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シンデレラの誤算、あるいは転機

作者: 冬生 恵
掲載日:2025/11/15

玉の輿を狙っていたら、危うく悪女にされかけました。


 貧乏生活から脱出するためならば、何だってやってやる。そう意気込んで臨んだ学園生活だったが──

 まさか、その決意がこんな事態を引き起こすとは、思いもよらなかった。







 アメリア・ノエルは先日、十六歳の誕生日を迎えた。

 彼女の生家であるレイン伯爵家は、酒造業を領地収入の柱としている。

 かつて、国の命による文化交流の一環で技術支援をしていた隣国から安い酒が流入し、ジリ貧となっていたところに加えて、十年ほど前に起こった豪雨災害が決定打となり、長年苦しい生活を強いられていた。

 災害の五年前に代替わりで爵位を継いだアメリアの父は、妻ともどもおっとりとした性格の持ち主だ。苦境を脱するために試行錯誤しているが、今ひとつ成果は出ない。二人の息子と長女も似たような気質で、貧しい生活に何だかんだと適応してしまっている。唯一父方の祖母の気質を受け継いだ末っ子のアメリアだけが、そんな家族を見ながらやきもきしているのだった。

 贅沢をしたいわけではない。

 けれどせめて、肌着が破れても可能な限り繕いながら限界まで着倒したり、屑野菜の切れ端までスープ鍋にかき集めるような生活からは、可及的速やかに脱したいのだ。可愛いペットにも憧れているけれど、それは毛並みの良い犬や猫であって、間違っても厨房の崩れ掛けた壁から忍び込んだネズミではない。


(ネズミの足音モーニングコールは……もう嫌……!)


 しかしながら、女であるアメリアに取れる策は、裕福な相手に嫁ぐ──有り体に言えば玉の輿に乗るぐらいだ。家を出て成功している傑出した才の持ち主の女性もいるが、残念ながら自分にそんな頭脳も気概もない。人の力を借りる以外に、方法がない。

 貴族の令息令嬢は、幼い頃に親によって婚約者を決められる。刻々と変化する国際情勢に耐え、自国の貴族同士の足の引っ張り合いから家を守るため、互いに手を取り合い荒波を乗り越えるのだ。

 だが一方で、浮き沈みが激しい世界の中、ギリギリまで状況を静観しようと婚約に慎重になる家も多い。

 そうした家の親たちは、子どもたちを貴族の高等学校に通わせている間に自らも積極的に社交を行い、誰と手を結ぶべきか見極めている。

 アメリアもこの高等学校に通う十三から十七歳の四年間が勝負と定め、幼い頃から自分を磨いてきた。

 幸い、母譲りの小さな卵型の顔は、現代の美少女の条件を十分に満たしている。あとは例えば孤児院での読み聞かせボランティアや、古書市の手伝いに精を出して知性を身につけ、お下がりのドレスをアンティーク風にリメイクすべく母に裁縫を習った。

 もちろん進学後は、学園の図書館にも通い詰めた。幼い頃ボランティア帰りにすれ違う人々を観察して覚えた美しい身のこなしは、入学後に高位貴族のご令嬢たちを真似ることで更に洗練させた。街中で眺めた劇場の宣伝絵から、人を惹きつける表情の作り方を学び、学園内で実践しては周囲の反応を観察した。

 出来る限りお金をかけまいとした、アメリアなりの涙ぐましい努力と工夫。おかげで学園に入学して一年あまりが経つ頃には、長い睫毛を伏せ気味にして優雅に微笑む、清楚で慈悲深いと評判の貴族「風」令嬢の一丁上がりだ。


 ただし、目を伏せていたのは、


(何か、合法的に換金出来るもの、落ちてないかなぁ……)


と考えながら歩いていたからに過ぎない。


 貴族は落とし物などしない。街中ではさり気なくフォローしてくれる使用人が傍についているのが当然だし、学園内でも大抵取り巻きを引き連れているものだ。

 そんな彼らは、家宝級の貴重品でなければ、一度地に落ちて誰かに踏まれたかもしれない汚れた貴金属を、再び身に付けることを嫌がる。そうなると、拾って届けた者に公式に譲渡するのが一般的なので、アメリアはいつもさり気なく地面に視線を向けていたのだ。

 相手に恥をかかせない気遣いの持ち主と、外見の雰囲気に騙された周囲は好意的に解釈してくれていた。

 そんな一見「完壁令嬢」のアメリアに、興味を向ける学園の貴族令息は、身分の高低を問わず多い。だが、アメリアは決して図に乗らなかった。


(狙うなら余裕のある(おかねもちな)伯爵家か、ギリギリ子爵家に限る。格上の釣り合わない家に嫁いだら、苦労するのは目に見えているもの。狙うのは、「現実的な玉の輿」。

 それに何より侯爵家や公爵家なんて、相手に相応しい額の持参金が用意出来ない……!)


 アメリアは、腹の底から現実的だ。

 特に最後の理由には、拳を固めて血涙を流しそうな勢いだった。







 ところで、アメリアたちが通う貴族高等学校では、春の終わり頃、夏に卒業を控えた最上級生を祝福するため、記念舞踏会が開かれる。

 卒業生で婚約者のいる者は帯同し、いない者は最後のチャンスとして意中の相手に声を掛けるイベントだ。本来であれば本格的に社交界デビューする前の、最後の実践練習の場となるはずだった。

 ただ、卒業後、特に女性たちはすぐに結婚の支度に取り掛かる。

 そのためこのイベントはいつからか、男女問わず、

「秘めた思いを爆発させて、婚約者を捨てて駆け落ち」

だの、

「ずっと隠してきた心の声をカミングアウト」だの、

「相手を天秤にかけて、自分に一番有利な人間に乗り換える」だのという、トンデモ事件続発の厄介な年一行事になっていた。

 この日のために準備に明け暮れた生徒会役員や、開催のための寄付集めに奔走した学園職員の願いも虚しく、毎年あちらこちらで爆弾発言が炸裂し、修羅場と愁嘆場が繰り広げられている。

