花火
2話目です。
* * *
ジージーだのミンミンだのと五月蠅い季節――夏と一口にいっても、まだ初夏であった。未だに蛙だって鳴き続けているし、梅雨も明けたのか明けていないのかじっとりと雨が降る日もある。
明かりもつかない宵闇の中、大きく何かが遠くの空に弾けた。
カラフルに空を色どり、その数瞬後に、低く体を突きぬくような音が辺りに響き渡った。
――ふっと、背後に人の気配があった。
「……いつ、帰ったんだ」
「今さっきだよ。ただいま」
「お帰り……俺に心配させて、ずいぶん楽しそうだな」
両手にたこ焼きやら綿あめやらヨーヨーを抱え、文はニヒャリと笑っていた。
その隣に腰をおろし、ノアは呆れたように溜息を吐いた。
「てめェってやつぁあ……どうして、人の食い物が食べられるんだい?」
「さァ?うまいじゃん?」
「知らん。俺には理解しがたい」
綺麗な黄金色の長髪を掻きあげ藍色の紐で結い、瞳は吸血鬼の特徴である紅の色でいつもどこかをまっすぐに見つめていた。切れ長の目も、人と違い異様に白い肌も。全てがノアという男を物語っている。それは、美人というのに相応しく。
うちはで顔を煽ぎ、ノアは空を仰いだ。
「あれは?何だ、警告か?」
「えー……物知りのくせして知らないの?」
「悪いか。しかし、俺たちを焼き払うつもりなんじゃあ……」
こんなものも知らないなんて。日ごろから何かとからかってきて馬鹿にしてくるノアらしからぬ発言だ。だからこそ、こいつは面白いのだが。
ニッと笑ったまま、文は綿あめをノアに差し出した。
「食べて。甘いよ」
「いらない。それよりも、戦闘になるんじゃないのか」
「なるかな……どうだろ」
「っ、てめェは人里に下りて、何をしてるんだ!」
怖い怖い。それでもきっと、自分の顔は笑顔のままだ。
翼を静かに畳み、文は綿あめを頬張った。
「ダイジョーブ。――守るよ」
「誰がそんなことを聞いた!?」
「怒ンなって。お前っておもっしろい」
「殺すぞ。それ以上ほざくな」
「わりぃわりぃ。……アレはさァ」
形を変え、大きくも小さくも。赤から緑、青、黄、白。次々と変わって、輝いて、そして儚く散ってく。
パションと、ヨーヨーが床をはねた。
「『花火』って言うんだよ。文献とかには出てこないわけ?」
「あぁ、それか。実物は初めてだ」
「何だよ、つまんねぇ。知らないなら、ずっと知らないで通せよ」
「知識だけなんだ。てめェみたいに、太陽の下に出られない」
吸血鬼――そんなこと、言われなくてもわかってる。そこまで俺は馬鹿じゃない。ただ、太陽に耐性があるらしい。たったそれだけ――
まるで形や色を記憶していくかのように、ノアは花火をじっくりと眺めていた。
不思議そうに、文はまた一口綿あめをかじった。
「……月がさぁ」
「ん……どうした?」
「野良犬らしいよ。月夜の日に限って現れるって」
「そうか。……っ!?」
「え、何」
突然、ノアは鬼のような形相で文の首を絞めた。
「ぐぇ……」
「てめェ、人と話したのか!?」
「いけないとは言ってないだろ。行くなって言っただけ」
「まだ心配をかけさせるつもりか!」
「心配って、そんなに?俺、そんなに弱かない」
言い返したくはなかったが、いい加減うるさい。過保護にもほどがある。
一瞬言葉に詰まり、ノアはそれをすべて溜息として吐きだした。
「……疑っているんだ、わかれ」
「疑う?俺を?」
「違う。あの噂――その犬というのは――同種ではおよそないだろうが、もっと別の――」
「あぁ、うん。そんなこと、野暮すぎて言わなかったんだけど」
「わかっていたのなら近づくな。あいつらは、てめェとは違う。俺もお前とは違う。衝動へのブレーキが効きにくいんだ……っ」
「知ってる。俺だって弱いっての……」
特別扱いは、何も褒められるばかりじゃあない。隔離され、誰にも会わせてもらえないなんてこともあるのだ。化け物とそれ以外とでは、何もかもが違いすぎるから――
それでも何か言おうとしたノアに呆れ、文は食べかけの綿あめを彼の口に押し込んだ。
「――俺からだから、吐くなよ。でなきゃ、嫌うから」
「っ……馬鹿じゃないのか!?」
「うんうん、馬鹿だよ。だから、傷だらけ」
自分の心臓を指し、文は自虐的にも見える満面の笑みを浮かべた。
「食べないなら、怒るから。ほら、早く」
「……不味い」
甘ったるくベタつくあめ。味が濃いなんて、そんなことじゃないんだろうけど。
ノアの膝の上に乗り、文は顔を近づけた。
「ね……咬ませて」
「――勝手にしろ。こちらはそれどころじゃない」
「じゃ、じっとしてて……」
闇夜でもわかる、雪のような白肌。雪そのものを見たことはないけれど、きっとノアのように綺麗なんだろうなと思う。
けど――“衝動”の前ではあまりにも無力――
「っ……あぁああっ……!」
苦しい?ごめん、けど、俺――止まんないよ。
突き刺さった牙を伝って、紅い血液が流れ込んでくる。共食いなどと嘲笑するなかれ、これは立派な愛情表現なのだから。
肌に垂れる鮮血を舐めて、服はなるたけ汚さないように一応の配慮も。傷は深く、深く、一点に集中して食らいつく。飲むのが下手だから、ノアが痛がる。それでも、ずっと耐えていてくれる――
――この血は、大好き――