第一章(1)
城南大学の図書センターは圏内随一の貯蔵数を誇り、山間に拓かれた大学の雰囲気も森口健二は気に入っている。だが、(そろそろ転職でもするかな・・・)という思いにも駆られているほどのホワイトさに物足りなさを感じていた。
そんな図書センターには隣の会館につながる地下通路が通っている。開校90年の記念講堂としているが出来てから15年ほど経ちモダンだったその姿もすっかりレトロなものとなったその講堂に続く通路を健二が横切ろうとしたところからこの物語は始まる。
「やった!!ついに完成したぞ。これでワシをバカにしていたやつらを見返せるわい!」
どこからなのだろうと思わず健二は足を止めた。ここ数日、ガサゴソと物音がしていたが、微細な物音と自分の仕事が手一杯だったのでネズミが紛れ込んでいると思い、見て見ぬふりをしていた。しかし、ここは自分が確かめねばと言う想いに至った。ここ数日放置した自分の贖罪の意識なのだろう。
(地下からか・・・)
物音を辿り通路の先にある階段を降りるとひとつの教室があったスライド式の扉の横には『薮田研究室』と書かれた直径30cmほどのホワイトボードが置かれている。中に入ると1人の老教授が教室内をバタバタと走り回っていた。
「キミも悪いが探してくれないか!」
「何を?」思わず応じて問いかけた。
「研究材料だよ」
「そんなのわからん」
「兎に角、探せばわかる!多分その辺じゃ」
そう言うので辺りを探すと一人の男が倒れていた。健二は彼を救おうと男の腕を肩に掛けた。まさかこの男なのかとも思うが、目立つものが彼しかいないならこの男なのだろう。
「男の人が倒れていますよ」
「ヒト?そうか、恐らくそれじゃ!」
健二は咄嗟に彼の腕を抱えて肩に回して持ち上げようとした。
「重い・・・」着ている服のせいかやけに重い。まるで二人分を抱えているかのようだ。男に纏わりついている繭のような衣のせいだろうか。
「う・・・重い」
掠れた声で当人が呟いた。そんなことを思うなら着なければいいのにと思ったが、この感じだと着せられたからかとも思う。
(この爺さんは何の研究をしていたのやら・・・)
そんな疑問を抱いたことを感づいたかのように老人はまたしても口を開いた。
「他の学者連中も腰を抜かすはずじゃな。誰もこんな個人の研究所でタイムスリップの実験が成功するとは思っても見ないだろう」
老人は腰に手を当ててふんぞり返る。いかにもテンプレめいたヒゲモジャ博士だ。しかし、この男のいうことがハッタリということでもなさそうだ。見ず知らずの他人と気絶してる男にハッタリを呟いたところでマウントにすらならない。
「・・・そうなるとこの男が?」
「左様、過去から来た男じゃ。確か今から200年程前じゃたかな?」老人は曖昧にはぐらかすが、健二にはそれを聞いている余裕がなかった。
だがその時、男の身体がビクッと揺らぐのを感じた。「ウッ・・・」という寝起きの声と共に、(今度は確かに意識を取り戻したな)と健二はその背中で感じた。
(フュッン!)
男の意識をと戻すのと同時に身体から何かが抜け落ちて行った気がした。それに合わせて、その身体がフッと軽くなったので健二は逆にバランスを崩し結局は男を抱えたまま倒れ込んだ。健二が再び男の姿を見るとさっきまでの重そうな身ぐるみは無くなり比較的にラフな姿をしていた。
「怪我はないのか?」
「ここは天国ではないのか?てっきりウチの火事で死んだとばかり・・・」男は手先をクンクンと鼻を嗅ぐ仕草を見せた。その手先は黒ずんでいたが、歪に見える中指の短さを隠すようにしている。火事で焼けたからという訳ではない。その傷はもっと前からあったものだろうか?自分の手先の異形さを知っているからこ恥じるように隠している。
(過去に病気でも患ったのか・・・?)
博士が過去の世界から誰を召喚したかわからなかったが、彼の仕草を見て健二は一人の男を想定し呟いた。
「上田秋成?」
「!?なぜ私の名前を知っている?」
男は自分の名前を言い当てられて口許にあった腕をおろし、眼を見開いた。健二も偶然ながらこの名前が出てきたので、やや眼をそらした。江戸時代の文芸作家など数多あるなかでこの名前が出たのは先日のカウンター業務でとある生徒が卒業論文として貸出したのが、上田秋成の全集だった。それだけの事である。健二自身は近世文学に興じる範疇ではなかったが、その学生も卒業のために必死に資料を集めていたのだろうから資料集めを手伝ったりもした。それが偶然にも当事者が目の前に現れる事態となった奇跡を実感する。
(どうせなら宝くじの一等が当たる奇跡の方がいいのだが・・・)
とりあえず、この状況をどうするか。健二は籔田という老博士が引き取るものとばかり考えていた。しかし・・・
「知り合いなのか!ならキミ、すまぬが今日一晩彼を泊めてやってはくれぬか?」とムチャ振りをしてきた。
老博士は自分には家がないという言い訳めいた話に流されて、秋成という男をとりあえず自分の部屋に預けることとなったことに僕は面倒臭さを覚える。
(めんどくせえ!!)
そう言って健二は側にあった机を叩き、漸くこの場から強引に立ち去った。面倒なことに関わりたくなかったことと、今日は定時で帰らなくてはならない予定があったからだ。
歴史的な作家と見られる男をその場に残し健二は所定の場所に急いで向かったが、予定していた時間から20分ほど経っていたためか、駅前に待っているはずの人はとうとう現れなかった。
(くそ、何て日だよ・・・)
うつ向いて地団駄を踏む健二には上空の夜の闇が歪んでいることは気にも止めていなかった。
お読みいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。




