訪問者は侵入者
体が熱を持ってひどく苦しい。熱で瞳が潤み、ノアの姿がぼやける。
長い髪は乱れても美しく、妖しく、宵闇に映えてむしろ昼間よりも美人だった。人の心を惑わして、狂わせてしまうほどに。
夢中でノアをただ真っ直ぐに見つめ、文はゆっくりと半身を起した。
「ノアぁ……大丈夫……?」
「は……?何がだ」
「俺よりも体力あるようには見えないから……」
「……そう、だな……体力は無い」
「じゃあ……なんで……?」
「……知らん。てめェは、案外攻めると脆いな」
窓ガラスに体を押し付けられて、妖艶な笑みにやられる。どんなに強がってみたところで、束縛から逃れることはできない。
単なる『遊び』だったのに――どうしてこうなってしまった――?
鍵をはずして窓を開け、文は外を軽く見やった。
爽やかに、風が部屋に吹きこんだ。
「――ずっと」
「ん……?どうした」
「……いろんな初めてがさ、全部ノアだよなって……」
「あぁ……そうだな。てめェがこの世界にいる前から俺は生きているから……」
俺の小さいころからノアは髪が長かった。そのせいでかわいい女の子だと思っていた時期があった。いつも木陰で本を読んでいて、膝の上に乗ると絵本を読んでくれた。
初めての友達であり、家族よりも貴いヒト。
どんなに苦しくても傍にいてくれたヒト。
何よりも全てを教えてくれて――そして、俺が初めて吸血したヒト――
「……どれくらい飲めた……?」
「は……?さァ……数えてない」
「そっか……ノアは」
「ん?……どうした?」
「――楽しい?俺と遊んでて」
俺は楽しくても、ノアはどうなのか。昔のような遊びをまだ楽しいと思ってくれているのか――
ほんの少しやはりわからないくらいに表情を曇らせ、ノアは文の唇に指を滑らせた。
「――楽しいよ。てめェは、俺に従順だから」
「従順……?そうか?」
「でなきゃ、キスなんてしないだろう。てめェにとっては遊びなんだろうけどな……」
「ん、まぁ……そうだよな。――だから、その……」
「……だから、何なんだ?」
傍にいてくれるヒト――ずっといてくれたから、離れられるのが怖い。
だから、確かめるように聞いてしまう。
ノアは、優しいから――
「―――――好き、なんだよ。ノア」
「……ガキっぽいな。まぁ、ガキだが……」
「見た目はおんなじくらいだろ。ガキって言うな」
「ガキだよ、俺にとっては。だから――キスだってしてやれるんだ」
「……釣りあってないのか?」
「っ……そんな憐れそうな眼をするな。イジめてるみたいじゃないか……」
二桁ほど歳の差がある。【吸血鬼】はある程度歳をとるとそれ以上外見が変わらなくなるのだが、ノアは自分よりも少しだけ年を取ったような外見をしていた。それでも、ガキといわれるほど自分も生きていないわけではない。
ぐしゃぐしゃと雑にぎこちなく、ノアは文の頭を撫でた。
「……今日はもうやめようか。あまり遊びすぎるのも体に悪い」
「俺が……ガキだから……?」
「っ、違う……っ!」
「……うん、悪い。困らしてるよな……」
「――――はぁ……てめェは、本当に変わらないな」
そう言ってため息を吐き、ノアは何度も文の頭を撫でていた。慈しむように、それでも慣れていないようでぎこちなさは変わらずに。
それでも気持ちよさそうに目を細め、文はノアをずっと見つめていた。
* * *
自分はノアに依存しすぎている――
そんなこと、昔からわかっていた。ずっとずっと、ノアがいてくれたからここまで逃げてこられたのだ。
いつだって、一人じゃいられない臆病者――禁忌を犯し、一族から逃げる羽目になったそんな自分でも、ノアだけはずっとそばにいてくれたから――
「……んー……」
眠い……吸血鬼の夜行性もかなり自分は抑えられているのだが、それでも時折異常に眠くなる。
椅子に持たれてぐったりとうなだれ、文は氷を一つ口に含んだ。
――嫌な予感がする。それも、とてつもなく。
「……おーい」
「っ!?ぅわっ、びっくりした……!」
「へぇ……そう?」
ひょっこりと、ヴァニッシュが突然文の顔を覗き込んだ。
驚いて椅子をひっくり返しそうになり、文は何とか机にしがみついた。
「お、おはよ……」
「……うん、おはよう。大丈夫?」
「な、なんとか……びっくりさせんなよ……」
「眠そうだったから。……あ、コレ。ポストに入ってたけど……ノア宛だって」
ヴァニッシュの手に乗っている、薄っぺらい封筒。真っ黒で、それを留めるのは紅い蝶のピン。
見覚えのあるその姿――嫌な予感とはこれのことだろう。
ノアを起こそうと階段に向かうものの、文はぴたりと止まった。
「……起こせない。怖すぎる……!」
「はぁ?なんで」
「寝起きは怖いんだよ……あー、やべぇな……」
「……まぁ、低血圧っぽいけど……で、それは誰から?」
「――マリア伯母さ」
カッシャーンっ!!
よろしくない音は窓の方から。絶対に何かが壊されている。
ヴァニッシュにフードを深くかぶらせ、文は舌打った。
「あぁー……ちっきしょう、地獄耳め……」
「へ……?」
「いいから。もう来たのかよ……」
実際のところ、手紙はいらなかったんじゃないかと思う。必要なのは、常識と物を破壊する概念を取り払うことと――ドアから入るということを覚えるということ。
やはり窓ガラスが割られており、床の上には黒い人影が。黒服だから、余計にそう見える。
冷や汗タラタラで、文はヴァニッシュを少しばかり下がらせた。
「っ……久しぶりっすね……伯母様……」
「――伯母様ですって?聞き捨てならないわね、少年A君」
「……いい加減名前覚えてください」
ボンテージ風に作られた、シックな魔女の服。黒と紫を混ぜ合わせたようなその色は、見るだけで悪寒がする。
「年寄りはそんな服着るな」と言ってやりたいが、一度言ってボコボコにされたのでもう言わない。それよか問題は。
「――どうして来たんです?」
「さァ――風が私を呼びましてよ」
相変わらずだ。もう嫌だ。
バサリとマントを翻し、その女性はにまりと笑んだ。
「久しぶり。A君、さっさとご飯を用意して頂戴?」






