景観を見に
* * *
「……んー……あー……」
いつの間にか――いや、わかっていたのだが――眠っていた。
何故か朝陽。一晩眠って、朝になってしまったらしい。
隣にも、どこにも。もう人はいなかった。
「……ヴァニッシュぅー」
「んぁ?……何ー?」
ひょっこりと、タイミングよくドアの陰からヴァニッシュが顔を出した。
にぱっと笑んで、文はヴァニッシュの肩に両腕をかけ、飛び乗った。
「ぅわ、重いっ……降りてよ」
「え、嫌。ヴァニッシュだーい好きぃ……」
「っ……だから何!?重いから降りて!」
「……何怒ってんの。笑ってないと、ヴァニッシュらしくないー」
「うるさいな……っ」
いやに不機嫌。こんなの、ヴァニッシュじゃない。何があったかは知らないが、とにかくなだめた方がいい気がする。
無言で文をおろし、ヴァニッシュはふいとそっぽを向いてしまった。
ぐにっと、文がヴァニッシュの両頬をつまんで引いた。
「いっ……いだだだだだだだ!?」
「なぁ、機嫌直せって。かわいいのに台無しだぞ」
「っ、うるさいって言ってんだろ!?あんた本当にうざいよ。だからノアにも嫌われるんだろ!?」
「……んー……嫌われてはいないから。少なくとも、まだ遊んでくれるし」
「……あんた、本当に馬鹿だよ」
蔑むような、そんな目だった。口調も冷たく、表情も硬かった。当初出会った時よりも、ずっと。
流石に堪え、文もそのまま黙ってしまった。
「……その態度、本気でやってたら嫌になるよ」
「――もういい」
「は?何言って――」
「ヴァニッシュ――大っ嫌い」
子供っぽい――そんな言い分だ。でも、そんなことを本気でのたまっていた。
一瞬ぽかんとし、やがて、ヴァニッシュは文の腕を強く掴んだ。
「――バッカじゃないの。あんた、何にもわかってない癖に」
「何がだよ!説明も何にもなしにっ……!」
「説明しなきゃいけないなんて、それでも【吸血鬼】かよ!ほんっとにお前は……っ!」
「――――いい加減にしないかっ!」
ゴンッ、ゴンッ。
二人の脳天に同時に拳が落ちた。それもかなりのダメージを与えて。
一瞬くらくらとし、文は壁にもたれかかった。
「な、何するんだよ、ノア……」
「人が怪我で眠っているんだ。少しは気を使え」
「ごめん……」
お怒りなのは見て取れた。包帯も少しほどけており、どうやら巻いている途中だったらしい。
ぷくっと頬を膨らませ、文はノアにじゃれついた。
「ノーアー。血ぃ飲ませてー」
「甘えるな、バカ。――それと」
ギロリと、ノアはヴァニッシュを睨んだ。
顔を伏せ、ヴァニッシュはノアを見ようとはしなかった。
「……何を焦っている」
「さぁね……あんたは賢いよ」
「こいつが馬鹿なんだ。てめェ、自分ひとりでしょいこんだりはするなよ。俺にはお見通し――とまでは行かないが、大体はわかるつもりだ」
「わかって……わかってるなら……何も言わないでよ」
それだけ言うと、ヴァニッシュはただ黙ってその場から消えた。まるで、逃げるかのように。
ノアの首に腕をからませて、文はさっきと打って変わって真面目な風に言った。
「――何か、あるんだろうな。話さないけど」
「わかってるのなら、何か言ってやれ。馬鹿じゃなく」
「馬鹿だよ、俺は。――血を飲めば、ヴァニッシュの考えがわかるけど……あんまりしたくない」
「てめェだけの特殊能力だろう。何が嫌なんだ」
「……ノアの心も当ててやろうか」
答えはいらない。やると言ったらやる。
唇を寄せ、言葉が聞こえる前に文はノアの首筋に噛みついた。嬉しそうに笑みながら。
痛みに耐えつつ、ノアは文をどうにか引き離した。
「離れろっ!バカか!?」