 その最たるものは、「真に愛する人を見つけたから、君とは一緒にいられない」という、婚約破棄を迫るポエマーの一言だろう。

 ただし、毎年話し合いでも持たれているのか、婚約破棄は一番の見せ場とばかりに、はっちゃけ組の中でも最高位の一組に限られていた。

 今年は誰が、いや、今年こそは何とか無事に……と願う主催者側の声も虚しく、今年も舞踏会の舞台となった大広間に、酔ったような甘ったるい男性の声が響き渡った。








「マデリーン、すまない……! 僕は真実の愛を見つけてしまったんだ。自分の心に嘘はつけない。──この婚約は破棄してほしい」


(今年はシュライバー侯爵家なのね……。大物じゃない)


 こういった公の場でのみ許されたアルコール──とはいっても微発泡の弱いワインをちびちびと含みながら、アメリアは眼前で始まった騒動に目を見開いていた。

 ザイエン侯爵家三男、ハーマン・シュライバー。

 アメリアも、学年を縦断した課外活動と呼ばれる社交訓練の授業で何度か一緒になったことのある、顔を見知った青年だ。

 いや、それ以上に、


(確かお相手って、マデリーン・ビューモント様よね?)


 さり気なく立ち位置を調整し、婚約破棄を突きつけられた女子生徒の顔をそっと遠目に確認する。

 ルネスト侯爵ビューモント家は、アメリアのレイン伯爵家が属する派閥の重鎮と目される一族だ。アメリアの一学年上で、この夏めでたく学園からの卒業を迎えるはずだった。

 派閥とは、単に打算で徒党を組んだ仲良しクラブではない。家業の安定や発展のため協力し合い、身分に基づいた厳格な統率のもと有事には国土と民を守る、政治的な結び付きだ。貴族派、軍部派、商人派、中立派の大枠の中で大小様々な閥があり、裏切りは社会的な死を意味する。

 ザイエンとルネスト両侯爵家は同じ貴族派の別派閥に属している。だが、貴族派全体の結束を高めるためと、何年か前に同年齢の二人の婚約が成立したはずだ。この(いさかい)は非常によろしくない。


(いざとなれば、マデリーン様の加勢にいくふりを見せなきゃ──)


 もはや貴族と名乗ることすら憚られる貧乏伯爵家の末娘であっても、その程度の覚悟はあった。じりじりと騒動の輪に近付き、マデリーン嬢の後方遠くにつく。

 マデリーンは、つんと尖った鼻筋に大きな吊り目の、いかにも負けん気の強そうなご令嬢だ。

 紅玉に例えられる美しい赤の瞳を怒りに燃え上がらせ、すっと背筋を伸ばして婚約者を睥睨する。華奢な手に握られた羽根扇子が反対の掌に打ち付けられ、手袋越しでさえ鋭い音を立てた。


「寝言は寝て言えと先人は申しましたが……念の為に伺いましょう? ハーマン様。ビューモントを敵にまわそうという、身の程知らずな『真実の愛』の相手とやらは、一体どこのどなたです?」


 氷のようなその言葉にも怯むことなく、婚約破棄を申し出た青年──ハーマンは、蜂蜜色の髪をさらりとかき上げながら、夢見るように微笑んだ。こんな場でなければ、下級生の女子が揃って黄色い悲鳴を上げそうな、甘ったるい笑顔だった。


「彼女は……繊細優美な身のこなし、いつも伏し目がちに微笑む淑やかさ、庇護欲を掻き立てる愛らしい顔……。その全てが、僕の心を捕らえて離さない。初めは不安げだったけれど、やがて小鳥のさえずりのように甘やかな声で、僕の愛に応えてくれたんだ。

 彼女の名は……」


(人の婚約者に手を出しておいて、繊細優美もないでしょう。どこのどいつよ、その命知らずは)


 内心呆れかえりながら見守るアメリアの視線の先で、ハーマン青年は手を前方に伸ばして意気揚々と叫んだ。


「ああ、そこにいたんだね! さあ、勇気を出して僕の隣に立ってくれ。――愛しいアメリア・ノエル嬢!」


 ざっと音を立てる勢いで、その場の全員が後方を振り返る。

 アメリアも初め、その動きに(なら)った。

 ノエルもアメリアも、ありふれた姓名だ。同姓同名の誰かが居るのだろう、と。

 だが、他でもないハーマンが真っ直ぐに自分を見つめているのに気付き、アメリアはぱちぱちと瞬いた。


(…………は?)


 射るような、いや、目だけで射殺されそうな強い視線をマデリーンに向けられ、アメリアはやがて青ざめ、内心で絶叫する。


(……はあぁぁぁぁぁぁあ!?)


