夜に邂逅
つかえて、呼吸がしにくい。目の前にいるこの存在が、心につかえる。
そっと手を離し、文はヴァニッシュの頭を雑に撫でた。
「……お前は、苦しくないか?」
「っ、どうして」
「俺なんかといて……キスまでされて……」
「――文だからいいんだよ。何されても、きっと許せる」
ならば――壊してやろうか。
心にもないことを思ってみるも、何も変わることはない。そんなこと、無理に決まっている。
ちゅ、と。ヴァニッシュは、文の頬に軽く唇を寄せた。
「……祭りの日まで、こんなのかぶっててごめん」
「っ……まぁ、場違いっちゃあそうだけど……」
「――怒んないの?」
「見られたくないんだろ?だったら仕方ないだろ」
着物にフード。ミスマッチもいいところなのだが、それでも納得できる理由だから仕方ない。
綿あめを口に含み、ヴァニッシュは楽しそうに笑んだ。
「今日は――一緒にいてよ。今日だけでいいから」
「……そんなこと言うなんて、珍しいな」
「……お祭りの日だから」
特別な日――それは、一人のためにあらず。二人でいられることも、こんな日だからこそ咎められずに許される。
下駄を鳴らして文に抱きつき、ヴァニッシュは楽しげに笑った。
陰る空に、楽しげな祭囃子が木霊した。
*
「んー……おいしい」
りんご飴をもう5つ目になる。もぐもぐと、さも嬉しそうに次々と胃袋へと納めていく。
呆れたように笑い、文も姫りんご飴を一つくわえた。
「ん、うまい」
「あの店のはおいしいって、リリスと来た時食べたから。文は食べるのに……」
「……ノアは本当に純粋な【吸血鬼】だから。責められないし、責めるなら俺の方だろ。【吸血鬼】らしくなさすぎる」
純粋な、混ざり気のない【和製吸血鬼】――そんなノアだからこそ、大好きなのだ。
ガリッと、ヴァニッシュの口元で水飴が弾けて溶けた。
「――俺は、ノア嫌い」
「っ、は……?」
「怖いだろ……それに、狂ってる」
「……狂ってる?俺にはあんなに冷たいのに?」
「わかってないあんたは幸せ者だよ。鈍い」
「えー?……ノアは冷たいし怖いけど、それでも好きだよ。やっぱり離れられない」
「へぇ……ノアじゃないとダメなのか?」
「そう……かな。ノアがいないと――考えただけでも俺が狂いそう」
離れてほしくない。あの人には、永遠に一緒にいてほしい。たとえそれが叶わない願いだとしても、神様を殺してでも――ノアには離れてほしくない。居なくなってほしくない。
人ごみの中を歩きながら、ヴァニッシュはフードを深くかぶった。
「――今日は、月が綺麗だね」
「へ……あ、あぁ、そうだな」
「いつまで――ここにいるつもり――?」
「んー……疲れたなら、帰ろうか?」
そんなに長い時間いたわけじゃない。ただ、人が多いので疲れてしまうのも理解できる。
静かに首を振り、ヴァニッシュは文の腕を強く掴んだ。
「……もう少し、ここにいて。いて……お願い……っ!」
「まぁ、いいけど……ヴァニッシュ、お前、手が……」
震えていた。何が怖いのかは分からないが、とにかく何かに脅えているらしい。
訳もわからないまま少々混乱しつつも、文は小さい子をあやすかのようにヴァニッシュに言った。
「……ここにいようなー。もうちょっと、時間がたつまで」
「……っ……!!」
表情は確認できなかった。何を思うのか、何を感じているのか――
文に見えないように、頬を涙が滑り落ちた。
小さく――「ごめん」とつぶやいて。
*
――まったく、いつまであいつは浮かれているつもりなんだ。
何を考え、どうしたいのか――俺には永遠として謎のままだろう。
永遠などに、興味はないから――
古城に月光が射す。てらてらと明るく、ただ眩しくはなかった。闇に生きるものとしては、これは必要なものだった。
深く息を吐いて目を閉じ、ノアは読書を止めた。
手の中に残る体温はもうすっかり消えている。美しいあの姿や笑みにやられてしまっていては、一人に戻れなくなってしまう。
いないだけで不安だなんて――どうかしてしまったらしい。
