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思い出 Ⅱ

 ――思い出の数だけ辛い数。思い出の数だけ嬉しさの数。

 どんなに書いても書いても、止まることのなかった欲望。楽しかった残像のような思い出。

 思い出はそこに留めてしまえば穢れない。それ以上に美しく、頭の中で美化されていくのだ。

 

『春。ノアはいつも遊んでくれる。忙しいのにって、字を教えてくれた。今日は三つ覚えたよ』


『春。今日は絵本を買ってもらった。面白いけど、ノアに読んでもらえないとつまらない。字は読めるけど、読めないふりをして読んでもらった。』


『春二日。丘の向こうの花畑には文の好きなチューリップが咲いていた。季節も始まったばかりいうのに、ここの花は美しいが故に枯れる。誤って文が食べかけたのもあるが、それもまぁよしとしよう。』


『夏。お父様がカメラを見つけてきた。僕は写ったけど、ノアは写らない。一緒に撮りたいのに、ノアは写ろうとしてくれない。ノアの写真がないのが嫌だ。』


『夏五日。文は血を飲むのが下手だ。それはわかっていたことなのだが、人間を見境なしに殺してしまうのは血統書付きの“雑種”だからだろうか――俺にはわからない。伝統的な【吸血鬼】はそこまでして血を貪らない。人を殺すほどには飲めないからだ――』


『秋。最近ノアがいなくてつまらない。どうして帰ってこないの?僕が嫌いになったのかな』


『冬。ノアがお父様と働いているのは知ってるよ。けど、お父様は死んじゃった。惨めに戦って負けたんだって。ノアはどこ?』


『秋。―――――――――――――ノア――――――大好き』


                   *    *    *


 何ともひどい内容だ――自分はこんなことを書いた覚えがない。

 ぱらぱらとめくりながら、文はさらに一冊を手にとった。

「……なんか、すごいな……」

「そうか。最初から最後まで俺の名が途絶えないんだが。どうなっているんだ」

「恥ずいからそれ以上言わないでくれる……」

 相変わらずひどい内容だ。今と大して変ってないじゃないか。

 最後の一冊をめくり、文はそのページを撫でた。

 真っ白の頁――色あせることもなく、ただ綺麗なまま。虫食いの痕さえない。

 何も書かれていないのだ。文字一つも――

 捜し続け、最後の言葉は一番最後に見えた。


『季節がわかんないよ――ノア、大好き。一緒なら怖くないよ。だから――』


「……感傷に浸っているところ悪いが」

「あァ――うん。時間、もうないよね」

「わかってるなら行動しろ。どうする、燃やすのを待つ時間はないぞ」

 時間なんてない。教えられたところへ行くには半日以上かかる。人間の脚なら三日はかかるだろう。

 本の束を担ぎあげ、文はノアの手をつかんだ。

「――どうにかするから。ついてこい」

「了解。我が忠誠は君のために」

 背を破って広がっていく一対の黒き翼。それは蝙蝠のそれと類似しており、冷たい血が通っていた。

 ノアの手を離すまいとし、文はまだ明るい朝の空に飛び立った。


                       *   


 ――晴れているらしい。

 自分は安心できない。外の天気なんて確かめるすべがない。

 手に触れるのは、冷徹に表情もない鎖と石の壁のみ。自分の身体は鉛のように重く、鎖と同化している。

 ――ふと、目の前に影が被った。

「……カルヴォか」

「意識はしっかりしているようだな、化け物。とっくにぶっ飛んだと思っていた」

「んなわけあるかよ……迎えが来るのに」

「――どんどん口が悪くなってるな」

 呆れた風もなく、それでもつまらなさそうに。カルヴォはヴァニッシュの顎を杖であげた。

 鋭くそれを睨みつけ、ヴァニッシュはつばを吐いた。

「……好きな癖に、なんであんたはそうなったんだよ」

「自分のことは、他人が一番知っているんだ。私は――」

「嘘は吐くなよ。クァトロを誰よりも愛したくせにっ……!」

「――失うのが怖いなんて、そんな、人間のようなことを――くだらない」

 ぼそぼそと言葉を吐き、カルヴォは厚いあの本を開いた。

 何とか身構えるものの、容赦なく杖がその体を打った。

「――もう、三日月は出ているんだ。お前は今宵、その姿を変える」

「っ……知ってるよ。昔っから、わかってた」

「そうだな。昔から――ずぅっと、わかっていて、運命づけられていたんだ」

 何度も視た夢の世界。あれは、夢でなく現実。自分はただ、過去の忘れていたことを視ていただけなのだ。それがわかっているから、ここまで落ちついていられる。


 ――俺に、勇気を頂戴。文、あんたの――明るい笑顔を。


                       *


 牢から出た先は、草原であった。谷のはるか目下に流れている川はさらさらと、嗤っているように過ぎていった。

 カルヴォとクァトロ、そして――ヴァン兄さん。

 枷と鎖の絡む、この肢体。狼のその血をひく自分は、この忌々しい血を何度も呪った。

 兄さんとは違う。

 兄さんと違って、自分は災厄の元なんだ。そんなの、周りがずっとそう言っていた。

 引きずってこられたヴァニッシュは、草原の上へと鎖で繋がれたまま投げ出された。どんよりと曇った空を睨んで。

 すっと、ヴァンがヴァニッシュに歩み寄った。

「……覚悟はいいな」

「――俺は助かるよ。大好きなヒトのところへ帰るから」

「勝手に思っておけ。どうせお前は、この日のための贄なのだから――」

 あぁ、悲しそうにしないでよ。あんたが、俺を捨ててくれたからこうして生きている。それをとやかく言うつもりはない――だからこそ、ここから逃げて見せる。

 もうすぐ、月が出るだろう。そうすれば、そこからは昔と同じだ。


 見境なく襲いかかり、血に濡れて泣きわめく。


 本物の、理性をぶっ飛ばした“獣”となる。


 追ってこなかった父さんも、母さんも。追ってこなかったわけじゃないんだ。


 この手で、俺が――壊してしまったんだ。


 雲が風に流れていく。全ての念を流すように、ゆっくりと――

 この日まで俺を守ってくれたリリス、ありがとう。遊んでもらったのは俺の方だった。大好きだよ、今も。

 ――もう、何も言えないよ。



 ひときわ強く、風が吹き抜けた。



 それは、いつか文に向かって涙を流した日と同じように―――――――――



「っ……!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 三日月が目に入った途端、体が震えた。いや、それ以上に感じたことのない恐怖が体の機能を刹那として停止させた。

 小さかったころと同じだ。

 このまま、誰も止めてはくれないだろう。命を賭して止めに来るものなど、居るはずもない。

 メキメキと音を立て、背の皮膚が裂けていた。手首より下の方はそれこそ“化け物”と同じように手を屈強にし、爪を鋭くとがらせていた。髪は何もせずとも伸び始め、月光を長く浴びるとどんどん真っ白になっていった。

 怖い、怖い怖い怖い怖い怖い!俺が俺でなくなっていく、感情が無くなっていく。それがたまらなく怖いのに、どうして平気でいたのだろう!

 感嘆の息を呑み、ヴァンはその光景をただただ眺めていた。

 弟の壊れていく、その様を。

「これが――俺とは違った、完全なる“化け物”――」

「あああああああああぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁああああ!!!!!!!あああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁあああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 声が聞こえない。理性がもう、燃え尽きそうになっている。このまま、濁流に飲み込まれるのも悪くないと思えるほどに――

 咆哮を上げ――ヴァニッシュは数分間の苦しみののちにぐったりと地面に倒れ伏した。

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