 覚えがない。

 まったくもって、一切、身に覚えがない。

 すわ自派閥の一大事かと殿(しんがり)に付きながら、結局は対岸の火事と見物を決め込んでいたアメリアにとって、まさに青天の霹靂(へきれき)の出来事だった。








 混乱の極みで呆然としていたアメリアは、いつの間にか自分が騒動の輪の中心に立っていたことに気付いた。全方位から浴びせられる好奇と軽蔑の眼差しに、ギュっと音を立てて胃が縮む。

 自ら進んで地獄の輪に入るはずもなく、無遠慮に繋がれたままの右手を見るに、ハーマンが勝手に引きずり込んだのだろう。尋常ではない量の汗に湿り始めた手袋に包まれた手を、何とか引き抜こうと足掻きながら、アメリアはごくりと唾を飲んだ。

 マデリーン嬢は鼻を鳴らしてアメリアを冷たく一瞥した後は、小娘など視界に入れる価値もないとばかりに、ネジが弛んだ婚約者(ハーマン)に真っ直ぐに向き直る。


「……どういうおつもりかしら?」


 最北の雪山もかくや、吹雪の吹き荒れる極寒の声音にも動じることなく、ハーマンは自由な方の腕を上げ滔々と答えた。


「初めはそんなつもりはなかったんだ。僕には君という婚約者が居たし……。けれど、困難な課題に共に取り組むうち、アメリアと僕は信頼で結ばれていったんだ」


(課外活動なんて、ピクニックしたり王国の歴史について調べて発表したり、課題なんて二の次の、コネ作りが主題の授業でしょうが! 高位貴族と低位貴族、クラスの垣根も学年も越えて交流しましょうという、美しいお題目の!)


「いつも伏し目がちで控えめなアメリアが、僕だけを潤んだ瞳で見上げてくれる……。その甘さに、僕は酔った」


(伏し目がちなのは金目の物が落ちてないか探してたからで、目が潤んでたのは捜し物に夢中になりすぎて瞬きを忘れてたから!

見上げたのは、声を掛けられては無視出来ないからよ! 私がチビなのは見て分かるでしょう!!)


「僕たちは課題が終わったあとも、人目を忍んで逢瀬を重ねた。誰にも知られてはならない恋だから、慎重に気配を隠して……」


(会ってない!! 放課後は図書館に籠ってたし、学園が休みの日は街中でウインドウショッピングか、いつもの孤児院での読み聞かせで終わってた! この記念式典のために、お祖母様のドレスを何とか現代の流行り風に仕立て直そうと、情報収集してただけ! 孤児院の子どもたちとはすっかり仲良くなってたし、何よりシスターの手作りお菓子が絶品なのよ!

 だいたい、アメリア、アメリアってなんなのよ、馴れ馴れしく! 名前で呼ばれる筋合いはない!)


「マデリーン、悲しませてしまって、本当に申し訳ないと思っている。……けれどこのまま一緒になったとて、君を愛することが出来ない僕は、君を傷付けるだけだ。どうか破棄に同意してくれ。そして、君自身が幸せになれる道を探してほしいんだ」


(マデリーン様の絶対零度の眼差しに気付いて!! 貴方に一切興味のない目よ!! 怒っていらっしゃるのは、恥をかかされたからに過ぎないんだからー!)


 脳内では全力で叫びながら、アメリアは微動だにせず立ち尽くしていた。

 いや、動けなかったが本当のところか。

 どうやって誤解を解こう、この窮地を脱しようと、頭は高速で回転するが、何の策も浮かばない。むしろ空回り始めて突っ込みが止まらない。

 そんなアメリアを、遠巻きに立つ生徒たちが白い目で眺めている。その中には普段、アメリアをちやほや持ち上げ取り巻いていた貴族令息もいる。

 アメリアは、婚約者を持つ相手にはどれほど言い寄られても近付かなかったが、フリーの生徒──特に身分が釣り合いそうな、生活に余裕のある男子生徒には、思わせぶりな態度も取ってきた。

 そんな男子生徒とアメリアを面白く思っていなかった女子生徒は、今、より一層冷たい目で彼女を眺めていた。中には露骨に舌打ちをしたり、隣の友人と何かを言い交わしては失笑している者もいる。

 自分はただ、ままならない人生をどうにかしようとしただけだ。没落寸前の実家と、悲壮な空気の漂う領地をなんとかしようと、足掻いていただけ。

 決して、資金援助を強請(ねだ)ろうと思っていたわけではない。

 愛し合い、共に人生を楽しみながら、出来ることなら実家を救う手立てを一緒に考えてくれる。そんな誠実な相手との出会いを夢見て、自分を磨き続けた。貴族令嬢としてはしたなくない程度に、アピールもしてきた。

 それだけなのに、何故、こんなことに。

 冷や汗とうっすら涙を浮かべているアメリアを横目に、マデリーンは低い声でハーマンに尋ねた。


「それで? わたくしと別れたあとは、そこの小娘と一緒になると? 貴族の常識すら弁えられない、貧乏伯爵家の末娘と?」

「ああ。真に愛し合う二人が共に暮らすのは、自然なことだろう?」


(さすがマデリーン様……! 派閥の構成員は完璧に覚えていらっしゃる……!)


 こんな場でなければ感動的な事実だった。現実逃避を始めた自身の思考に焦りながら、アメリアは懸命に言い逃れの術を探す。

 実際にハーマンの発言は全て嘘か妄想、課外活動で何度か一緒になっただけで、世間話以上の会話をしたこともないのだ。だが、それを証明することが出来るのか。あるいはマデリーンを納得させることが出来るのか。

 学業以外の時間は婚約者探し活動、いわゆる婚活に全力で打ち込んできたアメリアだ。表面上和やかに付き合いはしていても友人と呼べる同窓生はおらず、こんな時に助けを求められるような相手も思い付かない。


(詰んだ……かもしれない……)


