている優しい狼の子――
狂おしいほど愛おしい。愛しているからこそ、この手で終わらせる。
静かに微笑み、文は月を仰いだ。真っ直ぐな、紅い目をきらめかせて。