あなたに愛を
* * *
―――タ……ス……ケ……テ……――
手が――手が、真っ赤に染まってしまった。
何なんだろう、この『アカ』は。
綺麗で、綺麗で。どんなに拭っても取れてくれない。
三日月がてらてらと。なんて、この空は綺麗なんだろう。
心が壊れる。もう、バラバラになってしまった。
手の中にある、鈍色の刃。紅に濡れ、月光に輝いていた。
自分が、してしまった――?
どうして?俺が、何故?
足元に散らばる肉片に骨。武器も転がり、殺伐とした戦場であった。
ただ、空だけが――美しく、月を煌めかせていた。
――誰かが、自分に嗤いかける。辛辣に、楽しそうに。
――お前ハ……永遠ニ一人だヨ!
* * *
「っ……!!」
ひどい汗の量。陽の暑さではなく、夢のせいなんだと即座に理解した。
苦しい――胸が締め付けられるような――
――隣で眠る、そのヒトは。安らかに寝息を立てて眠ったままだった。
「……文」
そっと名前を呼んで、髪を一房軽く引いてみた。
すぴーというやわらかな音が、ヴァニッシュの耳を軽くくすぐった。
「……うわぁ、のんき」
「……んぁ……?ヴァニッシュ……何ぃ……?」
「っ、あ……ごめん」
少し強く引きすぎてしまったらしい。抜けてはいないが、気付いたのだろう。
ヴァニッシュを見つめて、文はにぃっと微笑んだ。
「おはよぉ……んー、眠い……」
「ごめん、起こした……」
「いや、いいよ。んー……あのさ、ノアは?」
「まだ寝てると思うけど……どうしたの?」
「いやぁ……今日はいい天気だなぁって……」
のんきにもほどがある。いい天気だが、はっきり言ってそれがどうしたという感じだ。
わしゃわしゃとヴァニッシュの頭を撫で、文は嬉しそうに言った。
「今日は出かけない?どこか、ピクニックに――」
「……へ?」
「ノア、呼びに行こっ?んでー、お弁当持ってピクニック」
「はぁ……?」
――のんきの極み。どうしてこんなに楽しそうなんだ。
ニコニコと子供のように微笑み、文はベッドから飛び降りた。
*
この『古城』――もう、かなりの年月を経ているらしい。
止まらない負の連鎖。その全ての元凶は、この城の秘密をめぐってかららしい。
はるか昔の、止まらない連鎖。
それは、ここであった抗争のことらしい。
【ムーンエッジ】――能力を持った、とある【吸血鬼】の呼び名――それが、この城に住んでいた――
月の刃。それは、あのマリアでさえかなわなかったとされる化け物の中の化け物。
この目で確かめたわけではないが、本当にいたとすればかなりの厄介者だ。
「ノーアーっ?起きてるー?」
不意に、のんきな声が下の階から聞こえてきた。声であの馬鹿だとすぐに分かった。
本を閉じ、ノアは黙って部屋から出た。
「……何の用だ?」
「おはよー!あのさ、ピクニック行こう!」
「……あの犬と行ってこい。俺は調べものがある」
「何それ……行ってくれないなら、ノアの部屋で遊ぶからいいよ。ヴァニッシュも連れて行くし」
「はぁ!?来るなっ!来るとしても二人で来るな!埃が舞うだろう!?」
潔癖症。だが、そんなことお見通しだ。
勢いよく階段を上り、文はぱっとノアの手をつかんだ。
「――ねぇ、行こう?ヴァニッシュも待ってるんだよ?」
「っ……行かない!行くかっ、外なんて……」
「――――ノア」
チュッ――――――
ノアの頬に唇を寄せ、文はニッと笑んだ。
「……ダメ?」
「……行かない」
「えー、ケチ。行こうよ、楽しいって!俺、もうお弁当作ったんだぜー?」
「知るか。大体、【吸血鬼】なのだから血液さえ飲んでいればいいものを……」
「いいじゃん、別に。――――じゃ、特別」
ノアの首に腕をからめ、文はそのまま後ろに体重をかけた。
白い壁が、妙に綺麗に見えた――
ぐらりと体勢が傾き、二人はまっさかさまに階段を落ちて行った。
「っ!?」
「ぅおっと……ちょっと、落ちすぎた?」
ガンガラガッシャーンと激しく。一番下まで落ちてしまった。
痛みもなくぽかんとしているノアとは正反対に、文はけらけらと笑っていた。
「うん、楽しかった!」
「……はあ?」
「頑丈でよかったなー。骨一本折れてない」
「……ちょっと歯ぁくいしばれ」
痛みは感じないものの、かなりノアはイラついていた。文にもわかっているように。
流石にヤバいと感じ、文は固く目を閉じた。
振り上げられた拳が、まっすぐに落ちた。
どバキッ―――!!