 絶望に目の前が暗くなりかけた、まさにその時だった。


「──この婚約破棄騒動に、異議を申し立てる」


 アメリアの視界を遮り、一人の男子生徒がハーマンとマデリーンの間に立った。








 せっかくの美しい銀髪が鳥の巣のようにボサボサに絡んでおり、どこで引っ掛けたのか青々とした木の葉まで載せている。

 長めの前髪も上げず顔の前に垂らしており、表情すらうかがい知れない。

 よく見れば長い手足も、どんよりと丸まった背中のせいでまるで映えなかった。

 腹回りはぽってりと弛んでいるように見える。

 指に嵌められた学年証代わりの指輪は、アメリアと同じ三回生であることを示していたが、手入れが雑なのか銀がくすんでいた。

 一目で上質と分かる夜会服の着こなしはもったりとして野暮ったく、総じて「冴えない」印象だ。

 闖入者にしんと静まり返った空気をものともせず、男子生徒は、聞き取り辛い低い声でモゴモゴと言い募った。


「……いや、貴方がたが婚約破棄なさるのは自由だ。ただこのノエル家のご令嬢は、まったく関係ない立場のはず。巻き込むのはいかがなものかと」

「……。貴方様は」


 訝しげに男子生徒に目をやったマデリーンが、不意にはっと息を飲んで頭を垂れる。いまだきょとんとしている婚約者──元婚約者と言うべきか──に呆れた眼差しを向けたあと、彼女は戸惑いが支配する空気の中、自分に向かって頷いた男子生徒に言った。


「ご無礼をお許しください。……ごきげんよう、ケーニッヒ公爵令息様」


 ざわり、と広間に困惑混じりの空気が広まる。慌てて自らも頭を下げながら、アメリアは内心首を傾げていた。すると同様に心当たりがないのか、ヒソヒソと囁き合う遠巻きの声が耳に入る。


「ケーニッヒ……って、誰? あの指輪、三回生? 俺らの学年にいたっけ?」

「ほら、確かあれだろ? 『リューべルクの残念公子』」

「ああ、この方が……」


 公爵令息に対して「あれ」だの「残念」だの不敬極まりないが、ある意味で生徒たちの反応も仕方のないことだった。

 リューベルク公爵家次男、チャールズ・ケーニッヒ。建国当初からの長い歴史を誇り、度々降嫁も賜ってきた輝かしい一族はみな傑物揃いで知られている。武術、政治、芸術とそれぞれの分野に秀で、王族の血の混じった白皙の美貌の持ち主ばかりだ。その中にあって彼だけは、「どうしようもない凡庸」と評されてきた。

 馬に乗せても剣を持たせても、まるで駄目。楽器を弾かせれば、周囲の者は軒並み頭痛に苛まれる。教本を与えペンを持たせれば、美しい字を書くものの、頓珍漢な答えばかりを書き記す始末。

 女心にてんで疎く、ボソボソと覇気のない声で話す冴えない少年に、婚約者候補とされた少女たちは皆早々に「会話が成立しない」と音を上げた。公爵家との繋がりを持てるならと、娘たちを送り込んできた貴族たちも、公爵家の面々があまりにも二番目の息子に冷たいのを見てとると、旨みがないとあっさりと娘を引き上げさせた。

 公爵家の忘れられた令息、無才の公子。それが彼に与えられた評価だった。

 そんな人物に庇ってもらったことが意外で、アメリアは驚きのあまり目を見開いていた。

 一応高位貴族の端っこに辛うじて引っかかっている貧乏伯爵家のアメリアと、家柄だけはどこに出しても恥ずかしくない名門公爵家の彼に、接点などないはずだ。


(どうして、ほとんど話したこともない私を……。いえ、待って)


 そういえば、彼も課外活動で一緒になることが多かった気がする。誰とも目線を合わせず黙って立っているばかりなので、ほとんど記憶に残っていないけれど。


(居た、居たわ、確かに。空気みたいだったから、すっかり忘れてた)


 ついでに言えば、アメリアの婚活ターゲットは「後の生活に苦労しないよう、余裕のある伯爵家か子爵家の子息」一択だったため、公爵家の彼は端から視界から消えていた気がする。シュライバー侯爵も同じ理由で、まるで意識していなかった。

 一方、水を差されて呆然としていたハーマン青年は、年下の、しかし自分より高位の相手の予想外の反論に、どう対応すべきか悩んでいるようだった。先程まで立て板に水の勢いだった惚気声も、心なしか糖度を下げてつっかえつっかえだ。


「リュー、べルク……公爵令息。どういうことかな?」

「ですから、貴方の真実の愛の相手は彼女ではないと」


 籠った声ながらもキッパリとした言い草に、ハーマンは困惑しきった表情で尋ねた。


「な、なにをいったい……」

「人目を忍んで逢瀬を重ねたと仰ってましたね。具体的にはいつ?」

「はぁ!? そんなの、覚えて……」

「いつ、ですか?」


 妙な迫力を滲ませ、チャールズ・ケーニッヒがぐいとハーマンに一歩近付く。その圧に負けたのか、一歩下がったハーマンは視線を彷徨わせ始めた。


「い、いつだったかな……。そうだ、あれは卒業試験が終わった直後だから、先月の七日のことだったかな。二人でお忍びで芝居を見に行ったんだ。『悪女の最後の恋』の千秋楽だ」

「三月七日ですね。……その日彼女は、王都の外れの孤児院に行っていましたよ。昼前の十一時から、寮の休日門限に間に合うよう四時まで。必要であれば孤児院のスタッフに証言させますが?」


