料理
「――ノア?」
振り向いたときにはもう遅く、音も立てずにドアが閉まった後であった――
* * *
――苦しい。
何故だろう、こんなにも苦しく、泣きそうになる。
何もかもを冗談ととらえているだろう?
てめェに、俺の想いは永遠にわからないだろう――?
禁忌を犯してまでてめェのそばにいたいのに。
自分の血を飲みつくされようとも、てめェなら許せるのに。
衝動のすべてを永遠に俺だけにぶつけて――
そして――永遠に俺のものでいて――
* * *
その日、キッチンの机の上にはおかしなものが並んでいた。カラフルでいかにも毒のありそうなキノコ類に野菜、根菜、そしてどこから調達してきたのかと思われる怪しげな調味料多種。
それを丁寧に切り、マッチ箱が取り出された。
――パァンっ!
「ぅおっ!?あっちぃ……!」
不意に文の手元から火花が散り、地面へと散った。
ひょいと、ヴァニッシュが顔を出した。
「……何やってんの」
「うぁっ、いたのか!?」
異様に驚いたりアクションで、文は突然現れたヴァニッシュにそう言った。
特に驚きもなく、ヴァニッシュは文の手元を見た。
無残に散っていったマッチの山が、黒く焦げついて積まれていた。
「……マッチの無駄遣い?何やってたわけ」
「んー……なんか、火が点かねぇんだよ。おかしくねェ?」
「……あー……そっか。マッチ使ったことないのか……」
憐れむように文を見て、ヴァニッシュは残ったマッチを擦って簡単に火をつけた。
眼を丸くして、文は歓喜した。
「おおおおお!!すげぇ!!!」
「……そう?」
「手品みたいだよ!お前すげぇ……!」
褒められたことに少し驚き、ヴァニッシュは文から眼を背けた。
フライパンを温め、文は手際よく肉類を入れて炒め始めた。
「……あんたってこんなの食べるの?」
「んぁ?……まぁ、ちょっとな」
「へぇ……そうなんだ」
あぁ、できれば見ないでほしいのだが。マッチ一つ擦れなかった自分に腹が立つが、このままここから去って欲しい。
――お前のために作っていた、なんて。言えるとでも思っているのか。もともとサプライズの予定だったのに。
内心は冷や汗ダラダラで、文は野菜を投入した。
「……順番は?」
「へ!?何が!?」
「根菜が先だろ?火が通りにくいのを先に入れないと」
「あ、あぁ、そうだな!忘れてた――」
ガシっ。伸ばした手をヴァニッシュがつかんだ。
「――隠してることある?」
「っ、はぁ!?んなわけないだろ」
「――俺は【狼】だよ。誤魔化せるとでも思ってんの」
無駄に鋭い。獣系はこういうところが苦しくなる。
はぁ、と諦めたように文はため息を吐いた。
「あんまり見透かすなよな。俺はお前みたいに見透かせない」
「見透かすって……わかりやすいから」
音を立ててフライパンから水分と油分がとんでいく。手にも散ってひどく熱いのに、何故か何も感じない。
言われたとおりに材料を入れ、文は最後だけ手際よく皿に盛った。
「うん、こんなもんだろ。味付けは適当だけど」
「……ノアに食べさせるの?」
「え?ん、食べてくれんのかな……ノアに食べさせたいんだけどさ、あいつって外の食べ物口にしないんだよ。俺が渡したら少しは食べてくれるけど」
「……ふぅん」
――気付かなかった。
ヴァニッシュの表情は暗く、唇は固く噛み締められていた。
フードの影に隠れたその表情を見て、文は少し慌てた。
「どっ、どうした?おなか痛いのか?」
「……あんたにはわかんないよ」
「狼の腹痛とかはちょっとな……ごめんな」
「っ……謝んないでよっ……」
昔から「空気読め」だの「そんなこと言う空気じゃないだろ」とか言われた。十分に読んだ上で破壊するのが自分の悪い癖なんだが。
よしよしとヴァニッシュの頭を撫で、文は明るく笑った。
「耳垂れてんぞー?元気出せって、な?」
「……子供じゃないから、やめて」
「俺のがちょっと高いけどなー……けど、お前って撫でてたら気持ちよくって」
「――馬鹿にすんなよ、吸血鬼のくせにっ……!!」
キレたらしく、突然ヴァニッシュは文の手をつかんだ。
眼を丸くして、文はヴァニッシュをまじまじと見つめた。
「な、何?」
「……同情ならやめてくれよな」
「は……?同情?」
「俺を嫌いならっ……こっから追い出してよ……」
突然何を言い出すかと思えばそんなこと。何の戯言かは知らないが、そんなことをする必要がどこにある?
シンクに文の身体を押し付け、ヴァニッシュはうつむいた。
「……二人の方が良いに決まってる。ノアと一緒にいるあんたはすごく楽しそうで……」
「……そんなこと、気にしてたのか」
「あんたが俺に優しくするのがおかしいんだよ!【狼】と【吸血鬼】は仲良くなっちゃいけないのにっ……あんたが優しくするから――逃げられなくなる――」
――気を遣わせていたのか――
気がつくのが遅かった。ヴァニッシュを住まわせるのに、ためらいはなかった。なのに、それがプレッシャーになっていたなんて。
それが悔しいのに何故かおかしくなり、文は手をシンクから離した――
じゅっ。
「!?あっつぅ……!」
フライパンに当たったらしい。水につけるのを忘れていた。料理初心者もいいところだ。
火傷した右手の小指を舐め、文は照れたように笑った。
「料理なんて、素人がするもんじゃないよな。火傷しちまった」
「っ、大丈夫か……?」
「平気平気。舐めときゃ治るだろ」
大したことなんてない。これ以上心配をかけさせてたまるか。自分のなけなしのプライドとメンツにかかわる。
赤く腫れはじめた指を見つめていたヴァニッシュだったが、すっとその手をとった。
「――この間のおかえしだから――」