第一章(4)
健二は慌ててホテルを飛び出した。パンツを履いて出たのは多少冷静でいられた証拠なのだろう。
そのホテルを出た先では小町が秋成と対峙していた。何故だ?笑いに来たというのか?ところ構わず辺りを物色する秋成の悪い癖に健二は舌打ちをした。秋成は対峙したまま無言を貫いている。健二は少し強気になった。
「秋成さん、邪魔しないでくれますか?これは僕と小町の問題なんだから」
「ただの男女の痴情の縺れなら何も言わん。その女がただの人間ならな!」秋成は無言を貫いた先に一言忠告した。
小町と対峙した秋成には彼女が放つ邪気が蛇のように巻き付いているのがみえた。「やはりそうか」と思うほかなかった。
秋成は事前に女の素性に関して、彼女の友達の話を聞いてみた。小町が最初に付き合った相手が不遇だった事が原因のようだ。カネにも女にもだらしなかったその男に愛想を付かし別れを切り出したところ男は涙をボロボロと流しながら別れないよう懇願したという。それを目にしてからの小町は男を卑下の対象とみなしていたという。如何にして男を絶望に突き落として別れるかを常に考えるようになった。あるものはさんざん金を貢がされ、あるものは過去の失態をネットで晒されるなどして捨てる。
それだけならまだいいのだが、捨てられた男たちはその後、生きる気力を失い、周囲に対して身体中に毒が回ったかのように恐怖で震えが止まらなくなる。そんな事態からすぐに彼女に女狐の悪評がついて回った。そして、今回の健二である。
既に彼の身体にも指先に等の節々に震えがみられる。が、当の健二には気付いていない。自分の身体に彼女の毒が回っていることを。
「ついてこい」
秋成は健二の手を取りその場から逃げた。現代に降り立った秋成には行ける場所は限られている。行き先はタイムスリップした最初の場所、大学の記念会館だ。その中の薮田の研究所にこもった。
「俺を笑いに来たのか?」と健二が問いかけるのを秋成は聞き流しその肩をポンと叩いた。
大学生の彼女は常に探しているのだ。男の落ち込みを見てニヤニヤとほくそ笑みながら、今日も大学で勉学に励む。健二のようなウブ
存在はもっともカモにしやすい。秋成は再度、健二に小町を諦めるよう促したが、健二は「まさか」とカブリを振る。
行き詰りを感じた秋成にはその鼻に違和感を覚えた。フンと嗅ぐと甘い香りがする。香が焚かれたと解釈したが、それは常に彼女の周りに纏わりついているものとわかった。
「香水の匂いがしている。彼女は近いんだ」健二はソロソロと香水の強い方向へ足を向けた。秋成はそれを制止する。研究所の鍵は掛けてある。香りがこの部屋に充満しているだけだ。扉の外に出てはいけない。
秋成には噴霧されている香水に蛇の毒が仕込まれていると思い焦りの汗を額に滲ませた。だとすればいずれこの毒は自分自身にもかかってくることだろうと判断すると息を殺して身を低く屈んだ。「無駄だ、無駄だ」と彼女の声が聞こえてくるようだ。
戸惑う秋成の隙を付いて、健二はついに扉の鍵をはずし研究室から会館の外へ飛び出した。香水のする方向を求めて辺りを見回すとすぐにお目当ての彼女が現れた。だが、女のの黒目は蛇のよう細長く、伸ばした腕からの皮膚は鎧のような鱗の肌を纏っていた。身体からは既に邪気のようなモノが健二の目に見えるまでになっていた。それに怯えて周囲の草木が揺れて駐輪の自転車の列はガタガタと音を立てて崩れ倒れた。
追いかけた秋成は二人の光景を目の当たりにして叫ぶ。
「これでもまだ見えないか!」
すると健二の身体の毒素が一気に吹き出したようで全身に震えが起こってその場にへたり込んだ。「これでわかっただろう」という素振りでヤレヤレと秋成は健二に近づいた。
「気のせいかな?失恋すると世界が崩壊したみたいに見えるよ」
「ああ、実際そうみたいだ」と、秋成は上空を見上げると夜空の歪みが昨日よりも大きくなっていた。その上で改めて秋成は「どうします?」と問いかけた。健二は「どうににかなるならどうにかしてくれ」と言って、そのまま項垂れたので、秋成は「ああ」と納得して応えた。振り返るとまだ、蛇の目の女はそこにいた。
ここに秋成と小町だけの空間ができた。初対面と思われる二人だったが、蛇の目の女は秋成に本能が持つ敵意を見せていた。ホテルでの抱擁の際、健二はずっと昔の書物の事を考えていて身体への毒の回りが遅くなっていたこと。その邪魔をした書物の作者である上田秋成は排除すべき存在であると、女の蛇姓のDNAが駆り立てていた。
お読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに。




