訪問者は侵入者 Ⅲ
地面に一斉に流水が溢れた。それは地面を削り、大きく湾曲して脇の道へと反れていった。
ケラケラと、マリアが声をあげて笑いだした。
「あーっはっはっはっはぁっ……!!あぁ、かわいい。そして――なんておバカさんなのかしら」
「っ!アホかっ、何やってんだよ!」
地面に体をこすりつけ、ヴァニッシュはぐったりと伏していた。体の至る個所から血を流し、特に右腕を大きくすりむいていた。
なんとか起き上がって、文はヴァニッシュを起こした。
「おい、ちゃんと立て!これくらいでへばるな!」
「ダメじゃない?私の攻撃、少し当たってたみたいだし」
「うるっせえ!!黙ってろ!」
傷だらけ。水といっても攻撃用に魔力で強化されたものだから、威力は半端じゃないほどに高い。それをもろに受ければ、意識だって飛ぶし――ヘタすれば死ぬ――
ごふっと血反吐を吐き、ヴァニッシュはフードをさらに深くかぶり直した。
「――まだ……バレてない……?」
「はぁ……!?んなこと言ってる場合か!」
「ダイジョーブ……俺、案外丈夫だから……」
案外丈夫?んなわけあるか、意地張るな――と、言ってやれたらよかったのに。
静かに微笑するヴァニッシュを見て、文は言葉を詰まらせた。
「――何考えてんだよ」
「別に……?ただ――あんたが無事ってのでよかったって。でなきゃ、意味がない」
「……壊れたか?」
「――傍にいてくれるんだろ……?ここで死なれたら、俺が怖いんだよ――」
『怖い』――なんて。こいつがそんなことを言うのか。
ふらふらと立ちあがり、ヴァニッシュはマリアに向かった。
「――あんた、強いんだろ?【吸血鬼】の中でもとびきり」
「えぇ。んー……あなた、人じゃないのよね?けれど、仲間でもない」
「違うよ……唯一、勝てる種族なんだ」
落ちたナイフを拾い、ヴァニッシュは体勢を低く構えた。
少し嫌そうに表情を曇らせ、マリアは手を真上に向けた。
雲がさらに厚くなり、マリアの口がゆっくりと動いた。
「――[遥かなる霊峰の海よ、夜の闇に美しい月を昇らせよ。青の中に映る太陽を隠し、我が視界に映る全ての害を壊せたもう]――」
ゆっくりと紡がれていく言葉――それは、時間がたつにつれて不穏な空気を伴った。
何も言わずにナイフをくるりと回し、ヴァニッシュは微かに笑んだ。
「――ねぇ、俺――生きてられる――?」
「っ、なら、行くな!!」
「それはダメ。あんたを苛めたやつは、全員ぶっ殺すから――」
苛められた?何か勘違いをしてやいないだろうか。
くすりと、マリアが口端を静かに歪ませた。
「――その子、孤独なのよ。それが罰であり、解いてはならないもの――B君も、罰に入ってるのよ?お互いに通じ合うことはない」
「あぁ、そう。――だから何」
「あなたは目障り。孤独という罰をわかっていない」
「孤独?そんなの知るか、馬鹿げてる」
馬鹿げてる――確かにそうだろう。けれど、それはお前だから言えることなんだよ――
強い力で、文はヴァニッシュの腕をつかんだ。
「――命令だ。あの人に歯向かうな」
「はぁ!?何、言われたこと気にしてんのか!?」
「余所者が口出ししていいことじゃない。だから、退け」
何も言われたくない。何も触れられたくない――だから、せめて傷つかないで――
腕を振りほどき、ヴァニッシュは文に言った。
「俺は余所者だけど、あんたのことが大切なんだよ!リリスがっ……あんたを信用してる意味もわかってない癖にっ……!」
「――リリス?」
ふと、マリアの表情が一転した。少女のようなあどけないものになったのだ。
文が再びヴァニッシュの腕をつかんだ。
「――リリスが、なんです」
「……私の友達を知っているようね。どおりで不機嫌なわけだ……」
「関係ない。あの人は、もういない」
「――今すぐに跪いて泣いて懇願するなら許してあげる。あの子の知り合いなら、できれば穏便に済ませたい」
「断る。あんたを許したくない」
血まみれでよく言う。こっちの方が心配になる。
あくまでニコニコと笑い、ヴァニッシュはナイフを構えた。
「孤独……?俺を差し置いて、よくそんなこと言うよな」
「ん……?何か?」
「俺なんて――何も『覚えてない』のに――!!」
ひどく悲痛に、咆えるような声が辺りに響き渡った。
だが、マリアはそれを鼻で嗤った。
「はっ。そんなくだらない――孤独なんて、忘れてしまうものよ」
その刹那――カシャンと、時計の針が堕ちるような音がした。
「[冥界の月―クレイジィ・フルムーン―]――発動――」
「っ……!!」
その一言で地面が割れ始め、その割れ目から何かがゆっくりと覗いた。
表は笑い、裏は泣く――そんな顔のある満月は、逆さ月となっていた。はるかに大きく、マリアの背後でテラテラと輝いていた。
発光しだしたその月が、大きく口を開けた。
「さァ――終わりよ――」
「ヴァニッシュ、退け!!」
言葉は届かない。そんなこと、わかっている。けれど、届けなければいけない――
ヴァニッシュを追って駆けだし、文は腕を伸ばした。
刹那、声が反響した。
「――[停止―ストップ―]だ。動くな」
低い声であった。地を震わせる、魔王のような――
声と同時に、月はくるりとひっくり返って泣き顔になった。
まっすぐな長い髪。それを掻き上げたノアが、文の後ろに立っていた。
「何やってるんだ、バカ。マリアも、来たのなら俺を起こせ。こいつらの馬鹿が加速する」
「あらあら、止められちゃった。泣かないでね、お月さん?」
「マリア、話くらい聞け。朝から騒々しい……」
「上級なのにねぇ……まぁ、いいわよ。まだ底辺だもの。あなたの力はここじゃ発揮できないものねぇ、怒られちゃうもの」
「……はぁ。もういい。とにかく、お前たちも部屋に――」
文とヴァニッシュに視線を移し、ノアは言葉を失った。
くったりと倒れたヴァニッシュを文がしっかりと抱きとめていた。離すまいと、足に力を入れて。