 夜会服のポケットから取り出した手帳をめくりながら、チャールズは堂々と告げる。その詳細な証言に、ハーマンはたじたじとなりながら反論した。


「そ、それならきっと、日付を勘違いしていたんだ! あれは確か……」

「勘違い? 真実の愛の相手とのデートの日を? 名物芝居の千秋楽ですよね?」


 じっとりとした声が、淡々と問い詰める。ハーマンは焦ったように声を張り上げた。


「と、とにかく! 僕たちは愛し合っているんだ!放課後に庭園を散策したり……あれは冬薔薇の美しい季節で……確か二月の半ばだったような……」

「二月の半ば? 確かあの頃の彼女は、試験勉強のため図書館に通い詰めていたような。必要でしたら、何日の何時から何時まで図書館に居たのか、読み上げましょうか?」

「ひっ……! じゃ、じゃあ二月の終わりの休日だ! 試験勉強の気分転換にと、王都のカフェにこっそり……」

「二月の終わりの休日。確か彼女はその頃、ドレスのアレンジ用の美しい布を探して、王都の洋品店を訪ねていましたよ。訪れた店のリストを見せましょうか?」

「あっ、秋だ! 私たちの距離がぐっと縮まったあの頃、二人でカフェに……」

「またカフェですか。……ああ、確かにそこのカフェには行っていましたね。ただし、王都に彼女を訪ねてきた母君と一緒だったようですが」

「~~っ! なんなんだ、君は!」


 ことごとく反論を受けたハーマンが、ついに地団駄を踏んで声を荒らげる。

 その子どものような剣幕と、びっちりと書き込みされた手帳を迷いなくめくりながら答える感情のない声音に、アメリアを取り巻いていた人垣が一斉に引いた目を向けていた。扇子で口元は隠していたが、マデリーンの目元も引き攣っている。

 アメリアも全身を震わせながら、二人の青年のやり取りを見守っていた。


(もっとやばいやつ出て来た……)


 まったく覚えのないデート、嘘か妄想か分からないそれをあたかも真実かのように語るハーマンも気持ち悪いが、教えた覚えもないのに、時間単位でアメリアの行動を把握しているチャールズも大概だ。本人ですら忘れているその日の出来事を、悩むことなく探し当てるのも恐ろしい。

 軽蔑から一転、同情混じりの目線と「関わりたくない」という雰囲気を向けられ、アメリアはふるふると震えていた。

 周囲の温度を真冬並みに下げたチャールズは、しかし追求の手を緩めることなく、ハーマンに更に一歩近付いた。


「とは言え、先輩が婚約者との約束を反故にし、コソコソ出掛けていたのも事実。……そうですよね、ビューモント侯爵令嬢?」

「え、ええ……。おかしいとは思っていましたの。でもどれだけ行動を探っても、相手が分からず……」

「なるほど。そのあたりは徹底していましたか」


 モサモサした前髪に覆われた顔の中、唯一露出していた口元に手をやり、チャールズは独りごちる。意外なほどに色艶の良い唇に添えられた指は、こちらも意外なことに男性らしい骨ばった美しさが目につく。

 今や周囲の視線を独り占めした彼は、あっさりと告げた。


「シュライバー先輩のお相手は、フォール侯爵家のガートルード夫人ですよね? 五年ほど前にユルリック・フォン・ホーエンバーグ侯爵の後妻になられた」


 ハーマンが目を剥く。対照的にマデリーンは、息を飲んで声を上げた。


「後妻……?」

「ええ。当時は随分と話題になったそうですね?  今から十年前に学園を卒業したあと、長年、社交界で浮き名を流していたご令嬢が、長年連れ添った妻を亡くした壮年の侯爵に見染められたと。侯爵は年若い後妻を溺愛なさっておいでで、夫人も仲睦まじく振る舞っておられるようですが、その実ハーマン様との逢瀬に勤しんでおられたんですね」

「穢らわしい……」


 美しい顔を嫌悪に歪めて、マデリーン嬢が吐き捨てるように呟く。アメリアもそんな男に馬鹿げた騒動に巻き込まれたなんてと、ショックのあまりよろめく足を懸命に踏ん張った。

 顔を赤くしたり青くしたりして右往左往しているハーマンに、チャールズはあくまでさらりとこの日最大の爆弾を放り込んだ。

「『年老いた男に好き勝手されて傷付いている私を、どうか慰めて』とでも言われましたか? ですがあのご夫人、そう言って若い燕を取っかえ引っ変えしてるそうですよ」

「な……っ」


 絶句するハーマンに、チャールズは淡々と畳み掛けていく。


「先輩のお身体は大丈夫ですか? 何せご夫人、この場のご令嬢方にはとても聞かせられないような、肉体的な意味で妖しげな遊びに夢中になられているそうだから」


 その場に居合わせた女子生徒が身分の高低を問わず、一斉に悲鳴を上げて後ずさる。純粋な少女は嫌悪で目に涙すら浮かべていた。男子生徒のごく一部はニヤニヤと表情を歪めるが、大半は引き攣った顔でハーマンを見ている。

 恒例となった婚約破棄騒動に呆れと好奇の視線を向け、その原因となったのが「男誑し」と評判のアメリアだと知って蔑んでいた生徒たちは、彼女のことなど忘れ去ったようにハーマンとマデリーンの二人だけに注目していた。

 騒動のはじめ、ハーマンがどれほど無礼な振る舞いをしようが表情を崩さなかった気高い侯爵令嬢は、今や額に青筋を立て両肩をブルブルと震わせている。華奢な手に握られた扇子が、みしりと不穏な音を立てた。

 やがて衆人の注目の中、ハーマンの眼前に立ったマデリーンは、突如振り上げた扇子で婚約者の頬を盛大に張り飛ばした。


「ぶっ……!」


 鼻血を噴き出してその場に倒れ込んだ青年の鼻先で仁王立ちし、マデリーン嬢は周囲の人間の鼓膜を突き破る勢いで吠えた。


「この……っ、穢らわしい! 人間の風上にも置けないクズ! 既婚者との火遊びなんてもってのほかよ! しかもそれを誤魔化すために、関係のない下級生を巻き込むなんて……っ」


 鮮血を垂れ流す鼻を押さえ、オロオロとこちらを見上げてくるハーマンを、マデリーンは扇子で殴り、ドレスに隠したピンヒールで容赦なく踏み付ける。ついでに学生証代わりの指輪を嵌めた指を折り曲げ、扇子を握り込んだ拳を頬に叩き込んだ。

