5 告白 イツミ
「アメリカ!?」
アタシは、飲んでいたラムネを思わず気管に入れてしまい、ゲホゲホッと、胸を叩いた。
颯間さんの研究室へ行く途中、アエカちゃんに誘われて、真夏の日差しを避けるため、大きな木下の影でお話しながら涼をとっていた。
「うん、そう、イツミ一緒にアメリカに行かない?」
嬉しそうに隣でラムネを飲むアエカちゃんが言った。
「博士がイツミのデーターを見て、面白そうだって言ってたよ? アメリカで訓練すればきっと上手に跳べるようになる」
夏休みのほとんどを、ここで過ごすようになって数日が経つ。来るたびに変わったテストやゲームみたいなことをやった。チョーノーリョクのセンザイノウリョクを見るためだ、って言っていた。
確かに、颯間さんにも訓練すれば能力をコントロール出来るようになるって言われた。
でも…―――
「……」
「イツミは、あんまり興味ない?」
寂しそうに、アエカちゃんが、アタシの顔を覗き込む。
「そう言うわけじゃないよ?」
ただ、あまりにも突然に、自分がこう言う力を持っていることがわかって、今までと違う世界が広がって、まだ、キモチがついて行かない。って言うか、混乱しているんだと思う。
さらに、アメリカだなんて……。
「ふ~ん、そっかぁ……」
「えっ!?」
アエカちゃんは呟くと、アタシの手をそっと握った。
「イツミはまだ、生まれたばかりなんだね?」
あっ……。頭の中が、グラッとした。
何? コレ。
周りの景色が白く歪んでいた。ゆらゆらと歪んだ景色は、なぜか時間が止まっているように認識出来た。
「こっちだよ?」
頭の中でアエカちゃんの声がする。つながれているはずの手に、少女の手は見えず。でも、つながれた感覚だけは確認できた。その感覚に引かれるように、アタシは、ゆらゆらと歪む世界を泳ぐように進んだ。
「……ここ、は?」
気が付くと、颯間さんの研究室の中だった。
積み重なった本に埋もれるように、彼はデスクに座り、何台も置かれたモニターを確認しながら何かを打ち込んでいる所だった。
イヤ、そんな体勢のまま、時間が止まっているみたいに動いていなかった。
「……」
その真剣な横顔に、アタシは見とれてしまう。
「……颯間、さん?」
ぱちんっ! と、空気が弾けるように、アタシの顔に空気の膜のようなものが当たって、身体中をすり抜ける感覚がした。
うわっ!?
突然視界が鮮やかに色づいて、時間が流れ出す。
「い、五美!?」
「えっ?」
目の前にいた颯間さんが、椅子ごとひっくり返りそうになりながら、驚いて、アタシを見上げていた。
「えっ? ……あれ?」
アタシ、さっきまで、木の下でラムネ飲んでたはず?
「どうだった? イツミ」
「……」
手に残るアエカちゃんの手の感触。つないだままの手の先に、にっこりと笑うアエカちゃんがいた。
「……何? 今の」
「今、一緒にここまで跳んできたんだよ?」
「……」
コレが、跳ぶ?
前に見た、白い道みたいな歪んだ白い空間。知らない感覚じゃ、なかった。
「イズル、お前なぁ……、無理矢理覚醒させるようなことするんじゃないぞ!?」
「だって、イツミとアメリカ行きたいんだもん!」
颯間さんが、心配そうにアタシの肩に手を置いて、顔を覗き込んできた。
「大丈夫か? 具合悪い所はない?」
その顔がとても、真剣で……。胸が、ドキドキする。
「……イツミちゃん?」
「あっ、はい! 大丈夫です」
お父さんとも、クラスメイトとも違う、大人の男の人。
最初、自分の気持ちを確かめるために、ここに通っていたけれど、もう、確かめる必要もないくらい、そばにいたいって思っている自分がここにいた。
颯間さんを見てると切ない。
この気持ちをどうすればいいのかなんて、全然わからなくて、今日まで超能力のテストや実験に協力していた。颯間さんがいなきゃ意味がない。
超能力の為に、アメリカに行くだなんて、ヒトゴトみたいな誘いだった。特に力を延ばしたいとか、自由に跳びたいワケじゃないし。
颯間さんと会えなきゃ意味がない。
例え、颯間さんが、アタシのことを一人の能力者としか見ていないとしても……。
「大丈夫、イツミの願い、きっと叶うよ!」
可愛いアエカちゃんの声が、すぐ下でして
「えっ? あれ?」
アタシ、声に出してなかったはず、だよね?
アエカちゃんを見ると、ナイショね! って、人差し指立ててウインクしてきた。
「……」
もしかして、心の中を聞かれちゃった?
頬が、急に熱くなった。
「アエカちゃ~ん!」
恥ずかしいよう!
