ア イ シ テ ル
さて――どうするか。
敵に有利なこの状況。数では圧倒的にこちらが不利だ。勝てるなんて保証もない。
ヴァニッシュを渡すわけにはいかない。この身に変えても守りきる。
ノアはクァトロを抑えるのに必死だろう。あのもう一人をどうにか止めないといけない。
しかし――こっちにも、でかい狼がいる。どうしようもなく、ピンチに変わりなし。
――逃げたいのにって――体が叫ぶ――
「――ヴァニッシュ、下がってろ。絶対に捕まるなよ」
「……無理」
「は?うん、それは無理」
「ヴァンは――怖いんだ――昔から、ずっとずっと――」
あぁ、もう。可愛い――なんて、そんなこと思っている場合ではないのに。ついつい体がそう思っている。
ヴァニッシュの手を掴み、文はヴァンに言った。
「――兄弟に、何で怯えられるようなことしてるんだよ」
「お前にわかる話ではない。だから、言うつもりはねぇよ」
「はぁ?馬鹿にすんな、今の今まで放っていたくせにっ……!」
「――――責められるのは、俺ではない。そいつの行いだ――」
ギィンッ――再び、大剣が文の腕で止められた。
“覚醒”したクァトロを相手にするノアは、逆刃でクァトロをはじき返した。
「っ、文っ!」
「――ダイジョーブ。守るから」
「そんなことは当然だ!っ―――――能力くらい、発動させてみろ!」
化け物じみた力のクァトロ一人を相手にしながら、ノアは文に叫んだ。
刃をはじき返し、文はヴァニッシュの腕をつかんだまま、ヴァンと距離を取った。
「――無理だよ。体が……動かない……」
「っ……あぁ、馬鹿野郎……っ!」
「……能力?」
不思議そうに、ヴァンがちろりとカルヴォを見やった。
周りの狼を退かせていたカルヴォは、本を閉じて静かに言葉を紡いだ。
「――さぁ、知りません。【吸血鬼】は、私の興味の対象外だ」
「そうかい。で――殺しちまっていいのか」
「勝手になさい。私の目標は、あくまで――その『化け物』だ」
ゾクリとするような低い声。狂気を孕んだその瞳は、じっとヴァニッシュを見つめていた。
ふよふよと漂う浮遊物をボールのように手の中で跳ねさせ、文はヴァンの隙を窺っていた。
そして――刹那。
「っ―――――――はぁああぁああぁぁあ!!」
「へぇ――攻めてくるのか……受けて立つ!」
刃に対し、武器は武器とは言えないようなコレのみ。それでも文は、まっすぐに駆けた。
髪をなびかせて剣を構え、ヴァンは楽しそうに笑った。
地面をジグザグに駆けつつ、文は浮遊物を手放した。
文に従って忠実に地面に何かを描くそれは――ヴァンと文を囲む巨大な円を作り上げた。
古い古い――魔方陣を。
一瞬にしてそれを感知し、カルヴォは叫んだ。
「――っ!ヴァン、避けなさい!」
「は――」
「――――[ヴァンパイア・ブラッド]」
剣が振り下ろされる前に、文は浮遊物に手を触れそう呟いた。
闇の中で明々と輝きだした魔方陣は、カーテンのように別の『闇』をその場に出現させた。
避ける間もなく、闇は三人を包みこんだ。
「っ――文っ――!」
「――クァトロ、殺っておしまいなさい!」
文の方を懸念したもののくだされた手を見過ごさず、ノアはすぐに回避行動をとった。
ほんの少しノアの腕をかすめ、クァトロはニィッと笑んだ。
「っ……言葉さえなくしたか、化け物……っ」
「私の傑作ですよ。哀れな哀れな、失敗作――」
「――失敗作を何故大切に扱う?化け物どうし、馴れあっているのか」
「――私は……自分の愛した人を――この手にかけたんですよ。愛し続けた、一人の優しい狼人を――」
自虐的に笑み、カルヴォは本を開いた。
ぐっと体勢を低く構え、ノアはクァトロを睨んだ。
「……私は、あなたと同じですよ。ノア・ジョーカー」
「同じ――?馬鹿を言うな、化け物」
「ふ……はははっ……!同じ化け物のくせに!何を偉ぶって―――――お前たち【吸血鬼】は!!」
カルヴォの感情の高ぶりとともに、本から文字が螺旋を描いて溢れだした。
背後では、闇が球体と化して三人を包んだままだった。その姿はおろか、音さえしなかった。
回る回る文字――それは、風のようにクァトロを包み込んだ。
「私は……あなたが憎いです。だから、殺したい」
「……初めてあったようなやつに、何を言う」
「素性を知っていますからね―――一族を裏切って愛を貫いたあなたを。私には叶わなかった、それを成し遂げたあなたを――!!」
嫉妬。妬ましい妬ましい―――――妬ましい――――!