一人がさみしい――そんなこと、感じたことなどなかったのに。
綺麗な満月。これをよく二人で見て、月見酒と洒落込むのが楽しかった。「夜は眠い」なんて、【吸血鬼】の言葉じゃない。けれど、そんな他愛のない会話が好きだった――
知らない間に……心が侵されていた。
不意に、窓の外に影が映った。
「……あぁ、そうか……」
理解も何もしたくない。要するにアレは、不法侵入者だ。
そんな簡単な言葉で済めばいいのだが。
窓を開け、ノアはするりと二階から地面へと降り立った。
「――こんないい日に何の用だ。用件を言え」
二人組であった。二人とも長いローブをまとい、かなり不穏な空気を醸していた。
夏だというのに嫌に涼しい風――それが、ノアの機嫌を悪くした。
獣の臭い――
「……【狼】の次は――なんて、愚問か。てめェたちも、愚かな獣の類だろう」
「――ノア・ジョーカーだな」
「……うちの主人なら、出払っているが。気色の悪い獣とともに」
化け物のオーラが漂っている。この狂気は、やはり獣だ。
月に手のひらをかざし、ノアは言葉を紡いだ。
「[夢と現の邂逅―ボーダーライン―]――どうせ、俺を殺しにでも来たのだろう。全てを知る権利は、てめェらにはないからなぁ?」
「……がぁぁぁあぁぁぁぁぁッッッッッッッ!!」
壊れた獣の咆哮。うるさく、耳をつんざいた。
ノアの手の中に光が集まっていた。それは弧を描き、逆刃の大鎌へと変わった。
静かに光を落とす月が、ノアの背後でひときわ大きく輝いた。
――っ、キィンッ。
「っ……はっ、流石獣。パワーしか脳がないのか」
「がぁぁぁぁああぁぁぁッッッッッッ!!」
パワーで攻めてくる攻撃を鎌の柄や刃で防ぎ、そのまま跳ね返すかのように何度も攻撃。逆刃のそれは、ふるうたびに攻撃と防御の両方を兼ね備えていた。
笑うこともなく、ノアは嗤って応戦していた。
「――てめェじゃあ、うちのアホには敵わん。とっとと諦めて帰れ」
「……時間の無駄です。――クァトロ、[覚醒]」
それまで黙っていたもう一人の男が、ついに口を開いた。
その言葉で、さらに強く咆哮が響き渡った。
「うおおぉぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
「……何なんだ、薄汚い」
咆哮とともに、バキバキと骨のきしむ音がした。それは、男の身体の壊れる音であった。
クァトロと呼ばれた男は、目だけをぎらつかせて猛スピードでノアに迫った。
犬のように曲がり、壊れた体。もはやそれを人間と思うものはいなかった。
「くっ……!」
「我々は、あなたともう一人の【吸血鬼】――そして、裏切り者を殺しに来た。裏切り者を差し出せば、助けてあげてもいいんですが」
「やはり、あの獣か。差し出してやってもいいが、生憎俺は獣そのものが嫌いなんだ」
「……つまり?」
ガァンッ。
柄を握り直し、ノアは不敵に言った。
「たとえなんであろうとも――てめェらには渡さねぇって言ってんだよ」
「……殺れ」
一閃――図体は巨大なのに、ひどく重い一撃がノアに響いた。
鎌で受け止め、ノアは刃を振るった。
ブシュ……ッ――
「っ……あぁ、化け物……っ!」
確かに斬った――だが、傷はあるものの無傷に等しいくらいに動じていない。
反撃のように、不気味な笑みを浮かべてクァトロは腕でノアを大きくなぎ払った。
慌てて受け止めたものの、さっきよりもさらに威力は増していた。
ピシッと、刃に小さく亀裂が走った。
「がぁぁぁぁぁぁぁあああッッッッッ!!」
「っ……!」
威力がおかしい――何なんだ、この化物はっ……!
なんとかバックステップでよけたものの、ノアは風圧だけで少々傷を負っていた。
渾身の力を込め、反動を使って鎌が振り上げられた――
ギィンッ―――――!!!
鈍くひどく――肉を裂いた音が、金属音と交じって辺りに反響した。
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