 血が、唾が、その他何か分からないものが、ドン引きした空気の漂う空間に飛び散らかる。


「マ、マデリーン、い、いて、いた、血が、歯がっ」

「そんな汚れた血、煩悩と一緒に流し尽くしておしまい! ああもう、お前なんかこっちから願い下げよ! 金輪際馴れ馴れしくわたくしを呼ばないで! 名前が穢れる、耳が腐る! いいこと、そちらの有責で婚約破棄、きっちり賠償金も支払っていただきます! 迷惑を掛けたアメリア嬢への慰謝料も忘れずに!」

「マデリーン、そんな、」

「だから馴れ馴れしく呼ぶんじゃないわよ!」


 特大の拳を食らい、ハーマンが盛大に地面に倒れ伏す。

 ハーマンのあまりの下衆っぷりに、そしてマデリーンの苛烈過ぎる怒りに周囲が完全に飲まれていると、不意にチャールズがアメリアの肩に手を掛けた。

 驚いて見上げるアメリアの耳元に、不躾ではない距離で唇を寄せ、チャールズが囁く。


「今のうちに行こう」

「で、でも、」

「ここに居たって、好奇の目で見られるだけだ。大丈夫、ビューモント先輩には後で上手く伝えさせるから」


 そうして荒れ狂うご令嬢の華麗な武闘が繰り広げられている舞踏会場を、二人は忍び足で後にした。









 会場の熱気が嘘のように、月光のもと春薔薇の咲き誇る庭園は冷んやりと美しい。

 普段は下校時間が過ぎれば灯りの落とされる庭園も、今宵だけは煌々と照らし出され、煌めく光の中に色とりどりの麗しい花々の姿を浮かび上がらせている。

 隅に置かれたベンチに腰を落ち着けたアメリアは、ぐったりと背中を丸め、膝に肘をつき、両手の甲に額を預けるおよそ貴族令嬢らしからぬ姿勢を取った。腹の底から深い溜め息をつく。


「災難だったね」


 慰めるように、少し距離を置いて立つ青年が声を掛けてくる。先程ハーマンの秘密を暴露した時の淡々としたものとも違う、野暮ったい見た目に反して落ち着いた声と口調だった。

 居たたまれず、促されるままに一緒に出て来たけれど、今も紳士的に振舞ってるけれど、そう言えばこちらもなかなかやばいやつだった。

 思い出したアメリアは、猜疑心いっぱいの瞳でチャールズを見上げる。


「あの、助けていただいたことは……ありがとうございました。ですが、なぜ……」

「ああ、度々課外活動で一緒になり、貴女の無実はよく知っていたからですよ」


 さらりと躱され、アメリアはますます疑念を募らせる。


「なんというか、その、随分と私の行動にお詳しいような……」

「記憶力には自信があります」

「そうではなくて……いえ、もういいです……」


 あまり強情に言い募り、怒らせては堪らない。振る舞いはあくまで紳士的で、まさかこの暗がりでアメリアに何かするとは思わないが、それでも木っ端貴族にとっては雲の上の存在である公爵令息を怒らせるのは怖かった。

 脱力したアメリアに、チャールズはふと首を傾げる。

 そうして身体を背後に向けたチャールズは、不意にポツリと零し始めた。


「見ていられないじゃないか。好意を寄せている女の子が、身勝手な理由で危険な立場に追いやられて……。どうにかしなくちゃと思った」


 言いながら、何故か彼は髪を手櫛で整え始める。背筋を伸ばし、ジャケットの皺を伸ばし、はみ出ていたシャツを直し、さり気なく取り出した絹のハンカチーフで指輪の汚れを拭う。

 やがて身なりを整え終え、こちらに向き直った青年を、アメリアは思わず息を飲んで見上げた。

 ボサボサだった銀髪は短時間で綺麗に整えられ、前髪はさっと後ろに流している。カーテンのように分厚く覆っていた前髪が退けられ、露わになった相貌は、美しく秀でた額、絶妙に通った鼻筋と凛々しい眉、知性を感じさせるアーモンド型をした碧眼の、完璧な貴公子だった。背筋が伸びたことでしなやかな長い手足が強調され、皺を伸ばした衣服に包まれた腰周りは色気すら感じさせる逞しさだ。

 あまりの変貌ぶりにはしたない程に見入っていたアメリアは、相手の照れたような身動ぎにはっと我に返った。慌てて視線を逸らす。


 アメリアは思う。

 冴えない残念公子などとんでもないと。


 国中の偉丈夫と美姫の血を注ぎ込まれた王家の血を受け継いでることを如実に示す、自信に満ち溢れた立ち姿は、間違いなく公爵令息の名に相応しかった。

 長い指で頬を掻いたチャールズは、意を決したようにアメリアの方へ一歩踏み出した。思わず背筋を伸ばすアメリアに柔らかく微笑み、彼はその場に跪く。


「……!」

「アメリア嬢。……貴女は覚えていないかも知れないが、僕たちは幼い頃に何度か顔を合わせたことがある」


 まったくもって記憶にない。

 幼い頃はいつもお腹が空いていて、食べ物のことしか考えられなくて、誰と会ったかなんてろくに記憶にない。

 呆けた表情のアメリアに苦笑し、チャールズはゆったりとした口調で続けた。


「子どもたちが物心つく頃、最初の『婚約ブーム』が来るだろう? 高位貴族は高位貴族、低位貴族は低位貴族で、それぞれ同年代の子どもたちをお茶会などで共に過ごさせ、親たちが相手を見繕う。その会場の隅っこに、時折君はいた。……僕の一目惚れだったよ」


 有り体に言えば、貴族たちが持ち回りで開催する「集団お見合い」だが、これがどうしてなかなか馬鹿に出来ない。

 伝手や縁故だけで相手を探せば、どうしても選択肢は狭くなり、家業の維持発展には限界が来る。ここでしがらみを僅かに外れ、ある程度自由に相手を探すことは、派閥の存続にも好影響だと概ね歓迎されていた。