眉をひそめ、ノアは鎌の柄を強く握った。
「妬み――?」
「――――“第二覚醒”」
文字が脱皮をするかのように剥がれ落ち、やがてクァトロの姿を見せ始めた。
全身を覆う銀色の毛並み。目は爛々と蒼く輝き、服の切れ端がところどころに残っていた。表情だけは、まだ人の姿を保っていたが。
牙をむいて笑うその狼に、ノアはひどい嫌悪感を覚えていた。その姿形が気色悪いと言うだけでなく――
「――堕ちたな」
「何とでもほざきなさい。―――殺す」
グゥン――と、空気が重力に震えた。
駆けてくる、化け物と呼ぶにふさわしい銀狼。それは段々と加速し、雑草を散らしてノアに強く体当たりを繰り出した。
それを避けることなく鎌で止め、ノアは苦しそうに言葉を吐いた。
「っ……うちの馬鹿な研究員と同じだ――苦しむ癖に――やめようとしない」
「がああぁぁあぁああぁぁあぁああぁぁぁあ!!!!」
痛烈にして鮮烈。その慟哭に似た咆哮は、ノアの耳をつんざいた。
耐えるのにも限界が生じる――前とは似ても似つかないほどの馬鹿力に、ノアは知らず知らず後ずさっていた。
にやりと不敵に、それでも苦しそうに笑むクァトロは静かに空を仰いだ。
―――――不意に、ノアの背に大量の液体が散った。
生ぬるい、気持ち悪くまとわりつくその液体――闇の中でも、血なのだと、すぐに分かった。
クァトロの顔にも散ったそれを見て、ノアは無言でその顔を斬りつけた。
「があああぁぁああぁあああっ……!?」
「っ……文っ……!!」
嫌だ――嫌だ嫌だ嫌だ!俺を一人にするな!もう二度と、俺を離すなっ―――――!!!!
振り向いたその先に立っていたシルエット。
溢れだす血液に、鼓動が速くなっていた。
ドシャリと地面に落ちた――紅に染まった愛しい人――
「――手こずらせやがって。腕が折れちまった……」
「……は……っ……」
ぴくぴくと痙攣しているようだった。つまり、まだ生きている。
髪も肌も、何もかもを真っ赤に――どうなっているかは知らないが、肉塊と化したような姿は、見るに耐えられないようなものだった。
左腕をだらりと下げ、ヴァンは血に濡れたヴァニッシュを軽々と担ぎあげた。
「……意識がとんでるのか。こいつも……馬鹿だな」
「――――文」
「――お前、どうする?俺たちに攻撃を続けるのか?」
ヴァンは、そう言って文の腹部を強く蹴った。
まだ血を吐き、文はぐったりと動かなくなっていた。
顔を斬られ動けなくなっているクァトロを見やり、ノアは舌打った。
「……そいつを連れていけ。もともと、そっちの者だろう」
「話の分かるやつでよかった。これで、何も心配事はなくなった」
ふんと鼻で嗤い、ヴァンはマントを翻した。
クァトロを気遣いつつ、カルヴォもそのあとに続いた。
――宵闇も終わる世界をただ――狼は去っていった。紅には目もくれず。
「――――文」
再度、静かに呼びかけた。
「――――――――文」
返事がない。
「文―――――」
どうして――?
「―――――――――――――――文」
動かない心臓。
そっと抱きあげても、何も言葉はなかった。
月が、綺麗な夜だった。
「っ……!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
声にならない声が、次々とこみあげていた。
止めどなく頬を流れ落ちるのは、熱く冷たい涙の大粒。
もう返事を返してはくれない、止まった時の愛しいヒト――
赤黒く変色した血液を気にも留めず、ノアは文を抱き上げたまま城への道を歩きはじめていた。
ひどく醜い自分。それを嗤うなら、勝手に嗤えばいい。
だから―――――――――
「……………………愛しているよ」
聞こえなくても――傍にいて――