第一章(3)
翌朝、健二は出勤だというのに目が冴えなかった。許可はしたものの、隣に男がいるというのがどうにも居心地が悪かった。夜まで目的の娘と一緒にいる妄想で予定を立てていた自分にとっては突如として地獄に突き落とされた感覚だ。これでは念のためと今日、午前休を取った意味がない。しかもその男はやたらと自分の部屋を嗅ぎ回るように物色するのでその振る舞いを制止した。物を取る気配はないが、疑わしい。そして、本当に上田秋成なのかどうかと言うのもハッキリしない。
秋成は相変わらず辺りを物色している。話のタネを探しているのだろうか。それならばと健二は秋成を自分の職場に案内した。
しかし、案内した近世文学の棚には上田秋成の書物が見当たらない。『諸道聴耳世間猿』という読み本があったが、それ以外には彼の存在を示す書物がない。
(もっと有名な著書があったはずなのに)
健二は頭を抱えるが、どうにもその代表作が頭に出てこない。それに今、ここにいる上田秋成が書物で知る男にしてはもっと若い。健二が尋ねると彼は37と答えた。だとすれば、彼がこの先書き上げる短編集の名著があったはずだが、見せるべきものが見当たらない。まるで、歴史の法則が彼のこれからの未来を見せないかのようだ。
(自分の未来は自分で切り開くからネタバレするなと言うことか)
悩む健二とは対照的に秋成はその本として纏められた棚の美しさに感動していた。何という収蔵数だ!と世界が広がった心地だ。しかし、健二が見せたかったという蔵書の棚の空白に秋成は何故か気になっていた。
(これも時間軸均衡の法則の影響というやつか?)
キョーマは「そうだ」と答えたが、秋成には引っ掛かる点があった。既に書き上げて出版の準備を進めていた短編集の存在である。書き上げたものの諸々の描写を深めるために推敲を繰り返していた読み物であった。その原稿は実家である「嶋屋」に保管していたが、その嶋屋が先の火災にあった(と思われる)。今ここにその本がないとすれば、時間の法則に関わらず、元々存在していなかったのではないか?
(さすれば、俺はただの無名な書生風情か・・・)と秋成は苦笑した。
その後、秋成は健二と共にカウンターに戻ったが、そこに一人の女が本を持たずに立っていた。本を借りる様子もないが、健二の表情が変わった。「すまない、今日は一人で飯を食べててくれ!」と、健二は秋成に家の鍵を渡した。健二は先の女に平謝りをしながら彼女に近づいて行くのを見て、秋成はその女が昨日すっぽかされた相手であることがわかった。女は清楚さをアピールしているようで、日本人形のように腰まで延びたストレート髪が印象的であった。常に俯きがちな表情をしているが、その目先の指には矢鱈と銀のアクセサリーが付けている。健二が彼女だと話していたが、その事には首をかしげる。
「彼が次の犠牲者か可哀想に・・・」という声が秋成に聞こえてきた。声の主はその女を知っているような女子3人の集団で内2人は健二の女の事でゲラゲラと話していた。秋成はその話に耳を傾けながらもう一人の友達が抱えている竹刀の袋ばかりを見つめていた。
秋成と別れ、仕事を終えた健二はすっぽかしてしまった駅前で京塚小町と再開した。(今度こそ!)と健二はもう一度頭の中で検索したデートコースを巡らせていた。
健二は歩を進める度に気持ちが高揚した。どこを連れていっても笑顔で受け入れる小町を健二は疑うことはなかった。それならばと次は駅の裏路地にたっていたホテルに歩を止めた。
「大丈夫?」
とりあえず聞いてみたが、少し黙ってから小町は首を縦に振った。とりあえず理解はあるのだろう。しかし油断は出来ない。ここで頷いたとはいえ室内に入ってからあれは合意ではないと訴えられる事だってある。健二はあとを着いてくる彼女の存在を背筋でヒヤヒヤと感じながら部屋の奥へと進んでいった。
部屋に入ると逆に彼女の方から抱きついてきた。ウブな少女かと思っていたが、大胆な抱きつきに健二は動揺した。それと同時に疑念も生まれてきた。この纏わりつき絡み付くような抱擁はどこか危険な匂いがあった。それはどこか昔の書物にあった気がするが・・・
(何故だろう、思い出せない)
考えるだけ野暮ではある状況だが、何故かそれを思い出さないと自分の生命が危ぶまれるような心地がしてどうにも自分の腕が彼女の腰に回らない。どうしたの?と言いたげな小町は一度触れた唇を放して、舐め回すようにして健二を見つめた。彼女の見つめる冷ややかな眼差しは健二を硬直させた。その時に頭に抱えている疑念も共にフリーズしてしまい力が抜けた。そしてもう一度口づけを交わすと健二の中に覚悟が定まった。大人にならねばという気持ちがその右腕を自然に腰に回させた。
しかし、それを女は振りほどいた。
「やっぱり、やめましょう」
と突然告げた。これからという時に健二は動揺した。何故だという素振りを見せて尋ねると小町はふとため息をついて「うーん、今までの人に比べると、もう一つなのよね」脱ぎかけのブラウスのボタンを止めて荷物を手にするとその部屋からそそくさと去っていった。ウブな少女とついさっきまで思っていたが自分が恥ずかしくなるのと同時にウブな自分を否定するかのように健二は慌てて彼女を追った。
お読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに。