「……もっとくっつかせてよ。消毒薬の匂い好きー」
「知るか。で?喉でも渇いたのか?」
「――――ノア」
小首をかしげて、文はノアを見ていた。
じっと固まったまま、ノアはふいと文から目を背けた。
「……俺のこと、好きなの?」
「……嫌いだとして。何故、今一緒にいる?」
「あ……え、好きなの!?」
「嫌いでも、好きでもない。というか、そんなバカなこと言ってないであいつを追え」
「っ、わかってるって!」
追うに決まってる。一人じゃ、何をしだすかわからない。
駆けだし、一瞬ノアを見やって――文はすぐにその場から離れた。
*
――ヴァニッシュ――大っ嫌い。
あんな子供みたいなセリフに。そんなのに、反応するのはおかしい。
なのに――心が壊れるかと思った――
あんなの、いつものことじゃないか。文にあんなこと言われるのも、冗談なのかとわかってるのに。
昨日の――あの目が怖い。
俺は、何なのだろう。
頭の中で霞み、ぼやけ、残っている残像。夢なのか現なのかさえ分からない。
“記憶”だと――そう、なんだろう。わかっているはずなのに。
「っ――――ヴァニッシュ!」
城から出ようとしていたヴァニッシュの手首を、追ってきた文が強く掴んだ。
驚いて、ヴァニッシュはぽかんと文を見つめていた。
荒く呼吸をしつつ、文は汗を手の甲で拭った。
「ヴァニッシュっ……!ごめんっ!」
「……何で謝んの」
「へ……?え、と……その、えーとだな……」
理由?確か、そんなもんはない気がする。
そっと手を離し、文はヴァニッシュのフードの中に手を伸ばした。
「っ!」
「……理由、ないんだよ。なんか、俺が悪いから……許してよ」
ふにふにふにふに。謝罪はしている。が、態度が悪かった。
ヴァニッシュの耳をふにふにと触りながら、文はニッと笑った。
「ごめんなぁ……嫌いとか言って……」
「……訳わかんねぇ」
「いっつも、俺はこんなのだよ。……嫌じゃないの?耳触られるの」
嫌だったはずなのだが。何も反応しない。
八重歯を見せ、ヴァニッシュは言った。
「――――あんただから、許されるんだよ。本っ当に馬鹿だよな、あんた」
「……ぅわ、恥ずいからやめて。そんなこと言うな」
「今更何言ってんの。呆れるほど大馬鹿。死ねばいい」
罵詈雑言を並べてイラつくヴァニッシュに、文はやんわりと笑んでいた。
ゔっと、ほんの少しヴァニッシュが引いた。
「ひどいな……んじゃ、どうしたら許してくれる?」
「もういいから。付きまとうな」
「それはダメ。ヴァニッシュ、一人でどうにかするタイプだろ?リリスが心配するし、俺が怒られる」
「はぁ……?そんなの知らない」
「――ほんっと、素直じゃないよねー……」
はぁと息を吐き、文はヴァニッシュの頬に手を滑らせた。
殺気に近い何か――それを感じ、ヴァニッシュは瞬時にその手を払った。
「っ、何するつもり……っ!」
「――こうするつもり」
ひょいと、軽々しく。
まるでぬいぐるみでも抱くかのように、文はヴァニッシュを両腕で抱きあげた。
一気に赤面し、ヴァニッシュはじたばたとその場で暴れた。
「なっ、何すっ……!?」
「いいからいいから。じっとしてなよ」
「じっとって……っ、降ろせ!」
その姿はさながら赤頭巾のようであった。紅いフードは白い肌によく映え、瞳は潤んで星屑をちらしたようであった。
数メートルヴァニッシュの抵抗に抵抗して歩き、文は街を見下ろせる場所まで歩きついた。
「んー……晴れてんなぁ……」
「晴れてるって……」
「――綺麗なんだよ」
そう言って、文はじっと遠くの世界を見つめていた。飽きもせず、じっと――
――そこから見える世界はどこまでも美しく――どこまでも醜悪であった――