 もっとも、この茶会に参加していた頃のアメリアは、婚活よりも「気兼ねなく美味しいお茶やお菓子がお腹いっばい食べられる」ことに夢中になり、ろくに社交もしていなかった。

 果たして、口の隅にクッキーの食べかすや生クリームを付けていたはずの小娘の、どこに一目惚れする要素があるのか。

 先ほどのハーマンの件もあり警戒するアメリアを、チャールズは真摯な目で見上げてきた。


「なんというか……皆幼いながらも気負って目をギラつかせて、そのくせ子どもだからその気持ちを隠せず、雰囲気が息苦しかったんだよね。だから、周囲を気にせず菓子を堪能する君の自由な姿に、僕はホッとしたんだと思う」


 実家である公爵家は厳格な父のもと、幼い子どもにすら厳しい自戒と自立を求める心地の良くない場所だったと、チャールズは独りごちる。


「でも……。僕が率直に『君と婚約したい』と言っても、受け入れてもらえるとは思えなかった。公爵家の僕と、──言い辛いけれど、暮らしに余裕のない伯爵家の君が一緒になるには、ハードルが高い」


 これは彼の傲慢ではなく、貴族社会では当たり前のことだ。

 貴族たちは「次代により良い血を残す、繋げる」ことを至上命題としている。そして「生まれ育った環境が、その人間の根幹を作る」と信じている。

 より良い生まれを、より良い外見を、より良い才能を。公爵家が次男であっても、「貧し、生きるのに精一杯な伯爵家の娘では許さない」と判断するであろうことは、誰だって理解出来た。

 だったら、と囁くように言い、チャールズはふと夜空の月を見上げた。その絵画のような完璧な美しさに、アメリアは思わず見とれてしまう。

 彼女の視線に気付いたのか、チャールズはふとアメリアを見つめて、子どものようににっこりと笑った。


「だったら、『伯爵家の令嬢と結婚しても惜しくない息子』になろうと思った」


 何かを振り切ったようなその清々しい笑顔に、アメリアはぱかりと口を開けた。


「早熟な兄たちと違って、外にアピールするのが致命的に下手だっただけで、別に勉強や運動が苦手だった訳じゃないんだよ。でも、『何をやらせても駄目だ』って思ったら、流石に両親も諦めるかなって、徹底的にどんくさい振りを続けてみたんだ」


 あと、女心が分からない朴念仁のコミュ障を装ってたら、変な女も寄ってこないだろうと思って実践してみた。

 はにかむように言う青年を、アメリアは珍獣でも見るような思いで眺めていた。


「目論見通り両親は優れた家との縁組を諦めて、一族中、誰も僕に期待しなくなった。上手くいって良かったよ。あとは君と縁を作って婚約を申し込むだけだったんだけど、ちょっと演技が癖になるぐらい楽しくなっちゃって……。思った以上に『残念』扱いされてた。

 いや、卒業までに変なのに目を付けられないようにする為には良かったんだけど、肝心の君にアピール出来ないのは問題だし。

 どうするかなと思ってたら、変な先輩がやたら課外活動で君に馴れ馴れしいし、でもこっそり陰で別の女と会ってるしで」

「………はあ」

「探ってみたら、婚約者の疑念を逸らすためのスケープゴートに、君を仕立て上げようとしていると気付いて。……許せなかった。

 すぐにやめさせようと思ったけど、ああいう男は君を諦めても別の女の子を利用するだろうし、周囲にも君を少しでも疑うような不名誉な印象を残したくなかった。

 だったら、あんな男は徹底的に社会的に抹殺してやろうかなと」

「…………」


 ついに絶句したアメリアに何を思ったのか、やたらと良い笑顔でチャールズは言った。


「まずはビューモント先輩の疑念を煽って、シュライバー先輩を焦らせた。

 ガートルード夫人の燕一号から三号と五号──先輩は四号だったそうだよ──には、うちの派閥筋の女傑をそれぞれ紹介した。家を出て商売を営む彼女たちは皆、『自分が働いて稼ぐから、屋敷に帰ったら愛らしい男の子に癒されたい』が口癖で、需要と供給のバランスも完璧だった。

 そうしたら、ガートルード夫人は残ったシュライバー先輩にベッタリになって、先輩も夫人との未来のためで上手く暴走し始めて」


 上手くいって良かった、と無邪気にチャールズは笑う。

 その笑顔は今日一番の魅力で、課外活動で顔を合わせた時にはない覇気と魅力を纏っていて、アメリアは感極まって──爆発した。


「──ふ、ふざけないでよ!! わた、私が、あの場でどれだけ驚いたと思うの!? マデリーン様に睨まれて……人生終わったって……。う、うえぇぇ……怖かったぁぁぁ……」

「うん、それは、本当にごめん」


 ついに泣き出したアメリアに、チャールズは苦渋を滲ませ俯いた。そして素早く裾を払い、顔中をくしゃくしゃにして嗚咽を漏らすアメリアの足元に、躊躇いなく跪く。

 流れるようなその動きに、驚愕したアメリアの涙が一瞬で引っ込んだ。


「……ごめん。君の不名誉は絶対に晴らすし、何があっても、何をしてでも君は僕が守ると誓っていた。それでもあの場で、嫌な思いをさせてしまったことは事実だ。今泣かせてしまっていることも。……本当に、心から申し訳ないと思っている」