しゃがんでアエカちゃん見たら、小さな手でアタシの髪を撫でてくれた。
「イツミなら大丈夫、ボクがホショウするよ」
その笑顔が、とても可憐で、思わず見とれてしまうほどだった。
その日は、跳んだ疲れが出てしまって、能力テストのゲームに集中出来ず、早めに切り上げて帰ることになった。
雨が降っていた…―――
勢い良くザァーザァーと雨粒がシャワーみたいに見えている。今日は、朝からずっとこんな感じ、これじゃあ足元はびしょ濡れだ。
「困ったな」
今日は、何を着ていこう?
窓辺で空を見上げてアタシは考える。きっとあの人は、本に埋もれた薄暗い研究室で、黙々と研究データを検証しているだろう。
颯間さんの目にアタシは、どう映っているのかな?
「……」
ただの実験サンプルにしか見えていないよね?
きっと……。
それでもアタシは、選ぶ、彼に会うために一番可愛く見える服を。
「……あれ?」
いつもとなんだか違う気がする。雨が降っているからだろうか?
それは、プロジオ研究所の門に来てから感じたこと。
「こんにちは~?」
そして、いつもはすぐに開く颯間さんの研究室のドアが、何度チャイムを鳴らしても開いてくれない。
「……どうしたんだろう?」
念のためにもらっていたカードキーを取り出して、アタシは、彼の研究室へ入る。
「こんにちは~、颯間さん?」
中は天気のせいか、いつもより薄暗くて、ちょっと怖い気がした。そっと中に入り彼のデスクに向かうと、スタンドに明かりがついたままで、いるはずの彼の姿がまったく見えない。
「……シャワーかな?」
取り合えず、ソファで待たせてもらうことにした。シンと静まり返る室内、こんな日に限ってアエカちゃんにも会わなし……。
「あっ……」
ソファのあるひらけた空間に、白衣を着たまま眠る彼を見つけた。
「颯間、さん?」
近づいて呼びかけてみたけれど、顔色一つ変えず、ぐっすりと眠っていた。
「……困ったな、どうしよう」
外から差す光は薄暗く、颯間さんの頬を青白く照らしていた。
白く照らされた精悍な頬、思ったより長いまつ毛、整った眉。オトナの男の人を感じさせる首筋のライン。白衣の下に隠れた、広い胸……。
あの時の感触を思い出す。
あの暑かった午後…―――
初めて出会った男の人。飛び込んだ彼の胸の中。広くて、大きくて、心臓が跳ね上がった。
この気持ちを確かめたくて通った研究室。
そして今、アタシはここにいる。
「……」
触れそうで触れない距離で彼を見つめた。青白く照らしされた彼の頬。閉じられた瞼を覆う長い睫。静かな寝息を立てる唇が、少しだけ開いて 、いつもよりちょっとだけ幼く見えて可愛い。
ずっと、このままでいたいな。
まるで、時間が止まったみたいな静かな時間。あの、白い空間にいるみたいな感覚がした。
今だけは、アタシの王子さま、颯間さんを独り占め出来る。
「……」
アタシは……。
「―――…颯間さんが、好きです」
「……えっ!?」
開いた瞳が、驚いたようにアタシを見つめる。
えっ?
えぇぇ~っ!?
「あっ、あの、……その……」
ウソ、起きてたの? ヤダ、ヤダ! こんな形で言いたくなかったのに。
「……っ」
次の言葉が、出て来ないよ。
赤くなって固まるアタシをよそに、颯間さんが、ゆっくりとソファから身を起こす。
恥ずかしい、颯間さん、何か言って?
「―――…まの、……する」
目をつぶるアタシの近くで颯間さんが呟いた言葉。
えっ!?
顔を上げたら、真っ直ぐにアタシを見下す颯間さんの瞳。
「――…えっ?」
聞こえなくて、もう一度たずねた。
「―――…今のは、……聴かなかったことにするよ?」
優しい大人の男の人の顔で言われた。
「……」
困ったように目を細めて笑う颯間さんの……。
胸の奥がギュッ、と痛んだ。どんどん気持ちが落ちて行く。
「……はい」
声が震える。
何も、言わせない彼の笑顔が、とても遠く感じて悲しかった。
そっか、……アタシ、フラレたんだ。やっぱり中学生だから?
アタシが、まだ子供だから?
なかったことにされた言葉が、宙ぶらりんになってアタシの心をズン、と重くした。
「……アタシ、今日は帰ります」
言うなりアタシは、颯間さんの顔も見ず、本の間をすり抜けて研究室のドアへ向かう。気付かないうちに走っていた。不意に、左手を強くつかまれた。颯間さんの腕だった。
「えっ!?」
ナンデ?
振り向いて見上げた彼の顔は、予想外に必死な表情で胸が苦しくなる。
「……気を付けて」
つかむ手が、痛い……。
「……はい」
放さない腕の熱から広がる、心臓の鼓動が外の雨音と同じ速度で、アタシの頭の中を満たしていった。