「っ~~~~~!!」
「バーカ。人を落とすからこうなるんだ」
「いったいよ……!階段落ちたよりも痛い……」
「だからなんだ。いい加減、学習しろ」
ぷくっと頬を膨らませるものの、文は笑っていた。
呆れたように、くすりとノアも笑んだ。
「……本っ当、馬鹿だな」
「言わないでよ。ノア――」
「――惚気ないでくれる?そこのお二人さん」
イラつく声がもう一つ。それが、文の首を背後から絞めた。
「ぐぇっ!?」
「見ててイラつく。イチャつくな」
「誰がイチャついて……っ」
「ノアも、反論できないでしょ。イチャイチャイチャイチャ、それでも【吸血鬼】か!?」
「何怒ってんの……こんなの、いつもやってるじゃん」
ベタベタと、まぁ暑苦しく。わかっているのだが、やめようなんて思わない。
さらにイライラし、ヴァニッシュは文の頬を強くつねった。
「――ピクニック、行くんだろ!?さっさと用意しろ!」
「い、いだだだだだだ!?」
「ノアも!……俺だって、手伝ったんだから。食べてよ」
「……はぁ。行かなければならない空気を作るな……」
落ちた。完璧に落とした。
にっと笑んで、ヴァニッシュは二人に抱きついた。
「っ!?」
「ヴァニッシュ!?」
「……傍にいてよ?ずっと――」
どこかさみしげな声だった。さっきまでの喜びようとは一転して。
ぴくぴくと動くヴァニッシュの耳を撫でて、文は微笑んだ。
「……行くわけないだろー」
「俺たちの居場所は、ここにしかない。てめェさえどこにも行かないのなら、どこにも行くところなんてない」
「――そう」
「あれ……?まだ、不満?」
「――――大好きだよ」
にぱっと、明るくにっこり。いつもの笑顔であった。
――ヴァニッシュにはこれが一番似合うのに――どうしてもっと笑ってくれないのか――
お返しにと、文もニッと笑み返した。
「俺も、大好きだよ」
「……当然。嫌いなんて言いやがったら、その口引き裂いてやる」
「引き裂く……うん、いいよ。心臓抉ってくれてもいい」
「あ、そんなこと言う?それじゃ、嫌いって言ったら本当にそれやるから。覚悟して」
「するする。心でもなんでも、抉っていいよ」
グロテスクだろうがなんだろうが、ヴァニッシュが笑ってくれるのなら。何でもしようと思ってしまう。
――チッと、二人の耳にノアの舌打ちの音が反響した。
「……見てられないな。俺以外と、笑ってくれるな」
「へ……?ノア、何言って――」
「文は――文の全ては、俺のモノだ。てめェには渡さない」
「へぇ?じゃ、どうするわけ」
「図々しくなったな、てめェも。別にかまわんが――」
軽々と、ノアの両腕が文を抱きかかえた。俗に言う『お姫様だっこ』で。
慌ててノアにしがみつき、文は頬を一気に赤く染めた。
「……の、ノア?」
「……言わせるなよ。言葉は苦手なんだ。態度で全て示してやるよ」
「い、いや……びっくりして……」
「獣にくれてやるくらいなら、俺がもらってやる。愛しているからな?」
「……イチャつくなって、聞こえなかった?」
板挟み?修羅場?四面楚歌?なんか、全部違う気がするがそんな感じのような気がする。
静かに微笑み、ノアは片腕に文を乗せた。そうして、もう片方の腕でヴァニッシュを乗せた。
「!?」
「おー、力持ち」
「……これで文句はないな。これ以上言うなら、今すぐに文を俺のモノに――」
「ないないっ!ないからっ!」
「そうか。ならいいが」
力持ちにも程がある。というか、このインドア何なんだ。こんな力あったのか。
楽しそうに微笑んで、二人はノアに強くしがみついた。