 この通りだ、と頭を垂れるチャールズに、アメリアは何も言えずに黙り込んだ。

 確かにチャールズの作戦はぶっ飛んでいるし、マデリーン嬢の怒りが解けるかは賭けだった。彼女の清廉な性格に救われた形だった。

 それでも、そもそも初めにハーマンにつけ込まれるような隙を見せたのは、自分だ。

 貧乏脱出に血眼になるあまり社交を疎かにし、あの場で「アメリアがそんなことをするはずがない」と味方してもらえるような関係を築いてこなかった。あまつさえ、「あの女なら有り得るか」という空気すら招いてしまった。

 感情を爆発させてしまった気まずさも手伝い、涙を拭ったアメリアは黙って俯いた。

 そんな彼女の手を、意を決したようにチャールズがそっと取る。

 慌てて顔を上げてみると、今までの飄々とした態度はなりを潜め、緊張感の漂う表情で跪いたまま、チャールズはアメリアを見上げた。


「アメリア・ノエル嬢。ずっと君の隣に立ちたい、傍に居られる存在になりたいと願っていた。どうか、君を思うあまり暴走してしまった愚かな男に、慈悲を与えてもらえないだろうか」


 その眼差しは真摯で、許しを乞う声は微かに震えている。重なった大きな掌には汗が滲み、これは彼の一世一代の告白なのだとアメリアにも伝わった。

 月光を弾いて輝く銀糸、情熱と怯えに不安定に揺れる碧眼、彫刻のような美貌に見つめられ、アメリアは息苦しさを覚えた。


「アメリア。どうか僕と、婚約を──」

「いや待ってやっぱり怖いから全然ときめかないから!!」


 ぺいっと握られた手を振り解き、アメリアは立ち上がって肩を怒らせて叫ぶ。

 チャールズはぽかんとしてそんな彼女を見上げた。


「思ってもらえてたことは嬉しい! でもそのために自分の人生曲げる!? 愛が重過ぎて受け止められない!! 今回の騒動だって、その頭脳、こんなことに無駄に使ってるんじゃないわよ!! 他に使い道あるでしょ!?」


 叫びすぎて酸欠になりかけ、一度大きく息を吸い上げたアメリアは、最後に再び声を張り上げた。


「ああもう、私はただ貧乏から抜け出せれば良かったのよ! 目立つず穏やかに生きられれば──!」

「それなんだけど」


 ぱちぱちと目を瞬かせていたチャールズが、突如意を得たりと誇らしげに笑う。

 嫌な予感を覚え、アメリアは一歩引いた。その分チャールズが一歩詰めてきて、アメリアは衆目の中で追い詰められていたハーマンの気持ちを痛いほど理解する。


(圧が……圧が強過ぎる……!)


「父は僕を派閥の有力貴族に婿入りさせることは諦めて、あんまり旨みがない子爵位を譲るつもりだと言っていた。君のとこのレイン領から、いくつか領を挟んだ北側。──なだらかな山稜だけの何もない土地で、割と好きにさせてもらってたんだけど。実は外国から入ってきた新種の果実を色々実験してたら、上手く根付いたんだ。酒造りに向いてそうな、果実が」


 チャールズの言葉に、アメリアの耳がピクリと動く。酒造りはノエルの家業だ。

 もちろんそのことを承知しているのだろうチャールズは、晴れやかな笑顔で続けた。


「重苦しい規律や社交で苦労しない子爵位。君の実家の手伝いが出来る生業。……君の理想に、ピッタリだと思うんだけどな」


(いよいよ退路を絶って来た……!)


 生唾を飲み込むアメリアの手を再び取り、チャールズは真っ直ぐに彼女の目を見つめた。


「こんな優良領地、手放すのは勿体なくない?しかも領主は君に一途で、浮気なんて絶対にしない特上の。見た目も良いし」

「……自分で言う?」


 開いた口が塞がらないアメリアに、チャールズは楽しそうに笑い声を上げた。

 しかし彼はすぐに真顔に戻り、声を潜めて囁く。


「それにあの空気で、結局君が僕以外の誰かと婚約してたら、多分色々変な空気になるんじゃないかな? 嫉妬って怖いよね」

「……脅し?」

「まさか。嫉妬って怖いよね」


 ふふっと微笑み、チャールズはアメリアの手を握る指先に力を込める。余裕綽々の態度の中で、けれどその手だけはまだ汗で僅かに湿っており、アメリアはもう何も言えずに黙り込む。

 チャールズはきゅっと口元を引き結んだあと、冗談めかした色を一切排した声で告げた。


「ねぇ、アメリア。一緒に居て、『やっぱり無理』って思ったら、一年後の卒業記念舞踏会で婚約破棄でも何でも叫んでくれていいから。今の時点で『どうしても無理』じゃなかったら、チャンスがほしい。絶対に大切にするし、大切にするって信じさせてみせるから」

「……!」


 そう言って微笑んだ彼の笑顔は蕩けるように甘く、アメリアは思わず赤面してしまう。

 彼の思いを疑っているわけではない。

 ただ、ほんの少し前までまるで認識していなかった相手に愛を囁かれて、ピンとこず、戸惑っているだけなのだ。


(まあでも、傷モノ一歩手前の私に、これ以上の良縁なんてないわよね……)


 諦めたようにそう内心で呟き、アメリアは腹を括る。けれど彼女が口を開く直前、チャールズは再びにっこりと微笑んだ。


「まあ、何が何でも破棄なんてさせないけど」

「……やっぱり怖い!!」


 悲鳴を上げるアメリアに、チャールズはいよいよ笑い崩れた。








 誤算から始まった関係性。

 それが行き着く先や、果たしていかに。


「マデリーン様に窮地を救われたからと言って、調子に乗らないことね、アメリア・ノエル!」

「あの方のお傍に相応しいのは、私たちだけなんだから!」

(なんかまた変なの湧いてきた……)





2025/12/22

誤字修正いたしました。ご指摘ありがとうございました!

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